第19話 想いを繋ぐ。


重鋼の戦士、ワッツ・ワイルドは双眸を歪めた。

 額には大量の汗がへばりつき、吐く息は絶え絶えとなっている。

 彼の全身を覆っていた土の鎧はところどころ剥がれ落ち、隙間から見える皮膚には鮮血がほとばしっていた。

 

「はぁ、はぁ……。いくら倒しても、らちがあかねえぜ……」

 

 眼前には変わらぬモンスターの群れ。

 地面に転がるは無数の亡骸。

 ワッツが打ち倒した数は百は下らぬだろうか。それでもなお、迫りくる魔物は勢いを低下させない。

 

「ハルと坊主は無事なのか……?」

 

 乾ききった唇から疑問が漏れる。

 彼らが塔を上ってから、十五分は経過していた。塔の構造についてはワッツもよく知っている。

 何もなければ五分、いや急げばもっと早く頂上についているはずだ。

 それなのに鐘の音が聞こえないのはつまり、予想外の事態イレギュラーが起きた可能性が大きい。

 潜んでいたモンスターの奇襲に遭っているか、あるいはそれ以上の何かか……。

 

「へっ……とりあえずこの魔法が消えてない限り、二人は無事なんだろうよ!」

 

 ワッツを覆うハルの呪文。

 対状態異常を防ぐ障壁は、まだ消えていない。それは、最低でもハルの生存を示す証拠だ。

 もし仮にリオが先に命を絶たれてしまうようなことがあれば、力のないハルなどすぐにモンスターの餌食となってしまうであろう。

 ハルが存命することは、リオが生きている証でもある。


 (あいつがハルを見捨てて逃げるような、くそやろうじゃなけりゃな……)

 

 それはあり得ないと、ワッツは脳裏をよぎる可能性を振り払った。

 短い付き合いだ。でも、自分にはわかる。

 リオは決して他者と自身の命を天秤にかけたりはしない。彼の愚直なまでの素直さ、優しさ、まじめな性格がそれを物語っている。

 自分を卑下することがあっても、リオは他人を見下すようなことはしなかった。

 神に選ばれし刻印持ちが、天狗のような言葉は吐かなかった。何の得もない我々の依頼を、成功させると約束してくれた。

 リオは必ず仲間を守り抜くはずだ。そう信じたからこそ、ワッツは彼にハルを任せたのだ。


「子供ががんばってんだ、大人が根性見せなきゃかっこ悪いだろう……」

 

 ワッツは再び戦斧を握りしめる。

 対するは、無限にも感じる魔物の渦。

 大戦斧を大きく頭上で一振りし、牙を剥く女王蟻クィーンアントへと切っ先を向けた。

 

「今日は記念すべき勇者リオの、冒険の一ページ目になる日だ! 水を差すような真似は俺が許さねえ!!」

 

 辺りを震わせる、怒号の気迫。

 己よりも上級の力を持つ元冒険者に、軍隊ヘルアントを統率する女王クィーンは確かに怯みを見せる。

 

「てめえらが万の大群で挑もうと、俺は絶対に倒れやしない! ハルとリオが諦めない限り、屍になってでもここは通さねえぞっ!!」

『ギーギギッ!?』


 ワッツは大地を踏み抜き、クィーンアントを真一文字に切り裂いた。

 指揮官を無くしうろたえる兵士たちを、怒涛の勢いで殲滅する。

 すぐに次の女王が現れるのは解っている。雑兵を駆逐せど、きりがないのも知っている。

 このままでは、数に圧され息絶えるのも感じている。

 だが、それでも――。

 

「止まるわけには、いかねぇんだぁぁぁっ!!」

 

 戦士の孤軍奮闘は、終わらない。

 


                        *



「リオ君、起きて! お願いだから、目を覚ましてようっ!!」

 

 ハルの悲鳴が響く鐘室内。

 事態は深刻であった。

 デス・オブ・バレーの攻撃はハルの身を挺した救助により致命傷は免れたものの、リオは昏睡し、彼女自身も裂傷を受けている。

 自身の純白のローブを鮮血に汚しながらも、少女はひたむきに勇者の目覚めを願う。

 

『ギャハハハッ! お嬢ちゃん諦めな、そいつはもう虫の息さ! 俺様の触手はそんなに甘くねえぜ!?』


 濃紫の花弁の中、瞳を細める毒花の魔物。

 ハルはフードの奥から視線を鋭くさせ、キッと魔王の配下を睨みつけた。

 

「まだ終わりじゃない!! リオ君は……こんなことで負けたりしません!」


 望みはある、と。そう一途の希望を宿し、腰に据えてあるはずのある物をハルは探る。

 が、しかし。

 

「あれっ!? あれあれあれっ!?」

『ギャハハッ! お探し物は、これかなー?』


 デス・オブ・バレーが掲げる触手の先。

 そこにはハルが先刻奪われた道具袋ポーチが、無様にぶら下げられていた。

 

「あっ……返して!! その中には!!」

『だめでーす』


 ぐしゃりと音を立て、ポーチが握りつぶされる。

 愕然とするハルを見て、モンスターはさも愉快そうに笑い声を上げた。

 

『この中には何が入っていたのかなー? 回復薬ポーションかな? それとも強力な魔法道具マジックアイテムかなー?』

 

