二章 追跡

第9話 朝の訪問者


 翌日、明美は昨夜の晩酌の影響により起き上がることができないでいた。翔太は明美の寝室に水を持っていくが、飲み水を寝起きによってこぼされたらたまったものではないので、水筒に入れて口をしっかり閉め、ベッド脇の机に置いておく。


 明美はよく飲酒するが別段酒に強いわけではなく、すぐに酔い、そして酔いが長続きする。大抵酒を飲んだ翌日は昼過ぎまで起き上がることはない。四十歳目前のいい大人であるにもかかわらず実にだらしない生活習慣であるが、本人曰く「運び屋は、夕方まで仕事できないからいいの」ととくに気にしている様子がないため、これといって改善されることはなかった。


 しかし、明美の言い分はもっともである。


 日本の気象制御システムである〝アマテラス〟が暴走事故を起こして十年。昼は灼熱の猛暑で夜は吹雪く極寒という劣悪環境下では、気温的に早朝と夕方でなければ外出することができず、更に早朝は夜間に降り積もった雪が残っているので、まともに外出できるのは雪解けしたあとの夕方のみとなっていた。


 そのため車を出せるのは夕方だけであり、自称運び屋である片山親子は実質的に夕方まで仕事をすることがかなわないのである。他に仕事があったとしても、それは積荷の出し入れと車の整備ぐらいしかなく、朝から一日かけて行う仕事ではなかったのだ。


 しかし翔太は、小さい頃から興津が司書をする図書館で授業を受けていたため、卒業した今でもその習慣が抜けることがなく、仕事がないのにもかかわらず早朝に起きて活動していた。


 片山親子の住まいは、旧プリンスホテルの上層階の住居スペースである。翔太は温かいココアを飲みながら窓辺に近づき、眼下に連なる都心の建物を眺める。夜に猛威を振るった吹雪はとうにやんでおり、現在は澄み切った朝の空気が街の雪化粧を包み込んでいた。


 これから天気は安定するが、その代わり気温は急上昇していき、昼頃には五十度を超えるだろう。かれこれ十年、日本の昼は夏日よりもはるかに暑かった。


 翔太はココアを飲み干すと、窓辺から離れて外出する支度をする。仕事はないが、用事ならある。支度を終えると家の鍵を持ち、薄手の上着を羽織り、寝込んでいる母を残して施錠した。


「あ、翔太おはよう」


「おう。おはよう」


 翔太が向かった先は、文化会館の展示スペースに出店されているジャンクショップであった。ジャンクショップの店長の娘である紗代に挨拶を交わしてから、翔太は店内に入っていった。


 早朝のため、ジャンクショップはまだ開店していなかった。しかし早い時間から済ませておかなければならない用事があったため、店の内部は既に稼働していた。


 用事とは、絵真の持つデジタルカメラに関するものであった。SDカードを求めて横浜からわざわざ池袋まで来た絵真であり、昨日の時点でそのSDカードの問題は解決した。しかし前の所有者のデータがそのまま中に残っていたようであり、購入したSDカードを使って撮影しても、数十枚撮ったところで容量が満杯になってしまった。


 今日早朝から翔太が駆り出された理由は、そのSDカードをPCに接続させるためのカードリーダー、もしくは専用の接続ケーブルの捜索であった。紗代の記憶ではそのようなものの在庫はないとのことだが、念のため探してみようとのことであり、ついでに棚卸しとして在庫整理もするつもりでいるらしく、人手は多いにことたことはないようだ。


 開店する前に用事を済ませるため、翔太、紗代、絵真、そしてジャンクショップの店長であり紗代の実父である忠司の四名で、遺物という名のガラクタと戯れることになった。


「翔太ごめんね。わたしの都合でこんなに早く呼び出しちゃって」


「別に気にすることじゃない。むしろこちらとしては都合がよかった。日中はやることなくてかなわん」


 眠たげな様子である絵真は、申し訳なさそうに謝った。しかしこれといって眠たくもなんともない翔太としては、別に構わなかった。むしろ用事ができて有意義に時間を使えるのであれば、早朝に呼び出されても不満を抱くことはなかった。


