第12話 水没都市


 正午になったところで、忠司が行っていた棚卸しが一段落ついた。それにより忠司は昼休憩に入るとのことで、紗代はそのまま店頭での店番を続ける。翔太は今日の夕方に池袋を発って丸の内に向かうことになっているので、車の用意と整備のため離れていき、ジャンクショップには紗代と絵真の二人が残ることになった。


 しかしながら、SDカードを捜索している管理公社がいつ絵真に辿り着くかがわからないため、念には念を入れて絵真を店の奥の事務所で待機するよう紗代は徹底させた。


 翔太がジャンクショップに戻ってきたのは、丁度忠司が休憩から戻って来たタイミングであった。それにより入れ替わりで紗代が昼休憩に入るとのことで、翔太と絵真はその休憩に付き合うことにした。


 管理公社の目があるため、ジャンクショップから出るのも一苦労であり、翔太が先行して道を確保し、それに紗代と絵真が続くかたちになる。紗代の家がある文化会館の上層階へ通じるエレベーターにうまく乗り込むと、そのままかつて分譲マンションであった区画まで一気に上っていく。一同紗代の家で昼食を取ることにする。


「やっぱり、池袋でも昼間はこうなのね」


 料理好きである紗代は、エプロンを締めて台所へ消えていった。その間翔太と絵真はリビングで待つことになり、絵真はリビングの窓から眼下に広がる池袋の街並みを眺めていた。


「まあ、あれだけ雪が積もれば、こうなるわな」


 翔太も絵真につられて外を見やる。気温上昇がピークを迎え、屋外の気温はゆうに五十度以上になっている現在、街は水没していた。


 暴走した〝アマテラス〟により、夜間は急激に気温が下がると共に超巨大な低気圧が発生し、首都圏に吹雪をもたらしている。それにより低地は積雪で埋もれる。雪が積もりすぎているので、雪化粧と表現するよりは雪原と表現した方がふさわしいと思えてしまうくらい、都心の街並みは白に覆い尽くされてしまう。


 この雪が徐々に解けていけばいいのだが、そうはならない。


 昼間の首都圏は、〝アマテラス〟によって太陽光が集中照射されている。それ故の気温である。そのため、夜間に積もった雪は、昼間一気に解け出すのである。都市を覆い尽くす雪が短時間で水に変換されれば、当然街は水に没する。


 東京は洪水対策として排水設備が整えられているのだが、この雪解け水の量はその処理能力をはるかに凌駕していた。処理しきれない水は地下道に流れ込んでいき、地下はその機能を麻痺してしまう。地上も、東京は坂道が多い土地であるため低地に向かってどんどん水が流れていき、最終的には神田川や隅田川といった東京の河川に流れ着くのである。夜間は寒さと吹雪によって外出できないが、昼間は暑さと洪水によって外出することができないのである。


「でも夕方には、水が引くのでしょ」


「まあな。朝に解け出して、数時間かけて街中を流れていき、夕方にはなくなっている。多分いくらかは陽の光で蒸発でもしているんじゃないかな」


 翔太は絵真の呟きに適当に答えた。毎日夕方には問題なく外出できることを考えると、河川に流れていくだけでなく、日差しも洪水処理に貢献しているのではないかと思えてしまうのである。


「この水、何かに利用できればいいのにね」


「何かって、何?」


「わからない。でも、世界が崩壊しても水だけは無限に湧いて出てくる。……湧くというか、降るだけど。浄化処理して生活用水にしていると聞くけど、他の使い道については、何も聞かないから、どうしてかなって」


 確かに街を沈めている雪解け水は、濾過ろかして綺麗な水に変えていると聞く。事実、暴走事故後十年は、日常が失われたにもかかわらず水不足で悩ませられることはとくになかった。〝アマテラス〟によって劣悪環境に設定されているが、水に関してはむしろ豊かになっているのである。そのあり余る水をもっと活用しようと考えるのは、当然である。


 しかしその考えには問題がある。


「どうと言っても、水の活用方法なんて限られているだろう」


 今のご時世工場はまともに稼働していないので、工業用水は必要とされていない。また田畑もないので農業用水も然り。管理公社の方で配給用の野菜等を人工栽培しているが、十分配給されていることを考えると、栽培に関してはとくに問題はなく水は賄われているようだ。今のところ、これ以上水の使い道がないのである。


「で、でも、あるでしょ。えっと、ほら、例えば発電とか」


 翔太の言い分に納得しない様子の絵真は知識を絞り、捻り出すようにして思いつきを言う。しかし翔太は絵真に反論する。


「昔、俺も同じことを先生に言ったことがある。で、先生によると、東京で水力発電をするのは難しいのだとよ。水力発電は高所から水を落下させて、その落下エネルギーで発電機を動かして電気を得ているみたいなんだ。そしてそれを可能とする施設が、地方のダムなんだってよ。発電自体は別に水路の途中に水車を設ければできるみたいだけど、東京全部の電力を確保するには、やはりダムくらいの規模が欲しいらしい。で、今の東京に、ダム並の落下エネルギーを得られる場所はない。残念ながら、水力発電はできない」


 翔太の説明に、絵真は釈然としない様子であったが、水力発電は無理であることは理解したようであり、小さく「そう」と返事をした。


「えっと……まあ、考えてみること自体は悪くないんじゃないかな」


 論破された絵真はふてくされてじっと外を眺めていた。そんな様子を見ていた翔太は取り敢えず気休めを言ってみるが、絵真の機嫌が直ることはなかった。


 ――まいったな。


 翔太としては、絵真のそんな表情は見たくなかった。これが紗代であれば、機嫌が悪くなったとしても放置していれば勝手に自己嫌悪に陥り、向こうから謝ってきて仲直りしてくる。しかし絵真に対しては、放置すること自体が躊躇われる。同じ女の子であり似た状況であるのにもかかわらず、どうしても気持ちに相違が出てしまう。


