第5話 近づく影
「きりたんぽの人って、どんな人?」
食器を洗っている側から母が訊いてくる。
「・・・」
「きっと、寂しいんじゃないかな?その人・・・」
そう言って、母が続ける。
「えっ?寂しいって、どうして?」
「なんとなくね・・・」
母はそう言って微笑んだ。
「ちゃんとお礼言っておいてね」
「うん・・・」
お風呂に入る前にウォールに書き込みをする。
<堤部長 こんばんは♪『きりたんぽ鍋』作ってみました牛蒡も鶏肉もちゃんと入れましたよぉ頂いた比内地鶏のスープもコクがあって本当に美味しかったです ☆⌒(*^-゜)v 『きりたんぽ』モチモチで残ったのは言われた通り冷凍してまた頂きます。写真もアップしたので見てください、部長のお土産っていつも美味しくて何だか温かくて、ありがとうございます。今週はまたご出張ですか? おやすみなさい>
お風呂から上がると返信があった。
<本当に旨そうですね『きりたんぽ』喜んでもらってうれしいです。明日から北海道へ行ってきます!私は寒さには強いから大丈夫です>
ベッドに入っも 母が言った、『きっと、寂しいんじゃないかな?その人・・・』の一言が頭から離れなかった、ベッドから起き上がってリビングへ戻る。
明日から北海道に出張する堤部長のために、何かしたかった、お土産を貰ったから?うぅんそうじゃない、それだけじゃない・・・けど。
「眠れないの?」
部屋でTVを観ていた母が声をかけてきた。
「うん、クッキーをね、焼こうと思って・・・」
「えっ?今から?」
「そぉ、私も手伝おうかしら、この前焼いた材料の残りあったわよねぇ」
そう言って母はソファから腰を上げた。
「ありがと、お母さん」
深夜1時過ぎ、母とふたりクッキーを焼くと、リビングに甘い香りが漂う。
月曜日の朝、少し寝不足、深夜母と焼いたクッキーをピンク色の袋に詰めてバックに入れる。
朝のミーティング、堤部長のデスクの脇には傷だらけになった使い古しのリモアのスーツケースが置かれていた。
9時半過ぎ私は、ミーティングの資料とクッキーを持って堤部長のデスクに向かう。
「おはようございます~」
私は出来るだけ自然体で、笑顔で挨拶をする。
「おはよう」部長は少し驚いた顔で応える。
「午後のコンプラミーティングの資料です」
「ありがと」
堤部長は無表情で私から資料を受け取った。
そしてクッキーの入ったピンク色の袋を報告書の上において。
「北海道の出張、お気をつけて・・・」
と囁いて自分のデスクに足早に戻った。
10メートル先、堤部長は袋の中身を確認している様だった、そして私の方に視線を向ける、私は少し微笑んですぐPCの画面に目を向けた。
昼休み、私はフェイスブックに書き込む。
<堤部長 いつも美味しいお土産ありがとうございます<(_ _*)> 昨日クッキー焼いたので北海道にお供させてください(=´ー`)ノいってらっしゃい♪>
本当は今日の深夜・・・お土産のお礼ってことにしないとクッキーを焼いて持ってくる理由が見当たらない。
女もこの年になるとやることに一々理由付けがいるものだ。
でも、堤部長は2度、いや・・・沖縄のシーサーを入れると3度も私にお土産を買ってきてくれた。
(このお土産には・・・何か特別な意味はあるの?)