「まあ、もしあれだったら、作業が終わってから寝直せばいいしな」


 本日は運び屋としての仕事はない。仕事のない日は、遺物回収を行うため街に出ていくが、最近はめぼしいものを発見することができず、あてもなく崩壊した街中を彷徨う程度でしかないので、これといって必ず外出しなければならないということはなかった。そのため、時間はいくらでもあるのである。用事の一つや二つ程度これといって煩わしく思うことはない。


「それでは、皆よろしくね。倉庫部分は開店後でも別に構わないけど、店頭は開店前に終わらせておかないと営業に支障が出てしまうからね。時間との勝負だよ」


 忠司はそう号令し、各自担当箇所に手をつける。峡谷のように積み重ねられた遺物を目の前にして挫けそうにはなるが、やらなければ終わらない。奇しくも仕事とはそういうものであった。


 集合してかれこれ四時間ほど過ぎた。朝の時間帯を過ぎ、あと二時間くらいで昼を迎えるころになったところで、ジャンクショップは開店した。


 結局、店頭に置かれた膨大な量の遺物の棚卸しは終わったが、本来の目的であるカードリーダーや専用接続ケーブルの発見は、残念ながら果たせなかった。


 そんなこんなで、翔太と絵真は事務所にて、応接用のソファーの上で疲労困憊となった身体を休ませていた。翔太も絵真も、まさか棚卸しがここまで過酷なものだとは思わなかった。しかし紗代と忠司は棚卸しの業務に慣れているのか、これとって疲労の色を見せることなく、紗代は店頭での店番、忠司は倉庫にて棚卸しの続きをしていた。


 お客の呼び出しに気づけるよう事務所の壁は薄くなっており、店頭や倉庫の音がダイレクトに伝わってくる。現在は忠司の行う棚卸しの作業音が響いてくる程度であった。


「もうそろそろ再開するか」


「……うん」


 従業員でもなくあくまで手伝いであるので、作業に対する義務はそこまでない。しかし時間があり余っているからこその手伝いであるので、いつまでも何もしないで休んでいるのは本末転倒でしかなかった。それに絵真にとっては自分の都合で始めたものであり、あまつさえ絵真には一宿一飯の恩があるため、身体の調子が戻ったのならすぐにでも作業を再開しなければならなかった。


 しかし年下で華奢な女の子である絵真には、翔太や紗代ほどの体力はない。翔太の言葉にも消沈気味に返事をする程度であり、ソファーに横になったまま起き上がる気配がなかった。


 ――まあ、女の子には荷が重かったかな。


 体力が戻った翔太は上体を起こし、頬を掻きながら横たわる絵真を見やる。もうしばらく寝かせておこうと思い、翔太は羽織っていた上着を絵真にかけてから事務所を出ようとした。


 騒ぎが耳に届いたのは、丁度そのときであった。


「すみません。少しお話よろしいですか?」


「公社の警備部の人が、午前中から何か用ですか?」


 店頭から聞こえてくるのは、どうやら管理公社の警備部であろう男性の声と、店番をしていた紗代の声である。翔太には若干紗代の声に刺があるように思えた。


 何やら険悪なムードに発展しそうな気配があった。翔太は出て行くべきか逡巡したが、結局出て行かずに事務所の中から聞こえてくる声だけで現状を把握しようとした。管理公社の警備部はジャンクショップに用があるようなので、あくまで部外者である翔太が出て行っても意味はなさそうだし、かえって事態をややこしくしかねないからである。


「実は、最近の買い取り状況をお聞きしたくて」


「またですか。今度は窃盗? それとも強盗? 確かにジャンクショップの特性上曰くつきのものが買い取りに来ますが、買い取ったあとに来られると店の利益がマイナスになってしまうのですけど。できれば被害届が出てから即座に通知してもらえると、こちらも助かるのですけど」


