ひきよせ女 【6】

【6】


 夢を見た。


 夢には知らない女が出てきて、なれなれしく話しかけてくる。知らない女だけど、夢だから私も彼女を友達だと思っていて、話を合わせる。

 彼女は最近できた彼氏の話を幸せいっぱいって感じで話してきて、私は面倒だと感じながらも「へえ」とか「え~、いいじゃん」とかって適当な相槌を打つ。

 しかし途中で、彼女の語る最近できた彼氏というのが、私を振った彼だということに気が付く。

 気が付いても、今更テンションを変えることもできず、夢の中で私は胸が冷えながら作り笑顔で相槌を続ける。聞きたくない、でも、聞きたい。だから相槌は、「それで?」「どうなったの?」「カレ、どうしてるの?」と質問に変わっていく。

 夢の中の女はきっと私の焦りを分かっていて、というか、最初から全部分かっていて、だんだんと口数が減ってくる。言葉は減るのに、表情はどんどん余裕ありげになっていき、最後は嘲るような見下した笑いを浮かべてこう言う。

「彼ね、私のセックスに夢中なんですよ」


 目が覚めてからも、ベッドの中でしばらく動けなかった。

 最悪だ。

 最悪の夢だ。

 振られてから彼が夢に出てくることはあっても、こんなのは初めてだった。

 夢の中の女は、モデルみたいに派手な人だった。芸能人の、それも、色気を売りにしている頭が悪そうなタイプ。一度だけ見たことのある現実に私から彼を奪っていた女は、そんなタイプではなくて、小さくて可愛らしい感じの、小動物みたいな子だったけれど。

 かろうじて動いた右手で、両目を覆う。

 まだ私と彼が付き合っている頃に、会社の飲み会帰りの彼と待ち合わせた時に、「会社の後輩で」と紹介されたあの子。あの子は私が好きだった彼に、どんなセックスをするのだろう。放っておくと勝手にむくむく膨れてしまう最悪な想像を消すために、私は右手に力を入れて、顔面を掴むように目尻の上の骨を両側から押さえる。

 できるだけ物事をプラスに考えて、彼のことも毎日日記に「彼は私の元に戻ってきて、また付き合って結婚しました!大好きです。幸せです」と書いているのに、私の深層にある無意識はそれを否定しているのか?いや、毎日日記に偏執的に書いているからこそ、こんな夢を見てしまったのかもしれない。

「私は幸せです。彼とも仲直りして、今では幸せに暮らしています」

 悪夢を、悪い想像を振り払いたくて、呪文のようにつぶやく。呪文。呪いの文言。

 少し大きな声でも言ってみる。

「彼は、すぐに帰ってきます。そして私は幸せになりました!二人は運命で結ばれていて、彼も本当はそれを望んでいます!」

 声を大きく出すほど、悪夢は遠のくはずだ。はねかえすんだ。悪いものははねかえして、善いものだけを連れてこなければ。

「あー、あ、あああああー!」

 発声練習のように、仰向けのまま天井に向かって声を飛ばす。隣の部屋に迷惑かな、って一瞬思ったけど、今だけお願い、我慢してください。

 今度は少し声のボリュームを下げて、落ち着いて、一言ひとことを自分の中にしみこませるように、口に出してみた。

「私は、幸せです。幸せの中にいます。彼もその円の中にいて、私たちはすぐに再会します」

 円の中。縁の中にいる。ああ、そうだ、夢は所詮夢で、私の意識が作り出したただの迷い。そんな幻に振り回されてはいけない。いけないんだ。

 さあ、布団の中から出て、顔を洗おう。洗顔だけでなくシャワーも浴びよう。熱い湯に打たれているうちに、水をかけられた雪のように悪夢の感触は融けて流れていくから。夢も悪い想像もぼやけて湯気の中に消えるはずだから。バスルームから出たら、しっかり朝ご飯を食べて、早めのバスに乗って、今日も仕事を頑張ろう。一生懸命取り組んで、あまねくすべてに感謝しよう。与えなければ、与えられない。だから、与えよう。ありがとうって言おう。大丈夫。それを毎日続けていれば大丈夫。

 私はその後、ちゃんと布団から出てシャワーを浴びてご飯を食べて早めのバスで仕事に行った。会社に着くころには悪夢のことなんてすっかり忘れていて、その日も仕事に集中した。

 時々聞こえてくる声は、聞こえない振りをした。ただ耳鳴りがしているだけで、きっと意味なんてないから。


 ※※※


 日記を書くようになって、一ヶ月半が過ぎた。その頃には一日の終わりに日記を書く時間が、私にとって最も大切な時間になっていた。

 今日起きたことを詳細に書き、感謝の言葉を添え、そして願い事を書く。日記の中ですべての願い事は叶っていて、私はとても幸せそう。

 やっぱり私が一番大切だと気付き戻ってきた彼と一緒に暮らしていて、結婚していて、私は彼が一度離れたことも二人の未来のために必要な試練だったと理解している。だからこそ、今本当にお互いを大切にできているのだと。彼もそうで、昔はちょっと頼りないところもあったけれど、彼は前よりも精神的にたくましくなっていて、私は彼を信じて待っていて良かったと思う。二人で暮らす部屋は、そんなに広くはないけれど清潔で、特にキッチンはきれいで使いやすくて、そこで私は彼のために料理を作る。ご飯を食べた後はソファでくっついて一緒にDVDを観る。DVDは私が高校生の時に大好きだったドラマで、「えー、本当に面白いの、ソレ」なんて言っていた彼の方が、今ではすっかりはまっている。DVD鑑賞会の後は、旅行の計画を立てて、そう、オーストラリアに行くんです。先輩にも話したじゃないですか、ほら、コアラでユーカリで、エアーズロックでアボリジニーですよ。彼とね、一緒に行くんです。有給もたまってますし、パーッと使おうと思って。お土産、期待しててくださいね!


 日記の中の私は、こんな風に幸せいっぱい。ちゃんと世界は幸せでできていて、私もその中にいるのだ。


 願いが現実になるように、想いを通じて引き寄せられるように、私は人に与えようと念じる。困っている人を見たら助けてあげよう。私ができることならしてあげよう。その時は、できるだけ無私の心で。そうすれば、いつか巡り巡って、それが形を変えて、思わぬタイミングで私をきっと救ってくれる。それが世界の仕組み。私はそれを知っている。


 初めの内は三十分ほどだった日記を書く時間は、二時間近くになり、一日に書く量もノート四ページ分まで増えていた。

 ネイビーのノートは、もう半分以上埋まってしまっていた。

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