午後、デスク脇のスーツケースはなくなっていた。
定時にデスクを離れる、寝不足で身体がだるい、電車でフェースブックを開くと返信がきていた。
<これから女満別へ発ちます クッキーおいしかった ありがとう♪>
羽田空港からだった、(食べてくれたんだ・・・文面のあとに♪マークがついてあった・・・意外)
女満別、学生の頃友達と北海道旅行で1度行ったことがあった、もちろん夏だったけど。
そんなことを思いながら天気予報を観ていると、北見…最低気温-15℃の表示が、いくら寒さに強いっていっても、考えただけでも『こめかみ』が痛くなる。
<北見は気温-15℃ 夕食は焼肉屋へ行きました 北見ワインも美味しかった 明日の夕方は特急オホーツクで札幌に移動です>
七輪で焼く美味しいそうなお肉とワインの写真が添付してあった。
「フェイスブックではこんなにお喋りなのにね、デスクで見る堤部長とはまるで別人」
返信する<ひぃぇ~-15℃ですか?(*゜д゜)ノ 未体験です 天気予報観ていて堤部長は、今この辺りかな~って考えていました、明日は札幌ですか?あまりがんばりすぎないでくださいねGOODNIGHT☆(;д;)>
返信してから後悔する。
(あまりがんばりすぎないで、なんて、失礼よね、あぁバカ、私って)
こうしてどれだけ言葉を尽くしても、私の想いはなかなか伝わない、伝わることが伝えることが本当に良いことなのか?今の私にはわからなかった。
ただ今はこうしてふたりで言葉を綴って行くことに、安らぎを感じていた。
翌朝<ありがとう <(_ _*)> >絵文字と一緒に返信があった。
堤部長が絵文字を打っている姿を想像してなんだか可笑しかった。
「亜美~はい、お弁当」
「ごめんねぇ~なんだか最近食欲なくて、外食もちょっとね」
「大丈夫?病院、行った方がいいんじゃない」
「平気よぉ~大丈夫だって」
「わぁお母さんのお弁当なんて何年振り?美味しそう、じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい」
出来るだけ 元気そうに振舞って自転車で鎌倉駅に向かう。
電車の中でフェイスブックを開くと堤部長からの書き込みがあった。
<昨日は4時間半かけて札幌に移動してきました 車窓から撮った真っ白な草原の写真送ります♪ 札幌では回転寿司を食べました☆東京の普通のお店より旨かった、石狩汁の写真も、なんだか食べ物の写真ばっかりで。これから羽田経由で長野に入りますε=ε=ε=┌(;*´Д`)ノ >
真っ白な北の大地の写真が目に飛び込んでくる、4時間半かぁ・・・そして石狩汁の美味しそうな写真も。
回転寿司かぁ、ひとり回転寿司のカウンターに座りお寿司を食べている堤部長の姿を想い浮かべる。
男って何でそんなに頑張れるんだろう?何のため?誰のため?堤部長はやっぱり家族のためなのかな?そんなことを考えていると大船駅で前の席が空いて座って返信を書き込む。
<いいなぁお寿司(`ε´)ぶ-ぶ- そういえば最近お寿司食べてないなぁ堤部長はネタ何が好きですか?私は中トロとか穴子とか玉子何でもいけます♪石狩汁もおいしそう(゜ー,゜*)ジュルルル、これなら私にも作れるかも☆私の今日のランチは手作りお弁当ですv(。・ω・。) もう長野ですね、今週は戻らないですか?長野寒いですか?☆^^>
お弁当は母が作ったことは書かなかった、書き込みをした後で何だかお寿司屋に連れてって欲しそうな文面になってしまって送ったあと少し後悔して、恥ずかしくなった。
でも、本心は誘って欲しいって心のどこかで 願っている?
(そんなこと、ある訳ないか)
座っていても何だか身体がだるい、品川駅に着いて重い身体でオフィスへ向かう、週末はどこも出掛けずに寝ていたい。
金曜日16時46分、あと少しで帰れる、少し熱っぽいのかな?10メートル先には誰もいないデスク、堤部長が帰ってくる気配はない
(まだ長野なのかな?)