 なるほど、と翔太は得心がいった。確かに遺物が集まる場所はこのジャンクショップであるが、正直その遺物の出処を正確に把握するのは不可能だ。ものを売って金になるのであれば、そこには当然盗品が流れ着く。そして居住区の治安を守っている管理公社は、そのような事件が発覚すると、当然ジャンクショップをマークしなければならない。


 しかし中古品はあくまで買い取ってそれを販売してようやく利益を得られる。買い取ったあとそのものを管理公社によって押収されると、当然赤字になる。犯人逮捕のあとに代金を返してもらえれば解決しそうだが、そもそもお金がないからものを盗むのであり、逮捕時の犯人に支払い能力があるのかといえば、それは否であろう。そうは問屋が卸さないのだ。


 管理公社としては犯人確保の手がかりになる場所であるが、一方ジャンクショップとしては、たまったものではないのだ。事態がどう転んでも、損をするのは結局店側なのだから。紗代が刺のある態度になってしまうのも無理からぬことである。


「その、守秘義務があるので詳しいことは話せませんが、今回は遺失の方でして、最近届け出があったのですよ。それでもしかしたら遺物として拾われ、もう売り払われているのかもしれないと思い、こうしてお店に聞き込みをしているのですよ」


 管理公社の男性は当たり障りのないナチュラルな話し方で事情を説明する。しかし翔太は、男性がどことなく言いにくそうな空気を纏っているような気がした。


「そうですか。なくした本人には悪いですが、もしうちの店で買い取ったあとなら、店でつけた売価で買い戻してもらうしかないですね。自業自得ですし」


「それはまあ、ごもっともです」


 紗代は手厳しい言い方をしたが、それを受けた管理公社の男性は変わらず当たり障りのない返事をする。


「それで、ものは何ですか?」


 その掴みどころがない物腰に紗代は訝しむが、紗代も穏便にことを構えたいのか、やや警戒しつつ本題を進める。つまるところ、不審な相手ではあるが身分と目的がはっきりしているので、こちらが協力しないわけにはいかないのである。そして協力する以上、その遺失物がどういったものなのかはっきりしない限り、こちらは行動できないのだ。


「実は、SDカードなのですが」


 しかしその遺失物の正体聞いた瞬間、翔太は心臓の鼓動が止まったのかと錯覚してしまうほどの衝撃を受けた。それと連動するかのように呼吸と思考も止まりそうになったが、翔太は店頭の会話に意識を向けることでそれらを意図的に回避した。


 翔太の位置からでは、店頭の紗代の様子を窺うことはできないが、恐らく紗代も動揺しているだろうと翔太は思う。何せ、その遺失物の疑いがあるSDカードを、紗代も見ているのだから。


「……買い取りは、ありました。そしてすぐに売り手が見つかって、もううちの店にはありません」


 紗代は動揺を悟られないよう抑揚のない口調で知っていることを話す。しかしその話し方には、相手に探りを入れるかのような警戒心が込められていた。


「……どうか、されましたか?」


 管理公社の男性もそんな紗代の朴訥とした態度が気になったのか、やんわりと尋ねた。


「いえ、まさか自分が、何かの事件の一端に関わっていると思うと、少し動揺してしまいまして」


 紗代は取り繕って答えるが、その結果口調は堅苦しいものになっていた。


「既に売ってしまったとなると、その購入者と直接お話をする必要がありますね。その購入者のことと、あと一応売りに来た人物の詳細をお教えください」


「売りに来た人に関しては個人情報が残っているので、それを見せます。でも、購入された方に関しては、これといって情報は残っていませんよ」


「構いません。人相とか、服装とかの特徴だけで十分です」


 そうして紗代はカウンターの引き出しを開け、中のものを取り出す。そして軽快に紙が捲られている音を聞いて、翔太は取り出したものが買い取り時の領収書の控えを収めたファイルであるとあたりをつけた。


 こうしてしばらく、二人のやり取りが続いた。


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