第21話 不安定な縁の下


 通された部屋は、机と椅子だけの質素なものであり、取り調べ等で使う場所であるらしい。翔太は奥の椅子に座らされ、関口は机を挟んだ入口側の椅子に座り込む。部屋の入口付近には関口の護衛役なのか、それとも翔太の監視役なのかは判別つかないが、屈強な男性が佇立していた。この三人だけが、今この部屋にいる。


「単刀直入に聞くが、君は『核融合発電』というものを知っているか?」


「核融合……ですか? 核ってことは、原子力発電のことですか?」


 翔太はその核融合発電のことは何も知らなかったため、その言葉からどういったものなのかを類推した。


「んー、間違っちゃいないが、正しくもないな。混同しやすいところだが、核融合も原子の反応を使ってエネルギーを得ているから、原子力と言える。しかし一般的に原子力というと、核分裂の方を指す言葉だな。核融合と核分裂は全くの別物だ」


 関口は一拍の間を置いて続きを語りだす。


「核分裂は、重い原子であるウランやプルトニウムを使っている。一方核融合は、軽い原子である水素やヘリウムなどを使っている。で、その水素やヘリウムで核融合している存在といえば、それは即ち太陽だ。つまり核融合技術とは、擬似的な太陽とも言え『地上の太陽』と呼ばれていた」


「それはまた……すごいものですね」


 話のスケールがあまりのも大きいため、翔太は反応に困る。


「ああ。すごいものだ。構造的に太陽と似ているから、そこから生まれるエネルギーは膨大になる。その膨大なエネルギーで発電すれば、当然莫大な電力が発生する。しかも水素といえば水のことだから、半永久的に資源は取れる」


「そんなすごい発電を、水でできるのですか?」


「そう、水で。なんなら東京湾の海水でもいいし、今のご時世、あり余っている雪解け水でも構わないのだよ」


 その言葉に、翔太はゾクリと悪寒が走ったような気がした。昨日の昼、絵真と雪解け水や発電のことで会話したばかりであったから。


「その核融合で発電して、今のこの東京を維持しているのですね」


 翔太の急かすような問いに「そういうことだ」と関口は端的に答えた。


「その、危険じゃないのですか? だって、原子力発電とは違うものらしいですが、あくまで原子を使っているので、その、放射能とか、事故とか」


「放射性物質は出ることには出るが、それは従来の原子力に比べれば大幅に量は少ない。それこそ、出ないと言い切っていいレベルの量だ。事故に関しては心配しなくていい。核融合の反応を維持するのは非常にシビアなことで、多少の不具合が生じた場合、核融合の反応自体が起こらなくなってしまう。完全に機能は停止し、再開が難しくなる。これは扱いに関してはじゃじゃ馬だが、安全性として考えればこれほどのものはない。何せ、トラブルが起きれば勝手に止まってしまうからな。核融合発電では、理論上事故が起こることはない。原子力発電とは比べ物にならないほど安全な発電といえよう」


「それはなんとも、理想的なものですね」


「そうだ。故に昔は未来のエネルギーとかなんとかともてはやされ、研究が盛んに行われていたのだよ」


 関口はそう語るが、まだ隠していることがあるのか、不敵な笑みを浮かべる。


「それは日本も同様。そしてその日本の核融合発電の実験場の一つが、ここ東京にあったのだよ」


「ここに、ですか? でもそんな施設、どう考えても大規模なものになってしまうでしょう。そんな大規模な施設がこの東京にあるなんて話聞いたことないですし、現に東京の街中を車で走っていても、それらしい施設を見かけたことはない。本当に東京で核融合発電の実験が行われていたのですか?」


 翔太の問いに、関口の笑みは増す。まるでその質問が予知できたかのように。


「東京は、何も地上だけじゃないはずだ。私たちの足元には、昔から知られざる秘密が隠れているのだよ」


「まさか、地下に?」


「そう、地下に。厳密に言えばやや都心から離れてはいるが、その場所が東京であることには間違いない。秘密裏に東京の地下深くで、核融合発電の実験が行われていたのだよ」


「そんなことが……」


 関口の明かす真実に、翔太はその話をうまく飲み込むことができなかった。何せ、自分たちが生活している足元に、得体の知れないものが蠢いていると明かされたのである。到底信じられる話ではない。