定時にオフィスを出て帰路に着く、身体は重く熱っぽく感じる、電車のドアにもたれ掛かる様にして鎌倉駅にやっと到着する。
(風邪かな?)腰の辺りも鈍痛があった。
「早く帰って熱いお風呂に浸かって早く寝よう」
土曜日になっても身体のダルさは金曜日の数倍悪くなってる気がした、10時過ぎにやっとベッドから起き上がりリビングに行くと朝食と手紙が置いてある。
<亜美へ 調子悪かったら小山クリニック土曜日開いているわよ。お母さん友達と横浜行ってくるから何か美味しいもの買ってくるからクリニック行って今日は寝てなさい>もうすぐ40歳になろうっていうのにまるで子供扱いだ、でもそれがありがたくて、とても嬉しい。
母の作ってくれた朝食を少し口にしてから小山クリニックへ向かう。
「おぅ亜美ちゃん久しぶりだなぁ~今日はどうした?」
白髪で黒縁の眼鏡の老人の優しい眼差しが私に向けられる。
「こんにちは、小山先生、ちょっと熱っぽくて身体もダルくて」
小山先生は私が子供の頃から診てもらっているホームドクター私が生まれてからだから、もう40年近くになる。
(先生って幾つになるんだろう?)
「風邪、みたいだね、薬出しておくから温かくして少しゆっくり休んで」
「はい、ありがとうございました」
「定期健診、ちゃんと受けているよな?」
「はい、来月また」
「ん、そぉ・・・」
小山先生もまた私が乳癌であったことを知る一人だった、先生は娘さんを乳癌で亡くしていた。
「早めに、検診受けておいた方がいいなぁ」
先生は少し心配そうな顔で処方箋を書いた紙を私に渡した。
日曜日は一日中ベッドで過ごす、 薬が効いたのか夕方には少し楽になった。
「亜美~お粥できたわよぉ」
リビングから母の声がする、ベッドから起き上がってリビングへ降りていくまだ少し腰が重い、きっと一日中ベッドで横になっていたのと運動不足のせい。
「長ねぎと生姜のお粥にしたのよぉ、どぉ食欲は?」
「うん・・・昨日よりだいぶいい」
「そぉ、冷めないうちに食べて」
生姜の香りが優しく私を癒してくれる。
「う~ん美味しい」
明日は何とか会社に行けそうだ、美咲からメールが届いていた。
<亜美、風邪大丈夫?買い物はまた今度ね!お大事に^^>
週末に美咲とショッピングと何か美味しいもの食べようって約束してたのに、またしても私のせいでキャンセルさせてしまった、今度は私がご馳走するねってお店も美味しいイタリアンのお店予約入れてたのに。
メールを返信する。
<こめんねm(*- -*)mス・スイマセーン 今度絶対ご馳走するからね!>
「亜美 明日会社行けるの?」
「うん、大丈夫、お風呂入ってくるね」
「ふぅ~」
ゆっくりとバスタブに浸かる(堤部長、月曜日くるのかな?)
