第19話 灼熱の昼


 燦々と照りつける太陽は、容赦を知らない。


 時刻は正午頃。気象制御システムこと〝アマテラス〟は、今日も元気に誤作動を起こしており、日中の太陽光の照射が最大となっていた。そのせいで東京の街は熱せられ、また昨夜の吹雪によって積もった雪が日光によって一気に解けたため、街は高温多湿となっている。それはまさに、蒸し焼きにされるような暑さであった。


 その暑さの中、翔太は廃ホテルの一室のベッドに寝転がって夕方を待っていた。夜をやり過ごした部屋から窓が割れている部屋に移動し、自分がいるフロアの扉を可能な限り開けることで、室内に風を送り込む。この風は熱風であり、それが肌を撫でる度、翔太は暑さに思わず唸ってしまう。まるで室外機の前にいるかのような感覚だ。だがそれでもないよりはましであった。


 幸い、この廃ホテルは水道が生きていた。流石に氷点下に達する夜間は一部が凍結してしまい使えなかったが、灼熱の昼間であればそれらが溶け出し、水が出るようになった。


 そしてそれはこの猛暑を乗り切る生命線となる。暑さによって吹き出す汗は肌に纏わりつき、ベタベタして不快以外何ものでもない。そんな汗を客室備え付けのシャワーで洗い流し、サッパリしたところで再び暑い風を浴びる。それを幾度となく繰り返して何とかその暑さを凌いでいた。


 暑さのピークを迎えている今は、気温はゆうに五十度を超えていることだろう。湿度もあるせいか、その体感温度は数字以上のものとなっている。三十度くらいの気温であればまだ行動できたが、流石にここまで気温が上がってしまうと、外での行動は命の危険となってしまう。今の状況で熱中症になってしまえば、対処のしようがないのだ。なので、下手な行動はせず、気温が下がるのをジッと待つしかなかった。


 現在翔太と絵真は別行動中だ。だが別行動といっても、絵真は隣の部屋で翔太同様暑さに耐えているだけである。お互い頻繁にシャワーを浴び、涼しい格好で暑さを凌ぐ必要があったが、翔太と絵真は異性である。そのため部屋を分けようという話になったのだ。そのおかげで翔太はほぼ裸でいる――一応いつ絵真が来てもいいように、パンツだけ穿いて隠すものは隠してはいる――ことができた。


 ――絵真といえば、昨日……。


 絵真のことを考えると、昨夜の出来事を思い出してしまう。昨日は管理公社から逃げ回ったせいで居住区に戻ることができなかった。こうして劣悪環境の中を過ごすはめになったのも、そのせいである。


 そして夜の劣悪環境は、今とは正反対の吹雪く極寒となる。二人は毛布に包まり寄り添って難を凌ごうとしたが、途中から思わぬ状況となった。


 翔太は、絵真と裸で温め合うことになってしまったのだ。


 ――いや、効果はあったけど……。


 裸で温め合う行為は、確かに効果はある。気温が氷点下となる環境下では、三十六度という人の体温は十分に温かく、また肌と肌が触れているため体温がダイレクトに相手に伝わる。そしてそれをお互いに共有できるので、双方にとって最善の行為であるのだ。


 しかし翔太は、昨夜の状況を思い出して赤面する。無理もない。何せ温め合った相手は異性なのである。何歳か歳が離れてはいるが、同じ十代の少女であるのだ。十代の少年としては意識せざるを得ない。


 そして一度意識してしまうと、昨夜の光景が脳裏に浮かんでしまう。


 焚き火の炎に照らされた絵真は、肩に毛布をかけただけの姿で、意味深に立っていた。そして床に倒れて絵真を見上げていた翔太は、毛布の隙間から絵真の裸体を目にしてしまったのだ。


 十代前半から半ばくらいの歳である絵真の身体は、第二次性徴によって艶かしいものとなっている。小柄な体躯に見合った小ぶりな乳房に、細くて美しい腰のくびれ。そして透き通るような白磁の肌。普段は幼さの残る絵真であるが、このときだけは大人顔負けの魅力を放っていた。


 それまで翔太は、遺物として発見されたグラビア雑誌ぐらいでしか女性の裸体――所詮グラビアなので、完全な裸体ではないが――を見たことがなかった。幼馴染の紗代の裸すら見たことがない。そんな翔太だからこそ、眼前で生の裸を見ると、反応するものが反応してしまう。


