第9話 確 信
「それって、堤部長の口癖ですよね・・・」
「そぉ、なんだか彼のうつっちゃって」
「堤くん、元気でやってる?同じ会社でも部門が違うとほとんど逢うことないでしょオフィスも25階と23階だしね」
「はい、元気だと・・・思います」
「彼ね、転勤の話があるの、ストックホルムの本社に、もちろん栄転なんだけど」
「えっ?そうなんですか」
「たぶん、断らない思う、頼られると引けない性格だから」
「そうなんですか・・・」
「なんてね、私だって彼のこと何も知らないのよ、今のはオフレコよ」
そう言って日本酒を飲み干した。
「。。。」
「柴咲さん、堤くんと何かあった?」
「えっ?」
「ふぅ~」
そう言ってから、深田さんは大きな溜息をついた。
「ホント、こんな部門にいるといろいろと耳に入ってくるのよ、やっかみ半分の噂話とかもね、ごめん、気にしないで」
「はい、でも・・・」
「そんなの気にしてちゃダメよ、でもね・・・柴咲さん、あなた今、恋してるって顔してる」
「えっ?恋・・・ですか」
深田さんは、そう言った後シャモロックを頬張った。
「柴咲さん、いい恋して、病気なんかに負けちゃダメよ」
「はい・・・ありがとうございます」
深田さんの優しさが本当に嬉しかった。
「あぁ~また食べ過ぎちゃったぁ」
「深田さん、また、ご馳走になっちゃって」
「なに言ってんのよ、私がまた急に誘っちゃったんだから」
「深田さん、いろいろと、ありがとうございました」
「なに言ってんのよぉ、これでお別れの訳じゃないんだから・・・また飲みの行きましょ」
「はい・・・」
そう言ってふたりは、新橋駅で別れた。
23時近く帰宅する。
「ただいまぁ」
リビングにはまだ明かりが灯っていた。
「あっ、お帰りなさい」
「また深田さんにご馳走になっちゃって」
「えっ?病院じゃなかったの?」
「ぅうん、病院の帰りに」
「亜美、ちょっと、ここに座って」
「なに?どうしたのよ?」
「お母さんには、正直に、本当のこと、話してちょうだい」
母はいつになく真剣な眼差しで私を見つめそう言った。
(もう・・・隠しておけないよね)
「うん・・・私、転移・・・骨にね・・・転移してるんだって、骨以外にも転移してるかも・・・そう言われたの」
私は、それ以上言葉が出てこなかった。
「大丈夫、大丈夫よ、亜美・・・」
母は、私の手をしっかりと握って、自分に言い聞かせるように呟いた。
「うん、ありがとう・・・お母さん」
ふたりの目には、自然に涙が溢れ出していた。
3月11日金曜日、いつものように自転車で鎌倉駅に向かう、春風が吹きぬける春の香りが鼻をくすぐる。
品川駅に向かう電車の中であとどの位こうして会社へ向かうことが出来るのだろう?と考える。
「おはようございます」
いつものように元気に挨拶してオフィスに入る。
「あっ、堤部長のコート?」
グレーのコートがデスク脇のハンガーに掛かっていた。
でも、デスクの上はキチンと整理されていて、堤部長が出社していないことはすぐにわかった。
春らしい天気が続ききっとコートを置いて仙台出張に向かったに違いないと思った。
堤部長のいない、デスクをぼんやりと眺めていた。
倦怠感で食欲もなくて、昼食はスターバックスでテイクアウトしたチャイティラテとブルーベリークリームスコーンを一人デスクで食べていた、外食するのも億劫に感じて、心もどんどん沈み込んでいくような気がしていた。
どんよりした気分の14時30分過ぎ、少し気分が悪くなってトイレに行こうと席を立ったその時だった、目の前がまるで小舟に乗っている様に揺れた。
「なに?なに?なんなの・・・目まい?この揺れ」
「えっ?えっ?地震?大きい?地震?」
ビルが撓ってるみたいに、揺れが一段と大きくなっていく。
「うわぁ~これ、まずいよ、やばい、大きいよこれ」