乳白色の少し熱めのお湯に身を沈めながらなぜか?堤部長の顔が想い浮かぶ。
「逢いたい 」
ベッドに入りフェイスブックを開いてみると堤部長が金曜の夜 入れた書き込みが届いていた。
<ただいま 長野からの帰りです。月曜日に届くように 長野のリンゴ農家から会社宛にリンゴを送りました、とっても美味しいサンふじです♪食べてください^^ >
すぐに返信する。
<私は週末体調悪くて・・・>一行書いた後削除する。
(風邪引いて土日寝込んでいたなんて)何だか自分が惨めになって。
堤部長の前では弱音は吐きたくなかった。
<おかえりなさい ♪(*^-^)出張お疲れさまでした (=^ー゜)ノ 長野のサンふじ!私リンゴ大好きだから楽しみです♪ 鎌倉は少しずつ春が近づいています。(´ー`*)。・:*:・ >
リンゴは本当に大好物だった、私の体調の悪いのを隠すかのように絵文字を多くする。月曜日・・・冬晴れ、でも寒さは少しづつ緩んで春が近づいているのを感じる。
「亜美、平気なの?」
「うん、平気、平気じゃあ行ってくる」
「お弁当は?」
「今日はいいや、久しぶりに外で食べるから」
朝日が眩しい、自転車で鎌倉駅に向かう。
「あっ、春の匂い」
柔らかい風に乗って一瞬春の香りがする。
「はい、これ堤部長からの差し入れ」
セールスアシスタントの天谷さんがそう言って私のデスクに大きなリンゴを3個置いた。
「わぁ~大きいんですねぇ 長野のリンゴ」
「えっ?柴咲さん長野のってよくわかったわね」
「あっ、箱に長野ってありましたから」
「そぉ?そっか」
天谷さんはそう言って次のデスクにリンゴを持って行った。
(あぶない、私が先にリンゴが届くこと知ってることがわかっちゃうじゃない)
「それにしても大きなリンゴ 美味しそう 」
オフィスに甘いリンゴの香りが漂ってくる。
(あぁもうお昼か)
コートを持ってエレベーターを待っていると後ろから声をかけられる。
「柴咲さん、 これからランチ?」
振り返ると天谷さんが微笑んでこっちを見ていた。
「あっはい」
「一緒に食べに行きません?」
「はい、喜んで」
そう言って二人で下りのエレベーターに乗り込んだ。
「何にする?」
「お任せします」そう私は囁く。
(本当は刺激物と脂っこいのはちょっと・・・)
「ちょっと歩くけど、美味しい和食屋さんがあるの・・・どぉ?」
「はい、いいですねぇ 今日は少し暖かいし歩きましょう」
「じゃあ決まりね」
そう言って天谷さんとふたりで歩き始める、太陽の日差しが暖かい。
旧海岸通を抜け東洋水産本社脇の橋を通ると『青田』と書かれた白い暖簾が見えた。
「ここよ、そう言って天谷は暖簾をくぐり入って行った」
カウンター10席とテーブル席が2つの小さなお店、店内はサラリーマンでいっぱいだったが、ちょうどふたりが会計をしているところだった。
「今ここ空きますからねぇ」
そう言って奥から2番目と3番目の席に並んで座る。
メニューを見ると焼き鯖、天丼、刺身定食、どれも美味しそうだ。
「私は、かき揚げ丼、柴咲さんは?」
「私は鯛のかぶと煮をください」
「ごめんね、急に誘っちゃって」
「そんなこと、私もお昼どうしようかなって思ってましたから、まだこの辺のお店わからないし」
「仕事、どぉ慣れてきた?」
「はい、だいぶ慣れました、なんせブランク長かったんで」
「前はどこに?柴咲さんって何年生まれ?」
「前は、もう5年も前ですけど・・・航空会社に」
「えぇ~もしかしてCA?とか」
「いいえ、コンプラに・・・」
「柴咲さんって、何年生まれ?」
「1971年生まれですけど」
「やだぁ私より年上だったんだ、柴咲さん、全然若く見えるから」
「そんなこと・・・」
「はい、かき揚げ丼と鯛のかぶと煮ね」
本格的な鯛のかぶと煮と茶碗蒸し、あんかけ木綿豆腐とお味噌汁とおしんこ。
(すごいボリューム、食べきれるかな?)
「いただきます~」
かぶと煮は甘辛い煮汁でしっかり炊いてある本格的だ、茶碗蒸しも美味しい。
「美味しいですね」
「そぉ良かった、会社の人もたまに来るのよ、うちの部長も」
「・・・そうですか」
その後も他愛無い会社の話をしながら何とかかぶと煮定食を平らげお店を後にした。
「ふぅ~お腹いっぱいですねぇ」
「量は男性用よね~柴咲さん、今度は飲みに行きましょうよ、お酒は?」
「はい、そこそこいけます」
私は笑顔でそう答えた。
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