 そして翔太が目を逸らそうとする前に、絵真は翔太に接近し、毛布を退けようとした。それに対してなけなしの理性で抵抗したが、即座に別の方法で密着を許してしまった。


 もう拒むことが不可能だと悟った翔太は、すぐさま反応したものを手で押しのけ、股に挟んでその存在を隠すことにした。いたいけな少女の肌に自身のものを触れさせるわけにもいかず、翔太はその不自然な姿勢を維持し続けるしかなかった。


 そこからは自身の本能との戦いであった。理性を失わないよう、翔太は冷静になろうと努める。昔興津の図書館にあった漫画に、ひたすら素数を数えることで冷静になろうとするキャラクターがいたことを思い出し、翔太もそれに倣って実践しては見るものの、「1」が素数なのかどうなのかが不意にわからなくなり、始まりから躓いた。最終的に、代わりに三の倍数を数えることで邪心を振り払った。


 極寒という環境下であり、また焚き火の面倒を見なければならないため、翔太は寝ることができず、眠りにつくことができたのは日が出て気温が上昇した朝方だった。その時間まで自分の理性を保ち続けられたのは奇跡といっても過言ではなかった。


 そして暑さによって目が覚めた翔太は、こうして昨夜のことを思い出して悶々としていた。


 ――柔らかかったな……。


 密着した絵真の温もりと感触は、一夜明けた今でも覚えている。女の子のやわらかさは何事にも例えられない、名状し難いものである。だからこそ、女の子の身体は魅力的なのかもしれないと、翔太はだらしなく破顔しながら思った。


「翔太」


「フェッ!!」


 そのため、突如その本人から声をかけられたとき、翔太は心臓を鷲掴みされたかのように驚き、過剰な反応をしてしまった。反動で上体を起こし、そしてゆっくりと背後を振り返ってみると、そこには絵真が佇んでいた。


「ご、ごめん。驚かせて」


 不意に声をかけてしまったことに罪悪感を覚えてしまったのか、絵真は視線を伏せながら謝った。


「あ、いや、全然。不意打ちだったから、つい……」


 それに対して、翔太はしどろもどろになりつつ取り繕った。絵真に落ち度はなく、悪いのは無警戒で昨夜のことを思い出してにやけていた翔太の方である。絵真は決して悪くなかった。


「そ、そう……」


 翔太のその反応に若干気圧された絵真は、短く呟いて納得した。


 しかしそんな絵真の顔を、翔太は直視できなかった。翔太の言い訳を簡単に納得してしまった絵真の純粋さに当てられたというのもあるが、大半は絵真の顔を見ると、昨夜の出来事がより鮮明に思い出してしまいそうだったからだ。もしそうなってしまったら、翔太は気まずさのあまり死んでしまいそうだった。


 翔太の視線は自然に下がり、絵真の服装が視界に入る。


 絵真は一昨日、長袖のパーカーに短めのスカート、そして黒のニーソックスと、安定した環境の居住区で過ごすには申し分ない格好で池袋にきた。絵真は荷物を持ってきていないため着替えはなく、着ていた衣服は紗代の家に泊まった際に洗濯機と乾燥機の中放り込まれた。そのため翌日もそれに袖を通すことができたのだ。


 現在は暑さのため長袖のパーカーは脱いでおり、中に着ていた半袖のシャツ姿になっている。ニーソックスも脱いでいて、スカートの裾から伸びているのは、細くて綺麗な生足だった。


 そして絵真の生足を見た途端、昨夜彼女の足が自身の足に絡みついてきたことを思い出した。温め合うために裸で密着したため、結果的に互いの足が交差したのだ。そしてそれは、絵真のスベスベな素足の感触を、自身の足で認識したという意味であった。それ故翔太は、絵真の生足からも彼女の肌に関する記憶が呼び起こされてしまったのだ。


 再三にわたり昨夜のことを思い出した翔太は、気恥かしさのあまり身体が熱くなるのを覚えた。


 そんなこんなで、翔太は絵真の顔も身体も見ることができず、なし崩し的にそっぽを向くことになった。


「ところで、何か用か?」


 そして翔太は気恥かしさを振り払うため、話題を提供した。そもそも絵真が翔太の部屋を訪れたということは、何かしらの用件があるはずだった。


「あ、あのね……」


 そして絵真は翔太の問いかけに答えようとする。しかし絵真はなんと伝えればいいのかわかりかねている様子であり、言葉が詰まった。だがそれでも、絵真は懸命に事実を告げる。


