第6話 最後のValentine’ Day

天谷さんも、きっと堤部長のことが好きなんだと、直感的にそう思った。

オフィスに戻ってまた10メートル先のデスクに視線を向ける、堤部長が戻ってた気配はなかった。

何だかとても長い間逢っていないような気がして、PCに視線を落とす、デスクには堤部長が送ってくれた真っ赤なリンゴが3個並んでいた。

(今日も直帰なのかな? )

14時半過ぎ、オフィスに天谷さんの声が響く。

「堤部長お疲れ様ですぅ リンゴご馳走さまでしたぁ みんなすごく喜んでましたよぉ」

そう言って堤部長に駆け寄って行く姿を横目で追って、私はまたすぐにPC画面に視線を落とす。

堤部長は天谷さんから5分ほど報告を聞いてから、大きく背伸びをして天井を見上げた。

そしてスーツのポケットから取り出した目薬を点してしばらく動かなかった。

それを見ていて何だか痛々しくて、すると突然 堤部長の視線がこちらに向く

(あっ)一瞬視線がぶつかると、堤部長はいつものようにすぐに視線を他に向ける。

私は視線を逸らさずにしばらく堤部長を見つめていた。

すると堤部長はまたゆっくりと私の方に視線を向ける、私にはそれが嬉しくて自然に笑顔になっていた。

私は、髪を左耳にかけてからまたPCに向かい合った。

堤部長の顔を見て安心したのか、午後からは体調も回復して仕事も捗った様に思えた。

定時にデスクの上のリンゴを持ってオフィスを出る、堤部長は受話器を持って真剣な顔でPCを見つめていた。

帰りの電車の中で美咲からメールが入った。

<亜美 調子はどうですか?大丈夫だったら土曜日逢えないかな?報告したいこともあるし^^>

(報告?何だろう?)

返信する<美咲 いつも心配かけてごめんね(≧≦) ゴメンヨー 土曜日OKです。

今度は私がご馳走するよ!どこにしようか?>

<じゃあ久しぶりに恵比寿はどぉ?>

<恵比寿かぁ~よし恵比寿にしようヽ(‘ ∇‘ )ノ 何か美味しいもの食べよぉね>

「ただいまぁ」

「おかえりなさい」

「あっそうだ、これ」

そう言ってバックから大きなリンゴを3つダイニングテーブルに並べる。

「あらぁ美味しそうなリンゴねぇどうしたの これ?あっ もしかして?

『きりたんぽ』の人?」母はそう言って微笑んだ。

こういう時の母の直感は凄い、高校2年の冬 私がファーストキスをして帰った日も母は直感的に言い当てた、その彼にふられて帰った日もそうだった。

「ぅうん、でもオフィスの人全員によ」

「ふぅ~んそうなの?明日の朝に頂きましょう リンゴは朝が良いのよ」

「あぁ明日ね 美咲と恵比寿に行ってくるから」

土曜日の朝、トーストとベーコンエッグの脇に美味しそうなリンゴが並んでいた。

リンゴの中心部には琥珀色に光っている蜜が本当に美味しそうだった。

「いただきます」

「なに、このリンゴ、ホント美味しい・・・」

「でしょ私も一切れ食べたけど、スーパーで買うリンゴと全然違うんだもん」

そう言って母は持っていたフォークでリンゴを刺した。

「ホントあの『きりたんぽ』の人」

「堤部長よ・・・」

「そぉそぉ、 堤さんのお土産ってどれも美味しいのばかりねぇ」

母が笑って言った。

ドレッサーの前でいつもより念入りにメイクをする、デートじゃないのは残念だけど恵比寿に行くのは本当に久しぶりで、ランチはフランスビストロル・リオンを予約した。

仕事も順調で、こうして週末に出掛けられることが本当に嬉しかった。

「じゃあ行ってきます」

「美咲ちゃんによろしくね」

待ち合わせは恵比寿駅東口改札の前に13時、大船駅で湘南新宿ラインに乗り換えて恵比寿に向かう車内でに書き込みをする。

<おはようございます(^_^) 頂いたりんご今朝食べましたよぉ~なんですか?このリンゴw(゜o゜)w メチャクチャ美味しかったです(>▽<)bスーパーで買うりんごと比較になりません♪ 母も感激していましたo(*^▽^*)o堤部長はフルーツでなにが一番お好きですか?私はもちろん りんご☆ 苺も好きかな~ 葡萄も>