「そんなに不思議な話ではない。東京の地下は、戦前軍事利用するために、現在とほぼ同等のものが既に掘られていたという説があったりする。それに一度地下を掘り、再び土を埋めても元の強度に戻らない故に、再利用としてその空間を別用途で使ったりしている。東京の地下が曰くつきであるのは昔からだ。壁の向こう側で何が行われているのかが全くもってわからないのが、東京の地下なのだよ。ならば、実験場の一つや二つあったとしても不思議ではない。まあ事実、核融合発電の実験場はあったのだけれどもね」


 関口の説明には、妙な説得力があった。翔太はそれに納得はしなくとも、理解することだけはできた。


「では、その核融合発電の実験場が、今でも稼働していると」


「そう。今の荒廃した東京を支えている。しかし、問題がないわけではないのだよ」


「と、いうと?」


「そもそも、核融合発電は実用化されていないのだよ」


 翔太は関口が言っていることが理解できなかった。


 未来のエネルギーとして期待され研究が行われていた核融合。発電目的で研究されていたそれは、東京の地下深くに密かに存在している。そして関口の口ぶりから、日本の気象制御システムこと〝アマテラス〟の暴走事故後の日本を支えていたものである。核融合発電が起動していたからこそ、各地常に冷暖房設備を稼働させることができ、今現在の劣悪な寒暖の差に耐え忍ぶことができているのである。


 その縁の下の力持ちが、実は実用化されていないという。


 ならば、何故核融合発電は動いているのか。そして、何故事故後十年何事もなく生活ができているのだろうか。


「この部分が、世間に実体をもって知られてしまうと、厄介なことになるのだよ」


 関口は一度メガネを外し、目頭を指で刺激してメガネをかけ直した。


「核融合発電が実用化されていない理由は、大きく二つの技術的問題があるからだ。ザックリと説明すると、一つは核融合ができる超高温状態を持続することが困難であること。二つ目は核融合を実際に行う核融合炉がそれに耐えられないとうこと」


「えっと……」


「つまり、核融合反応の条件が厳しいということだ。先程も言った通り、多少の不具合が発生した場合核融合は即時停止する。条件が厳しいくせに、その条件を満たせないと勝手に止まってしまうということだ。それを維持し続けるのはちと骨が折れる。そして核融合炉の方は、その超高温に耐えることもそうだが、長年の稼働で炉壁の放射化が懸念されている。それらに耐えられる都合のいい材質は、普通に考えれば存在しない。かつての科学力では、実現はちょいとばかり難しい技術なのだよ」


 条件を満たしても、その条件を持続することが困難であること。そして核融合に耐えられる入れ物が存在していないということ。その二つの技術的問題によって、実現ができていないのである。


 しかし翔太は腑に落ちなかった。技術的に不可能と言われても、事実核融合発電によって事故後十年間人々の生活を守ってきた。真実と実際の現実に差異があるのだ。


「その、矛盾していませんか? 今の東京は、その核融合発電によって維持されているけど、その核融合発電自体は完成していない。じゃあ、どうやって発電して、この首都圏に電気を送り込んでいるんだ?」


「もっともな疑問だ。確かに技術的に難があるものを動かすのは無理な話だ」


 翔太の疑問に答えようとする関口は、一度唾を飲み込むことで間を開ける。翔太もつられて唾を飲む。


「しかしそのことに関しては、偶然も奇跡もあるようだ」


「はい?」


 しかし出てきた答えは、あまりにも現実的ではない曖昧なものであった。


「どういうことですか?」


「どうも何も、試行錯誤でその技術的な問題を解決しようと研究をしていて、暴走事故が起こる前にその研究は成功したのだよ。運良く超高温状態を持続できて、運良く核融合炉がそれに耐えてくれた。あとは方法を確立して実用化するという段階になって、暴走事故が発生した。そして地上の発電所が暴走事故によって機能停止したため、地下にある研究に成功したばかりの核融合発電で代替した。しかし事故の影響で研究員の何人かがいなくなってしまい、データも何個か破損した。核融合発電を維持することが困難になってしまったのだよ」


「でも、実際動いていますよね」


「もちろん。事故を生き延びた人々の命がかかっていると考えると、強引にでも動かし続けなければならない。そして核融合発電はそれに応えてくれた。暴走事故後、核融合発電は安定した状態を維持し続けたのだよ。しかも、この十年間」


 翔太は、関口が偶然や奇跡と表現した理由を理解した。〝アマテラス〟暴走事故前に核融合発電の研究がたまたま成功していたこと。そして暴走事故後の核融合発電はたまたま安定した状態になったこと。これが偶然や奇跡でないとしたらなんだというのか。


