第23話 展望台のツーショット


 池袋に帰ると、多くの人が地下駐車場にて翔太たちを出迎えた。それもそのはずで、一昨日は一日管理公社が翔太と絵真の行方を追っていたため、二人がなにかの事件に巻き込まれたことが周知となっており、皆心配をしていたのであった。とくに紗代と明美は翔太と絵真の無事に喜び狂った。その過剰な反応に、翔太と絵真はただただ困惑するしかなかったが、そこまで心配してくれたことが妙に嬉しく思えた。


 結局この場に知人友人の殆どが集結していたので、翔太は翌日に絵真が横浜に帰ることを皆に知らせた。元々絵真は帰る挨拶をするために池袋に立ち寄ったので、その目的をまとめて果たすことができたのである。挨拶回りをする手間が省けたことは僥倖であった。


 無事の帰還から一転して送別の空気となる。別れを惜しむ感情が徐々に拡大していき、絵真を中心として人が集まり出す。池袋にはたった一日しか滞在していない絵真だが、翔太と紗代が試し撮りとして絵真を連れ回したことが結果的にこの人集りとなった。皆翔太と紗代の友人である絵真に声をかけていく。


 絵真はこの人集りに対して反応に困ったのか、やや戸惑いながら翔太を見上げる。その視線を受け止めた翔太は「送別会でも開くか」と提案することにした。すると絵真に一点集中していた人集りの意識が、絵真から宴に切り替わっていった。


 明美を始めとする大人たちが「酒だ、酒!」と叫びながら階上へ移動していく。興津のあとをついてきてしまった分校の生徒は、興味津々といった様子で絵真を見つめつつ、興津に促されて移動を始める。紗代も料理好きの魂に火がついたのか、腕まくりをして好戦的な表情を浮かべ、頭の中で大人数が満足できるようなメニューを考え始めたようだ。


「翔太、わたしたちどうすればいいの?」


「いや、俺にもわからん」


 帰還と送別の宴会。周囲の人間だけで盛り上がっているそれは、その主役であるはずの翔太と絵真を完全に置いてきぼりにしていた。


「なあ紗代、俺らはどうすればいい? もう会場に移動した方がいいの? それより会場は何処?」


 翔太は取り敢えず、歩きながら考え事をしている紗代に声をかけた。


「フェ!? あ、ああ。別に今すぐに移動しなくてもいいんじゃない。料理用意するのに時間がかかるし。その間大人たちは勝手に酒盛りしちゃうだろうし、子供たちはその辺りで勝手に遊んじゃうと思うから、アンタも適当に時間潰してくれば。場所については地下の噴水広場だと思うよ」


 不意に話しかけられた紗代は思わず素っ頓狂な声を上げてしまうが、すぐに平静さを取り戻して答えた。確かに、準備に時間がかかりそうではあった。


 場所については、サンシャインシティの旧専門店街にある噴水広場であった。かつてはイベントスペースとして活用されていた場所であるが、今は水が吹き上がることもなく、ただの大きな水溜めがある場所となっているだけである。しかしながら広場としての役割は失われておらず、現在も住民の憩いの場となっていた。


「そうか。じゃあ、小一時間ほど時間潰してくるわ」


「了解。料理期待していいからね」


 そう言って紗代は支度をするため翔太と別れた。


「適当に時間潰せ、だってよ」


「どうするの?」


 皆はもう既に階上へ移動してしまったようであり、地下駐車場から人の姿が消えた。取り残された翔太は呟き、絵真はそれに反応する。


「じゃあ、あそこ行くか」


 翔太はふと過ぎった場所を思い浮かべながら提案する。しかしその場所がわからない絵真はただただ首を傾げることしかできなかった。


「まあ、ついてきて。ついてからのお楽しみということで」


 そう言って翔太は場所を告げずに絵真を促す。絵真は変わらず首を傾げたまま、不思議そうな表情を浮かべる。しかし絵真もこれといって拒むことはせず、そのまま翔太のあとをついていくことにした。


 翔太が絵真を連れてきた場所は、サンシャイン60の六十階にある展望台だった。


 もう既に夜となっている今は、当然外界は吹雪である。ただまだ夜になってから然程時間が経過していないのか、その吹雪はまだまだピークに達していない。しかし見通しが悪く東京の街並みが見えないことには変わりない。今この時間帯に展望台を訪れても、大していいものが見られるわけではない。


「ほら、写真撮ろうとして撮れなかったのがここじゃん。だから再チャレンジという意味でこの場所にした」


 絵真が池袋を訪れたその日の夜、翔太と紗代と絵真はこの展望台を訪れた。しかしあの日の夜は、楽しさのあまり半ば熱に浮かされていたためにこの場所を訪れたのであって、どうしてもこの場所でなければならない理由はない。絵真があのとき吹雪の風景を写真に収めようとしたのは、せっかく来たのだから記念として撮るというだけである。


