めーる
『こんにちは 彩花です』
文面を打ち込んでみては、すぐに消すのを繰り返す。なんて送ればいいんだろう。莉奈に送る時とはわけが違う。年上の人にメールなんてほとんど送ったことがない。
プールから帰った夕方の自室。窓から見えるのは茜色に染まった空。依然としてけたたましい蝉の声はガラス越しにも響いてくる。
あれから渚さんと話すことはできなかったけれど、今日のところは連絡先を交換できただけで良しとした。スマホを握りしめたまま思わず頬を緩めていたら、莉奈には変な目で見られたけれど。
クーラーが効いた部屋は涼しいはずなのに、顔が火照って仕方がない。ベッドの上をゴロゴロと転がりながら文面を捻り出す。
やっぱり最初は挨拶からだよね。でもその後は何を書けばいいんだろう。今日は暑かったですね、とか。いやいや天気の話とか話題に困ったときの常套句だし。
うんうん唸りながら悩んでいると、ふいにスマホが短く震えた。
画面に表示されたのは、『渚さん』の文字。
思わず飛び上がってスマホを凝視する。悩んでる間に向こうから送られてきたのだ。
一度深呼吸。落ち着けわたし。気分が高揚するのを抑えて、震える指先で画面をタップする。
『彩花ちゃんの連絡先で合ってるかな? 渚です』
シンプルな文面が表示されて、胸の鼓動が早まる。どうしようどうしよう。何を返せばいいんだろう。半ばパニック状態になりながら、文字を打ち込んでいく。
『はい! 彩花です! メールありがとうございます!』
……ここでお礼を言うのはおかしい気がする。もともとメールのやり取りは得意じゃないのだ。莉奈にでも助けを求めたいくらいだけど、今回ばかりは頼れない。
慌てて書き直そうとして、間違えて送信ボタンをタップしてしまう。
ああ! 間違えた!
背筋に嫌な汗が伝う。後悔しても遅い。
絶望的な気分でスマホを握りしめていること数分。またスマホが短く震えて、新着メールを知らせた。
『良かった これからよろしくね?(๑˃̵ᴗ˂̵)
そういえば、彩花ちゃんはどこの中学に通ってるの?』
変には思われてないようでホッとする。
今度こそ落ち着いて打ち込んでいく。
『
『ほんとに? 私も陽月台出身だよ!』
渚さんはプールの近くに住んでるって言ってたっけ。そういえばあの辺りまで学区に入っていたはずだ。
となると、渚さんは中学の先輩に当たるわけだ。渚先輩……。
渚さんとの共通点に思わず口元を緩ませながら、ふと気になったことを尋ねてみる。
『渚さんはどこの高校なんですか?』
『私は東高に通ってるよ』
東高というと、この地域でもトップクラスの公立進学校だ。制服が可愛いこともあって、この辺りの中学生にとっては憧れの的でもあるのだけど。
容姿端麗な上に頭まで良いだなんて、渚さんに対する尊敬の念はますます募るばかりだ。
そういえばメールでの渚さんは、普段と少し口調が違う。なんというか年相応に女の子らしい。そのギャップにもときめいてしまうわたしがいる。
女の人に対してときめくなんて、おかしいかな。
しばらくすると緊張も解けてきて、わたしたちはメールのやり取りを何通も続けた。
わたしの部活のこととか、中学の先生のこととか、高校生活のこととか。
時間も忘れてやり取りしているうちに日はすっかり落ちていて、窓の外には暗闇があるばかり。スマホの時計を確認すると、二十時を回ったところだ。二時間近くもメールし続けていたことになる。
それに気づいた途端に申し訳なくなってくる。無理矢理付き合わせちゃったのではないかって。だけど会話に終わる気配はなくて、わたしもまだまだ続けていたいと思ってしまう。誰かとメールをして、こんな気持ちになるのは初めてだった。
……だけど、渚さんに迷惑をかけるのはダメだ。
『すみません、こんなに長いことメールしちゃって。ご迷惑でしたか?』
そこまで打ち込んだ指が止まる。
少しだけ、欲が出た。
『あの、もしよろしければこれからも時々、メールしてもいいですか?』
送信してから返信が来るまでの間、鼓動はどくどくと音が聞こえそうなほどで
嫌だって言われたらどうしよう。そんな不安が込み上げてきた時、スマホが軽快な着信音を鳴らす。
『全然迷惑なんかじゃないよ! 私の方こそ、時間気にしてなくてごめんね?
彩花ちゃんさえ良ければ、これからもメールしたいな』
「……!!」
嬉しくて思わず拳を握りしめる。
女の人とメールしてこんなに嬉しくなるなんて、ちょっと変なのかもしれない。だけどそんなことはどうでもよかった。
渚さんがこれからもメールしたいと言ってくれた。
渚さんのことをもっと知ることができる。
「えへへ、へへへへ」
変な笑いが口から漏れてしまうのを止められない。
これからの夏休み。忘れられない日々になりそうな予感がする。
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