「なんだか、創作物であれば、ご都合展開で酷評されそうですね……」


「まあ、事実は小説よりも奇なり、というやつだ。案外こういうことも起こり得るのが現実というものなのかもしれない」


 例え都合のいいものであっても、現実としてそれが発生していることには変わりないのである。


「現在は生き残った研究員をかき集め、核融合発電の維持をしてもらっている。しかし一部の人員と記録が消えてしまったため、何故動いていて、何故安定しているのかがわからない状況にあるのだよ。そしてそれはこう言い換えることができる」


「核融合発電は、いつ止まってもおかしくない状況にある、と」


「察しがいいな。そういうことだ。もう十年もつかもしれないし、それこそ今この瞬間に止まるかもしれない。全ては発電機様の気まぐれでしかないのだよ」


 試行錯誤をして偶然研究に成功した核融合発電は、奇跡的に十年間安定して稼働している。しかし核融合の条件が厳しく、また核融合炉の耐久性の問題がある故、稼働していること自体がそもそもおかしいことなのである。そしていつかは、その稼働条件を満たせなくなるときが必ずくる。何故動いているのかが判明していない状況では、いつ止まっても不思議ではない。


「核融合発電が不都合なく動いているからこそ、今の我々の暮らしが成り立っている。しかしそれが停止すればどうなる? 今の暮らしが成り立たなくなるだけではなく、多くの死者が出る。〝アマテラス〟暴走事故の再来といってもいい。今度こそ東京は、日本は、滅亡する」


「だからこそ、この事実が確証をもって露見することを恐れた」


「その通り。今の暮らしは核融合発電によって保障されている。しかしその保障に対する保証はなにもないのだ。その事実が実体をもって広まれば、人々は混乱する。しかし実体をもたずに広まれば、まだ都市伝説とかで言い訳ができる。人々の暮らしを守っている故に、余計な火種を与えたくないのだよ」


 知らぬが仏という言葉がある。この核融合発電の話は、まさに知らない方が幸せである事実だった。知らなければ、例え核融合発電が停止して滅亡しても、予測不能の事態であったと認識できる。それ故諦めもつく。


 ――『「常識では考えられない現象の発生により、甚大な影響が引き起こされる」ことを総称して「黒い白鳥のブラックスワン理論」と呼ばれるようになった』


 翔太は不意に、一昨日の夜興津から聞かされた話を思い出した。そう、まさにこの事実さえ知らなければ、ブラックスワン理論とすることができてしまう。しかし翔太はもうその事実を知ってしまったため、ブラックスワン理論という言い訳は通用しなくなってしまった。知ってしまったからこそ、言い訳ができなくなってしまったのだ。


「どうしてこのことが露見しそうになったのですか? そもそも、どうしてSDカードみたいに小さくて紛失しやすそうなものに、こんな爆弾みたいな情報を記録していたのですか?」


 抱いて当然の疑問である。そもそも証拠と共に情報が漏洩されることを恐れているのならば、このような記憶媒体に機密情報を保存したりはしない。もっとしっかりとしたセキュリティー下において、厳重に管理されるべき代物である。今回の騒動の原因をあげるとすれば、そのあたりの管理の杜撰さにあるといえよう。翔太はそのことを、遠慮なく関口に問うた。


「……耳が痛い話だな。そのことに関して言えば、落ち度は完全に我々管理公社にある。現在判明している事実を話すとすれば、我々管理公社は一枚岩ではなかった、ということだ」


「それは……どういう意味で?」


「間違った正義感か何かは知らないが、管理公社の人間が、この事実をリークしようとしたらしい。その者は既に捕らえて取り調べをしており、その取り調べ中に発覚したことだが、どうやら逃げきれないことを察した犯人は、そのデータを写したSDカードを遺物として街に放った。その結果として誰かに拾われ、池袋のジャンクショップに売られ、そして君たちの手に渡ったということだ。我々管理公社は、いつか来るだろう最悪の事態に対応できるように、この核融合発電に関する情報を内部に開示し、共有していた。今回の事件の発端は、その配慮が裏目に出てしまったことにある。なんにせよ、我々管理公社の責任であることには変わらないがな」


 知らなかったことの方が幸せであるように、そのリークしようとした者にとっては、知ってしまったが故に何かしらの状況の改善をはかりたかったからこその行動だったのだろう。しかしその方法は間違っていた。その方法は、安易に不幸になる人間を増やすだけのものでしかなかった。


