第22話 帰るべき場所は


 関口から今の首都圏の秘密、もとい管理公社の機密を聞かされた翌日。翔太と絵真は釈放されることになった。しかし翔太の気持ちは重く沈んでいた。


 釈放される前、関口に駄目元で尋ねてみた。


 暴走した〝アマテラス〟を止めることはできるのか、と。


 根本的な話、〝アマテラス〟が暴走さえしなければ、過去のトラウマに苛まれることもなかったし、こうして未来に不安を抱くこともなかった。諸悪の根源さえどうにかできれば、皆が幸せになるのである。


 だがそうは問屋が卸さない。案の定、関口は首を横に振って否定した。


 関口曰く、暴走した原因がわかっていれば、事態が悪化する前に機能を停止することはできたと。原因がわからないからこそ、止め方もわからないのだと。


 その答えに、翔太は落ち込まなかった。ほぼ予想できた答えだったから。


 理想を夢想するのは簡単だ。


 ただ、それは現実逃避でしかない。


 現状なにも変えられないからこそ、後手に回って対処するしかないのだ。〝アマテラス〟が暴走したからこそ、足掻いて生き延びなければならない。生き延びるには、環境に適応するため冷暖房設備を維持しなければならない。冷暖房設備を維持するために、核融合発電で大規模に発電しなければならない。核融合発電が不安定であるため、代替の発電方法を考えなければならない。代替の発電は、現状不十分である。ただ、それだけの話なのだ。


 朝起きてから、翔太の頭の中はそれらに支配されていた。そして身支度を終えると共に「考えてもしょうがないことだ」と強引に思考を断ち切った。


 管理公社の人間が池袋エリアの居住区まで送ってくれるとのことで、翔太は地下駐車場に連れられた。そのときに翔太は絵真と再会した。


 絵真は再会するやいなや、翔太に抱きついた。翔太は咄嗟のことでどう反応していいのかわからず、ただただ鼓動が早くなっていくばかりであった。しかし真下から見上げる絵真は笑みを浮かべながら涙を流しており、その姿を見ると、その行動の意味をすぐさま理解することができた。


 絵真は、不安だったのだ。わけがわからないまま追われ、わけもわからず捕まり、そしてわけがわからないまま勾留されたのである。不安になって当然である。翔太も不安ではあったが、年端もいかない女の子である絵真はもっと不安だったのだろう。だからこそ、親しい人との再会のときに、その感情が爆発したのだろう。


 そのことを理解した翔太は、そっと絵真の背中に手を回してさすり、もう片方の手を頭の上に置いて撫でてあげた。女の子に抱きつかれた経験がない翔太としては、こういう反応で間違っていないのか不安になったが、腕の中の絵真はとくに嫌がる素振りを示さないので、翔太はそのまま絵真をさすって撫で続けた。


 絵真が落ち着きを取り戻したところで、二人は管理公社が用意した車に乗り込む。当初絵真はそのまま横浜エリアまで送られることになっていたのだが、絵真が池袋でお世話になった人たちに挨拶がしたいと言い出したので、翔太と同じ車に乗り込むことになった。


 地下駐車場から出て行く車の窓から、久方ぶりに外の景色を拝むことができた。当然外出できる時間は夕方のみなので、眼前の景色は燃えるような茜色の空であった。その光景が、妙な安心感を与えてくれる。


 地上に出てしばらく進む。車窓からは、六本木に起立する二つの巨塔が見える。


「すみません。止めてください」


 翔太がその光景を眺めていると、不意に絵真が運転手に声をかけた。


「どうした?」


「せっかく六本木に来たのだから、記念に撮っておこうかなって」


 翔太の問いかけに、絵真は肩から下げた愛用のデジタルカメラを持ち上げた。その絵真の答えを密かに聞いていた管理公社の運転手は、静かに絵真の言うことに従った。


「撮っておくって……SDカードは大丈夫なのか?」


 翔太と絵真が捕らえられた理由は、二人が機密データの入ったSDカードを持っていたからである。当然それは逃亡中に没収されているので、本来なら絵真はSDカードを持っているはずないのである。


「あのね、実は釈放されるときに、別のSDカードをもらったの。しかも中身の画像データが移された状態で。更にそれだけじゃなくて、PCに取り込むカードリーダーから現像するプリンタや用紙とか、足りてなかったもの一式もらうことができた。何か、お詫びとして、だって。車のトランクに入っているよ」


「いつの間に……」


 翔太と絵真が再会したとき、絵真はこれといって荷物がなかったので、管理公社から譲ってもらった品々の存在に気づくことができなかった。管理公社としては、一般人を説明もなしに拘束してしまったことに対しての、ささやかながらの謝意なのだろう。


