魔王にされたサタン



「えーと……」


 サタンは困惑していた。

 つい先程車に撥ねられたと思ったら、見知らぬ世界にいたのだ。

 もう少し詳しく言うと、雲の上だった。

 雲の上。少なくともサタンにはそうとしか表現できない。


(天国ってやつかなぁ……?)


 よくよく見れば、サタンにはもう手足もなかった。

 肉体があるという感覚もなく、奇妙な浮遊感と視覚・聴覚だけが存在している状態だ。

 そんな彼の目の前には、ひとりの女の子が立っていた。


「ようこそー」


 女の子はもう一度同じことを言う。

 その口元はニコニコ、とびっきりの笑顔だった。


「ど、どうも」


 サタンは会釈する。

 いや、正確には会釈した気分になっただけで、実際にはしていない。


 だって肉体がないのだから。

 声もどこから出ているのか定かではない。

 そもそも本当に喋れているのか、サタンには分からなかった。

 だが、少なくとも目の前の女の子に、彼の声は届いているようである。


「いやー、私の召喚に応じてくれる人がやっと現れてくれたみたいでよかったー」


 女の子は見た目に反して年寄り臭い口調で言う。


「召喚? 応じる?」


 しかし、サタンには何のことか分からず首を傾げた(つもりになった)。


「え? 私の声に応えて来てくれたんじゃ?」

「え?」

「え?」


 しばし、女の子は呆けた顔をして。


「あっ、あ~、いや、うん! とにかくよく来てくれたね! キミは私に選ばれたんだよ!」

「あ、はい」


 勢いに流され、サタンは返事をする。


「キミ、名前は?」

満連みちづれ佐丹さたんです」

「サタン! 悪くない名前だね!」

「えっと、キミは?」

「ム! キミとは失敬な! 私は女神様だよ!」

「め、女神様!?」


 サタンは驚く。

 体があったら仰天して跳び上がっていただろう。

 彼の素直な反応に気をよくした女神は、にしし、と笑う。


「そう! 私の名前はインフェリア。ルルナアンジュの女神様!」

「ルルナアンジュ?」

「それがこの世界の名前。サタン君のいた地球とは別の世界。死んだキミの魂を私が特別にこちらの世界へ召喚したんだよ」

「別の世界……」


 サタンは言葉を失う。


 普通なら信じられないような話だが、直前の死の記憶と、天国のような風景が、彼にインフェリアの説明を信じさせた。


 彼は状況を呑み込むためにしばらく黙り込んだが、やがて自分から女神に向かって質問をした。


「あの、それで女神様はなぜ僕をこの世界に?」

「いい質問だね!」


 インフェリアは胸を反らす。


「実は、この世界は今危機に瀕してるの」

「危機?」

「うん」


 それからインフェリアは滔々と語り始めた。


 この世界には魔族と呼ばれる種族がいて、長年人類と敵対していること。

 かつて魔族のリーダーだった魔王が人間界に攻め入り、人類のリーダーだった勇者と争い、共に倒れたこと。

 未だに魔族は人類の脅威であること。

 神々は地上の争いに手を出してはならない決まりがあること。


「けどね、私はこう見えて人類の守護神的なポジションにいるんだよ。だから、何とか人類の味方ができないかなーって考えてたの……」


 インフェリアは話を盛り上げるように間を溜める。


「そこで私は! 異世界から召喚した人に神の力を与えて、その『勇者』に魔王を倒してもらおうって考えたの!」

「ははぁ……」


 サタンはやや気の抜けた返事をする。


「あれ? 何か分からないところでもあった?」

「いえ、話は分かったんですが、何でこの世界の人ではなく、わざわざ僕を勇者に?」

「そ、それは……」

「?」


 女神は顔を背ける。




(この世界の人間に神の力を与えたりしたら、私がほかの神々に怒られちゃうからよ!)