恵比寿駅に着く、改札口で美咲が手を振っていた。

「ごめん、待った?」

「うぅん少し早く着きすぎちゃって、ほらこれ」

「あぁ~チョコ、そっかValentine’s Dayか」

「自分用だけどね」

そう言って美咲は私の肩に手を回して耳元で囁いた。

「お腹空いてる?」

「うん、鳴ってる・・・」

「じゃあ行こうかル・リヨン 予約してるから 」

「フレンチかぁ~ワインも飲んじゃぉ」

真っ赤な黒板に書かれたメニューがかわいい、フランスの雰囲気がそのままで料理も美味しい、でも一番のお気に入りは、お代わりフリーのバケット 初めて食べた時は日本にもこんなに美味しいバケットがあったんだって感動した。

「う~ん 私は若鶏のトマト煮込みショートパスタ添え、あと赤ワイン」

「じゃあ私は牛肩ロースステーキとじゃが芋のピューレとワインで」

程なくしてふたりにワインが運ばれる。

「じゃあ~乾杯」

「何に?」

「ふたりのこれからよ」

美咲はそう言って微笑んだ。

少し見ない間に美咲の表情が何だか、柔らかくなったっていうか優しくなった様に感じた。

「美咲、何かあった?嬉しいこととか?」

「えっ?うん あのね、私、愛媛に嫁ぐことにしたの 」

「 嫁ぐって?結婚?愛媛って」

私の声が店内に響き渡る。

「亜美、声大きいよぉ」

「ごめん、でも、あまりにも突然で、って誰?会社の人?」

「ぅうん 清家くん」

「清家って、 あの清家くん?」

「そぉ、あの清家くん・・・ 」

確か清家くんは私たちの3年後輩だった、『速水もこみち』似の・・・

「それで、なんで愛媛なの?」

「話すとちょっと長くなるんだけど、清家の実家 愛媛でみかん農家やっていて先月お父さん亡くなっちゃって、それで、彼がみかん農家継ぐことになっちゃって・・・」

「みかん農家ってそれで、美咲会社辞めて愛媛に?うそでしょ?」

「ホント、 私も自分でも信じられない愛媛、それも『みかん農家』なんて」

そう言ってワインを飲み干した。

「すみません、ワインお願いします」

「。。。」

「亜美には一番に言わなくちゃって、ごめんね」

「なんで謝るのよぉ~ちょっと驚いただけ、良かったね 美咲」

「やだぁ亜美なに泣いてんのよぉ」

「ごめん」

嬉しさと、寂しさで思わず涙が溢れ出す。

「それで、いつ愛媛に?」

「うん、清家は3月いっぱいで退社して私は・・・夏かなぁ 引越しは」

「そぉ、 寂しくなるね、 愛媛、遊びに行くからね」

「うん、絶対だよ、 みかん送るからさ」

「うん」

「亜美は?恋してんでしょ?あの人に」

ステーキの最後の一切れを口にして美咲が言った。

「なに言ってるのよぉ私、恋なんて」

「あぁ赤くなったよ、顔、だってまた、キレイになったもん 亜美」

「美咲の方こそキレイになったじゃない」

「なに 褒めあってんのよぉ、私たち」

そう言って二人で笑った。

「バレンタインディ じゃない、亜美どうすんの?」

「どうすんの?って 」

「手作りチョコとか 自分の気持ち伝えなきゃダメよぉ」

「気持ちって、 相手は妻子持ちよ」

「そんなの関係ないよぉ、好きなんでしょ?」

「。。。」

「だったら、だったらちゃんと伝えなきゃ気持ち」

「もぉ~私のことはいいから」

「うぅ~お腹いっぱい、ご馳走さまでした~美味しかったね」

「どういたしまして、どぉする?これから 」

「じゃあ久しぶりに新宿でも行ってみようか」

そう言ってふたりは新宿に向かった、2月14日が近いせいなのか?百貨店は女性の熱気で溢れていた。

どこからかチョコレートの甘い香りが漂ってくる。(バレンタインかぁ)

(ここ何年もチョコ何て買ったことがなかったからな~ 渡す相手も・・・)

女性で溢れている地下の特設売り場・・・ジャン ポール エヴァンは、フランスで、ルギーのブリュイエール、スイスのヘフティ、イタリアのBABBI、どれも美味しそう、この時期に日本にいれば世界中の美味しいチョコが食べれる。