 ――かといって、分校で年下の女の子と接するのとも違うしなあ。


 分校では、明らかに相手は子供であった。だからこそこちらが大人になって接しなければならなかった。しかし絵真は、そのような扱いをするほど歳が離れているわけでもないし、紗代ほど親密な関係でもない。そうでないからこそ、打ち解けているにもかかわらず未だに距離感が掴めていないのである。


 ――絵真は、特別な存在なのかもな。


 絵真は、これまで接したことのないタイプの人物であるようだ。少なくとも、絵真に対する今の反応を、翔太はそう判断した。


 しかし認識を再確認したところで、絵真の機嫌は直らない。翔太は困った表情を浮かべて頬を掻いて思案する。すると、


「お昼ご飯できたよ」


 と、紗代がトレイに料理を乗せて台所から姿を現した。


「うん。ありがと」


 それに反応した絵真は、まるで最初から機嫌など損ねていないかのように、相好を崩して紗代に近寄った。


「え? まさか、もう機嫌直ったの!?」


 その気まぐれの猫のようにころころ変わる態度に、翔太はただただ戸惑うことしかできなかった。女の子はよくわからない、と翔太は思わずにはいられなかった。


 その後三人で昼食をとり、店に戻るため外に出る。しかし、


「……いいタイミングじゃなかったな」


 エレベーターが目的の階で止まり翔太が半身を外に出したところで、その視界に管理公社の人間が入った。二人組で行動しているところを見るに、どうやらジャンクショップに聞き込みに来たのと同質の人物であるらしい。しかし幸い、エレベーターからそれなりに距離があったため、相手はこちらに気づくことはなかった。


「どうするよ」


 翔太は身をエレベーターの中に戻し、同乗している絵真と紗代に尋ねるが、二人共逡巡していた。しかしエレベーターを降りるか否か決めあぐねていると、管理公社の二人組はエスカレーターに乗って別の階に行ってしまった。


「翔太と絵真ちゃんは、あんまり出歩かない方がいいかもね」


「まあな。言ってみれば公社の捜索を妨害しているわけだから、客観的に見れば善意の行動ではないな」


 翔太は内心何を今更と思いつつ、紗代に返事をする。紗代の言う通り、ことが終わるまで、最低でも池袋を出発するまでは下手な行動は慎むべきであった。


「仕方ないな。はい」


「おう。お?」


 紗代は状況から今度の行動を思案する。そしてその結果、紗代は翔太の手を取り手のひらに一つの鍵を乗せた。翔太はされるがままに受け取るが、受け取ってからその鍵が紗代の自宅の鍵であることに気がつき、思わず頭に疑問符が浮かんだ。


「夕方までうちにいていいよ」


「いや、それはなんか悪いし」


 紗代は自分の家で時間まで待機するよう勧めるが、翔太は断った。家主不在にもかかわらず家の中で待機するなど、勝手知ったる仲でも気まずい。


「ここまで下りてきたんだ。このまま店で時間潰せばいいんじゃね?」


「店は……あんまり安全とは言えないかも。ほら、実際に聞き込みが来たでしょ。また来るかも。それに聞き込みって任意だと思うから、流石に自宅まで押しかけてくることはないと思う」


「まあ確かに。一理あるな」


「そう。それで、自宅に行くのであれば、もう関係者がそこにいると断定したからだと思うの。まあそうなればもう逃げ道はないけど、それは店にいるのと何も変わらないじゃない。だったら、再び聞き込みが来るかもしれない店にいるより、私の家の方がまだ安全だと思わない?」


 管理公社の手段がよくわからず推測だけで語っているが、翔太は紗代の言い分に言い知れない説得力を感じ取った。


「それじゃあ、今から二、三時間くらいお邪魔させてもらおうかな」


 翔太は時計を確認しながら答えた。


「絵真もそれでいいか?」


 念のため翔太は絵真に確認を取るが、絵真はジッと紗代を見つめたまま反応しない。


「紗代は、これで大丈夫?」


 最初翔太は絵真の言いたいことがわからなかったが、一拍の間を置いたのち理解する。これは絵真の問題であり、その問題に移動手段として翔太が関わっている。しかし紗代はそうではない。自宅で待機させるということは、紗代は翔太たちを匿ったことになってしまい、管理公社から目をつけられる可能性があったのだ。


「それ、今更すぎ。匿うとかそういう問題の前に、私は管理公社の聞き込みを適当にはぐらかしたのよ。もう既に関わっているのよ。更に言ってしまえば、昨日絵真ちゃんにSDカードを売った時点で今回の事件の関係者。これ以上妨害を重ねても、別になんとも思わないから」


 見つめられた紗代は翔太から視線を下げ、絵真を見つめ返す。そして絵真の心配を屈託のない微笑みをもって払拭させた。


「安心して。別にたかが遺失物の捜索でしょ。妨害しちゃったとしても、そこまで悪いようにはならないと思う。もし店に管理公社の人間が来たら、できる限り引き止めてあげるからね」


「紗代、その、悪いな」


「ごめんなさい」


 紗代のその笑みが、翔太と絵真の心に余計に響いてしまい、先程とは別の意味で後ろめたさを感じてしまった。


「何!? ちょっとやめてよ。別に囮になって死ぬわけじゃないんだから、そんな辛気臭いのはやめてくれる」


「じゃあ、よろしく頼む」


「気をつけて」


 翔太と絵真は改めて紗代に声をかけた。


「おう。任された」


 紗代は一人だけエレベーターを降り、振り返って笑みが増した顔を向けながら返事をした。そのまま扉は閉まり、再び上層階に向けて上っていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る