四章 ただ、守りたい

第24話 守るための準備


 地震大国である日本では、厳しい耐震強度が求められているため、そう簡単に建物が倒壊することはない。しかしだからといって、絶対に倒壊しないという保証はどこにもないのである。


 よくある建築材のコンクリートは耐久年数が存在し、時の経過と共に劣化していく。ましては気象制御システムこと〝アマテラス〟が暴走して十年の月日が経過した現在では、日中過度に熱せされ、夜間急激に冷却されるというサイクルを延々と繰り返している。その過酷な環境によって温度と湿度は安定することがなく、コンクリートは伸縮してひび割れてしまう。


 現在首都圏で倒壊しているビルは少ないが、倒壊している殆どは、築年数が古く建物として衰えていたところに厳しい寒暖の差を突きつけられ、駄目押しとして日本特有の地震の影響を受けたのが原因で崩れたのであった。


 そしてまた、悲鳴を上げながら崩れ落ちる建物があった。それも一つだけではなく、多くの建物が崩れた。


 日没後に、強い地震が発生した。それは通常よりも早く劣化した建物に止めをさした。


 自重に耐え切れなくなった柱は、まるで負荷をかけた枝が折れるように崩れた。そして一つが崩れたことにより他の柱に負担が分散され、負荷が増幅した柱は連鎖的に崩壊していく。ビルは容易く傾き、そして傾いたことにより重心がずれ、己の巨体を支えることが困難になっていく。最早誰にも止めることができない状況に陥ったビルは、轟音と砂塵を撒き散らしながら死を迎えた。


 この日多くの建物が倒壊し、その瓦礫で道路は寸断され、河川は塞き止められてしまった。


 これにより、東京の地形が変化した。より具体的にいえば、雪解け水が流れていくコースがガラリと変わってしまったのだ。


 その結果、地下に流れていく水路が、本来の機能を失ってしまった。


 そしてその水路の先は、地下貯水槽である。そしてその貯水槽は、現在の東京を支える重要な役割を持っていた。あり余る水を活用した、人の生活を維持し続ける秘められた存在。


 それは自身の補給路のいくつかが途絶えたことも知らずに、今日も稼働し続けている。




 絵真が横浜に帰ってから、一ヶ月ほどの時間が流れた。


 翔太はこの間、日中は忠司の電源車製作の助手として働き、夕方は電源車に必要な資材を集めるため各地を転々とし、夜は興津の図書館で資料集めをしていた。途中大地震により作業は中断されたが、翔太の努力の甲斐あって先日電源車第一号が組み上がり、あとは試運転をするだけとなった。


 ちなみに、池袋エリアの地震の被害状況は、幸いにも死者は出なかった。大きく揺れた割には、その被害は最小だった。強いて言えば、夏目家のジャンクショップと興津の図書館の被害が大きかった。無造作に積み上げられたガラクタや書籍が崩れ、一時生き埋め状態となったのだ。それも今ではなんとか通り道が作れた程度には片付けを進めることができていた。


 復興した池袋エリアの居住区、旧サンシャインシティの地下駐車場には現在、製作した電源車が停車されている。明美が回収してきた二トントラックの荷台の中には、翔太と忠司が電気自動車を解体するなどして集めたリチウムイオンバッテリーが、所狭しと積み込まれていた。そしてそれら全てのバッテリーがちゃんと機能するよう、忠司によって独特な配線が施されている。


 これまで忠司は仕事の合間を縫って作業を進めており、それは所詮道楽でしかなかったのだが、突如として仕事を放り投げて本格的に製作作業をし始めたのには理由がある。それは、忠司が現在の東京の発電の仕組みを知ってしまったからだ。


 そう、翔太は管理公社から聞かされた東京の機密を、忠司にだけ話したのである。


 電源車製作に忠司の協力は必要不可欠である。そのため翔太は誠意を持って嘘偽りなく真実を明かした。幸いにも忠司は翔太の話を信じ、店を紗代に任せて電源車製作に没頭したのであった。それ故の進捗であった。


