ためいき

「……はぁ」


 帰宅してもなお、わたしの頭は微熱を帯びたような感覚に支配されていた。疲れた手足をベッドに投げ出し、見慣れた天井をぼんやりと見上げる。

 あの後も莉奈とプールで遊んでいたけど、渚さんと顔を合わせることはなかった。もしかしたら既に帰っていたのかもしれない。あのお兄さん達にひとりでいるところを見つけられたら、色々と面倒な事になっていただろうし。


 ちょっとだけ落ち込んでしまう。次に行ったところで再び渚さんと会える保障はないし、連絡先を知らないのだから連絡を取る手段もない。

 そもそも、まだそんな仲じゃないし。

 たまたま出会って、たまたま知り合っただけの仲だ。


 右手を見つめて、渚さんの柔らかい左手の感触を思い出す。

 わたしはどうしてこれほど渚さんに惹かれているのだろう。

 一目惚れ……いやいやいや! 決してそういうわけじゃない。

 ただ、あんなに綺麗な人を見たことがなかったから、ちょっと気になっているだけで、それは断じて恋愛感情ではない。そう自分の心に言い聞かせるように、何度も何度も反芻はんすうする。


「……はぁ」

 それでも幾度となく漏れてしまう嘆息は、恋のため息と重なってしまうのだ。





「なんか最近、彩花おかしくない?」

 あの日から数日が経過しても、わたしを苛む熱は冷めてくれなかった。隣でバリバリ君ソーダ味をぺろぺろ舐めている莉奈が、怪訝な目付きで尋ねてくる。

 コンビニ前の古いベンチにはわたし達の姿しかない。正面からは直射日光が照り付けていて、眩しいし暑い。アイスを食べていなければとても座ってはいられないだろう。


「……いや、おかしくないよ?」

「いや絶対おかしいってー! 具体的にはプールに行った日からだ!」

 ビシッと指を突き付けて指摘してくる。なかなかに鋭い。流石はわたしの幼馴染といったところだ。黙っていると横からぐいと顔を覗き込んでくる。

「ねえ、運を使い果たしちゃって何のことだったの? 何か関係あんの?」

「だからあれは忘れてって言ったでしょ」

 素っ気なく言って、わたしもバリバリ君を齧る。この暑さのせいで既にちょっと溶けかけていた。慌てて食べる速度を速める。

 むーと不満そうに唇を尖らせる莉奈。しかし何か良いことを思いついたように八重歯を見せてニッと笑うと、

「もしかして誰かに一目惚れしちゃったとか?」


「!?」

 思い切り噎せてしまう。図星を当てられて噎せるなんて漫画じゃないんだからと思いながらも、莉奈とは反対側に顔を向けて咳き込み続ける。

「え? マジで?」

 ポカンとした莉奈の声が聞こえる。落ち着いたのでその顔を再び見据えると、呆気にとられた表情をしていた。焦りつつ口を開く。

「そ、そんなわけないでしょ」

 なに言ってんだか、とバリバリ君から垂れた雫を舐め取る。


 思った以上に狼狽えてしまったことに顔が熱くなる。

 一目惚れなわけないのだから。そもそも相手は女の人だし、改めて考えると図星なわけがない。どうして噎せたんだろう。


「……ふーんそっかー」

 莉奈は一瞬だけ寂しそうな表情を見せて、すぐに口元に悪戯な笑みを浮かべる。

「なら明日また市民プールに行こう! もしかしたらその人と会えるかもよ?」

「な、なに言ってんの! だから違うってばー!」

 でも莉奈は完全にわたしが誰かに一目惚れしたと思い込んでしまったみたいだ。慌てて否定しても顔は赤くなっているだろうし、何の信憑性もないかもしれない。

 

「彩花、アイス垂れてるよ?」

「あ! ちょっと誰の所為だと思って……!」

 鞄から片手でティッシュを取り出して拭く。莉奈は空を仰ぐように顔を上げると、感慨深げに言った。

「いやー、それにしても彩花が一目惚れかぁ」

「だから違うってば」

 そんなカッコつける莉奈の手にもアイスが垂れて伝っていたので、ついでに拭き取ってあげる。ほんとにいつまでも小学生みたいな子だ。

 呆れていると莉奈は真剣な声色で、

「私、応援するから」


 また「なに言ってんの」と口を開きかけて、止める。

 莉奈の表情は真剣そのもので、そこに普段のようなふざけた調子はなかった。


「…………本当に、違うってのに」

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