「このホテル、包囲されている」


 一瞬、絵真が何を言っているのか、翔太は理解できなかった。


「包囲? 包囲って、囲まれているってことか? 誰に?」


「えっと、恐らく、管理公社の警備部だと思う」


 それは聞くまでもないことだが、翔太はにわかには信じがたい事実だった。何せ今は正午である。人が外出できる時間帯ではないのだ。


 気象制御システムが暴走してから、日中は気温五十度以上の超猛暑となる。そんな強烈な日差しと熱気に晒されれば、たちまち熱中症を起こしてしまい、最悪命を落としかねないのだ。こんな時間帯に出歩くのは、自殺行為である。


 それに気温だけではない。現在は夜間になると猛吹雪となり、東京は雪に埋もれる。そのため日中の陽光で雪が解け出し、雪解け水が街に溢れることになる。そしてその大量の水は低地に向かって流れていき、最終的には都内の河川に流れ着く。ただ今いる場所は湾岸沿いの廃ホテルなので、この辺りを流れてくる雪解け水は直で東京湾に流れていくと思われる。


「包囲しているのが管理公社であるのはいいとしよう。でも問題は、管理公社がどうやってここまで来たかだ」


 現在のこの環境では、移動するのは困難である。であるならば、管理公社はどのような方法を用いてこの廃ホテルを包囲したのだろうか?


「その、海から」


「え?」


「だから、小型クルーザーが東京湾の海から来ているの。多分、台場エリアの居住区の管理公社だと思う。厳密にはこのホテルというよりは、この辺り一体を包囲している感じかな」


 絵真は翔太の疑問に答えつつ、スッと手を持ち上げて窓を指差した。それに気がついた翔太はベッドから降りてその指の先を辿り、ガラスが割れてなくなった窓から外を眺めた。


 この客室は海に面しており、ここがホテルとしての機能を失った今でも絶景を見下ろすことができた。その広大な東京湾に、白い船が浮かんでいる。海を見渡しただけでも四隻の船舶を視認することができた。その四隻の船はどれも小型のクルーザーであることにはかわりないが、全てが違うデザインのものであり、恐らく〝アマテラス〟暴走事故で持ち主がいなくなったものを台場エリアの管理公社が回収したものだと思われる。


「た、確かにアレならば、この環境下でも移動できるな」


 懸念される熱中症は、小型クルーザーの船内で涼しくしていれば予防できる。そして街中の瓦礫や廃材を飲み込んで濁流と化した雪解け水も、海上では関係ない。この環境においては、もっとも理にかなった移動方法であり、翔太は困惑しつつも得心がいった。


 そして翔太は四隻の小型クルーザーの動向を窺った。確かに絵真の言う通り、この廃ホテルというよりは、この辺り一体に目を光らせているようだった。察するに、翔太たちが消えたのは浜崎橋ジャンクションであるため、身を潜めるとするとその周辺であると管理公社はあたりをつけたようだ。現にその通りなのだが。


 様子を見る限り、また発見はされていないようだ。しかしそれは時間の問題であった。何故なら、良心的な気温になる夕方になると、恐らく小型クルーザーに乗船している人員がこの辺りに上陸してくると思われ、人海戦術で二人を捜索するはずである。そして翔太たちがここから逃げ出すタイミングはその夕方の時間しかない。つまり高確率で鉢合わせることになるのだ。


 しかし行動しないわけにはいかない。二日もこの廃ホテルに滞在していられるほど、翔太も絵真も体力が残っていないのだ。食事も昨日の昼が最後である。


「詰んだ、か」


 そこまで考えた翔太は、あまりにも絶望的な状況に落胆した。


「ど、どうしよう」


 そして絵真は、不安そうに呟いた。


「もう、捕まるしかないな。もう逃げる理由がない」


 翔太たちはSDカードを守るために逃げていたが、それはもう管理公社の手に渡っているので、こちらとしては逃げる理由がないのだ。


 しかし翔太の言葉が腑に落ちなかったのか、絵真は訝しんだ。


「ねえ、翔太」


 そして絵真は、それを翔太に確認する。


「管理公社はなんで、わたしたちを追っているの?」


 絵真の疑問に、翔太は思わず目を見開いてしまった。


 翔太たちに逃げる理由がなくなったと同時に、管理公社も追う理由がなくなったはずである。だが実際は、小型クルーザーを引っ張り出してきてまで翔太たちを捜索していた。それは何故か?


「さ、さあ?」


 翔太はわけがわからず首を傾げた。翔太も絵真も、頭の中に疑問符を浮かべる。しかし時間はそんな二人のことなど歯牙にもかけず、刻々と夕方に近づいていくのであった。


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