第21話 彼方、彼の地にて。


――遠い空の下。

 銀色の戦乙女シルヴァリア、レーア・レスクルは荒野に佇む山の頂上部にてモンスターと相対していた。

 細い長剣を握りしめ、相貌を鋭くする。

 対するはこの地を焼け野原に変えた上級モンスター、『暴虐の巨竜ファフニール』。

 ギルドの定めた討伐ランクはBだ。

 竜族特有の強大な力の前に劣勢を強いられ、体中は生傷と土にまみれている。

 

『グオォォォッ!!』

「くっ!?」

 

 咆哮と共に振り下ろされた爪撃を、寸でのところで回避。

 すぐさま態勢を立て直し、神速を誇る剣戟を見舞う。

 

「レーア、避けろ! 私が魔法を放つ!!」

 

 長く尖った耳に、流麗な顔立ちをしたハーフエルフの魔導士が、前線を担うレーアへと声をかけた。

 仲間の詠唱が完了したことを確認し、少女はすぐさま剣を引き距離をとる。

 

破滅の大旋風ストーム・インフィニティ!!」

 

 巻き起こる疾風の渦。

 ファフニールへ放たれた竜巻は、轟音と共に対象を飲み込んだ。

 射程外に立つハーフエルフの女性の元へとレーアは身を寄せ、渦巻く気流の中に銀の瞳を走らせる。

 

「やったか!?」

「油断しないで、フレア。私の刻印はまだうずいてる」

 

 自身の背中に印された、翼の紋章。

 それが熱を持つことすなわち、まだ戦闘は終わっていない。

 収まりつつある魔力の奔流。

 その中心に見える影に瞳を歪め、そして――。

 

『ギャオォォォォォッ!!!!』

 

 大咆哮が見舞われた。

 巨大モンスターが得意とする雄叫びを受け、二人の冒険者は体を硬直させる。

 聴覚を刺激され怯みを見せる討伐者を前にし、ファフニールは口内に火球を成形させ始めていた。

 

「くっ、まずい! レーア、『ブレス』が来るぞ!?」

「……わかってる。何とか、してみせる……!」

 

 麻痺した三半規管が回復するまで、あと少し。

 間に合うか? 避けきれるか? レーアは必死に模索する。

 豪熱がみるみるうちに大きくなり、竜の口から今にも射出されようとした瞬間。

 レーアが体の自由を取り戻し、行動を開始しようとした瞬間であった。

 

 ――ゴーン、ゴーン。

 かすかに鳴り響く、鐘の音色。

 三者ともに戦闘を忘れたかのようにぴたりと止まり、音の出どころを探し彼方へと目を向ける。

 

「この鐘は……リーンベルの?」

「フレア、勝機チャンスだよ。ファフニールが――」

『グオォォ……』

 

 音色に毒されたかのように、巨竜は動きを止めていた。

 レーアはとフレアは互いに頷き合い、衰弱を見せるファフニールに対し追撃を目論む。

 剣士は空を舞い、魔導士は詠唱を開始。

 昏睡したかのように時を止めたモンスターに、先にフレアの魔法が炸裂する。

 

「ひれ伏せ、光の五封剣フィフス・ブレイド!!」

 

 天から舞い降りる五つの聖剣が、ファフニールの両手足、頭部を大地へと串刺しにする。

 地面に張り付けとなりもがく巨竜に、レーアの剣が六つ目の刃となり上空より向けられた。

 

「逃がさない。これで……終わり!」

 

 ズドンッと、背中から心臓を正確に打ち抜く真下への突き刺し。

 全体重を剣に乗せた攻撃は、ファフニールの強靭な鱗を突き破り地面まで到達する。

 幾度かの痙攣と共に物言わぬ屍となった巨竜は、やがて灰となり姿を消した。

 

「危ないところだった……。それにしても、なぜ浄化の鐘が? あの場所はすでに廃墟になっていると聞いたが……」

「鐘を、鳴らした人がいる」

 

