うきわ

「いやー、今日もプール日和だね!」

 青空を見上げた莉奈が楽しそうに言った。

 確かに今日も身を焦がすような日差しが市民プールには降り注いでいる。絶好のプール日和というやつだろう。水面は光を受けて宝石のように輝いて見える。


「ではさっそく泳ごう!」

「まだ準備体操してないでしょ」 

 ひとりで突撃しようとしていた莉奈の首根っこを掴んで止める。小学生の頃、この子は体操を面倒くさがって怪我したことがあるのだ。保護者として見逃すわけにはいかない。

「ちぇー、彩花だって新しい水着でやる気満々のくせに」

 わたしの身体––––主に胸元を見ながらそんな文句を言ってくる莉奈。

「関係ないでしょ! それにどこ見てるの!」

「むふふ、羨ましい限りですなぁ」

 指をわしわしさせながら迫ってくる。身の危険を感じて距離を取りつつ、さっさと体操をするように指示を出した。

 

 今日の水着は学校用のものではなく、昨日買ったばかりの新しいものだった。

 急遽プールに行くことになったので慌てて購入したのだ。ビキニは流石に恥ずかしいのでワンピース水着にした。あんな露出が多い水着、莉奈はよく着ているなと思う。そもそも市民プールじゃ目立っちゃうし。


 いきなり水着を新調したことに深い意味はない。

 ただ、なんとなくそんな気分になっただけ。


 

「さあ、今度こそ泳ごう!」

 わたしの監視のもとしっかり体操を終えた莉奈が、競技用プールの方向に駆けていく。わたしも仕方なくその後を追った。どうやら泳ぎの練習をするらしいけど、今日はどれくらい保つことやら。

 移動の途中で中央プールの様子を確認しておく。

 今日もまだ朝方ということもあってか人数は少ない。それに今日は平日だから、これからも家族連れはあまり来ないだろうと予想する。

 渚さんの姿は……ないみたいだ。


「……はぁ」

 そう上手くいかないことは分かっていた。わたしが来た時に渚さんも来ているだなんて偶然は起こるはずがない。それこそ、わたしか渚さんが毎日通い詰めでもしていない限り。

「なにやってるの彩花ー! はやくー!」

「はいはい」

 莉奈が大声で呼んでいるので歩みを早める。


 渚さんのことを考えるのはやめよう。

 考えたところで目の前に現れてくれるわけでもないし。


 そんなことを考えた瞬間、

「あら、彩花ちゃん?」

 わたしを背後から呼ぶ声があった。



 振り返って、目線の先に捉えた人物に我が目を疑う。

「な、渚さん……!?」

「やっぱり彩花ちゃんだったわね。また会えるなんて、偶然ね?」

 他でもない渚さんだった。この前と同じ学校指定の水着を身に纏い、片腕には大きな浮き輪を抱えている。既にプールに入っていたのか、身体を伝って垂れた水滴が、乾いた地面に水溜りを作っていた。


 まさか本当に会えてしまうなんて。

 今日も渚さんは綺麗だ。周りの景色なんて、背景として霞んでしまうほどに。

「……渚さんこそ今日もいるんですね」

「うん。私は基本的に毎日来てるから」

 ……ほんとに通い詰めてたんだ。

 どれだけプールが好きなんだろう。よく見ると、きめ細やかな肌が薄っすら小麦色に焼けていた。


「渚さん……いつも一人で来てるんですか?」

「ええ、そうよ?」

 夏休みだというのに、毎日一人で市民プールだなんて。高校生ってもしかして暇なのかな。そんなわたしの内心を読み取ったように、渚さんは苦笑を浮かべつつ。

「ここ、家のすぐ近くなのよ。定期チケットも持ってるし、来れる時間に来てるの」

「なるほど」

 プールが家から近いなんて憧れてしまう。

 わたしも家が近ければ迷わず定期チケットを購入したのに。

「そう言う彩花ちゃんもプール好きなの?」

「えっ…………はい」

 本当は貴女に会いに来ているんです、なんてとても言えない。



 

 どうしよう。せっかく会えたのに喋ることが思いつかない。知りたいことは山ほどあるはずなのに、言葉が上手く出てこない。これじゃ変に思われちゃうよ。

 ひとりでテンパっているわたしに、ふと渚さんは「あ」と視線を落として。

「水着が新しくなってる。もしかして買ったの?」

「は、はい! そうなんです!」

 気がついてもらえた。それだけで嬉しさが込み上げてくる。

 緩む頬を何とか抑えようとしていると、渚さんはにこりと微笑んだ。


「良く似合ってるわね」


 褒めてもらえた。

 お世辞かもしれないし単なる社交辞令かもしれない。それでもわたしにとっては十分すぎるくらいだった。

 なにしろこの水着は、渚さんと会う時のために購入したのだから。



「今日はお友達はいないの?」

「えっと、その、」

 どうしよう。

 今日は一人で来ましたって嘘をついたら、渚さんと一緒にいられるのかも。

 ついそんなことを考えてしまう、ズルい自分に嫌気が差す。


「いえ……今日も友達と一緒に来ていて」

「そうなんだ。ちょっと残念ね」

 残念? それはどういう意味だろう。

 渚さんは意味深に微笑んで、「それじゃあまたね」と立ち去ろうとする。わたしは反射的に呼び止めていた。

「あの! 連絡先、交換しませんか!?」


 

 

 わたしたちは無事に連絡先を交換してから別れた。渚さんは不思議がることもなく、ニコニコしながら交換してくれた。心から嬉しそうに見えたのは、気のせいじゃないと思いたい。

 その一方で、放置された莉奈は完全に拗ねてしまっていた。アイスを奢ってあげると少しは機嫌が戻ったようだけど、まだどこかツンツンしている。日陰に座りながら、ソーダアイスをちびちびと舐める。


「あの女の人、誰なの?」

「……ちょっと色々とあって、偶然知り合ったというか」

「もしかして彩花が一目惚れしたのって、あの人?」

「はぁ!?」

 思わず声が裏返った。莉奈は目を丸くしている。

「え、ほんとに?」

「ない! ないから! あの人女だよ!?」


 まるで自分に言い聞かせているようだった。渚さんは女の人だから、この感情は決してそういうことではないと。決して一目惚れなんかじゃない、はずだ。

 莉奈はわたしを見定めるようにジッと見てくる。この間から、莉奈は真面目な表情を見せるようになった気がする。このまま見透かされてしまう気がして、目を逸らす。

 しばらくすると、莉奈は小さく吹き出して笑った。

「冗談に決まってるじゃん。なんで本気で慌てちゃってるの?」

 ほれほれ〜と指をわしわししながら引っ付いてきたので、慌てて引き剥がそうとする。周りの人たちが微笑ましいものを見るような視線を向けてきたので、顔が熱くなる。




 何がともあれ、渚さんの連絡先を知ることができたのだ。

 わたしと彼女との間には、確かな繋がりが生まれた。

 

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