第20話 誰がために、鐘は鳴る。


 光を感じる。

 朦朧とする意識の中、自分を呼ぶ声が聞こえていた気がする。

 この温もりは、何なのだろう。

 暖かい。視界は真っ暗なのに、はっきりと輝きを感じることができる。

 

「――リオ、勇者ってのはどんな人間か知っているかい?」

 

 (お義母さん?)

 懐かしい、母の声。

 血の繋がりはなくともリオを我が子のように可愛がり、ときには厳しくそして優しく育ててくれた人。

 これは過去に義母が問いかけた言葉だ。

 自分はあのとき、なんて答えたのだろう……?

 たしか――。


「強くて、かっこよくて、モテモテな人!」

「ははっ。絵本に出てくるような勇者は、そう描かれてるね。でもね、あたしの知ってる勇者ってのはそんなやつらばっかりじゃないよ」

 

 笑っていた気がする。勇者に夢を見すぎだって、母は目にいっぱい涙をためて。


「いくら勇者だって常勝ばかりじゃないよ。負けることも、挫折することも、悔しさに歯を噛みしめることだってあるんだ」

「えー? そんなの全然かっこよくない……」

 

 抱いていた憧憬を壊されて落胆するリオを、義母は優しく抱きしめてくれた。

 

「守れなかった人だっているし、助けれなかった人もいる。志半ばで倒れたものさえいる。でもね、彼らは諦めないんだ。何度でも立ち上がって、ちっぽけなその手のひらにたくさんの希望を乗せて、剣を振り続けるのさ」

「そんな思いをしてまで、勇者様は戦わなきゃいけないの?」

「辛いのはいやかい? 恐いのも苦しいのも悲しいのも、リオには耐えられないかい?」

「うん……、僕にはわからないよ。そうまでして戦う理由なんて……」

 

 首を傾げるリオの頭に、義母の大きな手が差し伸べられて。

 くしゃくしゃと髪を撫でながら、こう言った。

 

「それでも守りたいものが、あるからさ」


 覚えている。

 その先のあの人の問いも。同じことを自分に聞いた、レーアの言葉も。

 答えることができなかった。明確な返答を、持ち合わせていなかった。

 

リオは、どんな冒険者ゆうしゃになりたい?』


 光が強くなる。混沌とした意識が、覚醒へと向かう。

 いつまでも寝ている場合じゃないと、心臓が鼓動を打っている。

 諦めるな。逃げるな、挫けるな。お前の手にも、希望が握られていると!

 開きかけた意識へと手を伸ばす。

 さぁ、目を覚ませ!!

 

                        *


 

「はっ!?」

 

 開いたリオの瞳に写ったのは、ひび割れた風の障壁。

 上体を起こすとすぐに、半身に倒れかかるハルの姿を確認する。

 

「ハル!? これはっ!?」

「えへへ……リオ君、私やりました。回復魔法、使えましたよ?」

 

 力なく笑いかけるハルの表情は、血の気は引きあからさまに具合が悪そうであった。

 身にまとったローブは鮮血に濡れ、少なからずともリオを守るためハルが戦った証拠を現している。

 (僕の感じた温もりは、ハルの魔法によるものだったのか……)

 そのおかげからか、体の痛みはほとんどない。

 腹部に空いていたはずの穴も塞がり、意識ももうはっきりとしている。

 

「ごめん、ハル。僕がふがいないばっかりに……!!」

「リオ君、もう私の魔力はあんまりもちそうにないです……」

 

 リオはそこで異変に気づいた。

 自分たちを覆っていたはずの水の結界。対状態異常を施す水流の霧ウォーターミストが、ハルにはかかっていない。

 さっきから寄りかかったまま、ピクリとも動かないハルの体。

 まさか――!?

 

『恐れ入ったぜぇーお嬢ちゃん! まさか足りねえ魔力を自分を犠牲にして補うなんてな!? いやー俺様もう感動。言葉も出ないぜ、ギャハハハッ!!』

 

 下卑た笑い声が届く。

 

「どうしてっ!? 僕なんか気にしないで逃げればよかったのに!!」

「そんなことできないですよ……。ワッツもリオ君も必死に戦ってくれてるのに、私だけ役立たずはいやなんです」

「だからってっ!!」

「もう、これで最後なんです……」

 

 震える声が、リオの耳へと響いた。

 その意を確かめるように、リオは茶色ブラウンの瞳を揺らめかせる。

 

「プレッシャーかけちゃいけないと思って、言わなかったんです。ワッツが……みんなが話し合って決めたことです。もう、これが私たちにとって最後のチャンスだって」

「そんなっ!?」

「だから、全力でがんばろうって決めてたのに。だめだなぁ……、私がもっとちゃんと下調べしていれば。やっぱり、非公式のクエストなんて受けるものじゃないです」

「違う! ハルのせいじゃない!!」


 自責に満ちた表情を見せるハル。それをリオは強く否定した。

 命をかけ自分を救ってくれた少女を。臆病な自身のため、気を遣ってくれていた彼女を。

 どうして責めることができようか、と。

 