 下車した絵真は、誰もいない道路の真ん中に佇む。対向車など一台もない道路は、まるで世界中から人がいなくなったかのように孤独感を覚えるが、しかし今の絵真からはそのような孤独感は微塵もなかった。むしろ絵真のために人払いでもされたかのように、今この道路は特別な空気に包まれていた。


 絵真はまず六本木ヒルズの方を向き、スッとカメラを構える。この位置では沈みゆく太陽のせいで逆光となっているが、茜色の光を遮る影の塔の姿は、これはこれでなかなか乙なものであった。


 小さな電子音が鳴り、カメラのピントが修正される。そして次の瞬間乾いたシャッター音が響き渡る。絵真は一度デジタルカメラの画面を覗き込み、写真写りを確認する。その際絵真は自然と微笑んだので、どうやら写真写りがよく、気に入った様子であった。


 次いで絵真は、東京ミッドタウンの方を向く。建物の隙間から起立するそのビルは、六本木ヒルズ同様逆光気味になっている。しかし六本木ヒルズとは方向が違うため、その趣は少々異なるものであった。こちらも絵面はいい。


 カメラを構えた絵真は、しばらくジッとして動かなかった。目の前の風景に夢中になる絵真の横顔は、何故か妙な艶めかしさがある。その年下の女の子が見せる幼さを残しつつも大人っぽい色気に、翔太は釘付けにされた。不覚にも心を奪われた。もし翔太の手にカメラがあったのならば、被写体を見つめる絵真を被写体にしたかったくらいである。


 しばらくしてシャッター音が発せられた。そして写真写りを確認する絵真であったが、その表情は先程と違いやや不満気であった。絵真はカメラを操作したのち、再びレンズを東京ミッドタウンに向けた。肉眼で見る限りでは素晴らしい景色なのだが、実際に写真に収めるとなると少々勝手が違うようで、その後絵真は二回三回と同じ動作を繰り返したのち、満面の笑みを浮かべた。どうやら苦戦ののち気に入る一枚を撮ることに成功したようだ。


 写真を撮り終えた絵真とそれを見守っていた翔太は、そろって車に乗り込む。そして運転手がバックミラー越しにそれを確認したのち、車は走り出した。


「絵真は今日池袋で一泊して、明日には横浜に帰るんだっけ?」


 窓の外で六本木の街並みが流れていく中、翔太は確認の意味も込めて絵真に尋ねた。


「うん。そのつもり。パパママに黙って来ちゃったから、帰ったら怒られそうだけどね」


「おいおいマジかよ。それ大丈夫なのか? 親御さん心配しているんじゃないか?」


「まあ、心配はかけているとは思うけど、なんとかなるんじゃないかな。多分」


 実の子供が、しかも十代の女の子が二日も三日も家に帰らず連絡が取れないとなると、それは一大事となる。きっと今頃絵真の両親は、横浜の居住区に詰めている管理公社警備部に連絡して、総出で捜索しているかもしれない。だが当の本人はその自覚が全くなく、飄々としている。それはまるで飼い猫が突如姿を消したかと思えば、数日後にフラッと帰ってくるかのようだ。絵真の行動は、まさに親の心子知らずである。


「これは池袋に帰ったら、真っ先に横浜の親御さんに安否連絡しなきゃだめだな」


 通信設備が完全に崩壊したわけではないので、各街の居住区への連絡手段はある。紗代はまだ生きている携帯電話を持っているし、興津は所有しているPCをネットに接続している。それに密接に連携している管理公社であれば、確かな連絡手段を持っているはずである。絵真の両親が心配していることが手に取るようにわかる今の状況、いち早く絵真の安否を知らせなければならなかった。


 ――安否?


 しかし、翔太はその言葉に引っかかりを覚えた。何故引っかかったのか、その原因は翔太自身はっきりと理解している。


 ――安否確認が必要なのは、横浜に暮らす人々の方ではないのか。


 翔太は昨日、管理公社の幹部のような立場である関口から、その話を聞いたばかりである。今このときを支えている核融合発電が不意に停止した場合、代替の発電システムである小水力発電に移行しなければならない。しかしその小水力発電はまだ不完全であり、現段階で移行するとなると、横浜の居住区は確実に放棄しなければならなかった。だからこそ、今の横浜エリアは、実に危うい立場にあるのだ。


 ――本当にこのまま、絵真を横浜に帰していいのか?