結局いろいろ見て、並んで買う気にもなれず、売り場を後にする。

新宿で美咲と別れて湘南新宿ラインで鎌倉に帰る、 車内でフェイスブックを見ると堤部長の書き込みがあった。

 <私もやっぱりリンゴかなぁ、あと梨も好きよかったらまた送ります♪>

今年の2月14日は月曜日、鎌倉駅に着く自転車で子供の頃から知っている洋菓子店『Ciel』に向かう。

私が小学生ころから誕生日はここのケーキと決まっている、 遥の誕生日もここのケーキ。

「こんにちは」

「あらぁ~亜美ちゃん いらっしゃい」

いつもの様におばさんが出迎えてくれる。

亜美ちゃん、この歳になってそう呼ばれると少し気恥ずかしくて、でも嬉しくもある。

店内はチョコやフルーツの甘い香りが漂っている、やっぱりバレンタインディが近いからかチョコレートケーキの種類が多かった。

ショーケースの真ん中に一際目立って艶やかなザッハトルテが存在感を放っていた。

「美味しそう、これ、私にも作れるかな?」

「大丈夫よ、 なに? 亜美ちゃんもあげるの?バレンタイン」

そう言っておばさんが 微笑んだ。

「あぁ、亜美ちゃん久しぶりじゃないかぁ~何?ザッハトルテ?これ僕の自信作・・・亜美ちゃんだったら特別にレシピと材料分けてあげるよ」

おじさんが奥から出て来てそう言った。

「えぇ~いいんですか?」

「他のお客には内緒だからね、来週の土曜にまたおいで」

そう言ってまた奥のキッチンに戻って行った。

「ありがとうございます」

いつもの苺のショートケーキを2個買って家に帰る。

「ただいまぁ~」

「おかえりぃ、あぁCiel寄って来たの?」

私の持っていた水色の箱を見て母が言った。

「うん、苺ショート、来週、ザッハトルテ、作ろうと思って おじさん材料がレシピも教えてくれるって言うから」

「バレンタイン?ふぅ~ん、 堤さんに?」

「 えっ?違うわよ、ただ作ってみたかっただけだから」

そう言って2階に上がる。

土曜日の午後 自転車で『Ciel』に向かう。

「こんにちはぁ お言葉に甘えて、 来ちゃいました」

「あらぁ亜美ちゃん いらっしゃい待ってたのよぉ パパ~」

おじさんが大きな紙袋を抱えて奥から出てきた。

「いらっしゃい、これ材料ね、アプリコットジャムも入れておいたから玉子だけ割れるといけないから家の使って、あとは、はい、これ秘密のレシピ」

「うわぁぁ ありがとう、おじさん」

色鉛筆で丁寧に描かれたイラストと細かく数量が書かれたレシピ。

「このレシピなら間違いなく美味いザッハトルテ作れるからな、これ食べたら誰だって 亜美ちゃんに惚れちゃうよ」

そういっておじさんは大きな声で笑った。

「やだぁ~おじさん、そんなんじゃないってぇ」

「またおいでよ、これ持って行きな」

そう言って小さな箱を渡される。

「本当にありがとうございました」

お礼を言ってお店を後にする。

こんな温かいお店がある鎌倉の街が私は大好きだった。

「よぉ~し、作るぞぉ~」

自転車のスピードが上がる。

家に帰って箱を開けてみると美味しそうなザッハトルテが入っていた。

「キレイ、艶々のチョコレートがまるで宝石みたい」

一口食べてみる。

「うぅ~ん美味しい」

しっとりした生地と濃厚なビターチョコ、アプリコットジャムの爽やかな酸味が心地いい。 

日曜の午後、頂いた材料で『ザッハトルテ』作りが始まる、材料と一緒に水色の箱とシルバーのリボン、箱と同じ手提げ袋が入っていた。

おじさんが予め計測してくれていたのでその材料をレシピ通りに進めていく。

まずは~チョコレートを刻んで湯せんして、薄力粉とココアパウダーをふるう、オーブンに熱を入れて常温で柔らかくしておいたバターを泡だて器でクリーム状にする。

おじさんが描いてくれたレシピはわかりやすくて完璧だった。

「卵黄と生クリームを加えてっと」

チョコ生地にメレンゲを混ぜて、手早くケーキ型に流し込む・・・

「よし」

自然と独り言が多くなる。

170度に熱しておいたオーブンに入れる。

「30分ねっ」