「優しいですよね……リオ君って。私は信じています。お母さんが言っていました。神様は刻印を与える人間を選び間違えたりしない、って」

 

 その言葉は、リオの心に深く突き刺さった。

 ずっと逃げ続けてきたリオ。戦うことに、冒険者になることに理由を見いだせずにいた。勇者の卵に選ばれた事を、疑問に感じ続けていた。

 他にふさわしい者が、いくらでもいるではないか。よりによってなぜ自分のような人間が。

 認めることができなかった。同じ刻印持ちを、まるで他人事のように見つめてきた。

 そんな自分を、彼女はずっと信じ続けてくれていたのだ。

 リオの全身を、貫かれたような衝撃が走る。

 

「リオ君がクエストを受けてくれて本当にうれしかったです……。ワッツも思っているはずですよ、リオ・リネイブは勇者にふさわしい人間だって……」

 

 ハルの顔が苦痛にゆがむ。

 麻痺パラライズの症状が進行しているのか、声を出すのももう苦しそうだ。

 

「ハル、もう喋っちゃだめだ!」

「……お願いです、リオ君。あのモンスターを倒して、お母さんの敵をとって。私、くやしいです。このまま村がなくなるなんて、お母さんがやったことが無意味だったなんて、そんなの……耐えられない!」

 

 瞳から涙をこぼす彼女を、リオは優しく横たわらせる。

 胸の刻印が熱かった。触れればやけどしてしまいそうな程に、少年の心は燃えていた。

 立ち上がり、剣を握りしめる。

 

『おおっと、話は終いかな? お嬢ちゃんもかわいそうだねえ、いくらお前を治癒したって俺様には敵わねえのがわからないのか?』

「……だまれ」

 

 パリンと音を立てて、風の障壁が崩れ落ちた。

 ハルの意識が、どうやら途絶えたようだ。

 

『ギャハハハッ! これでもうバリアはねえぜ!? 二人揃って串団子にしてやるよ!!』

 

 触手が一斉に放たれた。

 だが――遅い!!

 ドラゴンネイルを振るい、リオは放たれた攻撃を輪切りにし回避する。

 

『おおっとそうだった! お前さん武器だけは一級品だったな? だったらこれでどうよ!?』

 

 鐘室を揺らし現れたのは、大木のような触手であった。 

 表面には鋭い棘をたずさえ、掴まればそれだけでみじん切りにされるであろう。

 禍々しい巨木を前にし、リオはまなじりを吊り上げる。

 

「どけえぇぇぇ!!」

 

 全力を足に込め、疾駆する。

 負けられない。もう、負けるわけにはいかない。

 ハルは、彼女は英雄だ。己を賭し、希望をリオにつないだのだ。

 それならば……自分には何ができる!?

 自分を信じてくれた彼女に、何を返せる!?

 ハルが英雄であるならば、ワッツが戦士であるならば!

 自分は一体何なのだ!?

 

「でぇやぁぁぁっ!!」


 横一線の大木断。

 剣閃と共に巨大ないばらを切り伏せる。

 

『ほうっ!? 腐っても刻印持ちだなぁ? じゃあ、これはかわしきれるかぁ!?』


 無数の触手がリオを囲む。

 一本一本が意思を持つかのように蠢き、切っ先を鞭のごとくしならせ少年を追尾する。

 リオは神経を研ぎ澄ませ、繰り出される触撃を一つ、また一つと撃ち落していった。

 

『ギャハハ! 一度捕まれば蜂の巣だぜ? いつまでもつかなっ!?』

「くっ!!」

 

 ついにリオの足が触腕にとらえられた。

 それを好機ととったかのように、一斉にいばらが襲い掛かる。

 瞬く間に両手足を縛りあげられる少年を見て、デス・オブ・バレーの瞳が愉悦にゆがんだ。


『ギヒヒヒッ! ジ・エンド!! もう諦めな! そこのお嬢ちゃんもそろそろ限界だ。俺の毒に侵されて呼吸すらままならなくなるだろうよ。それにしても、お前らもわかんねぇよな? 今更こんな死んだ村に何の用があるっていうんだよ?』

「死んだ……村?」

『あぁそうだ。浄化の鐘がならねえと聞いて、誰もがこんな辺境の地は見限ったわけだろ? その証拠に、今まで誰も助けになんて来なかったじゃねえか?』

 

 デス・オブ・バレーの言うように、この地を助けようと思うものは誰もいなかったのだろう。

 浄化の鐘も、ユニコーンも。全てを失ったこの場所にもう価値などないと、ギルドすら手を差し伸べなかったのだ。

 

『せっかくもう少しで忘れ去られるんだ、今更悪あがきなんてすんなって』

「忘れられる? 誰にだよっ!?」

 

 だが、リオは知っている。

 どんなに月日が経とうと、この村を忘れられぬ人々がいる。

 来ない助けを、健気に待ち続ける少女がいる。終わらぬ呪縛に悩まされる、戦士を知っている。

 この村は忘れ去られてなどいない。だれも、諦めてなどいない!