オフィスの中は少しパニックになっていた。
「みんな、落ち着いて、窓から離れて~」
天谷さんが大きなそして少し震えた声で叫んでいた。
頭がクラクラする、そう思った瞬間、またビル全体がまた大きく波打つように揺れていた。
資料の棚が倒れ中に入っていたファイルが、大きな音を立てて目の前に落ちてきた。
「危ない!」
一層大きな横揺れがオフィスを襲う、ここは23階、揺れは増幅されて、まるで船上にいるようだった。
どの位揺れていたのだろう?少し気分が悪い。
「どこ?震源地は?東京?」
皆やっとこれがとてつもなく大きな、そして今まで経験したことのない地震であることをやっと理解していた。
「お母さん?お母さん、大丈夫?」
すぐに鎌倉に電話するが全く通じない、恐怖と不安が頭を埋め尽くす。
「どうしよう?どうすれば・・・」
廊下に出るとエレベーターは止まっていて、非常階段には人の列が出来ていた。
やっと揺れが収まってきて、オフィスの中を見渡すとデスクのPC、書類棚から落ちたファイルが床に散らかっていた。
皆、家族や友人の安否を気遣い携帯やメールをチェックしていたが、つながる人は誰もいないようだった。
私も家に何度も電話をかけ続けるがつながらない。
「また、余震?」
どの位時間が経ったのだろう?何十回目だろう、やっと家に電話が通じる。
「もしもし?お母さん?うん、私?私は大丈夫、そっちは?そぉ、うんわかった美咲にも連絡取ってみるから・・・うん大丈夫」
母は至って冷静で、電車が止まっていること、美咲は一人暮らしだから連絡を取って一緒に鎌倉に非難してきたら?と次々と必要な情報を伝えていた。震源地は東北沖・・・仙台も震度6強以上であることも。
「震度6?強?堤部長は?仙台に・・・」
部長のデスクに目を向ける、ハンガーごと床に落ちたコート、整理されていたデスクの上には書類が散乱していた、デスクに近づき落ちたコートを抱きかかえる。
「堤さん・・・」
私は思わず、バックからiPhoneを取り出してダイヤルを・・・
「番号?・・・は」
私たちは、その時お互いの携帯番号も知らないことに気づく・・・そして私は
iPhoneを握り締めていた。
社内はパニックになっていて、仙台支店へ連絡するが全く連絡がつかないでいた。
「誰か、仙台支店に連絡取って~」
「オフィスに残ってる人全員で安否確認お願いします」
そして、携帯電話の番号が書かれたリストが配られた。
「あっ、これって?堤部長の番号」
大阪や九州に出張していたスタッフから次々に連絡が入ってくる。
私は、会社の電話からリストにあった、堤部長の携帯に連絡する。
「おかけになった電話は・・・」
何度繰り返しても同じアナウンスが流れる。
「おかけになった電話は・・・」
「堤さん・・・出て」
私は何度も何度もリダイヤルで堤部長の携帯に連絡を繰り返す。
「あっ・・・また余震」
時計は15時30分を過ぎていた、その時私の前の内線電話が鳴った。
「はい?コンプライアンス、柴咲です」
私は、今にも泣き出しそうな声で電話に出る。
「堤です、大丈夫?怪我とか、平気なのか?」
「堤部長?本当に?堤部長なんですか?仙台でしょ?大丈夫なんですか?今どこにいるんですか?」
私は少し興奮して、涙声で矢継ぎ早に質問していた。
「僕は大丈夫、問題ない」
堤部長のいつもの口調に安堵する
「あぁ、よかった、ホントに、よかった・・・」
「堤部長なの?代わって」
天谷さんに握り締めた受話器を渡す。
「堤部長?天谷です、今どちらですか?はい、わかりました、はい、じゃあ部長もお気をつけて」
天谷さんは、最後にそう言って受話器を置いた。
堤部長の声が聴けて、なによりも無事であることがわかっただけで本当に嬉しくて私は溢れ出す涙拭った。
