第8話 孤 悲
「私、やっぱり・・・骨転移なんでしょうか?」
「最終的にはMRI見なきゃわからないけど、症状から診て骨転移の可能性が高いと思う」
箸を持つ手が一瞬止まる。
「なんとなく、なんとなくそうじゃないかなって・・・」
「柴咲さん、今は治療法の選択肢は多いのよ、絶対に簡単に諦めないでね」
先生が一生懸命説明してくれる言葉がまるで他人事のように、消えていった。
「先生、ご馳走さまでした、わざわざ・・・」
「いいのよぉ、まだ2時間以上あるわね」
「大丈夫です、雑誌でも読んで時間潰しますから」
2時20分、地下1階の放射線部に戻る。
「柴咲さん、中に入ってください、トイレ行きましたか?」
「はい、大丈夫です」
検査着に着替えてスタッフの方に説明を受ける、硬くて冷たいベッドに横たわる。
目の前に機械が迫ってくるまるで棺桶に入ってるみたい、きっと閉所恐怖症の人は 耐えられないだろう。
「大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
20分ほどで検査が終わる。
結局MRIは明日また撮ることになり、今日はそのまま帰宅する。
横浜駅から鎌倉に向かう車内、車窓をぼんやり眺めながら母になんて言おうか考える。
「きっと、 心配するだろうな~また迷惑掛けちゃうし」
立っているとまた腰の辺りが痛む、夕闇がせまる鎌倉の街をいつもの様に自転車で家路に向かう、当たり前のこの景色がもう見られないんじゃないかという不安に駆られる。
「ただいまぁ」
「お帰りなさい、遅かったのね」
「・・・着替えてくるね」
母の顔をまともに見ることが出来ずにすぐに2階に駆け上がる。
着替えてリビングに下りていくとカレーの香りがしてくる。
「今夜は久しぶりにカレーにしたの」
コンロには弱火で煮込まれているカレー鍋が湯気を立てていた。
「いただきます」
今夜のメニューは子供の頃から大好きだった、母のカレーとオクラとツナのサラダとジェリエンヌスープ、母は私には何も訊かずに黙々とカレーを食べていた。
「あのね、お母さん・・・ 骨に、骨に転移している可能性があるって」
母がカレーを食べてる手を止めて私を見つめる。
「それで?」
「明日またMRI撮らなくちゃ・・・」
私は笑顔でそう伝えた。
「そぉ・・・」
母はそう言ったきりまた黙々とカレーを食べ始めた、リビングのキャビネットにはいつもの様に父と母が私の生まれた年に買ってくれた雛人形が飾られていた。
その夜、堤部長のウォールに書き込みをする。
<堤部長・・・私>
「何を、なんて書けばいいの?癌が再発しましたって?私、何やってんだろう?そんなこと伝えても・・・」
思い直してPCを閉じる、お風呂から上がって2階に上がろうとして部屋を覗くと、仏壇に蝋燭の明かりが揺れていて、その前に座って手を合わせている母の姿が見えた。
その姿を見て自然と涙が溢れてくる、また母を心配させて、悲しませてしまっている自分に腹が立って・・・そして情けなかった。
私は本当に親不孝だ、ベッドに入るがいつまでも眠りにつけない、また涙が溢れ出して枕が濡れる。
3月4日金曜日 私はMRI室の前で名前を呼ばれるのを待っていた。
検査が終わって乳腺外来の待合室へ戻る。
「柴咲さん、柴咲亜美さん~2番診察室へどうぞ」
鈴木先生のアナウンスが流れる。
「はい・・・」
今にも消えそうな声で返事をして、2番診察室へ入っていく。
先生はPCの画面を見つめたまましばらく私を見ようとはしなかった。
「大丈夫? 体調?気になるところは?」
「はい、腰の痛み以外は・・・」
「そぉ、じゃあ、来週月曜日、また来れるかしら?」
「月曜、ですか?」
「会社、終わってからでもいいけど」
「はい・・・」
「じゃあ、予約入れておくから、直接ここに来て」
3月6日日曜日、 久しぶりに鶴岡八幡宮にお参りに行こうとすると「私も行こうかしら」と母が言った。
「少し寒いけど、歩いていこっか、少し最近運動不足だし」
「大丈夫なの? 」
母が心配そうな顔で訊いてきた。
「平気よ、平気」
私は母に心配させまいと笑顔でそう答えた。
母とふたり段葛を並んで歩く、桜はまだ固い蕾のまま、今年の桜は少し遅いみたい。
「こうやって歩くの何年ぶり?」
「んぅ~ん、 遥が留学する前だから3年ぶりくらいかなぁ」
やわらかな春の日差しがふたりを包み込む、鳥居をくぐり舞殿の横を通り過ぎて大銀杏の前で立ち止まる。
「お母さん・・・ごめんね」
「なによぉ、改まっちゃって」
「私、心配ばっかりかけちゃって」
「なに言ってんのよぉ、 亜美はまだまだこれからじゃない、まだまだ」
「うん」
そう言って私の肩に手を回した。
ふたりで参拝をしてゆっくりと階段を下りていく、春まじかの鎌倉の街がいつもより眩しく見えた。
「はい、これ」
「えっ?」
それは参拝した後、母が買った御守り、鳩守だった。
