第10話 Sign
少し歩くとお洒落なデザイナーズマンションが見えてくる、その7階2LDKの角部屋が、美咲がひとりで住んでいる部屋だった。
エレベーターは地震で止まったまま、ふたりで階段をゆっくりと上がっていく。
「お邪魔しま~す」
私は美咲に心配かけないように、わざと明るく振舞った。
「ごめんねぇ~まだ片付かなくて」
「あっそっか、引越し、あっ清家くんは?」
「うん、おととい引越しで愛媛に・・・ギリギリ危なかった」
「そぉ、よかったね、ごめんね引越しで大変な時に」
「なに言ってんのよ~でもこの地震で引越し少し早まるかも」
「そぉなんだ」
「そんなことより、寒かったでしょ、だいぶ揺れたよね亜美んとこのオフィスも20階以上だから、JRも地下鉄も全部止まっちゃてるしね」
「すごかった、すぐ鎌倉に電話したんだけど、ぜんぜん通じないし」
「私も亜美のスマホに何度も連絡したんだけど、ぜんぜん、それで鎌倉に連絡したらお母さんにやっとつながって、私も休みでよかったわよぉ」
「ありがとね、美咲、いつも助けられてばかり・・・」
「何しんみりしてんのよ~」
そう言って美咲はキッチンから料理を運んできてくれた。
「んじゃ、食べよ、私、結構頑張って作ったんだから」
「わぁ~すごいじゃない、これ全部美咲が?」
「鶏肉のしそ焼き、銀杏と竹の子の煮物につみれ汁、大根の甘酢和え、どぉスゴイでしょ」
美咲は胸を張って笑った。
「すごぉ~い、美味しそう」
「うん、やっぱ愛媛に嫁ぐんだから料理くらいはって思って、内緒でクッキングスクール通ってたんだぁ、食べてみてよ私の手料理」
美咲は笑ってそう言った。
「いただきま~す」
「どぉ?」
「うん、美味しい~ホント美味しいよぉ」
「よかった」
そう言って美咲も鶏肉のしそ焼きを一口食べた。
「ホント、美味しい」
そう言って二人で笑った。
「パジャマ、これでいい?」
「うん、ありがと」
「亜美 ベッド使っていいからね」
そう言って美咲は布団にもぐり込んだ。
「美咲・・・」
「ん?」
「私ね、この前、病院に行って・・・検査受けてきたんだ」
「・・・そぉ」
「そしたらね、私・・・転移してるんだって、もうあれから5年も経つのにね」
「・・・」
「美咲?知ってたの?」
「うん、お母さんから・・・ね」
「そぉ」
「私、亜美に・・・なんて言ったらいいか」
「いいのよ、私なんとなくわかってたの、もう覚悟出来てるから」
「覚悟って?なに諦めちゃってるみたいな、怒るわよ、早く元気になって愛媛遊びにきてよねっ約束よ!」
「うん・・・ 」
「亜美、あの人・・・知ってるの?このこと」
「ううん、社内で知ってるのは人事部の深田さんだけ」
「そぉ、いいの?それで」
「私ね、今日の地震の時にね、真っ先に安否を心配したの、堤部長のことだったんだ、その時思ったの、私 本当に堤さんのこと・・・大事なんだって、堤部長仙台に出張中で」
「えぇ~平気だったの?」
「うん、会社に連絡あって、声、聴いた時は、本当に嬉しくて、何だかものすごくホッとして・・・泣いちゃった」
「だったら・・・」
「でも、いいのよ、このままで、このままがいいのよ」
「亜美・・・」
「あぁ、でも、うぅん、やっぱり・・・このままでいいのよ」
私は自分にそう言い聞かせるように呟いた。
「。。。」
「寝よっ、何だか疲れちゃった、おやすみ、美咲」
次の日の朝、昨日の地震なんてなかったかのように街は平穏な静けさを取り戻していた。
「おはよう、よく眠れた?」
「うん、ぐっすり」
「体どぉ?」
「うん大丈夫、ありがとう」
「朝、トーストでいい?」
「うん」
テレビからは恐ろしい、まるで映画でも観ているような映像が繰り返し流されていた、しばらくその映像に釘付けになる。
(堤部長はまだ仙台に?)
