イックーさん

華早漏曇

第1話 蜜ツボの咄

 今は昔、夢漏町むろまち幕府の頃、さる山寺にイックーさんという、たいそうイキやすい小坊主がおったそうな。

 春風に産毛を撫でられただけで達し、夏ともなれば女子たちの服が薄くなるので達し、秋は紅葉が美しいからと達し、冬は炬燵こたつの中で達した。

 ある夏の夕暮れのことじゃ、寺の裏に小坊主たちが集まり、なにやらヒソヒソと悪だくみをしておった。

 通りがかったイックーさんを、うち一人が呼び止めた。

「おい、イックー!」

「ンッ!?」

 イックーさんは驚いて軽くイッてしまったが、小坊主たちは彼の絶頂を知らずに言葉を続ける。世の中というものはまっこと、イキやすいと生きにくいものよ。

「おまえ、知ってるか?」

 イックーさんは、必死に衝動を抑え込んだ。

「な……んッ……何を、ですかァ……?」

「和尚さまったら、あまーい蜜を、どっかに隠してるみたいなんだ」

「ツボにいっぱいあるそうだぜ!」

「ンッアアアァァーッ!」

 蜜ツボ……その言葉の響きだけで、イックーさんはイってしまったそうな……

「イックーおまえ、なにか知ってるか?」

「ハァハァ……い、いえ……何も知らないです、蜜ツボのことなんて……どういう形なのかとか、実物見たことないんで……」

 イックーさんは悲しくなってしまった。イックーさんは一度イッてしまうと、しばらくは賢者のときと呼ばれる、悟りの境地へと至るのじゃ。

「そうかあ……あるのは確かなんだ。和尚さま、子供がナメたら死ぬ毒だとか、見え透いたウソついてたから」

「確かに子供には毒かもしれませんが……」

 イックーさんは冷静に言ったのだが、小坊主たちは収まらぬ。

「おれたちに内緒で独り占めなんて、ひどいよなあ!」

「こうなったら、和尚さまの部屋に忍び込んで、みんなでナメてやろうぜ!」

 やんちゃな小坊主が先導し、早速向かおうとする一同に、イックーさんはせいしをかけた。

「あの……ちょっと待ってください、疑問なんですが……」

「なんだよ?」

「その蜜ツボは、和尚さまのなんですか?」

「ん? どういう意味だ?」

「つまり、和尚さまは……女?」

 小坊主たちは顔を見合わせた。微妙な空気が流れた。

「何言ってんだおまえ……」

「え……」

「その蜜っていうのはな、村の人がお寺の皆さんにってくれたモノだそうだ。だから誰のものかというと、みんなのモノってことになる……そうだろ?」

「ンッアッ……!」

 小坊主の説明に、イックーさんは驚愕した──村の人が蜜ツボをくれて、和尚さまがそれを隠している? なんてことだ……あの和尚さま、もうすっかり枯れたような顔をして、ずいぶん生臭だ……

「そんな背徳的な風習が……!」

「なんだ? いい子ぶりやがって、おまえも一緒に来るんだよ」

「えっ、なぜ!」

「おれたちの計画を聞いたんだから、おまえも一蓮托生いちれんたくしょうだ。興味あんだろ?」

「え、まあ……そりゃ、ありますよ、ないわけがない……でもそんな……」

「おまえに一番にナメさせてやるから、ごちゃごちゃ言うな」

 イックーさんは生唾を呑み込んだ。

「アッ……わ、わかりましたよ……イキます……!」

 イックーさんの賢者の刻は、それほど長くは続かないのじゃよ。

 さて、和尚さまは村に法会に行っており、遅くまで戻らぬ。それをよいことにイックーさんと小坊主たちは懸命に捜したが、折しも宵が迫り、辺りは暗くてかなわぬ……皆が諦めかけたそのとき、

「──あっ、あったぞ、ツボだ!」

 小坊主の一人が、掛け軸の裏に隠されたツボを見付けよった。

「ア゛ッー!」

 イックーさんはイキかけたが、必死に堪えた。蜜ツボを目前にしてイクわけにはいかぬ。そんなことでは蜜ツボに笑われるでのう。

「ほらイックーこっち来いよ、約束通りおまえからだ」

「えっ、で、でも……わたしヤッたことないんで……どうしたらいいのか……!」

 恐る恐る歩み寄ったイックーさんの手を、小坊主が強引に掴んだ。

「何言ってんだ、口から指を入れて蜜をすくい取ればいいだろ、ほら」

「あッあァ、そんな──!」

 その手が蜜ツボの中へと導かれ……その指先がねっとりとした蜜に触れた瞬間、

「アッウックウゥゥウッ! アッアッアァグッ……ア……!」

 イックーさんはもう辛抱たまらず、イッてしもうたのじゃ……哀れなことよ。

「は、ハァ、ハァア……うッ……ん、あ……え?」

 そして、派手にイッてしまってから、イックーさんは気付いた。

「ハッ……あ、あの……これ、なんですか?」

「なにって蜜だよ、早くナメろよ」

「……これ……蜜ツボじゃないですか!」

「だから最初からそう言ってるだろ」

「えー……ちょっと……ガッカリですよこれは」

 イックーさんは、一人だけ大人びた表情で言った……そう、賢者の刻が訪れたのじゃ……

「なんだよおまえ……」

「蜜ツボって言うから期待してたのに……これ蜜ツボじゃないですか」

「何言ってんのかわかんねえ……」

「もういいだろ、早く皆でナメちまおうぜ!」

 と、そのときのことじゃ……

「──こらあーっ! 貴様らわしの部屋で何をしとるんじゃあ!」

 大喝一声! 山が揺れるとはこのことよ。

「やべっ! 和尚だ!」

「逃げろ!」

 小坊主たちはほうほうのていで逃げ出したそうな。だが、賢者の刻に突入したイックーさんは、指先をチュパチュパとナメながら佇んでおった。

「まったく……む、イックーめ!」

「ああ、和尚さまか……お帰りなさい」

「おまえ、とんでもないやつじゃ! それは子供がナメたら死ぬ毒じゃと言うておいたものじゃぞ!」

 イックーさんの表情には、大人びた切なさがあった。

「わたしはもう……皆より少しだけ大人なのですよ……和尚さま」

「な、何を言うとる……!」

「元より隠しておくなど、無体なことをなさるから、このようなことになるのです。分け合うのがよろしいかと存じます」

「クッ……もうよい、いけ!」

 イックーはさみしげに微笑むと、部屋を後にした。

「イキましたよ、とっくにね」

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