リビングがお菓子屋さんになったみたいに、チョコレートの甘い香りが漂ってくる。

「あらぁ~いい匂い、どぉ上手く出来そう?」

母が嬉しそうに訊いてくる。

「うん、今のとこね」

「私の分は?」

「えぇ~ないわよぉ」

「冗談よぉ~」

そう言って母は笑った。

アプリコットジャムに少し水を加えて火にかける、そしてスポンジケーキの形を整えジャムを伸ばして塗っていく。

コーティングするチョコレートを熱する。

「30度くらいか、温度が、難しいな~」

一気に上からコーティングする。

「おぉ~」

「美味しそうじゃない、上手く出来たわねぇ」

いつの間に隣に母が隣で微笑んでいた。

見た目もキレイ。

「よし、完成」

「 常温で30分くらい、その後は冷蔵庫か」

時計は16時を回っていた。

「うぅ~ん 疲れたぁ~」

大きく背伸びをする。

キッチンの片付けをしてからザッハトルテを慎重に冷蔵庫に入れる。

「お母さん、HARUの散歩行って来るから」

「じゃあ 豆寿さんでお豆腐と がんも、あと惣菜も適当に買ってきて」

「うん、わかった、 HARU 行くわよぉ」

HARUが勢い良く走り出す。

「こらぁHARU ダメよそっちじゃなくて、こっちよぉ」

豆寿さんで おからコロッケと湯葉春巻き、頼まれたお豆腐と野菜がんもを買って家路に着く。

「今夜はお豆腐づくしねぇ」

日が暮れて冷たい風が頬に当たる。

「ただいまぁ~」

「おかえりぃ~今夜は買ってきたお惣菜と湯豆腐よ」

冷蔵庫を開けてザッハトルテを見てみる。

「あっ」

冷蔵庫から慎重に取り出されたザッハトルテのコーティングしたチョコに

少しひびが入っている。

「テンパリング、上手くいかなかったのかな?」

「いいじゃない、見た目なんて、美味しけりゃいいのよ」

母がそう言った。

私はそのひび割れたザッハトルテを見つめて言った。

「だめ、これじゃ、だめなの」

「亜美?」

「お母さん、私、私これからCiel行って材料分けて貰ってくる」

「えぇ~もう一度作る気? お店だってもう閉まっちゃっているかも、お店にもご迷惑だし」

「私、行ってくるそして頼んでみる」

そう言って玄関から外に出て自転車に跨った。

私はその時、もうこれが最後のバレンタインディであることをわかっているかのように必死でペダルを漕いでいた。

「こんばんは」

「いらっしゃい亜美ちゃん?どうした?」

ひとり店番をしていたおじさんが驚いた顔で言った。

「あのぉ・・・コーティングしていたチョコが、割れちゃって、すみません、あのぉ材料を」

うつむいたまま、今にも消えそうな声でそう言うとおじさんは、にっこり笑って、私の横を通り過ぎてお店のシャッターを下ろし始めた。

「えっ?もう、お店閉めちゃうんですか?」

「あぁ、今日は お客さんも来ないだろう、亜美ちゃん、奥のキッチンに入いんな」

「えっ?はぃ」

「ここで作って行けばいいよ、亜美ちゃんのザッハトルテ、 明日だろバレンタイン?気が済むまで作っていけばいい」

「ありがとう」

嬉しくて涙が溢れ出す。

「よし、始めようかじゃあまず粉から」

「はい・・・」

21時近、今日2個目の『ザッハトルテ』が完成する。

「出来たぁ、キレイ」

「おぉ~上手く出来たなぁ~おじさんのより上手かもな~」

隣で最後まで見ていてくれた、おじさんがそう言って笑った。

「ふたりともお疲れ様、熱いお茶入ってるから」

「やだぁ、もうこんな時間、ホントご迷惑お掛けしちゃって」

「なに言ってんのよぉ~亜美ちゃんの想い届くといいわね」

おばさんはそう言って微笑んだ。

「はい」

本当は届くはずもない相手なのに。

用意してくれた水色の箱にシルバーのリボンを掛けて慎重に自転車の籠に載せる。

「本当に、ありがとうございました 」

「気をつけてね」

「また何かあったらいつでもおいでよ」

ふたりに見送られてお店を後にする。

鎌倉の夜空には満天の星が煌いていた。

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