 現在忠司は試運転に向けて準備を進めている。そして翔太はそれを手伝わず、池袋を離れてバッテリー集めに勤しんでいた。電源車第一号の完成間近となったところで、二号車製作の計画が持ち上がっていたからだ。電源車は何台あっても困らない。


「アンタも頭使うようになったわね。この前までは青臭いガキだと思っていたのに。これからは今まで通りにはならなそうね」


 翔太は遺物の聖地、丸の内エリアのジャンクショップにて、転売屋であるケイとの商談をまとめたところであった。


 この一ヶ月翔太が精力的に各地を回りバッテリーを集めていることを知ったケイは、自身の人脈を活用してリチウムイオンバッテリーを集め、それを翔太に売りつけようとしたのだ。翔太も是が非でもバッテリーを確保したいため、その話に食いつかざるを得なかった。しかしケイは金の匂いを嗅ぎつけるとどんなことでもする性格のため、商談そのものがあくどいものであり、翔太は辟易せずにはいられなかった。


「まあ、ケイさんみたいな悪い大人を間近で見てきたからな。ケイさんのおかげで人を疑うことを覚えたよ」


 翔太の毒舌に、ケイは微笑した。その笑みには、子供の成長を目の当たりにしたかのような暖かさがあった。


「じゃあ、これからはいいクライアントの関係でいましょう」


「あんな無茶苦茶な商談持ちかけておいて、よくそんな台詞が言えるな」


 翔太は前々からケイのことをあまり好ましく思っていなかったのだが、今回の件で明確に嫌いになった。しかし今後場合によっては、その嫌いという感情を無視してケイと仕事の話をしなければならないときが来るのかもしれなかった。それほどまでに、ケイは有能な人物であった。仕事で得をするのであれば、嫌いな相手でも利用しなければならないのだ。翔太は今回の件で、それを学んだ。


「それじゃ、俺は池袋に帰るよ」


 翔太はケイとの会話を打ち切り、踵を返してジャンクショップから立ち去ろうとした。


「ちょっとアンタ。最後に聞きたいことがあるんだけど――」


 しかしケイは翔太を引き止めた。


「――アンタ、何かあったの?」


 ケイは翔太に問いかけた。相手との距離感を敏感に感じ取ることができるケイは、今回の商談においての翔太の態度から、何かを察したようであった。


「……まあ、知らない方が幸せなこともある」


 翔太は立ち止まったものの振り返ることはせず、明言を避けてケイの問いに返事した。


「……そうね。そのことはワタシもよく知っているわ」


 その返事で納得したのか、ケイはそれ以上聞いてくることはしなかった。しかしケイの性格上、いずれ真実に辿り着いてしまうだろう。翔太は密かにそう思いつつ歩き出した。


 ケイが提示したバッテリーの価格は破格であった。しかしいつ核融合発電が停止してもおかしくない現在の状況において、その危機を一時的に凌ぐためのものをより多く作らなければならないので、お金を惜しんでいる場合ではない。そのあたりのことは、忠司も理解してくれるだろうと翔太は考えた。


 翔太は丸の内エリアの居住区の玄関口、八重洲の地下駐車場に移動する。


「これでいいよな」


 その場所に停車していた自身の車、多くのバッテリーを積み込んだミニバンに乗り込み、翔太は深いため息をついたのちそう呟く。


 自分の行ったことは正しい。なにも間違ってなどいない。翔太は自身にそう言い聞かせる。そしてそれを確固たるものにするため、翔太は上着のポケットに忍ばせたものを取り出して眺める。


「なんちゅう顔してんだか」


 翔太が取り出したものは、一枚の写真であった。持ち歩く際に邪魔にならないよう手頃なフォトフレームに収めたその写真は、一ヶ月ほど前に池袋のサンシャイン60の展望台にて撮った、絵真との自撮りツーショットであった。絵真との別れの日、管理公社から譲り受けたプリンタに接続して印刷、現像したものである。


 別れの前夜に撮った写真。その写真に写る二人は自撮りであるが故に、互いの頬がくっつきそうなほどの距離であった。翔太はその際、至近距離にいる絵真を意識して鼓動が速くなり、身体が熱くなった。今考えると、あの瞬間に絵真という異性にときめいたのかもしれない。しかしいかんせん幼馴染である紗代以外に近い年頃の女の子と接したことがないため、絵真に恋心を抱いたのかがわからなかった。


