第11話 携帯花魁シリーズ吉原の咄
さて、夏も盛りとなったが、イックーさんはというと、まったく盛れずにおったそうな。
いざイこうと思っても、
「ンッ……」
イけぬ。
イこうと思っても、
「ンッ……」
イけぬのだ……
キッ
だが、イックーさんはそれほど気にもせず、穏やかな日々を過ごしておった。
思えばイキやすいせいで、これまで散々な目に遭ってきたものよ。座禅のときなど、地獄だった。邪念が多いと言われて
「アッオオオオォォッ!」
廊下を歩いていて、小坊主のいたずらでかんちょうなどされたときは、
「グッヒイイィィィ!」
死ぬかと思うたものよ……
だが今となっては、そんなままならぬ日々も遠い彼方。それは、イックーさんがずっと望んでいたことだったからのう。
菩薩と化したイックーさんが庭を歩いていると、
「おい、イックー!」
裏庭に集まった小坊主たちが、妙に興奮している。
「はい?」
「見ろよこの春画! すげえぞ!」
「
目の前に春画をおっぴろげられても、イックーさんはただ大人びた微笑みを浮かべるのみだった。
「綺麗ですね……ありがたや、ありがたや……」
小坊主たちは怪訝そうに眉をしかめた。
「……おい、どうしたんだよイックー」
「最近おかしいぞ、お前」
「おかしいですか……」
「そうだよ、いつものお前なら奇声を上げて、背筋をピーンッてしてたのによ」
イックーさんは首を振った。
「……そういう気分になれないんです」
「ちぇ、面白くねえの!」
「行こうぜ!」
「あっちでお医者さんごっこしようぜ!」
走り去ってイッてしまう小坊主たちの背中を、イックーさんはぼんやりと見送っておった。お医者さんごっこという
「……イックーよ、おいで」
目を向ければ、和尚さまが庫裡の窓から顔を出し、手招きをしておった。
「どうされました?」
招かれるままに、和尚さまの自室に向かった。
「……最近のおぬしは、まるで見違えたわい。御仏に仕える者として、一皮剥けたように見えるぞ」
「え? まだムケてはおりませんが……」
「うむ……あっぱれじゃ。本堂でイクのもやめ、修行にも精を出しておる」
「え? 精は出していませんが……」
しばらく沈黙があった。
「……イックーよ」
「はい」
「おぬし……イキたいのではないのか?」
イックーさんはビクンッとした。
「い、いえ、そのようなことは! 何をおっしゃるのです、和尚さま、いやだなあ……ははは、なぜそんな……何を根拠に……」
和尚さまの瞳は、たいそう優しかった。
「確かにわしらにとって、禁欲は大切な美徳じゃ。しかし、あるがままにあるというのも、同じくらい大切なことじゃ……己の意志で禁欲をするのはよい。だが、強いられてそれをするのは、自然なことではなかろう?」
「う……うう、う……」
イックーさんはしばらく俯いていたが、やがてその場に崩れ落ちたそうな。
「お……和尚さま、わたしは……イキたいッ! イキたいのですッ!」
涙さえ浮かべて……
それは魂の叫びだった。さみしかった……ここが、イキどまりなのか? そう思うと、不思議な哀しみが胸に去来しおる。
イケないというのは、せつない。
「うむうむ……」
和尚さまは微笑むと、箪笥の奥をゴソゴソとやって、なにやらしなびた物体を取り出した。
「おぬしに、これを貸してやろう」
イックーさんは目を見張った。
「こ、これは……
それは
「これなら、おぬしもイケるのではないか?」
「和尚さま……!」
和尚さまはお茶目に微笑むと、唇の前にシーッと指を立て、
「内緒じゃぞ?」
「は……はいっ!」
イックーさんは喜び勇んで自室へと戻ると、さっそく携帯花魁シリーズ吉原をふくらませ始めた。期待に胸をふくらませながら……
「よし、では……ハッ!?」
いざ事に及ぼうとしたとき、ふと気が付くと、携帯花魁シリーズ吉原が二人になっておったそうな。なんとも
一人しか頼んでいないのに二人きたとき、人は嬉しいより不安になる。
「こっ、これは……!」
イックーさんは思い出した。最近この界隈にたちの悪い化けギツネが出没し、人々を化かして遊んでいるという噂を。きっとこれはキツネの仕業であろう。
さて、どうすべきか? もしキツネでイッてしまったらあまりにもインモラルだし、変な病気になってしまうかもわからぬ。
イックーさんはしばし考えると、こう言った。
「困ったな、どっちか本物かわからない……あっ! そう言えば、和尚さまの携帯花魁シリーズ吉原は、長年使ったおかげで魂が宿って、お経を聞くとアンアンとあえぐそうな……よし、やってみよう!」
そう、イックーさんは今、常に賢者の
深くイケていないから、それほど深い叡智に到達はできないが、畜生ごときの悪知恵を上回るのは容易なことよ。
「しょうけんごーうんかイクゥ、どーいっさイクゥやく……」
ありがたいお経を読むと、
「あーん、あーん……」
携帯花魁シリーズ吉原の一人が、あえぎごえを発し始めた。
イックーさんもこれにはニンマリ。
「しゃーりーしーしきふーイークゥクゥッ……」
お経を続けながら、本物の携帯花魁シリーズ吉原の両手をそれぞれ両手で持ち、ギリギリギリと引き絞った。
「……ゴムゴムのおぉぉぉ──」
いざ、発射せん!
「
「あんあん、あーん……ギャアアアァーッ!?」
バッチイィーンッ! 必殺技を受けたキツネは、たまらずに一声鳴くと、慌てて窓から逃げて行ったそうな。
やれやれ……これで落ち着いてイケると思い、携帯花魁シリーズ吉原を見てみれば、荒々しい使い方をしたために、中央部分がピリッと裂けておった。
「……あっ!」
イックーさんは青くなった。和尚さまにどれほど怒られるか……考えただけで恐ろしい。なんてことをしてしまったのだと後悔したが、後の祭りじゃった。
……世はまさに大後悔時代、ということかのう?
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