 インフェリアは内心で呟く。


 先程サタンに説明した通り、神々は地上の争いに手を出してはいけない決まりがある。

 この決まりを破った神には、天界の評議会から厳しい罰が下されるのだ。


(異世界人なら、もしもの時も「この世界の人間じゃない」って言い訳できるしね。フフッ、我ながらナイスアイディア。ただの『ごっこ遊び』で怒られちゃ堪らないもんね)


 彼女にとってこれはあくまで『ごっこ遊び』。

 そもそも異世界から勇者を召喚しようと思ったのも、異世界通販アマゾネスで取り寄せたマンガを読んだ影響だ。


 ちなみに異世界通販アマゾネスとは、文字通り異世界の品物を買える通販サイトだ。

 人間たちの住む地上と違い、天界は世界と世界の壁を越えてある意味で地続きになっている。そのため、別世界の地上の品物を天界経由で取り寄せることも可能なのだ。


 閑話休題。


 詰まるところ、これは本当にインフェリアにとってただの『お遊び』なのである。


 人類と魔族は確かに敵対している。

 だが、かつて勇者との戦いで魔王を喪って以来、魔族の脅威は目に見えて落ちた。

 今や人類の住む領土と魔族の領土は大山脈を挟んで完全に分断され、ここ数百年にわたって魔族が人間界へ侵攻した試しは一度もない。

 たまに魔界にもいられなくなったはぐれ魔族が、山を越えて悪さをする程度である。

 脅威度としては野盗や人食い熊と同レベルだ。


(まぁ騙して悪いけど、魔族が危険かと言えば危険なのはウソじゃないし。それをやっつければサタン君も感謝されるもんね)


 地球で死んだサタンはこの世界で生き返って第二の人生を歩めるし。

 地上の人間は悪さをする魔族が減って感謝するし。

 インフェリアは勇者とともに悪を倒す女神ごっこが楽しめる。

 いいこと尽くめだ。

 何も悪いことはない。

 と、自己完結したインフェリアは話を続ける。




「最初に言ったでしょ? キミは運命に選ばれたの! 勇者になって魔族を倒し、人類を救うのがキミの運命だよ!」

「……」


 サタンはしばらく黙り込む。


 あまりに話が大きすぎて、若干ついていけない。

 そんな時、彼の脳裏に浮かぶのは、やはり祖父の教えだ。

 周りや物を大切に、人に親切に。

 彼の根幹にあるのは、染みついた十七年間の人生の教訓だ。

 それでもまぁ、もちろん、だいぶ長い時間迷ったが……。



「分かりました。僕、勇者になります」



 と、サタンはインフェリアの強引な頼みを引き受けた。


「やったー! じゃなかった、うん、ありがとう! さすが私の見込んだ勇者だよ!」


 インフェリアはバンザイしそうになり、慌てて女神の威厳を取り繕う。


「そ、それじゃあ早速キミの肉体を再生してあげるよ」

「僕の体を?」

「そうそう。それでキミを復活させるのと同時に私のパワーをちょちょいっと注入するんだ。あっ、何だったら絶世の美男子にだってしてあげられるよ? 神パワーがあれば筋力とか関係ないし」

「……」


 サタンはその言葉を聞いて、生前の自分の容姿を思い出す。

 子供たちに怖がられる背丈と顔を。

 しかし、彼は迷うことなく。


「できれば僕が生きていた頃の姿のまま復活させてください」

「それでいいんだ?」

「はい。やっぱり両親にもらった大切な体ですから」

「うんうん。分かったよ」


 サタンの答えを聞き、女神は満足そうに頷く。


「それじゃあキミの魂の情報から、そのまま肉体を再生するよ」

「お願いします」

「よし!」


 インフェリアは力強くかけ声をかけると、サタンの魂に向かって手を翳した。

 すると、サタンは自分の中に不思議な力――神のパワー――が流れ込んでくるのを感じて、失っていた触覚や嗅覚、心臓の鼓動や肌で感じる空気の感触などを、次々と取り戻していった。

