ひきよせ女 【7】
【7】
「とってもよくお似合いですよ」
店員さんに言われて、私は鏡の前で体をひねり、横や後ろ姿も確かめた。
一ヶ月ほど前に見つけて、ずっと買うかどうか迷っていたコート。意を決してお店に立ち寄ると、セールで三割引きになっていた。ああ、もうこれは今日買う運命。
ショップの大きな紙袋を持って、私は上機嫌で店を出た。
買っちゃった。
口に出さずに、少しにやける。パステルブルーで厚手のちょっとレトロなデザイン。流行の感じではないけれど、私の趣味だ。自分でも絶対似合う自信がある。きっと彼も気に入ってくれるだろう。
うわー、萌花っぽいなあ、それ。うん、似合ってるよ、可愛い。
そんな風に言ってくれるはず。
へへ。合わせて髪もちょっと切ろうかな。
彼と離れて、三ヶ月と二週間。日記を付けるようになって、二ヶ月と十日。街はすっかりクリスマスで、夜の繁華街にはカップルたちがゆらゆらと、まるで彼ら自身がイルミネーションの光のように漂っている。
きっと彼と離れてすぐの私だったら、この光景も許せなかっただろう。自分だけが不幸でいることに耐えられず、幸せそうな人たちを端から呪っただろう。
でも私はそんなこと思わない。むしろ、彼ら彼女らがみんな幸せであってほしいと思う。穏やかに心安らかに、恋人や家族とクリスマスを過ごしてほしいと思う。私から離れていった彼も、今年はあの可愛らしい彼女と過ごすのだろう。いいよ、貸したげる。大事にしてね。大事に、してもらってね。今年はまだ、彼も私もそれぞれが違う世界を知って成長する期間だから、違う人と過ごすのもいいだろう。でもね、また絶対結ばれて、来年のクリスマスはきっと一緒に過ごしている。だから、その時に彼にこのブルーのコートを見せてあげよう。
そう考えると、私はまたにやけてしまう。
※※※
「言いにくいんだけど」
先輩は、本当に言いにくそうに目をそらしてから、グラスを口に運んだ。
会社の忘年会で、私と先輩は隣同士、向かいにはメディア部の横田くんが座っていた。さっきまで横田くんの横には高橋チーフもいたけれど、席を移ってしまったので、このテーブルはひと席空いて三人だった。年齢やキャリアが近い者だけになったから、恋愛やプライベートの話がメインになり、その流れで私は、彼とは別れたけど再び付き合うことになると思っていると話したのだ。
「飯島、それ、ちょっと引く……かな」
先輩の左薬指で指輪が光った。
「いや、うん、ごめん。悪いとは言わないよ?言わないけどさ、次行った方がいいんじゃないかな。だって一回別れた人でしょ。もしまた付き合っても、上手くいかないと思う……いや、私は、思うけど」
先輩は、「私は、」というところを強調して言った。
「ああー、まあ、そうですよね。自分でもちょっと変かなとは思うんですけど、はは」
私は、苦笑いをしたけど、先輩の言葉に傷付いたりむかついたりした訳ではなかった。
「なんか、そう思ってるとがんばれるって言うか」
苦笑いのまま、嘘ではない気持ちを言った。
「いや!あると思うよ?そういう「次に彼と会った時にきれいになって見返してやろう」はアリだと思う。だけど、そこで「また付き合う」じゃなくってさ、うーん、私は、だよ?私はだけど、きれいになって再会したら「私をふったことを後悔しやがれ!バーカ!」って思うけど」
お酒も入って饒舌にまくし立てる先輩に、横田くんが冷やかすように笑った。
「いやあ、蒔岡さんが言うとコエーっすわ」
蒔岡というのは先輩の旧姓だ。でも、職場では旧姓のまま通しているから、みんな蒔岡さんと呼んでいる。横田くんは今度は私を見た。
「俺はいいと思いますけどね。少なくともそう思ってがんばれるってのは悪いことじゃないでしょ。ぶっちゃけ、俺も別れた彼女のこと引きずるタイプなんで、分かる部分もありますし」