私は、この人のことが・・・この人のことを本当に好きなんだと、確信する。
しばらくすると人事部、管理部門から早期帰宅の指示が出される、また余震が続く。
そんな中リフレッシュルームのTVの前に多くの人が集まっていた。
「なに?これって・・・ひどい」
テレビの画面いっぱいに真っ黒な波が、すべてをのみこみながら不気味に進んでいく様子が映し出されていた。
畑のビニールハウス、車、そして家、きっと人も・・・どうすることも出来ずアナウンサーは淡々とした少し震えた声で津波の様子を伝えていた。
仙台空港が映し出される、駐車場に停めてあった車がまるでおもちゃみたいに流されていく。
そんな信じられないTVに映し出される光景を誰もが無言で見つめていた。
「だめだぁ・・・」
誰かが小さく呟いた。
ニュースでは交通機関は全滅で、首都圏は巨大な人を飲み込んだまま麻痺していた。「鎌倉まで帰るのは・・・」
そのままデスクに戻る、外は薄暗く、オフィスの中にはスニーカーに履き替え歩いて家に帰ることを決意し出て行く人もいた。
私はデスクに戻って、このまま会社に泊まることを覚悟しながら母のことが心配だった。
そんな時 美咲から連絡がきた。
「亜美ぃやっとつながったよぉ~ どこ?どこにいるの?会社」
「うん、まだ会社、美咲は?大丈夫なの?」
「私は平気、今日たまたま休暇で、家にいたから、亜美、鎌倉帰れないでしょ?うちにおいでよ」
「でも・・・」
「私も一人で心細いし、あっ、亜美のお母さんにもうちに泊まるって連絡しておいたからお母さんもご近所のお友達と一緒だって」
「うん、ありがとう美咲」
「じゃあ冷蔵庫の残りもので、何か温かいの作って待ってるからね」
「うん」
美咲は大井町のワンルームマンションに住んでいた、今までに何度か行ったことがあるが、大井町駅からしか歩いたことがない。
PCで大体の地図をプリントアウトしバックに入れてオフィスを出る、エレベーターが使えず階段で2階まで下りていく、腰に痛みが走る。
30分以上かかってやっとの思いで2階まで下りていく、薄暗くなった外に出ると少し肌寒い気温も下がってきた。
マフラーと手袋をして品川駅の方へ歩き出す、駅には帰宅出来ずにいる人々が座り込んでいた。
高輪口に出ると人の列が300メートル以上続く異様な光景が目に入る。
「タクシー?」
いつ来るかも知れないタクシーを待つ人の列、道路には歩いて帰宅する人の波、東京は麻痺し、パニックだった。
私は第一京浜を大森海岸方面に向かって歩き出す、40分ほど歩いただろうか、今どの辺りを歩いているのか?さえもわからなくなってきた。
寒さで、トイレにも行きたくなっていた、そんな時パチンコ屋の明かりが見えた。
「どうぞ、トイレご自由にお使いください」
「いいんですか?」
「どうぞ、お使いください」
店員が笑顔で案内してくれた、トイレ待ちの列に並び、一息入れる。
脚が、もう思うように動かない。
「はぁ~やっと、青物横丁、駅かぁ」
南品川3丁目交差点を右折すると、大井町駅が見えてきた。
バックからプリントアウトした地図を出そうとした時、携帯が鳴った。
「亜美?大丈夫?今、どの辺?」
「うん、やっと大井町の駅に着いたとこ、ごめんね遅くなっちゃって」
「じゃあ駅前の みずほ銀行の前で待ってて自転車ですぐ行くから」
「うん、わかった」
東口から西口へ出て、みずほ銀行の前に着くと「亜美~」と大きな声で叫びながら美咲が自転車で走ってくるのが見えた。
「美咲~ありがとう、ありがとね」
そう言って私は美咲に抱きついた。
「亜美、お疲れぇ~大変だったね、お腹すいたでしょ~さぁ帰ろう」
そう言って美咲は微笑んだ。
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