 やがて、彼の肉体は完全に再生され、



「それじゃサタンくッッッギャアアアアアアアアア!!」



 インフェリアが、サタンの名を呼ぼうとして悲鳴をあげた。

 その反応に、サタンは驚かなかった。

 いや、驚けなかった。

 彼の顔を見て相手が驚くなど日常茶飯事だったからだ。



 もし、この時彼が、彼女に驚かれたことに驚き、一緒になって慌てていたなら、あるいは違う結果になっていたかもしれない。


 インフェリアの手で復活したサタンの外見は、大柄な体だけをそのままに、まるで人間と爬虫類が混ざり合ったような姿だったのだ。


 そうなった原因は、サタンの死に際にある。


 彼はコモドオオトカゲを助けようとして車に撥ねられた。

 その際、両者は同時に絶命し、偶然にもその魂と魂が混ざり合ってしまったのだ。

 そして、混ざり合った魂のまま異世界へ召喚され。

 その魂の情報をそのままにインフェリアの手で肉体を再生された。

 結果として。



 硬い鱗に覆われた顔や皮膚。

 口に並んだ凶悪な牙。

 鋭く吊り上がった爬虫類の目。

 手足には獲物を切り裂く爪。


 そんな凶悪なパーツを備えた状態で、サタンは復活してしまったのだ。


 生前、サタンはよく子供から「悪魔」と呼ばれていた。

 しかし、今の彼を見たら、迷いなくこう呼ぶだろう。


「化け物」……と。



「ヒィィイィ! ヒィィィイ!」


 インフェリアはサタンの姿に怯え、ひたすら悲鳴を上げていた。

 完全に腰を抜かし、後退りしようとして、失敗している。

 もはや女神の威厳も何もあったものではない。


「あの、大丈夫ですから」

「ヒィィィイ!」


 サタンは安心させようとするが、彼女は余計に後退る。


「キッ、キサマ! な、何なんだその顔は!?」


 涙声でインフェリアは怒鳴る。

 それに対してサタンは当たり前に、


「えっと、生まれつきです」


 と答えた。

 彼にしてみれば当然の回答だ。

 だがインフェリアからすれば、生まれた時から「化け物」の顔をしている……つまり、生まれつきの化け物だ、と答えたに等しい。


「……ッ!?」


 インフェリアはさらに怯える。


(う~ん、困ったなぁ。何とか落ち着いてもらわないと)


 一方、サタンはたった今相手に致命的な勘違いをさせたことにも気づかず、どうやったらインフェリアをなだめることができるか、なんて暢気なことを考えていた。

 この時、サタンはなるべく彼女を怖がらせないように、静かに思考に没頭した。


 だが、そのサタンの気遣いが逆にインフェリアの不安を煽ってしまった。


(こ、こいつ、急に黙り込んで……何考えて……ハッ!? ま、まさか私を食べる気なんじゃ!?)


 インフェリアは恐怖で勝手に被害妄想を膨らませていく。

 もはや彼女の中でサタンは完全に化け物と認識されていた。


(もももしかして私、勇者を召喚しようとして、全然違う奴を喚んじゃったんじゃ!?)


 インフェリアは恐怖で頭が完全に混乱していた。


「わわわ分かったぞ!」

「?」

「おまっ、お前っっ、、、さては魔王の生まれ変わりだな」


 ビシッとサタンに指を突きつけ、インフェリアは断言する。

 重ねて言うが、彼女は混乱している。

 そのためか、彼女の思い描く「最も怖い者」にサタンを重ね、彼を魔王と称したのだ。


「……はぁ?」


 サタンはただ気の抜けた声を漏らした。

 単純に、いきなり魔王と呼ばれて、返答に困っただけなのだろう。

 だが怯えているインフェリアには、そのため息が、ヒドく不機嫌なものに聞こえた。


(絶対絶対殺される! 私の想像をはるかに超えた残虐残忍な方法で殺されちゃうよ!)


 恐怖のあまり涙を流すインフェリア。

 しかし、その時彼女の中で変化が起きた。


 窮鼠猫を噛む。

 突き抜けた恐怖が、真の生存本能を呼び起こし。

 ワガママなダメッ娘に、究極の選択を実行させた。


 即ち、やられる前にやる!


