うかぶ

「さあ泳ぐよ!」


 日焼け止めと準備運動を終えた莉奈が、青空に両手を突き上げて宣言する。わたしもアキレス腱を伸ばすのを終了して莉奈の隣に並んだ。

「やけに気合い入ってるね」

 完全に遊ぶだけだと思っていたのに。この市民プールには競泳用プールの他にも流れるプールやウォータースライダーなどの娯楽もあって、莉奈はそれが昔から大好きだから……そもそもビキニを着ておきながら本気で泳ぐつもりだったんだ。


「ふふ、中学生だからね。今年こそ百メートル泳げるようにならなくちゃ!」

 同じような台詞を去年も聞いた気がするのは気のせいだろうか。呆れて苦笑しつつ、まずは競泳用のプールに向かって歩き始めた。


 まだ開いたばかりということもあってか、どのプールもそれほど混み合ってはいない。でもしばらく経てば人はどんどん増えてくるだろう……それこそ泳ぐ隙間もないくらいに。

 中央に位置する最も大きなプールの横を歩く。ここは主に水遊びを目的としたプールで、遠くの方にはビーチボールで遊んでいる大学生らしき集団の姿もあった。

「…………あ」

 そのプールの中央付近に彼女の姿を発見する。


「さっきの芸能人だ」

 いつの間にか莉奈の中では芸能人という扱いになっているらしいあの人が、大きな浮き輪に乗ってぷかぷかと水面に浮かんでいた。浮き輪の穴にお尻を入れる形で仰向けになり、青空を眩しそうに目を細めて見上げている。

 あれ、どうやってバランス取ってるんだろう。簡単そうに見えるけど実は難しそうだ。莉奈はちょんちょんとわたしの肩をつついて尋ねてくる。

「あれ何やってるんだろうね」

「さあ、浮かんでるんじゃないの?」

「見れば分かるよう」

 わたしに訊かれたって分からない。莉奈はしばらく興味深そうに足を止めて眺めていたけど、ふいに「まいっか」と諦めたように歩みを再開させた。


 風に任せて水面を漂う彼女はとても気持ちよさそうで、ちょっとだけ羨ましくなった。わたしも今度、浮き輪を持って来て真似してみようかな。そんな風に考えていたら、莉奈がわたしを呼んだので追いかける。



 競泳用のプールで泳ぎ始めて数分後には、莉奈は「もう疲れた」と言って陸に上がった。だいたい予想していたので今更なにも言わない。

「あっちのプールであそぼ」

「はいはい」

 莉奈の指差した中央のプールに向かう。濡れた身体からは水が垂れて、熱されたコンクリートの地面に軌跡を作る。

 


「あー、涼しいー」

 移動して中央プール。その縁に掴まって、気持ち良さそうに眼を細める莉奈。わたしもその隣に並んで、ぼんやりと景色を眺める。確かに真夏日の今日は冷たすぎる水温がちょうど良かった。泳がなくてもこれだけで来た価値があるかも。

 周囲には徐々に人が増えてきて、若い人から親子連れまで様々な人たちが目の前を通り過ぎていく。このプールでもあちこちで好きなように遊んでいて、とても全力で泳げそうではない。そんなことしたらぶつかって大怪我だ。


「奥の方行ってみる?」

「そうだね」

 莉奈の提案で、水を掻き分けながらゆっくりと移動を開始した。こうして歩いているだけでもなかなかに楽しい。深さはちょうど足が付くくらいで、波が立つたびに顔に水がかかってきた。「鼻に入った!」と莉奈が何やら騒いでいる。

 その間、わたしの視線はあの人の姿を探していた。

 まだ浮かんでるかな。いや流石にないか。なんて思いながら正面を向くと。



「うわっ」

 すぐ目の前にいたので、驚いてつい声を上げてしまった。彼女は身体を僅かに起こすと、申し訳なさそうにわたしを見据える。そして、水面に澄み渡るような、透明感のある声で言う。

「ごめんなさい。ぶつかっちゃったかしら?」

「い、いえ! 大丈夫です!」

 勘違いさせてしまったようだ。彼女は「なら良いのだけど」と苦笑して、また空を見上げる。

 

 改めて近くで見ても、アイドルみたいに可愛い。本当にテレビに出ていても不自然じゃないくらい。

 結んだ髪先がちょっぴり濡れていて、乾いた首筋に水滴が伝っている。


「なにやってんのさ彩花」

 先に進んでいた莉奈が戻ってきて、わたしの腕を不満げに引いた。わたしは名残惜しく感じながらも、莉奈に引っ張られてその場から離れる。

 

 その途中、彼女は再びわたしを流し目で見て、口元が薄っすら緩んだように見えた。

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