それを聞いて、グラスを口に運びながら先輩がすかさず言う。
「キモ。別れた女のことひきずる男はヤだわ。横田くんだと特にキモい」
「ひでえ!ただの個人攻撃じゃないすか!俺とか飯島さんみたいなタイプは純情なんですよ。一途なんです」
「いやいや、重い。重いよ。私が元カノだったら、マジ勘弁してくださいって思う」
「うわ~、飯島さんも何か言い返してくださいよ!」
おどけてすがる横田くんに、私はとぼけた振りで笑った。
「え?攻撃されてるの、横田くんだけだよね?」
「そうだよー、飯島はいいの。可愛いから」
そう言って、先輩は私に抱き付いてきた。
分かってもらえなくても、私は先輩のことも横田くんのことも好き。みんなが幸せでいてほしい。こうやって楽しくお酒を飲んで、一緒に仕事をして。こういう時間を大切にしてたら、彼は本当に私のところに戻ってくる。そして、私はそれを笑顔で受け入れるのだ。
でも、その後はそんな話はせずに、とりとめない雑談を続けた。
※※※
その後、席もまた移動になって、色んな人と話してさすがにちょっと疲れたのでトイレに立った。お酒は好きだけど、人数が多いのはちょっと苦手だ。でも、最近仕事や職場の人のことも前よりも好きになっている気がする。前は、私にとって好きな人・嫌いな人というだけだったのが、一人ひとりの人生にちゃんと背景があって、私の知らない顔があるんだってよく考えるようになった。街を歩いていても、時々そんなことを考える。
戻ろうとしたら、廊下に横田くんが立っていた。壁にもたれてスマホをいじっている。
「あ、お疲れー」
私が声をかけると、彼はスマホをしまって顔を上げた。
「うい。お疲れ。だいじょぶ?飲み過ぎてない?」
「大丈夫だよー。私より横田くんの方がお酒弱いでしょ。そっちこそ大丈夫?」
「そうなんだよねー。実はちょっと前からウーロン茶に切り替えてました」
「えらい」
「飯島さんも蒔岡さんも、酒強すぎ」
「強くないよ、普通だよ」
「さっきのさ」
横田くんは唐突に話を変えた。
「え?なに?」
「さっきの、別れてもまだ好きで、いつかまた昔の恋人と付き合うかもって話さ」
「ああ、あれ?ごめん、やっぱ横田くんも引いてた?」
「いや、じゃなくて。俺は、マジでいいと思う」
「……本当?」
「うん。なんかさ、願いは口にしたら叶うってやつあんじゃん。逆に、悪いことを口にしても本当になるとかって話もあってさ」
私は横田くんの目をちゃんと見た。
「安易に「夢は叶う!」みたいな話とはちょっと違って……なんつーのかな、ちゃんと口に出したり思い込んだりするのって、すげーエネルギーらしくて。なんかで見たんだけど」
「テレビとかで?」
「うん、ネットかな。まあともかくさ、そういう風にするのって、脳とか無意識みたいなところにも影響あって、実現すること多いらしくて。だから、飯島さんがその彼氏のこと今も好きで、いつかまた会えるって本気で思ってるなら、会えると思うよ。んで、それって、良いことなんじゃないかな」
言葉が、私の真ん中を射抜く。
それは、ここ二ヶ月ちょっとの私への全肯定だった。
ああ、やっぱり巡ってるんだ。ちゃんと、ちゃんと感謝して、前を向いて進んでいたら、気付いてくれる人もいる。与えた分だけ、与えられる。
「まあ、そんなわけだし、頑張ったらいいんじゃない?……という、話」
横田くんはそう言って、私の目を見た。
「うん。ありがとう。なんか、すっごい嬉しい」
「なら良かった」
本当にありがとう、横田くん。
それから、何故だかお互い妙に照れ臭くなり、その後は会話に困って、ちょっぴり変な空気で席に戻った。でもそれが心地良くもあって。
帰ったら、まっさきにこのことを日記に書かなくちゃ。
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