「このおおお!」


 インフェリアは両手を前に突き出し、その手の平にパワーを凝縮させる。

 そして、そのパワーの塊を、ただ突っ立っているサタンに向かって発射した。


「魔王なら魔王らしく、魔界に帰れえええええ!」

「うわあああああ!」


 圧倒的パワーの奔流に吹き飛ばされるサタン。

 涙で顔をグシャグシャにしたヒドい顔をしていても、女神は女神。

 その威力は極めて強力だ。

 サタンは天界の端まで吹き飛ばされ――そのまま地上へと落っこちた。




         ▽




 ところ変わって魔界。

 先代魔王亡きあと、魔界は四天王が領主代行として分割統治していた。


 その四天王のひとりルッカ=ルッカ。

 彼女はエルフと呼ばれる亜人種族で、大変見目麗しく、また頭がキレるため、他の四天王よりもよく領地を治めていた。


 人間は魔界を無法地帯と思い込んでいるが、実際は違う。

 魔族には確かに粗暴な者が多いし、人類に仇なす種族ではあるが、それは単に文化が違うだけの話であり、彼らには彼らなりのルールがある。


 ルールがあれば当然、そのルールを巡った争いも発生する。

 それを裁くのも領主代行の仕事であり、ルッカは日々多忙を極める。

 そんな彼女の一日の楽しみが、日に三度の入浴タイム。

 今がちょうどその、入浴の時間だった。



「ふーん、ふーん、ふーん」


 大浴場でルッカは鼻唄を歌っている。


 ルッカの城の最上階に特別に造らせたこの大浴場は彼女の大のお気に入りだ。

 四方の壁はすだれになっていて、全て開けると領地を一望できる露天風呂に早変わりする。

 天然魔界檜で造らせた湯船も一度に二十人くらい入れるほど広い。

 こんな広々としたお風呂をひとり占めできるのも最高だ。

 この時間のためだけに煩雑な業務を日々こなしていると言ってもいい。

 彼女の貴重なリラックスタイム。


 そんな彼女の癒やしの時間は、天井を突き破って落ちてきた何者かによって、唐突に中断された。


「なっ、何者!?」


 ルッカはとっさに体を隠しながら湯船に落ちた闖入者と距離を取る。

 美しすぎる領主と評判の彼女の風呂を覗こうとする不埒者は昔から多かった。

 なら露天風呂などやめればいいのだが、それはそれ、愚か者どものために唯一の楽しみをやめる選択肢など彼女にはなかった。


 ではどうしたのか?

 処刑による見せしめだ。


 ルッカは善良な統治者であったが、彼女の風呂を覗こうとした者だけは容赦なく死刑にした。

 それでも覗きアホがいなくなるのに百年。

 数で言えば一万人ほどの見せしめが必要だったが。

 その甲斐もあって、最近は年に二、三人ほどの処刑で済むようになった。

 その一方で覗きの手口もやたらと巧妙化し、覗き魔どもに対する法整備が毎年必要になるなど妙な弊害も出ているのだが……。


(ここまで露骨に覗きに来たアホは久しぶりだな)


 その度胸はルッカも認めないでもないが、だからといって容赦はしない。


水竜龍巻ダイダルウェイブ!」


 ルッカは得意の水魔法で風呂場の水を操る。

 現れたのは水でできた四匹の竜。

 水竜はそのまま渦巻きながら、アホが着弾した落下地点めがけて襲いかかった。

 凄まじい轟音とともに水柱が四本上がる。

 たとえ上級魔族といえど、直撃を受けたら五体がバラバラになる威力だ。


 さて、アホの死体を侍女に掃除させて、湯を入れ替えるか――なんて彼女が考えていると。


「……ぷはっ!」


 件の覗き魔が湯から顔を出した。

 しかも五体満足、まったくの無傷の状態で。


「!?」


 予想外の出来事にルッカは驚愕し。

 起き上がった相手の顔を見た。

 その瞬間。


「……!? ッ!? !?!?!?」


 ルッカは驚愕のあまり、その場で硬直した。


 覗き魔は、男だった。

 それは予想通りだ。


 問題はその、鱗に覆われた顔。

 その恐ろしい顔面は、まさしく……。


「う……ここは?」


 その時、男はまばたきしながら目を開けた。

 部屋の雰囲気から、ここが湯船であることはすぐに察したようだ。

 彼――サタンの顔が驚愕に歪んだのはそのあと、


「え?」


 入浴中のルッカと目が合った時だった。

 何度も言うように、ルッカの裸体は、一万人以上の魔族が命を賭してでも見たいほど美しく魅力的なものだ。

 特にサタンの場合は、女性の裸そのものにまず免疫がなかった。

 そんな彼がいきなりルッカの一糸纏わぬ姿を見れば、取り乱すのは必然だ。


「ごごごごめんなびゃひゃい!」


 もうこれでもかというくらい盛大にかんだ。

 そのまま思考も飛びそうになるが、わずかに残った理性が、一刻も早くこの風呂から出て行くべきだと告げていた。

 サタンは目元を手で覆いながら、ざぶざぶと湯を蹴って出口へと向かう。


 が。


「お待ちください!」

「うわっ!」


 背中からルッカの声がかかり、驚いてサタンは転ぶ。

 ザブンッと音を立て、彼は浴槽の中で尻餅をついた。

 その彼の許へ、ルッカは何も隠さないまま早足で近づいてきた。


「……!」


 サタンはあられもないその姿に顔を真っ赤にしながら、しかし逃げることをやめる。


(彼女が怒るのも当然だよな……。ちゃんと償いをしなくちゃ)