「鳩は、八幡様のお使いなのよ、この御守りは自分の気持ちをちゃんと伝えることが出来るようにっていう御守りなのよ。
「そぉなんだ・・・」
「亜美、自分に嘘ついちゃダメ・・・自分に正直に生きなさい」
「ぅうん、お母さん・・・ありがとう」
私はその御守りをギュッと握り締めた。
月曜日、いつもの様に会社に向かう腰の痛みは鎮痛剤が効いているのか少しは楽になっていた。
デスクに着く、部長の姿は見えなかった、スケジュールは9日から仙台出張になっていた。
PCを立ち上げて休んでいた間に溜まっていたメールに目を通す。
お昼近くになっても堤部長は席に戻ってはこなかった。
(会議、延びてるのかな)
食欲も余りなくエレベーターでエントランスに下りて、スターバックスに入る。
「こんにちは」
「チャイティラテ トールをホットで あと、ベーコンと季節野菜のキッシュを」
「なんだか、元気ないですね」
店長が声をかけてきた。
「えっそうですか?そんなこと」
「すみません、余計なこと」
カウンターの席でひとり昼食を取る。
(私、私これから、どうなるんだろう?)
言い知れぬ不安がまた覆いかぶさってくる。
キッシュを食べた後、店内を見渡す、無意識に堤部長を探している自分がいる。(いる訳ないか・・・)
「ごちそうさまでした」
デスクに戻っても 10メートル先のデスクには誰もいない、これから病院に行ったらもう逢えなくなるんじゃないかってそんな気がしていた。
病院に行く時間が迫っていた、病院に行く前にどうしても堤部長に一目でいいから逢いたかった、17時を過ぎても堤部長はデスクに戻ってくる気配がなかった。
仕方なくオフィスを出て、エレベーターホールに向かう、下りのエレベーターが止まってゆっくりドアが開く。
「あっ」
堤部長がエレベーターの右隅に立っていた、数人のスタッフが降りてくる、なぜか堤部長はエレベーターから出ずにそのまま右端に立っている。
私は軽く会釈をしてそのエレベーターに乗り込んだ、5階のボタンのランプがついていた、私は2階のボタンを押して俯いていた。
エレベーターは5階で停止しドアが開くと私と堤部長を残し全員が降りて行った。
ふたりきりのエレベーターで、沈黙の中、後ろから堤部長の視線を感じる。
「大丈夫?何か、あった?」
不意に部長が話しかけてきた。
「えっ?」
「いや、 店長、スタバの、 元気なかったって言うもんだから」
「平気です、元気ですよ 私、堤部長、明後日から 仙台ですよね、出張お気をつけて」
振り返りながらそう言って微笑んだ。
本当は胸が張り裂けそうなくらい怖くて不安なのに、誰かに抱きしめて欲しいのに。
エレベーターの2階のボタンが消えて、ドアがゆっくりと開く。
「お疲れさまでした、部長降りないんですか?」
「あぁ、お疲れさま」
そう言ってエレベーターの23階のボタンを押した。
私はエレベーターを降りて、振り返って見ると堤部長が心配そうな顔で私を見つめている。
ゆっくりとドアが閉まり、エレベーターが上がっていく。
「もしかして、私のために?わざわざ」
上がっていくエレベーターの階数を見上げてから、足早に 品川駅に向かった。病院に着いてすぐに乳腺外来へ向かう、約束の時間5分前、待合室の椅子に座って大きく深呼吸をする。
「柴咲さん」
後ろから声がした。
「あっ先生」
「ちょうど良かったわ どうぞ、入って」
「はい、失礼します」
いつもの診察室で先生はPC画面に検査結果、MRI画像を映し出しゆっくりと話始めた。
「柴咲さん、 骨シンチ、この画像を見て、遠隔転移していると思われます」
「 は い」
「骨転移には、放射線治療と痛みをコントロールするお薬を」
私はまるで他人事の様に、淡々と先生の話を聞いていたが、私の脳はシャットダウンしたかのように、先生の言葉は一言も頭の中にはインプット出来なかった。
ただ、再発してしまったことだけは心の奥深くに突き刺さっていた。
でも私は自分でも驚くほど冷静で、夢でも見ているかの様にフワフワした不思議な感じだった。
「柴咲さん、柴咲さん、大丈夫?」
「はい先生、これからもよろしくお願いします」
「力になれるように私も精一杯がんばるから、頑張りましょうね」
鈴木先生はそう言って私の目を見つめた。
「来週、これからの治療スケジュールを相談しましょう、疲れたでしょ?今日はゆっくり休んで」
「はい、ありがとうございました」
バスで横浜駅に向かう。(家には、すぐに帰りたくない)
横浜駅に着いて、当てもなく横浜の街を彷徨う、ホワイトディが近いせいか街は華やかで、私は人ごみを歩いていても孤独を感じていた。
「逢いたい、アイタイヨ」
私はJR横浜駅に戻って東海道線 東京行きの電車に乗って会社へ向かっていた。
品川駅に着く、時計は20時を回っていた、会社へ向かう人はほとんどいない、駅に向かう人も疎らだった。
ビルのエントランスに入る(私って、何やってんだろう?)