「うん……でも別に」


 案の定、絵真は乗り気ではなかった。


 しかししばらく窓の外の吹雪を眺めていた絵真は、突然閃いたかのように表情を明るくした。


「じゃあ、外の景色を背景に、わたしたちを撮ろうよ」


 そうして絵真は閃いたことを述べながら翔太に詰め寄った。


「それは、一人ずつ写真撮るってことか?」


 翔太としては、別に断る理由がない。しかし今この場にいるのは翔太と絵真の二人だけである。一人が撮影者となる以上、被写体となるのは一人だけである。


「こうすれば二人一緒に撮れる」


 絵真はそう言い、翔太に身を寄せた。そしてカメラを持った手を高々と掲げ、カメラのレンズをこちらに向ける。絵真は自撮りしようとしているらしい。


 翔太は絵真がやろうとしていることを把握したが、それに伴い何故か己の鼓動が速くなる。衣服越しに伝わる絵真の華奢な身体の柔らかさや、絵真の髪から香る女の子独特の匂いが、更に翔太の鼓動を加速させていく。その要因を意識しないようにしても、それは無駄な抵抗でしかなく、鼓動が落ち着きを取り戻す気配はまるでなかった。


「翔太、ほら、屈んで。身長差で撮れない」


 絵真の腕の長さでは二人を立ったまま写すことはできないし、翔太の腕の長さでも無理なことだろう。だからこそ、自撮りで二人を写すなら、翔太が絵真の身長に合わせて屈まなければならなかった。


「お、おう」


 翔太は言われた通り、屈む。しかしただ屈んだだけである。顔の高さは揃い、翔太と絵真は身を寄せているが、顔と顔との距離はまだ離れている。翔太もこの距離だと二人共写らないことは承知しているが、翔太としては妙に照れくさくて顔を近づけることができずにいた。絵真という女の子とツーショットを撮ることが、たまらなくむず痒いのである。それに、まるで己の身が茹でられているかのように、身体が熱くなっていくのであった。


 一向に顔を寄せない翔太に絵真は業を煮やしたのか、一度翔太を睨みつけたあと、翔太の気持ちを無視して絵真の方から顔を寄せた。互いの頬がくっつきそうなほどの距離。翔太の心臓ははち切れんばかりに心拍数を増やしていく。


 翔太は鼓動が速くなった原因を意識しないよう、一心不乱で絵真が掲げるカメラのレンズを注視した。このままこの状態が続けば、己の身が持たないと思ってのことだった。


 翔太がレンズを見つめていることを確認した絵真は、静かにシャッターを押す。カメラが二人の顔を認証してピントを合わせる。そして次の瞬間、乾いた音が発せられその時間が切り取られる。


 シャッター音が響いたあとも、絵真はしばらくカメラを掲げたままだった。そしてゆっくりとした動作でカメラを下ろし、操作をして先程自撮りした画像をチェックする。


「うん。完璧」


 絵真はその写真写りに満足したのか、翔太から離れ、そして振り向き眩い笑顔を翔太に向ける。


 翔太は屈んだままの姿勢で絵真の笑顔を見つめた。絵真が離れたことにより鼓動は落ち着きを取り戻し、熱も引いていく。しかしそれらが完全に消えることなく余韻を残す。翔太が半ば自失したままなのは、ひとえに絵真のその笑顔のせいであった。その笑顔に、見蕩れてしまった。絵真のその笑顔はまるで残り火のように、翔太の中で燻り続けた。


 ――俺は、絵真がずっと笑顔でいられるようにしたい。


 そしてその燻り続けるものによって、翔太は一つの決意を固めたのであった。

 それは、その燻りが消えてなくなってしまうかもしれない今の状況に恐怖するが故の決意であった。




 送別会で賑わったその場所は、現在は静まり返っている。夜が更けて皆解散したため、そこに残っている人物は酔い潰れた大人たちだけであった。そこそこに後片付けされ、残りは翌日にまとめて片付けることになったので、会場となった噴水広場はテーブルが出しっぱなしになっており、隅にはゴミを詰めた袋が山となっていた。


 池袋ジャンクショップの店長である忠司は例の如く酔い潰れ、ゴミ袋の山の前で眠りこけていた。しかし突如として身体を揺すぶられ、意識が僅かに覚醒する。暗闇の中うっすらと目蓋を開けると、そこには少年が立ち尽くしていた。


「店長、話がある」


 酔いで朦朧とする忠司は、その声で少年が翔太であることを認識する。しかし完全に意識が覚醒したわけではない忠司は、起こしてくれた翔太に対して返事をすることができなかった。


「店長が作っている電源車は、もしかしたら街の予備電源として機能できるかもしれないんだろ。前にそう言っていたよな」


 しかし翔太は忠司の状態を気にすることなく話しかける。


「俺に、本格的に電源車の製作を手伝わせてくれ」


 忠司の止まった思考では、翔太の言っていることを理解することができなかった。もしかしたら、翔太も別に返事を期待して話しかけたわけではないのかもしれない。ただ誰かに話すことで、自身の定めた決意に対して覚悟を決める儀式としたのかもしれない。


 忠司はそれに返事することなく、意識は再び闇の中へ消えていった。


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