ひきよせ女 【3】
【3】
一日は一週間になり、二週間になり、なんと一ヶ月にもなる。さすがにその頃には先輩と飲みにいけるようになっていて、最初はもちろん失恋の話をしたんだけど、案外それはさらっと終わって仕事の話にシフトして、なんだ私意外と平気じゃん。立ち直ってんじゃん。薄情者じゃん。とか思うのだけど、ビール、ビール、ハイボール、ハイボール、チューハイグレープ、くらいのとこでもっかいプライベートの話になって、私は泣く。
「本当に好きだったんです。大好きだったんです。でも、なんかもううまく想えなくって。私が見てた、信用してた彼は誰だったんだろう?って思っちゃう、おもっちゃぅ、ぐ、ふっ、ふ、なんで、なんでなんでこんなひどいことされな、ぎゃ、いげない、のっ、あ、あた、あたし、なにしたっていうんですかあ、だいすきだった、ひぐっ、ら、らいすき、らったんですよお」
もお、顔、めっちゃくちゃに汚して泣く。心の中で冷静に上の方から見ているもう一人の自分が「うわっ、先輩の前でそれはないわ。それはやっちゃダメだわ」ってドン引きするくらい泣くのだが、泣くのがすげー気持ち良くって私はやめられない。
「ああああ、なんですか、やっぱオトコって、わかいちょっとかわいい子が来たらそっちにいっぢゃう、ううう、ばか、ばかあやろおおおお。ああああ。ああああん、せんぱいいいいいい」って大泣きする。
そんな私に対し、先輩はなんと「よしよし、飯島は悪くないよ。あんたはいい女だから、もっともっといい男が見つかる。絶対だよ」って優しく自然に手を握ってくれたりして、冷静に天から俯瞰しているもう一人の私は「ひえ~、先輩の方が百万倍いい女ッス!」と恐縮しきり。
そんないい女な先輩は、五年以上お付き合いしたというダーリンと昨年ゴールインしていて、冷静な方の私は「これが既婚者の余裕か……!」などと慰めてもらっておいて穿ったことも考えるわけだが、とりあえずそれは私の中の15パーセントくらいなもんで、残り85パーセントは「ごめんなじゃいいいい」って先輩に超甘えて泣く。
泣いて泣いて、先輩に、楽しいこと考えなって言われてだいぶ泣き止んで、たとえば旅行とかさ。どこ行きたい?って聞かれて、そこから私と先輩の禅問答のようなキャッチボールのようなラリーのようなババ抜きのような、言葉の応酬が始まる。
「どこ行きたい?」
「……オーストラリア」
「いいじゃん!コアラ抱いてユーカリ食べてエアーズロックでアボリジニーだよ!」
先輩、ユーカリは人が食べるものじゃなくてコアラが食べるものですけど、とは突っ込めずに私は続ける。
「あと、グレートバリアリーフも見たい……です。なんか、ちゃらちゃらした女の子みたいで恥ずかしいんですけど、キャラじゃないって分かってるんですけど、見たいんです」
「恥ずかしくなんかないよ~。飯島は可愛い女の子なんだから」
「かわいかったら、ふられてないッス……」
「こら、そういうの言わない。飯島は可愛い!次、欲しいもんないの!?」
「え、と、……毎年迷って買わないブランドのクリスマスコフレ」
「よーし、今年はついに買っちゃおう。そんで、もっと可愛くなろう。てか、どこの?私も気になるんだけど」
私は先輩に言われて、スマホでそのコフレを検索しながら、なんだっけなんだっけこの感覚、と、思考をたどって思い当たる。
ああそうだ、これは会話だ。
禅問答のようなキャッチボールのようなラリーのようなババ抜きのような、当たり前にしていたはずの言葉の応酬。これは、会話だ。
スマホをスワイプしながら、頭では別のことが駆け巡る。自分がこの一ヶ月、必要なこと以外声を出していなかったこと。仕事に懸命なふりをしてその中に逃げ込んでいたこと。そして家では、ただただ布団の中でずっと一点を見つめて、彼のことばかり、別れた理由の粗探しばかり、私の何がいけなかったのかという精神的自傷ばかりを、繰り返して過ごしていたこと。
私はこの一ヶ月、会話を忘れていたのだ。
ああ、滑る指で送られる画面は、まるで私の頭の中のよう。
その夜をひとつめの境として、私はミリ単位で変わりはじめる。
オーストラリアには行かない。というか、仕事あるし貯金ないし行けない。クリスマスコフレはまだ予約受付中だから、しばらく迷っても大丈夫。保留。彼のことは、彼のことは、彼のことは、「ことは、」から先に進むことができない。
でも少なくとも電話をかけたい欲は減ってきた気がするし、とりあえず先輩と飲んだのを最後に人前では泣かない。だから、今できることを考えて、私はとりあえず図書館に行く。
いつもは小説しか借りないのだが、物語に浸れるような状態でもないので、これまで馬鹿にしていた自己啓発本のコーナーに勇気を出して足を踏み入れる。
掃除をするだけで上手くいくとか、あらゆるものに感謝するとか、深呼吸と瞑想を身に付けるとか、ノートに付けるとか、物事は必ず自分に返ってくるとか、アフォメ―ションとか、霊格とか、引き寄せるとか、ヨガとか、きっぱりと捨てるとか、何を食べたらいいとか、ストレッチの正しいやり方だとか、交感神経と副交感神経だとか、そういうのを片っぱしから斜め読みして、私は休日の午後一時から午後四時までを図書館の自己啓発コーナーとそこに一番近いテーブルを往復して過ごす。
自分でもヤバいと思う。友達がそんなことしてたら、絶対止める。でも、私には今止めてくれる人がいない。止められない。止まりたくない。止まるのが怖い。十冊目を戻して十一冊目を取りに行く頃には、まんまと「この一冊との出会いにも感謝してみよう」などと考え始める。
こうして私、飯島萌花(28)は、とりあえずあらゆるものに感謝するところから始めてみることにした。
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