エレベーターホールで立ち止まってまた駅へと引き返す。
「柴咲さん」
「あっ深田さん」
「どうしたの?今から帰り?」
「えっ、はぃ」
「時間ある?一杯 付き合わない?」
「はい、大丈夫ですけど」
「じゃあ、行こっか」
そう言って品川駅の方に歩き出した。
「新橋、行こっか1度行ってみたいお店あったんだ~」
新橋駅 日比谷口から歩いて5分くらい
「あれっ?おかしいわねぇ~確かこの辺だと思ったんだけど」
深田さんが立ち止まってスマートフォンを覗き込んだ。
雑居ビルが立ち並ぶオフィス街に私たちふたりは迷い込んだ。
「あっここ、あったぁ」
そう言って深田さんは駆け出した。
「BOIS・・・ボイス?」
「ボワ ヴェールっていうの」
黒いシックな看板には現代青森料理とワインのお店と書かれていた。
地下に下りて行くと木材をふんだんに使ったセンスのいいお店が現れた。
「深田ですけど」
「えっ」
「実は予約してたのよ」
奥のカウンター席に通される、壁一面にはワインとカウンターには青森の地酒が並んでいた。
「最初は、ビールでいい?」
「はい」
「じゃあ地ビールとりあえず」
そう言って深田さんはメニューを覗き込んだ。
店員がラベルに津軽路と書かれたビールを運んで来てお互いのグラスにビールを注ぐ。
「じゃあ乾杯、ごめんね~また急に誘っちゃって」
「いえ、私も深田さんとお話したかったんで」
「そぉ?何かしらじゃあとりあえず・・・」
深田さんは喉を鳴らしてビールを飲み干した
「くぅ~美味い」
そう言って微笑んだ。
「何か?食べたいのある?」
「深田さんにお任せします、よく来るんですか?ここ」
「うぅん実は初めて、今夜ね、別れた旦那と逢う約束してたのよ、この店で」
「じゃあ・・・」
「いいの、いいの気にしないで、ドタキャン、いつものことよ、ホント子供たちのことでいろいろと相談したかったんだけどね」
しばらくしてオーダーした料理が運ばれる、青森産鮮魚のカルパッチョ、七戸長芋と大根のサラダ、青森シャモロックのロースト、田子にんにくを使ったガーリックトースト。
「少し頼みすぎちゃったかしら、柴咲さんも、たくさん食べてね」
そう言って日本酒を冷で注文した。
「旦那がね、あっ元旦那ね、青森出身なのよ、だから旦那がこのお店予約したの」
「そぉだったんですか」
「やだぁ~私ばかりしゃべっちゃって、柴咲さん仕事は?順調?」
「は い」
「どうしたの?なんかあった?の」
「私・・・今日、病院に行ってきて」
「病院?どこか体調でも、もしかして・・・乳がんの?」
「はい骨に、骨に転移しちゃってるみたいで、それでこれから会社にもご迷惑がって」
「そぉ、大変だったわね、わかったわ、それでこれからどうするの?」
「検査結果で治療方針を決めていくことになると思います」
「無理しないで、 無理しちゃダメよ、娘さんのためにも無理はダメ、会社のことは心配しないで」
「はい、でも・・・ありがとうございます」
「よし、今夜は飲もう、ねっ」
「はい」
深田さんの優しさが嬉しかった。
「あのぉ、仕事、検査とかで休みが多くなっちゃうかもしれません」
「大丈夫よ、そんなの、問題ない、あっまたこの口癖・・・やだぁ」
そう言って日本酒を一気に飲み干した。
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