この広大で矮小な世界

──いつもどおりの朝が来る。

いろいろと制限の多い実家暮らしだがこればかりは利点で、最近年齢の所為か──口に出せばこっぴどく叱られるので言葉にはしないが──朝の早い母が朝食の用意を済ませて、此方を見ることもなく「おはよう」と声を投げてくる。

ふぉはひょう。答えたはいいが、欠伸を噛み殺した為に不明瞭になった。目を瞑っていただきたい、何せまだ朝の5時半だ。時期が時期ならば空にはまだ星が瞬いている。尤も、もうすぐそんな時期も終わるのだが。

母とおれだけでは居間は静か過ぎる。朝が早すぎて小鳥すら眠っているのだ。まったく、静寂も過ぎれば落ち着かない。購入から3年前後、という物持ちのいい我が家ではまだまだ新しいリビングテーブルに向かい、音を足すためにテレビのリモコンを押した。たちまちに爽やかでポップなバックミュージックとともにそこそこに見慣れた朝の顔たちの明るい声が響き渡る。

雑音を聞き流すよりは真摯、程度にそれを耳に入れながら代わり映えのしないいつもの朝食──目玉焼きに白米、若布の味噌汁という半端なものだ──を口に運ぶ。ちら、と画面を見ればアイドルなのか農家なのかいまいちわからない某グループの男性が、精々真面目そうな顔をして最近起きた猟奇事件についてコメントをしているようだった。


「最近こんなのばっかりね」


いつの間に台所を片付けたのか、気がつけば母が隣の席に座ってはあ、と息を吐き出している。茶碗の上に乗せた目玉焼きに醤油をかけながら曖昧にうなづいて、物憂げな表情を気取っている母の顔を見た。よく母そっくりと言われるおれの顔だが、こんなにくたびれた顔をしているのだろうか。だとしたらもっと休息が必要なのかもしれない。30はゆうに年齢の離れた相手に見間違われるなぞ、さすがにぞっとしない。

そんな思考から意識を逸らすためにテレビニュースのほうに意識を向けることにしてみた。相変わらず飽きることなく、殺人事件だのなんだのと同じニュースを繰り返している。きっと私と違い毎日熱心にニュースを見ている方々はそらで事件の概要を説明できるようになっているのだろう──■月xx日、N市在住のNさんとRさんが何者かに拉致、監禁され数日後に遺体となって発見されました──聞いていて気分のいいものでもなし、かといって防げなくはなかった事件なのだろうと思えば少々の空しさもある。だからといって、自分に出来ることなんて何にも──本当に何もなかったのだろうけれど。

気がついたら味噌汁まですっかり空になっていた。茶碗と汁碗を重ねて皿の上に乗せて、流し台で水に漬けておく。生まれてから20年以上もこなしている作業だ。慣れたものでもう目を閉じていても出来てしまう。がちゃがちゃと耳に障る音を立てながら水の中に沈んでいった食器からさっと目線を逸らして欠伸をした。

非日常は画面の向こう側と文字の海の狭間にしかない。当たり前のことながらおれの一日というのはこれから始まるわけであって、ニュースの報道で取り上げられた事件のように突然に終わってしまうことはないだろう。

そんな慢心にも似た確信を抱きながら、凝り固まった体をほぐすように大きく伸びをした。


「おはよう、おれの朝」


今日も世界は広大で、おれの世界は矮小だ。

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