第2話【老翁】

 生きる事は戦う事だ。

 と、そう言っていたのは僕の後輩だ。

 ふと寒空の下、踏切を渡っている時に思い出した。

 だが僕は戦いたくはない。

 ならば僕は、死ぬのだろうか。

 かんかんと鳴り響く鐘の音に急かされ、僕は然し遠くから迫り来る電車を、

 避けた。

 死んでなるものか……?

 否。そんな強い意志じゃない。

 別に死ぬ理由も無い、と考えたのだ。

 何となしに空を見上げてみる。

 青い。

 地上へ向き直ると、中年男の駆る自転車が向かってきた。

 僕はなんとか避け、然し罵詈雑言を浴びた。

 僕が何処を見ていたか。

 僕が何を考えているのか。

 僕は、何を認識しているのか。

 僕の見ているものは、僕の目にその通りに映っているのだろうか?

 彼の言葉は、僕という存在の不確かさを抉った。

 故に僕はその日、意味も無く学校へ行く事を止めた。

 目の前を通ってゆく電車を眺め、飛び込みたい電車を見つけ、死んでみようか。

 或いは、確固たる生を見出すか。

 試してみようと考え直してみた。

 そうして、線路の脇に立ち続けた。

 ぼんやりと、何本もの電車を目にした。

 それがどれ程の時間だったのか。

 その間に何本の電車が通ったのか。

 それはぼんやりしていて、分からない。

 だが日が暮れるまで立ち続ける事は、叶わなかった。

 死んだのではない。

 いや、死ねたのならば……。

 僕は警官に捕まった。

 そして、交番で取り調べられた。

 酷い警官だった。

 僕は何も喋りたくなかったのに。

 まあ、結局喋る羽目と陥ったのだ。

 僕は電車の爆破も計画していなければ、ハイジャックによる身代金要求も考えてはいなかった。

 勿論、飛び乗っての無銭乗車もだ。

 だから弁明をしたかった。

 だが、そんな事は誰も証明できない。

 唯、悪人面であるだとか、不気味な身なりをしているだとか、物々しい鞄を提げていただとか、怪しいだとか……。

 その怪しいというのは、何を尺度に……。

 いや、もういい。

 僕は憂鬱を感じるだけにした。

 交番から出ると、空は黄昏ていた。

 赤い光は、心の内の何かを照らす。

 僕は幻視した。

 幼き日の夢。

 僕を愛した、稚気なる少女。

 僕を押し倒した、友人の姉。

 僕の手を引く、狂気の女……。

 母性、或いは貪られた父性か。

 僕は後ろから肩を叩かれ、振り返った。

 汚物を前に、うんざりした様子の男の顔があった。

 「いえ、尿検査は結構」

 僕は足早に、交番の前を後にした。

 歩きながら、思索に耽る。

 きっと今のこの人生と、あの人生……それは。

 別の人間の人生だったのだろうと。

 あらゆる者から忌まれる僕は、かの少年と大きくかけ離れ過ぎている。

 きっと何処かで強く頭を打った時に、僕は誰かの魂と入れ替わり、彼はきっとそれでも幸せに生きているのだろう。

 僕は惨めな男だ。

 駅の光、電車の明かりが見えてきた。

 だがそれは僕を照らさない。

 僕はもう、誰にも愛されない。

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