「まだ、電車動いてないみたい」
「うん」
「亜美、無理しないで今晩も泊まってってもいいんだから」
「ありがとう」
テレビでは昨日家に帰れなかった帰宅難民や家族の元に歩いて帰る人波の映像が繰り返し流される。
「連絡ないの?」
「堤部長・・・コートも着ないで、行っちゃったから」
「そぉだったんだ、心配だね」
何も出来ないまま時間だけが空しく流れる。
「あっまた余震だ」
テレビでは福島の原子力発電所で深刻な状況が続いていることを緊張した口調で繰り返し伝えていた。
「東海道線、動いてるみたいだから、私、品川駅戻ってみるよ」
「わかった、お母さんも心配だしね私、品川駅まで送ってくから」
「美咲、大丈夫だから」
「ダメ、絶対に送ってくから」
美咲は私の手を握って離さなかった。
「わかった、ありがとね」
マンションを出て昨晩来た道を戻っていく、美咲は自転車を引いて、私の前を歩く。
コンビにもスーパーもパチンコ屋もシャッターが閉まっていて、静まり返っている、程なくして品川駅に到着する。
「ありがと美咲、もうここで大丈夫だから」
「うん、気をつけてね、亜美」
「ん?」
「亜美・・・」
「美咲もね、清家くんに会ったら、よろしくね」
「うん」
美咲は少し涙ぐんで、私を強く抱きしめた。
品川駅は思ったより落ち着きを取り戻していた、なぜか子供連れの母親や外国人が大きな荷物を背負って新幹線の改札へ向かっていた。
東海道線を待つ間フェイスブックを開いてみる。
「あっ」
<今 那須高原のホテルに避難しています、大丈夫ですか?家には帰れましたか?心配しています>
堤部長からの書き込みがあった。
書き込みは12日深夜2時39分だった。
「無事だった、よかった~本当に」
やっと動いた東海道線で、とりあえず大船駅に向かう、そこからは最悪タクシーで帰れる。
土曜日の夕方なのに笑い声もしない静まり返った車内、これからどうなってしまうのか?
皆不安を抱え家に向かっているみたいだった。
何とか鎌倉駅に着いて時計を見ると夕方6時を過ぎていた、駐輪場の自転車を探して家に向かう。
なんだか長い間、どこか遠い国にでも旅をしていたような不思議な感覚だった。
門を開けると、私を見つけHARUが突進してくる。
「ただいまぁ~HARU、ごめんね、大丈夫だった?怖かったね~」
HARUは大きな尻尾をブンブン振って、私の顔を舐めて甘えるような声を出した、そしていつもの様に3度吼えて庭の中を駆け回った。
それを聴いて母が玄関から出てきた。
「亜美~おかえり、大変だったわねぇ」
「ただいまぁ お母さんも、平気だった?」
「私は平気よぉ、美咲ちゃんから連絡あったわよ着いたら連絡頂戴って、心配していたわよ」
「うん、そぉ・・・少し疲れた」
「遥からも連絡あって、帰国した方がってた・・・」
「そぉ、後でメールしておく、帰って来なくて大丈夫だって」
「でも亜美、検査のこととか」
「しばらく遥には、ねっ、お母さんも」
美咲に無事に家に着いたことを連絡して、熱いシャワーにうたれる。
「何だか、すごく疲れた、身体が重いよ」
リビングに戻る、テレビでは福島の原子力発電所が爆発した映像が繰り返し流され、昨日の震災の重大さが伝わってくる。
PCを開くと遥から16回もメールが届いていた。
<お母さん、そっちは大丈夫なの?こっちでもニュース速報で地震の映像がが流れたよ鎌倉は平気なの?>
<仙台出身の友達がすぐに帰国するって言ってる、私も帰りたいよ>
<TVで津波の映像が流れてる、怖いよ おばあちゃんは?>
深夜0時過ぎ、私は娘の遥にメールを打った。
<遥、無事に家に帰ってきました。会社で揺れた時は怖かったけど、美咲のマンションに泊めてもらって、一晩中お喋り出来て楽しかったかな、 こっちは何も心配いらないからあなたはそっちで悔いが残らないように勉強頑張って。>
今、遥が帰って来たら私のことでまた心配かけちゃう、あの子のことだから転移のことを知ったら学校には戻らないだろう、今はまだ、遥に言うのはよそうと思っていた。
フェイスブックを見ると堤部長からの書き込みがあった。
<大丈夫ですか?家には帰れましたか?>
何だか電報みたいな短い文面だけど・・・私のことを心配してくれていることが伝わってくる。