 

「ぐおぉぉぉっ!!」

 

 縛りあげられた腕を必死にもがかせる。

 右腕さえ自由になれば、剣さえ振れれば脱出できる。

 しかし、そんな考えを呼んでいたかのようにデス・オブ・バレーはリオからドラゴンネイルを取り上げた。

 

『はい、没収ー! 万策尽きたな!? 安心しな、お嬢ちゃんも下の戦士も、すぐに後を追わせてやるからよ? あばよ、刻印持ち。ギャハハハ!!』

 

 鋭利に満ちたいばらが、一斉にリオへと放たれた。

 


                      *



 耳を覆いたくなるような音が室内に響き渡り、デス・オブ・バレーは今日一番の歓声を上げた。

 が、しかし――。

 

『何だ……こりゃ?』


 すぐに違和感に気付く。

 リオの体に刺さっている触手。手ごたえが薄い、と。

 貫通するほどの威力で放ったはずなのに、皮膚表面で切っ先は止まっている。

 

『刺さらねえ……!? てめぇ、何しやがった!?』

 

 リオは無言のまま、四肢を絡めるいばらを力任せに引きちぎった。

 そして、全身に刺さるデス・オブ・バレーの攻撃を一本ずつ引き抜いていく。

 ずたぼろとなった衣服から覗く、輝きを灯した獅子の刻印に、毒花の魔物は目を剥いた。


『刻印のスキル……!?』


 瞠目するモンスターを前にし、リオは再び歩みを始める。

 少年は今、決意していた。

 絶対になりたくなかったあの存在。

 今日一時だけでいい、自分を信じてくれた人たちのために。

 

「僕は、この村を救う勇者になるっ!!」

 

 ロイ・ロードは言った。刻印は必ずリオを戦いに駆り立てると。

 レーア・レスクルは伝えた。刻印を持つことの重さと意味を。

 アイナは信じた。リオは必ず人々を救う勇者になると。

 そして、ハルとワッツは願ったのだ。

 どうか、この村を……自分たちを救ってくれと!

 

 いくつもの想いは決意へと変わり、リオは初めて勇者の刻印ブレイブマークと向き合う。

 自身の存在を、資格を、可能性を認めた少年に、刻印は確かな力を与えていた。

 すでに目前の魔物など、今のリオにとっては路傍の石にしか過ぎない。

 それを感じとったデス・オブ・バレーは、恐怖し、愕然とした。

 

『なんだてめぇは……!? ありえねぇっ!! その力、まるで別人じゃねぇか!?』

「そこを……どけぇ!」

 

 駆け出した少年の手には、武器など握られていない。

 ボロボロとなった体には、もはや防具と言えるものも残ってはいなかった。

 刻印のスキル『獅子の心ライオンハート』によって異常なまでに強化されたステイタスは、それでも彼を強靭な槍のごとくとする。

 

『くっ!! 喰らってたまるか!』

 

 時間さえ稼げれば勝機はある。

 そう判断したデス・オブ・バレーは、自身の前に触手を束ねた分厚い壁を作り出した。

 たとえドラゴンネイルをもってしてでも突破は難航するであろう。

 

 だがリオは止まらない。

 心を渦巻き刻印を燃やすは、幾多の出会いとかけられた言葉。

 以前の彼であれば逃げ出していただろう、諦めてしまっていたであろう。

 しかし、身を震わせ戦うことを拒んだ少年の姿は、もうどこにもなかった。

 ここにいるのは、勇敢な獅子と化した金色の少年。

 巨悪に立ち向かう、幼き勇者である。

 

「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 咆哮。

 目前を塞ぐ触手に突撃し、その先へと手を伸ばす。

 鋭利ないばらに身を裂かれながらも、決して瞳だけは閉じることはない。

 自分が選ばれたことに意味があるのなら。

 冒険者として、刻印持ちとしてなすべきことがあるのならば。

 自身の大切な人、愛する者だけは救いたいと。

 それがリオ・リネイブのなりたい姿だと。

 少年はもがき、食らいつき渇望した。

 

『へへへ……さすがにこいつはやぶれねえだろ?』

 

 触手に飲まれたリオを見て呟いた刹那、デス・オブ・バレーは大きな瞳をあらんかぎりに見開いた。

 ――亀裂。何層にも束ねたはずの自慢の壁から漏れる、刻印の光。

 蹴破るようにして現れた冒険者の姿に、毒花の魔物は唖然とする。

 

「響き渡れぇ! 浄化の鐘よっ!!」

『やめろっ! ま、まてっ! ウギャァァァッ!!』

 

 ――届け。

 リーンベルを忘れてしまった人。

 この地を諦め離れてしまった人。

 ギルド、他の刻印持ち。ユニコーンでさえもっ!!

 この村は……リーンベルは生きている!!


 デス・オブ・バレーの瞳に喰らい込む渾身の右ストレート。

 リオの拳はモンスターごと、浄化の鐘を打ち鳴らした。 

 

 

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