 過去に一万人ほど、その「償い」のため断頭台の露と消えた男たちがいるのだが、もちろんサタンはそんなことは知らない。

 場合によってはサタンも彼らと同じ末路を辿っていたのかもしれないが。

 結果的に、そうはならなかった。


 ルッカはサタンの目の前に来ると、彼にしなだれかかり、ひしっ、と抱きついてきたのだ。


「???」


 予想外の反応に、サタンは座り込んだまま呆然とする。

 内心呆気に取られている彼をよそに、ルッカは跪いたまま頭を垂れた。


「復活される日をお待ちしておりました、我が魔王さま」


 ルッカは突然そんなことを言う。


(魔、王……また? 僕が?)


 サタンはもう絶句するしかなかった。

 なにしろ一日に二度も「魔王」と呼ばれてしまったのだ。

 ひとりは女神、もうひとりは……


「えっと、あなたは?」

「はっ! 申し遅れました。私の名はルッカ=ルッカ。先代魔王の頃よりお仕えした四天王のひとりにございます」

「はぁ……」


 四天王と言われてもサタンにはピンと来ない。

 だがルッカは完全に彼が魔王だと思い込んでいるようだった。


 悪魔と呼ばれたり怯えられたりするのはいつものことだが、こうも立て続けに、それも確信的に魔王と呼ばれてはさすがのサタンもヘコむ。


「……え?」


 落ち込んでサタンが俯いた時、彼の今現在の顔がお風呂の水面に映った。


(えっ? えっ? な、何これ?)


 ある意味、サタンはこの日一番の驚きに見舞われた。


 なにしろ十七年間連れ添った顔面の代わりに、まるで爬虫類のような顔面がそこに映っていたのだから。


 サタンは困惑し、この顔が本物かどうかぺたぺたと手で触れる。

 そしてさらに自分の手に鋭い爪があることに気づく。


「……!」


 そこでようやく、サタンはインフェリアの態度に得心がいった。

 そりゃ驚く。

 サタンでも驚く。


 彼は今の状況も忘れて、しばし呆然とした。





 さて、一方ルッカ=ルッカはといえば。


(間違いない……水竜龍巻ダイダルウェイブを受けて傷ひとつ負わぬ強さ、私ですら一瞬気が遠のくほどの狂気を感じるご尊顔……この方こそ復活された魔王様だ!)


 ルッカがこんな勘違いをするのには、ふたつの理由があった。


 まずひとつ目は、サタンの顔面だ。

 彼の顔は今やコモドオオトカゲと混ざり合っている――その顔の造形が、魔界に伝わる「ドラゴン」という幻の種に酷似しているのだ。


 古き時代、魔族を統べる魔王のほとんどはドラゴンだったという伝説もある。

 竜種が途絶えたあとの世も、自らを「ドラゴンの血を引く者」と自称する魔王は多かった。

 つまりそれだけドラゴンという種は、魔界において特別なものだったのだ。それが理由のひとつ目。


 ふたつ目の理由――それはルッカが仕えた先代魔王と勇者が相打ちになった時、彼女は王の遺言を聞いていた。

 遺言の内容は、こうだ。


「た、たとえ、我輩がやられても次の魔王が必ず現れるぞ」


 冷静に考えればただの死に際の捨て台詞である。

 だが、忠誠心の塊のようなルッカは、その遺言を片時も忘れず、新たな魔王の復活をずっと信じ続けてきたのだ。


 そしてついに「彼が魔王でなかったらほかに誰が魔王なんだ」というくらい、それはもう完璧に魔王としか思えない顔面を持つ者が、こうして彼女の前に現れた。


 当然、彼女は運命を感じる。


(やはり魔王さまは私のところに帰ってきてくれた!)


 まぁ、勘違いなのだが。

 しかし、ただの勘違いも、時に真実となる。

 たとえば、ルッカのように民衆から支持されている権力者が、魔王の復活を魔界全土に公布すれば、それはもはや事実と同義になるのだ。





 こうして勇者として異世界に召喚されたはずの彼は、魔王サタンとしてこの世界に誕生した。

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