 いや、もしかしたら、それが狙いだったのかもしれない。不運にも知ってしまったことによって不幸となったことを、その者は共有したかったのかもしれない。他の者と共有することで、自己の精神力では耐え忍ぶことができない事実を分散したかったのかもしれない。そう考えると、一人の人間の現実逃避とすれば理解できる行動であった。それが社会として許される行動であったのかは別問題として。


「しかし君たちを捕らえることで混乱を未然に防ぐことができ、我々の責任も果たせた」


「事前に説明してくれれば、俺たちも無駄に抵抗することなく協力できたのに。でも、そんな余裕は、お互いになかったけどね」


「そのことに関しては、本当に申し訳ないと思っている」


「話を聞く前であれば納得はしませんでしたが、事情を知ってしまった今では、仕方がないで片付けられます」


 翔太は捕らえられてから初めて緊張をとき、安堵のため息を漏らす。そして相好を崩した。翔太にとっては、自分が捕らえられた理由が明らかになり、その理由が正当なもであったことに安心した。知らないことで幸せになることもあるが、当然知ることで幸せになることもあるのだ。


 ただ、翔太の大捕物に関しては一応の解決を迎えたが、依然としてこの東京が危機に瀕していることは変わりない。


「それと君に話したいことは、別に悪い話だけではない。不完全だが、いい話もある」


 しかし関口はそのことに関しての朗報があるようだ。


「核融合発電という不完全な発電システムに頼っているのならば、当然代替の発電システムを計画して移行する準備もしている。この劣悪環境では思うように作業ははかどらないが、着々と準備を進めている」


「その、新しい発電、ということですか?」


 方法に問題があるならば、それを改善しようとするのは当然のこと。そしてその問題が解決できないのであれば、当然別の方法に切り替えるだけである。


 しかし翔太は関口の言葉にピンと来なかった。風力発電も水力発電も、火力発電も原子力発電も使えないからこそ、研究段階にあった核融合発電を使わざるを得なかった。しかしその核融合発電の維持が難しく代替のものが必要ならば、一体何をもって代替発電をするつもりなのか、翔太はそのことを即座に思い浮かべることができなかった。


「そう。核融合発電に代わる新しい発電。核融合発電に比べてはるかに原始的なそれは、核融合発電よりはるかに扱いやすく、そして安全だ」


「それは?」


「小水力発電」


「……えっと」


 翔太は困惑するしかなかった。地方のダムが劣悪環境により孤立したために水力発電が稼働できないからこそ、その代わりとして核融合発電を動かしていた。そしてその核融合発電の代わりとして計画されているものが、水力発電である。これは翔太でもわかる矛盾だ。困惑しない方がおかしかった。


「少年よ、誤解しているようだな。一般的な水力発電は、一度に莫大な電力を得るためにダムなどの貯水量が多く高低差が激しい場所で行われる。しかし何も、ダムで行われる大規模なものだけが水力発電ではない。水が高所から低所に移動するのであれば、小規模でも水力発電を行うことはできる」


 関口は更に詳しく説明をする。


「水路に昔ながらの水車を設置し、その水車に発電機を接続すれば、多少なりとも発電することが可能だ。そして塵も積もれば山となるように、水車と発電機の数を増やせばそれだけ発電量は増える。今の時代を生きる君にとって、今の東京がその条件を十分に満たしていることに気がつくだろ」


 その関口の説明を翔太は己の中で反芻し、思案する。


「……ッ! そうか、そういうことか」


 そしてそれは、すぐに理解できた。


「〝アマテラス〟暴走によって、夜間は吹雪になる。そしてその雪は昼間の猛暑で一気に解け、そのせいで日中街は水没している。しかし水が留まっているわけではない。東京は元々高低差があって坂道が多い都市だから、水は高地から低地に流れ、最終的に地下か河川に流れ着く。その過程に水車を設置すれば、水力発電の条件は満たせる」


「ご名答」


 翔太の理解に関口は満足がいったようであり、目つきは真剣なまま口角を上げて微笑した。


「東京の中心部は丁度低地と台地の境目にある故、とにかく坂が多い。港区と文京区は、名前のついている坂だけでも百以上ある。新宿区もそれに近い数ある。それに他の区もそれなりの数の坂があるので、小水力発電のための水車設置箇所は膨大だ。仮にこれら全ての坂に水車を設置することができるのならば、東京の電力など余裕でまかなえる。それほどまでに東京は高低差があり、そして今の東京には水に溢れている」


