斬首 【4】
【4】
「愛ちゃん、音、大きい」
突然テレビが消えたので驚くと、弟が起きていました。
「……え、ちょっと、観てたんだから消すことないじゃん」
そう弟に言いながらも、私は今、何の番組を観てたんですっけ?
「いや、観てたって砂嵐じゃん。ざああーーーーって音するからうるさいなーと思って起きたら、ボーっと砂嵐見てんだもん。引いたわ。ついに姉が狂ったって」
弟は実際引き笑いしながら、こちらを見下ろしています。
「てか、最近でもあんな砂嵐みたいのあんだね。試験放送みたいなやつ?」
そう言って弟は私の隣に座ります。ソファでそのまま眠っていたらしく、外着のままです。でも長めの髪にはしっかり寝癖が。
「え……まじで?私、砂嵐観てた?」
「おおう。ちょっと、本当大丈夫?最近仕事遅いと思ってたらそんな疲れてんの? ちょっと休んだら?別に正社員でもないんだし」
そう言って、弟は欠伸をし、体を伸ばして首を鳴らします。
弟が目の前で、当たり前のように動いて喋っていることが、私に驚きを与えます。私には弟が見えて、弟の声が聞こえている。そう思った瞬間、私は当たり前のようにつながっている彼の首にふれてみたくなり、思わず手を伸ばします。
恐怖ではなく、さわれる何か。それはきちんと体温があり、きちんと柔らかく、きちんと、少しざらついてもいました。
「何?」
まだ眠そうな弟は、私がさわってきたことを不審そうに、不思議そうにして、でも、受け入れてくれます。
「いや、首、と思って」
「首ですよ。何か付いてる?」
「あ、いや。首だね」
「そうだね」
「あるね」
「あるよ、生きてるもん」
ああそうか、幹夫、生きてた。私は泣きそうになるかと思いきや意外とそんなこともなく、ただただ拍子抜けしてしまいました。生きているということの当たり前加減に、その不思議さに打ちのめされ、すっかり力が抜けてしまいました。指を離しても、弟はちゃんと目の前にいます。そして、当たり前のように口を開きます。
「あー、愛ちゃん、先に謝っとくけど」
言いながら、弟はもう一発欠伸。
「冷蔵庫のあれ、食べちゃった。ごめん」
ああ。私はそのお菓子がシュークリームだったような気もしますし、エクレアだったような気もしますし、ショートケーキだったかもしれないし、おはぎだったことも、チョコレートだったこともあったし、プリンだった覚えも、大福だったような気も、はたまたフルーツタルトだったっけ、と思い、あまりにも多くの世界を体験してきたこの夜を思い返します。それは、お菓子による走馬灯でした。
毎回毎回毎回毎回、食べやがって。
でも、私はもう弟を睨みません。テレビを観ている時とは違う、焦点の合った目で、弟の目をしっかり見て言います。
「それに関しては、本当に怒っている」
「ですよねー」
「本当に、怒っている」
「ごめんなさい」
姉の私が言うのもなんですが、うちの弟はこういうところが本当に可愛いのだと思います。そして、可愛い彼の首が飛んでしまうような世界に、私は生きていたくない。今同じ瞬間に誰かの首が飛んでいるかもしれない。いや、間違いなく飛んでいる。私にはそれが分かる。そして、斬首された彼にも同じように、彼のことを可愛く思う姉がいるかもしれない。それが姉かは分からないけれど、そんな存在は必ずいる。
私はそのことに気が付いてしまっても、明日も仕事に行き、誰かに恋をし、お笑い番組できゃははと笑ってしまうのでしょう。世界は残酷に終わり続けている。でも、弟がテレビを消してくれたように、誰かがいれば、そのことに気が付いても生きていけるのかもしれません。
時計を見ると、もう五時になろうとしていました。カーテンの向こう側が青く染まりつつあるのが分かります。カラスの声がし、駆けていく大きなトラックの音もします。
「幹夫、おんなじやつ買ってきて」
「はい?」
「お菓子」
「あー、あれファミマのだったっけ?」
「知らない、忘れた。でもまったく同じやつじゃないと許さん」
任せましたよ、なにせ私は本当に思い出せないのですから。
夢ならどんなによかったか。そう思うような長い夜でした。けれど、それは確かに起こりました。それは確かにあった世界なのです。私は気の遠くなるような回数、この夜を繰り返し、そこに何度も世界の終わりを見ました。しかし、それでも、誰かが私の世界を壊してくれることで、私の世界は生き延びてまた朝を迎えられるのです。
朝。
さすがにもう眠いので、寝ることにします。
〈「斬首」・了〉
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