 そう考えた途端、翔太の心の傷が反応した。まるで感情があるかのように、心の傷は内側から翔太に笑いかけてくる。「お前はどうするのだ?」と問いかけてくるかのように。


 確かに、絵真を両親のもとに送り届けなければならない。その方が絵真の両親は安心する。しかし、真の意味で安心するならば、絵真は横浜に帰さず池袋に留まっている方がいい。だがそれを実際に行うとすると、絵真の両親に事情を話さなければならなくなる。管理公社が秘匿している今の東京の実態を。


 ――何を馬鹿なことを考えている。事情を説明したところで、すんなり信じてもらえるわけない。


 心の傷が発する悪魔の囁きを、翔太は必死に振り払った。


 関口の言い分では、秘匿されている情報は別に漏洩してもいいが、それが確たる証拠によって実体を得ることは避けたいとのこと。証拠さえなければ、その事実を都市伝説として処理できる故に。それはつまり、翔太がいくら今の東京の真実を吹聴したところで、それは管理公社の手によって曖昧なものに変えられてしまう。だからこそ、翔太の話は信じてもらえない。


 ――絵真は横浜に帰ることを、どう思っているのだろうか?


 絵真は今の東京の、そして今の横浜の事情を知った上で帰るつもりなのだろうか。そのあたりのことが、翔太は気になってしょうがなかった。


「絵真、その、昨日今日で管理公社の人から、何か話を聞かなかったか? 例えば、俺らが捕まった理由とか」


 絵真がどう考えているのかが知りたくて、翔太は意を決して尋ねてみた。しかし絵真が真実を聞いていない可能性もあるので、直接的な言葉を避けた遠まわしな聞き方である。


「一応幹部さんから事情は聞いたよ。なんでも、わたしが買ったSDカードに知られてはいけない情報が入っていたらしくて、それを取り返したくてわたしたちを追い回して捕まえたらしい。その人が謝りながら話してくれた。わたしも、外部に漏れてはいけない重要な情報だってことを察したから、あまり深入りしないようにしたけど。なんかこれ以上ゴタゴタに巻き込まれるのもイヤだし」


 絵真は猫のように大きい目を細め、疲れた表情で答えた。


 それを聞いて、翔太は悟った。


 絵真は、今の東京の発電方法に関する情報を聞いていない。


 翔太がその話を聞く際に「知らずに暮らしていれば幸せになれたかもしれない。一度聞いてしまえば後戻りはできない」と前置きをされた。翔太はそれを承知で話を聞いた。絵真はそれを察して話を聞かなかったのだ。


 その話がどれだけの爆弾であるかは、残念ながら話を聞いた翔太しか知ならない。だからといって、改めて翔太からその話を聞かせるのも、またちょっと違う話である。その話の重要性を察した絵真であるが、その話の危険性を察したのかは謎だ。察した上で聞かなかったのか、それとも否か。どちらにしても、絵真にとっては聞きたくない話であることには間違いない。


 ――絵真を横浜に帰すのは得策ではない。しかし、知りたくもない話を聞かせてまで絵真を引き止めることになんの意味があるのか。


 その人が拒んだものを無理矢理押し付けることは、決して褒められたものではない。それが例えその人のためであっても、その人が拒んだ以上、その行いはただの独善でしかなく、ただの自己満足でしかないのである。


 ――それに、今すぐ横浜が危険に陥るとも限らない。今はまだ、安定しているのだ。


 結局のところ翔太の逡巡は、その事実がある故の迷いであった。


 もし核融合発電の停止が差し迫った問題であるのならば、翔太は無理にでもその話を絵真に聞かせ、横浜の地から遠ざけようとしただろう。管理公社も即座に動き、横浜の人々を避難させるだろう。しかしそうではないのだ。いずれその瞬間はくるだろうが、それがいつくるのかがわからないのである。


 それはくるかもわからない天災に備えて避難するようなものだ。そのような天災は、避難するのではなく、備えを整えるのが妥当な対策であるのだ。そしてその対策は、現在管理公社によって整えられている真っ最中なのである。


 ――今俺がわけのわからないことを話して混乱させるのは逆効果だ。大丈夫だ。まだ、大丈夫だ。


 現状なんの証拠も持っていない翔太にとって、その発言はただの戯言でしかないのである。そしてその戯言は、相手を傷つける。迷いを生み混乱が発生する。何の意味もない言葉なのである。そのことを理解している翔太は、大丈夫であることを己に言い聞かせることしかできなかった。


 絵真の答えに、翔太は「そうか」と短く反応するが、その返しは幾分間が空いてしまった。絵真はその翔太の反応に対して不思議そうな表情を見せるが、これといってアクションを起こすこともなく、すぐさまその表情を引っ込めた。絵真が気を利かせたのかは、残念ながらわからない。


 窓の外の景色は、いつの間にか冬の空気のように澄んでおり、視界がよくなっている。夜の時間が迫っているのである。


 ――せめて小水力発電の設置が完了するまで、この安定を保って欲しい。


 翔太はそう願いながら雪の気配を孕んだ空を見つめ、シートに身体を預けた。心が僅かに疼いたが、それを全力で無視しつつ、そのまま池袋までの景色を眺め続けた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る