「なるほど、そういうことだったんですね」


 翔太はようやく得心がいった。


「それでは、近い将来、核融合発電から小水力発電に切り替わるってことですか?」


 翔太のその問に、関口はすぐに答えなかった。一瞬苦しそうに渋面を作り、そして頭を振った。


「あくまで、近い将来、な。完全移行するにはまだ不十分だ。今は一部の居住区の機能がかろうじて維持できる程度で、水車の設置は完全ではない。仮に今移行したとすると、とある街の居住区を放棄する上に、残った居住区では住民に節電を強いることになる。今までのように電気を使うことはかなわなくなるのだ。それだけまだ発電能力に不安があるのだよ」


「街を放棄、ですか?」


 翔太はその言葉に引っかかりを覚えた。というより、心が警鐘を鳴らした。翔太の心に残る傷跡が。


 ただでさえ事故後残った街は少ないのに、そこから更に数が減るとのことである。心が痛むのは当然であった。


「今の状況では、どの街がなくなるのですか?」


 その食い入るような目つきで投げかけられる質問に、関口は逡巡したのか、なかなか答えなかった。しかし翔太のその視線に負けた関口は、諦観してため息をつき、そして言葉を選びながら事実を告げる。その間、翔太の心の警鐘は鳴り続けていた。


「六本木エリアは港区から、君の住む池袋エリアは文京区から電気が送られてくるし、他のエリアも近くの密集した坂道から電気が送られてくる。しかし、その小水力発電の設置自体が大幅に遅れているエリアが一つ存在する。仮に今このときに核融合発電が停止した場合、そのエリアは確実に放棄しなければならない」


「そのエリアは?」


「横浜エリアだ」


 翔太はその言葉に驚く。横浜エリアといえば、旧横浜ランドマークタワーを居住区とする街であり、絵真の暮らす街である。その横浜が、小水力発電の恩恵が受けられないとのこと。驚かざるを得なかった。心の警鐘は、翔太の意識を奪い取りそうなほどうるさく鳴り響く。


「その、どうして、横浜はだめなのですか?」


「理由は単純で、ただ手が回っていないだけだ。人員もそうだが、なにより他の街より設置に手間取る。都心であれば、丸の内エリアで資材調達をして製作し、完成次第各坂道に設置できる。現に港区と文京区は近場であるため、夕方という限られた作業時間であっても設置は進捗している。しかし横浜はそうではない。ここで作るも横浜で作るにしても、まず物を横浜まで運ばなければならない。それで一日だ。そこから坂道が密集している場所まで運び設置。これでもう一日。更にまた都心に戻って帰ってこなければならない。横浜の小水力発電設置は、都心の倍以上の時間がかかるのだ」


 都心から横浜までは気軽に行ける距離ではない。現在最も有効な移動手段を用いても、精々一時間くらいはかかる。屋外で活動できる時間が一日に一時間程度である今の時代、まさに移動限界地点が横浜なのである。故に、設置作業は捗らない。


「街自体が丘陵地である横浜は、埋立地を除けばほぼ坂道と言っても過言ではないほど、高低差のある土地だ。それこそ、横浜も東京と同等の数の坂道があるといっていい。街中の坂道を利用して小水力発電の計画を立てている我々にとって、手放すには惜しい土地である。しかし着手するには、管理公社という組織には問題点が多すぎるのだ。正直、これは頭の痛い事案だよ」


 苦虫を噛み潰したような表情で関口は語る。翔太も関口につられるように苦々しい表情となる。


 日本の気象制御システムこと〝アマテラス〟が暴走して十年。事故後の混乱から脱するのに密かに活躍したのが、東京の地下にある核融合発電。しかしその核融合発電は偶然の産物であり、どうして十年間も安定して作動しているのかが未だに見当もつかない。故にいつ止まってもおかしくないのである。


 そしてその代わりとして、街中の坂道と雪解け水を利用した小水力発電が計画されている。その可能性は着々と形になりつつあるが、まだ完全には程遠い。完全移行には、まだ時間がかかるのである。


 計画自体は朗報であるのだが、その進捗状況は決して朗報ではなかった。


「これは我々の勝手な願望なのだが――」


 関口は苦々しい表情のまま呟く。


「――願わくは、核融合発電にはこれからも年単位で動いてもらいたい。そうしないと、多くの人の命が失われることになる」


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