 レーアは剣を振り鞘へとしまうと、遠く離れた地へと目を向ける。

 銀色の頭髪を風がさらい、少女は一人の少年の姿を思い浮かべた。

 

「やったんだね、リオ――」

 


                       *



 ギルドガルド、北第三区画酒場にて――。

 

「ロイ。そろそろまたもうけ話でも考えようぜ?」

「うっせ」

 

 ギルドガルド内でもごろつきのたまり場となっているとある酒場にて、青髪の剣士ロイ・ロードはパーティーと共に酒を酌み交わしていた。

 狭い室内にはこわもての冒険者が集い、ある者は昼間から酔っ払い、ある者は壁に掲げられた非公式クエストへと目をはせる。

 壁際に置かれた円卓を囲むロイたち三人は、この酒場によく出入りする常連客でもあった。

 

「ファースの村の一件以来、お前どうしたんだ? ここのところまじめにクエストを受けてばかりじゃないか?」

「あのアマに根こそぎ金を持ってかれたんだ。しょうがねえだろ」

 

 眼鏡をかけた魔導士の問いに、ロイは吐き捨てるように言葉を返す。

 

「だからってなぁ……。また悪さして稼げばいい話じゃないか、そのための刻印だろ?」

「へっ! 世の中そんなお人よしばっかりだったら、苦労しねぇんだよ! それに――」

 

 思い出す弱者の王ジェリーキングとの対峙。

 自身のランクは決して劣ってはいなかったはずだ。それなのに、ロイは完膚なきまでに負けてしまった。

 挙句の果て、まだ冒険者にもなっていない少年に命を救われた始末。

 自分のプライドが、その現実を許すことができなかった。

 

「もう悪行からは足を洗うかい?」

「へっ! 俺様はロイ・ロードだぜ? そんな選択肢、もう残っちゃいねぇんだよ」

 

 桃色の鎧に身を包む女戦士の提案を一笑すると、酒の入ったグラスを一飲みで空にする。

 ロイが次の酒を店主に頼もうとした、まさにそのときであった。

 

 ゴォン、ゴォーン――。

 街中にこだまする、鐘の残響。

 店内にいるロイたちにも確かに届いた鐘の音に、その場にいる皆が目を見張る。

 

「おい、今のって!?」

「何だか懐かしい響きだ……」

 

 ざわつく無法者たち。

 一同と同様に、ロイの仲間も確かめるように言葉を投げ交わした。

  

「何だ、今の?」

「さぁ? 昔聞いたことあるような、そんな気もするけどねえ……」

「……浄化の鐘だ」

 

 確信をもったロイの言葉に、二人の視線が向けられる。

 空いたグラスを握りしめたまま、ロイは数か月前のことを思い出していた。

 

『リーンベルを、救って欲しいんです!!』

 

 白いローブに身を包んだ、おさげの少女の姿。見返りなど何もできないが、いつか必ず恩返しを。

 あの少女はそう言って自分に懇願してきた。しかし、ロイは金にならないクエストは受けない主義だ。

 当然のごとくその願いを鼻で笑い、断った。


「浄化の鐘って、リーンベルのか?」

「あぁ思い出したよ! そういえば私たちに依頼してきた女の子がいたねえ? 報酬はすぐには用意できないって言うからロイが断ったんじゃないか!」

「あぁ……。どっかの馬鹿が、それを受けて達成したってことだな」

 

 正直、あのクエストにはきな臭さを感じていた。

 魔物を払う力がある便利なものを、奪われたからといってギルドが見放すとは思えない。

 仲介料が足りなくて依頼を通せないと言っていたが、ギルドにとっては無償で協力者を雇ってもいいはずの代物のはずだ。

 それをせず、十年以上も放置した理由。

 何か理由がある。

 貴重な刻印持ちを派遣することができないほどの何かが、リーンベルには潜んでいる。

 ロイはこの案件を、そうも睨んでいた。

 

