第3話【穢貧】
空腹。
それは、人間の頭脳思考を最大限にまで滾らせる。
引き換えに、暫しの苦しみを味わうが。
だが別段直ぐ死ぬ訳でもない。
僕は目の前の自販機をぼんやり視界に入れつつ、家に置いてきた財布の中身……即ちは10円玉4枚の事をぼんやり思い浮かべながら、然しそこに悲愴は無く、寧ろ快さを覚えていた。
ここ最近、追われる様に飯を食っていた。
ここ最近、空腹を恐れていた。
ここ最近、それを苦痛と捉えていた。
だが今はどうだろう。
一月前の飢えと寒さの恐怖から、今日金が無くなるまで暴飲暴食を続けた。
故にもういいだろう。
僕はこれから、食べる事にうんざりした態度をとってみたくなった。
だが僕はその時……確かな寒さを感じた。
飯を、熱を生み出す元を食わねば、当然寒さは取れない。
寒い。
この寒さは、耐えられたものではなかった。
何か、この寒さから逃げる手段が欲しかった。
だがそんなものは死以外に無い。
暫しの苦しみは、僕を無心にさせてゆく。
終わらない旅路を歩く覚悟を、奪ってゆく。
限りない苦痛を、悦べなくなってゆく。
だがこれを振り払う手段が、今の僕には失われている。
夕刻の闇が迫るまで、一日の終わりが迎えに来るまで。
僕は只管、寒さから逃げ続ける羽目と陥り、早足に学校を出ると寒さに『追いつかれない』様にひた走った。
走れば走る程に寒さは、指先を、耳を、頬を刺す。
それでも僕は知っていた。
このまま走り続ければ、息苦しさと共に、遂に寒さは僕を蝕めなくなると。
原始的な手段だ。
だが、暖かい。
これで暫しは気も紛れる。
そうして道を幾らか曲がり下り、階段を幾らか折り昇り、僕は鍵を開いてドアを開けると、大慌てでチョコレート粉と砂糖を湯へ入れた。
それをぐい、と流し込むと、寒さと飢えは紛れた。
程良い苦さと、チョコレートに溶けきらない砂糖味の甘さ、そして熱さが僕を温めてくれる。
茶色の水面に映る僕は醜い。
顔を覆う汗や、トマトの肌の様に赤い頬。
そして、落ち着き始めた息と、焦点の合わない瞳。
これは醜い。
「アッハハアハアハハ!」
僕は自嘲した。
後、再びチョコレートを覗き込む。
きっとこの茶色い水面に映る男は無様で醜い気取り屋であるが、然しきっとドグラマグラの呉一郎よりはマシでつまらない人生を歩めるのだろう。
「アハハ……アハ、アハ」
僕は自嘲した。
そして、徐にチョコレートへ強炭酸水をぶち込んでみた。
「おごッ! げぼッ!」
ごほごほと僕は強くむせて、チョコレートを慌てて流しへ捨てた。
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