誰かに心配されているってことが、こんなにも幸せなことなんだって・・・
<堤部長 ご無事で本当に良かったです。那須高原に避難していたんですね、私も心配していました。もうご自宅ですか?東京もすごく揺れて、オフィスの中もとても怖かったです。金曜日は品川の友達の家に泊めてもらって土曜日には何とか鎌倉に帰れました。ご心配して頂きありがとうございます>
私がこんなにも心配していたこと、伝わってるのかな?でも・・・堤部長にはきっと心配してくれているご家族がいて・・・今夜、帰宅したに違いない、そう自分に言い聞かせてベッドにもぐり込む。
翌朝、深田さんからしばらく自宅待機するようにというメールが入る。
久しぶりにHARUと散歩に出る、鎌倉の桜並木はこの地震を予期していたかの様に蕾のままだった。
家に帰るとTVでは地震と原発事故のニュースばかり、都内の電車は計画停電で全体の半数以上が運休しているようだった。
「はい、これ」
「えっどうしたの?これ」
水色の箱を開けるとチョコチップクッキーが入っていた。
「今日ホワイトディでしょCiel に寄って、買ってきちゃった。心配してたわよ亜美ちゃんのバレンタインディどうだったかなぁって」
そう言って母が笑った。
「そっか、もうホワイトディか、すっかり忘れてた」
そう言ってチョコチップクッキーを頬張る。
「う~んやっぱり 美味しい」
「ホワイトディは?そっか、地震で会社、行ってないものねぇ」
母が紅茶を入れながら不意に訊いてきた。
「そんなの、 いいのよ、どうせ私の・・・」
15日、予約していた鈴木先生の外来も金曜日に延期になって、深田さんからは 「可能ならば出社してください」という内容のメール連絡が届いていた。
深田さんに18日までの休暇の連絡を入れる。
翌日、私は今まで経験したことのない倦怠感と高熱でベッドから起き上がることも出来ずにいた。
「ごめんね、お母さん、こんな時に」
「なに言ってんの、どうする?小山先生のとこ連絡してみようか?」
「平気よ、金曜日に鈴木先生のところで診てもらうから、たぶんいろいろと疲れてるだけだから」
「そぉ、なにか食べたいものあったら買ってくるから」
「うん、ありがと」
窓からは優しい春の日差しと、三分咲きの桜の花が見えていた。
「もうすぐだね、桜・・・」
そんな時、堤部長からの書き込みがあった。
<計画停電でバスを乗り継いで毎日出社しています 大変です。出張のスケジュールもすべてキャンセルになりました。 鎌倉は大丈夫ですか?体調 崩したりしていませんか?>
珍しく弱音を吐いている堤部長が少し愛おしくて、まるで今の私のことをすべて理解しているような優しい言葉が嬉しくて、今すぐにでも会いに行きたいけど行けない自分に腹が立った。
どのくらい眠っていたのか?私はそのまま眠りについて夢をみていた。
それはすごく幸せな夢だった、鶴岡八幡宮までの段葛の桜並木を堤部長と並んで歩く。
桜並木は満開で、花吹雪がふたりを包み、祝福しているかのようだった。
私は自分の右手を見つめた、夢の中で私の手を強く握ってくれた、大きくて温かい手、不思議とその大きな手で包まれていた感触が右手に残っているようだった。
熱も下がったせいか、身体が少し軽かった、部屋の窓を開けて大きく深呼吸する。
「うぅ~ん」
夕暮れの鎌倉、桜の花が風に揺れている。
「なんだ、やっぱり・・・夢か」
夢で少し安心した気持ちと、これが現実だったら、そんな複雑な気持ちが混ざり合っていた。
「私、きっと来年の桜は・・・」
「そうだよね、今しか・・・」
リビングに下りて行くと美味しそうな匂いがしてきた。
「あら~大丈夫なの?食欲は?」
「うん、もう大丈夫、お腹空いちゃった、なに?美味しそうな匂い」
「竹の子頂いたから、釜飯にしたのよぉ」
そう言った母の笑顔が何よりのご馳走だった。
食卓に母の手料理が並ぶ、竹の子いっぱいの五目釜飯、根菜とひき肉のしぐれ煮、ほうれん草ともやしの和え物、里芋の煮物、かいわれ大根のすまし汁、どれも愛情たっぷりのいつもの我が家の味が嬉しかった。
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