 しかしそこに写る自身の表情は、それを如実に物語っていた。強ばった表情にやや紅潮した頬、そして少々うつむき気味の顔。それは完全に異性を意識した故の照れの表情であった。これと同様の顔を紗代も写真の中でしていたが、そのことに関しては人のことを言えなかった。


 紗代の気持ちに若干察してはいるものの、その気持ちに答えられるほどのものを翔太は抱くことができなかった。紗代は幼馴染であり、兄弟同然の存在である。そこに変わりはない。


 しかし絵真に対する気持ちはそうではない。紗代に抱くものとは全く異なるものを抱いている。そしてそれが、紗代が己に対して抱いているものと同質なものであることも、翔太は薄々自覚し始めていた。しかし何分初めての感情であったため、容易にそうだと断定することができずにいた。そのモヤモヤとした感情が、翔太としては非常にもどかしかった。


「これでいいんだ」


 翔太は写真の中の絵真を見つめたのち、脳内で自撮りしたあとの絵真の笑みを思い浮かべる。翔太はあの瞬間、その笑顔を失いたくないと思ったからこそ、そのための行動を決意した。絵真に対する気持ちがどのようなものであるにしろ、絵真を守るための行動に変化はない。


 そう、全ては絵真のため。


 絵真の笑顔を失わないようにするには、絵真の日常を死守する必要がある。そしてそれは即ち、絵真の暮らす横浜の居住区を守ることでもある。


 翔太はしばらく写真を見つめたのち、その写真を上着にしまう。そしてハンドルを握って車を発進させ、丸の内エリアの居住区を出る。そのまま首都高速道路に乗り、池袋エリアに向かう。


 現在忠司は、完成間近である一号車の試運転の準備をしている。池袋に帰ったのち翔太はそれを手伝うことになる。もし今夜中に試運転の準備を終えることができれば、明日の日中にそれを行うことが可能であり、その試運転が成功すれば一号車は晴れて完成を迎える。全てがうまくいけば、その日のうちに電源車を横浜に移動することができるかもしれないのだ。


「流石に都合よく考え過ぎか」


 翔太はそれを否定するかのように呟く。確かに全てがうまくいけば、明日で横浜エリアに関する不安は一応拭える。しかし何事も滞りなく問題が解決するわけがない。不測の事態はいつ何時起きるかはわからないのである。そしてそのことがわからないからこそ、その不測の事態は当人たちに牙を剥くのである。池袋の分校の先生である興津の言葉を借りると、それは正しくブラックスワン理論といえよう。黒白鳥は、常に死角から隙を窺っている。


 期待はしつつも、過度な期待はあまりしないようにしよう。


 翔太は駐車場をあとにし、首都高速道路を北上する。過ぎ去っていく建物たちを見送りながら、そう思うことにした。




 翔太が丸の内エリアを出発してから、ほんの数分後の出来事であった。


 東京の地下で動き続ける核融合発電。何故正常に動いているのか、それ自体がよくわかっていないそのものは、なんの前触れもなく異常が発生したことを作業員に知らせた。


 しかし何をもって正常に動いているのかがわからない現状において、何をもって異常なのか判別することがかなわず、対処することができずにいた。それ以前に、的確な対応はそもそも存在していない。作業員はただただあたふたして右往左往するしかなかった。ただわかっていることは、ことだけだった。


 核融合は、不具合が発生すると、勝手にその反応を停止してしまう。


 理論上暴走が起きないその特徴により、東京の核融合発電は静かに運転を止めた。


 それは即ち、今の劣悪な環境を生き延びるために活躍していた縁の下の力持ちが失われたことを意味していた。


 その可能性を知る者は、ついにその瞬間が訪れたと認識したが、その可能性を知らない一般人にとっては、まさに本来起こるはずもない不測の事態であった。


 生き残った街から、電気が消えた。一般的に失われるはずがないと思われていた電力が突如として失われた。それにより様々な障害が発生し、加速度的に混乱は拡大していく。


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