「お人よしもいるものだな。金にならぬ依頼などに何の魅力があるのか……」

「でもかっこいいじゃないかい? それこそ本物の勇者みたいだと、あたしは思うけどね」

「けっ! お前らいつまで飲んだくれてんだ? いくぞ」

 

 ロイはおもむろに立ち上がり、壁に掲示されたクエストの用紙をはぎ取る。

 それを店主へと突きつけ、クエストの受注の意思をあらわにした。

 

「おいっ、ロイ! いきなりなんだっていうんだよ!?」

「黙ってついて来い。じゃねえと、たたっきるぞ」

「全く、素直じゃないねえ……」

 

 うずく右手の刻印を握りしめ、ロイロードは酒場を後にする。

 胸に渦巻く感情を、彼はまだ認めることができずにいた。

 

 


                        *

 


 リーンベル大鐘楼前――。

 ワッツ・ワイルドは鳴り響く鐘の音色に瞳を潤ませた。

 体中に刻まれたいくつもの傷、全身を伝う鮮血、痛み。

 その全てを忘れてしまう程に、心地よく響く懐かしき音。

 

「ははは……やったんだなリオ、ハルっ!?」

 

 体を塔へと続く扉に預け、そのままずるずると腰を落とす。

 眼前に広がっていた無数の亡骸、モンスターの群れ。

 その全てを浄化の鐘は塵に変え、消し去ってしまった。

 戦士の戦いはようやく終わりを告げたのだ。

 薙ぎ払った魔物の数は三百は下らない。受けた裂傷は、数え切ることもできない。

 それでもワッツは一人耐え抜き、リオ達の後方を守り続けたのだ。

 

「ハーナ、見てるか? 俺は……俺たちは勝ったぞ。お前の行動は無駄なんかじゃなかった! リーンベルはまだ、生きているっ!!」

 

 毒の霧が晴れ光が差し込む空を見上げて、咆哮する。

 亡き想い人の姿を瞳に浮かべ、涙腺が決壊する。

 見せたかった。聞かせたかった。この空を、この音色を。

 もう一度あの人、届けたかった。

 そして――また笑いかけて欲しい。

 

「くそっ! こいつは嬉し涙なんだよなぁ!?」

 

 答えの出ぬ自問自答。

 鳴りやんだ鐘の残響が未だに耳に残る中、ゆがむ視界の端にワッツはある生物をとらえる。

 

「まさか……帰ってきてくれたのか?」

 

 空をかける、白馬の姿。

 それは紛れもなく精霊ユニコーンであった。

 嘶きを上げ宙を闊歩する幻想的な光景に、ワッツは思わず見とれてしまっていた。

 そして――。

 

『ワッツ、みんなを守ってくれてありがとう――』

「っ!?」

 

 確かに聞こえた、愛する者の声。

 聞き間違えるはずもない、愛しき声色。

 精霊ユニコーンは、見初めた者の魂を天まで運ぶ役割を持つとも言われている。 

 解き放たれたリーンベルを見て、ようやくハーナも天界へと昇ることができるのだろう。

 白き幻獣は天高く舞い上がり、雲の隙間へと姿を隠す。

 

「待ってくれ! 伝えたいことが、まだたくさんあるんだ!! またあんたに聞いて欲しい話が、いっぱいあるんだ!!」

 

 届かぬ場所へと手を伸ばす戦士に、もう言葉は返ってこなかった。

 暖かな光に包まれながら、ワッツは疲弊しきった体を奮い立たせる。

 

「ありがとう、か……。それはこっちのセリフだぜ」

 

 涙をぬぐい去る。

 リオ達の元へ行かなくては。

 ねぎらい、祝い、褒め称えてやらなくては。

 ギィと音を立てて扉を開くと、ワッツは最後にもう一度空を見やった。

 

「ハーナの魂を頼んだぜ、ユニコーン……」


 戦士の呪縛が、今ようやく解かれた。

 

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