第2話 ハシでイく咄

 ある秋の日のことじゃ、和尚さまが所用で都にイクというので、イックーさんもお供をすることになった。

 イックーさんは恐れおののいたそうな。刺激の少ない山寺の暮らしであればなんとか堪えられるが、都にイッたらどうなってしまうのか……

「ンッ!」

 想像しただけでイキかけてしまうのじゃ。

 悩み抜いた末、イックーさんは全身を荒縄で縛り、その上から法衣を着ることにした。この痛みに意識を集中すれば、イクことはないだろうと思ったのじゃ。

 だが、浅はかであった。

「ンッ、ホオ……グッ!」

 道すがら荒縄が肌にこすれる痛みが、段々と気持ちよくなってきてしまってな……救われぬことよ。

「大丈夫かの、イックー? 長旅で疲れたろう」

「アッ……ンッ……オッホオオオオォ……」

 もはや人間の言葉すら失いかけておったそうな……

「もうすぐ都じゃ、ゆっくり休めるぞ」

「オアアァーッ!」

 哀れじゃな。

 さて、その頃都ではちょっとした騒動がおきておった。

 亀頭屋某きとうやなにがしという初老の男がおってな。この亀頭屋、卑猥なものを売って財を成し、その卑猥なものが将軍・足嗅義あしかぐよし満公に気に入られて幕府御用達となった。性根のよくない男で、権力を笠に着てヤリたい放題ヤっておったそうな。

 その亀頭屋が、自分の店の前にある橋の渡り口に木札を立てよった。

『このはしでイクべからず』

 都の民は困惑した。

 橋で行くなとは、この橋を渡ってはならぬということ。この橋は生活上の要所であり、使えぬとなれば、かなり大回りをせねばならぬ。

 直談判をする者もあったが、亀頭屋は卑猥なものを撫でながら、

「わしの言うことは将軍さまの言うこと。文句があるなら将軍さまに申されよ」

 と言うばかり。

 くだんの橋の前までやってきた和尚さまは、町人から事情を聞くと眉をひそめた。

「亀頭屋さまも身勝手をなさる。どれ、ここはひとつわしが説法を……」

「ンッオオオオオオォ!」

「イックー!?」

 和尚さまは驚いた。なにしろ、ビクンビクンと痙攣しながら隣を歩いていたイックーさんが、突然走り出したのだから。

「母上様……お元気ですか……ンッ! ゆうべ……ンッ! スギ……イキスギの……」

 イックーさんはうわごとを繰り返しながら、とうとう橋を渡り始めてしまった。イクのを我慢しすぎると、人は獣になるのじゃな……こうなるともう何も考えられぬ、何も想えぬのよ。

 濁った眼はただひたすらに、亀頭屋の店の軒先を見ておった。正確には、そのチン列棚に置かれた卑猥なものをな……餌と見れば飛びつくさまは、まさしく獣であろう?

 そうしてイックーさんが橋を半ばまで渡ったとき、何が起きるのかと固唾を飲んで見守っていた町人たちの中から声が上がった。

「まあ、あの小坊主さま、橋を渡ってイクわ!」

 色艶めいた若い娘の声でのう……娘に見られていると知ったイックーさんは、橋のどマンなかで立ち止まった。ふと人としての意識を取り戻してみれば、イキかけた自分が大多数の人に見られているのだとわかり、もうしんぼうたまらぬ……

「ハイッッッ、イキますッッッ!」

 宣言をしてから、

「イッグウウゥゥゥゥゥ!」

 激しくイッたそうな……

「フアッ……あ……フゥーッ……ンッオウゥ……」

 余韻に身を震わせていると、亀頭屋が怒りに顔を歪めながらやってきた。

「困りますなあ、小坊主さま!」

「……おや?」

「立札をご覧にならなかったのですか? この橋でイクなと書いてあったはず……これは問題ですぞ!」

 イックーさんは、この上もなくスッキリした顔をしておったそうな……そう、賢者の刻じゃ! しかも、今までで最大のイキっぷりだったため、悟りもより深い……

「……イッてませんよ、ハシではね」

「ウソを言いなさるな、わしは職業柄、イッたかどうか見ればわかる!」

「ふふ……」

 イックーさんは穏やかに微笑んだ。

「わたしは、端ではイッておりませんよ……マン中で堂々とイッたのです。皆さんに見られながらイッたのです……!」

「なに!」

「今度は漢字でお書きなされ、亀頭屋さま」

「くっ……もうよい! この変態めが!」

 してやられた亀頭屋は、卑猥なものを撫でながら、悔しげに去っていったそうな。

 このやりとりを見ていた都の人々は、「ああ、なんだ、イクってそういう意味か……」と理解し、その後は普通に橋を渡れるようになったそうじゃ。

 よかったのう。よかったよかった……たいそうよかった……



 さて、しばらく後のこととなる。

 当時、あの金カク寺に住んでおった三代将軍・足嗅義あしかぐよし満公は、参内を許された亀頭屋からイックーさんの噂を聞くと、並ならぬ興味を示されたそうな。

 将軍さまは、自らの足の匂いを嗅ぎながら申された。

「──ほう、その小坊主は、それほどなまイキか? クンカクンカ」

「ええ、たいそうなまイキな小坊主で……思い出すだに腹が立ちまする!」

「クンカクンカ、どれほどなまイキなのだ?」

「派手にイキまして御座います……」

「ふ、ふ、ふ……たまらぬ……」

 将軍さまは、指の間の匂いを嗅ぎながら申されたそうな。

「その小坊主、連れて参れ」

「は……?」

「どれほどのイキっぷりか、見てやろう。わしが直々に足の匂いを嗅いでくれる」

 時代フェチズムが、動き出そうとしておった……

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