 事実、ハルのポーチの中にはポーションや自身の魔力を補てんするための道具が入っていた。

 リオやワッツのため、足手まといにはならぬようにと彼女なりの助力である。

 危機に陥ったときは、白魔導士らしく自分が手助けサポートする。 そう心に決め、自身の物や村の皆からかき集めた数々のアイテムであった。

 あの中には道具だけじゃない、残された皆の想いや希望、未来が詰まっていたはずなのだ。

 無残に潰されたそれを、ハルはただ唖然とし見つめていた。


『ギヒヒッ! いい顔するねー、お嬢ちゃん。知ってるぜー、お前さん回復魔法が使えないんだってなぁ? ってことはつまりよ、詰みってやつじゃねぇ?』

 

 デス・オブ・バレーは知っていた。

 森先へと触手を伸ばし、リオとハルの会話を聞いていたのだ。


 ハルの事情を知り、毒花の魔物は策を取る。

 なりを潜め、リオ達を村中腹へと誘い込み逃げ道を塞いでおく。そこで一気にモンスターたちを襲いかからせる。後退が不可能と知れば、彼らは必ず塔を上ってくるだろう。

 だがあの魔物の数。誰かが盾にならなければ、容易に前進することすらできやしない。

 必ずパーティーは分断する、そうにらんでいた。

 

 狙いどおり二手に分かれた冒険者たちから、デス・オブ・バレーは隙を伺いアイテムを奪い去った。

 深い傷でさえも治癒してしまうポーション類のアイテムは、モンスターにとって非情にやっかいなものである。例え優位な状況であっても、それを覆される可能性があるからだ。

 それさえ奪取してしまえば、もう恐れるものは何もない。後は自身が奇襲をかけ、致命傷を与えてしまえばいいのだから。

 知性の無い普通の魔物にはできぬ行動。

 樹王より知恵を授かったデス・オブ・バレーは、狡猾なまでに事を運んでいた。

 

『お前らはまんまと俺様の作戦にはまったってわけよ! 無様なもんだぜ、刻印持ちがよう? 血反吐はいておねんねときてやがる!』

「あなたは何で……どうしてリーンベルを襲ったの!?」

『そりゃあ樹王様の命令よ。魔物を寄せ付けねえ浄化の鐘は、俺たちにとっちゃ鬱陶しくてたまらねえもんだった。だが聖女テラの退魔呪文アンチイヴィルがある限り、壊したくても近寄ることすらできねえ。だから、俺が作られたのよ』

「どういう、こと……?」

 

 ハルは黒い瞳を揺らめかせる。

 誰もがずっと疑問に思っていたことだ。

 浄化の鐘はなぜ止まったのか。なぜ狙いすましたかのように魔物が現れたのか。

 テラの魔法の効果が切れたという見方もあった。長い年月、ハルが生まれるよりもずっと以前に建造されたものだ。可能性は無くはないだろう。

 しかしそれならば、泉の周辺の結界が切れないのはどうしてなのか。同じ人物がかけた呪文、効果に違いがあるとは思えない。

 皆が抱いていたその疑問の答えを、デス・オブ・バレーは知っていた。


『冥土のみやげだ、教えてやる。俺様はこの地に種として蒔かれたわけさ! 開花するまでは魔物とは認識されねえ! 徐々に、徐々に根を張り触手を伸ばし、この浄化の鐘の隅々まで巻き付いてやったのよ!』

「そんなこと……だれが?」

『そりゃあこの地に訪れた旅人に寄生してだ! 悪気はなかったと思うぜ? まさかモンスターの種を運んでるなんて本人だって気づきもしてねえだろうからな! ギャハハ!!』

 

 観光客の多かったリーンベル。

 樹王はそこに目をつけ、冒険者によってデス・オブ・バレーの種子を運ばせたのだ。

 魔物は近寄れぬども、人間であれば問題はない。

 誰にも気づかれることなく、デス・オブ・バレーは静かに侵食を進めていったのだった。

 

『しかも俺様の花粉の効果は麻痺パラライズだけじゃねえぜ? 魔物を寄せ付ける力だってある! すげえよな? 樹王様がくれた能力さ』

「だからあのとき、突然モンスターが……!?」

『そういうこと! さぁ種明かしも済んだところで、そろそろ死んでもらおうかなぁ?』


 地面を貫き、触手が伸びる。

 現れた四本のいばらは、ハルとリオを取り囲みその切っ先を向けた。

 

『お前さんを殺しゃあ、下の男も俺の毒にやられて自然と息絶える。あとはそこの刻印持ちを始末すれば、俺様は更なる力を褒美としてもらえるってわけよ! この森を飲み込んで、いずれは大陸全土を俺の一部にしてやるぜ!」

「そんなことさせるもんですかっ!」

 

 ハルは杖を向け、抵抗の意思をあらわにする。

 

『おいおいお嬢ちゃん、お前さん白魔導士だろ? 攻撃魔法は使えないんじゃないのかい?』

「それでも……あらがってみせる!」

『健気だねえ。そういや十年前もいたなぁ、お前さんみたいに諦めねえ白魔導士が。せっかく奇襲かけてやってんのに村人逃がそうと必死だったから、俺様がぶすっと刺し殺してやったっけ? あいつもばかだよなぁ? 自分に回復魔法かけりゃあいいのに、他人に使っちゃうんだもん。何のためのヒーラーだよってさ! ギャハハハッ!!』

「……おかあ、さん?」

 

 ハルの脳裏に浮かぶ、母の最期の姿。

 自身と同じ純白のローブを真っ赤に染め上げ、瀕死に伏す母親。

 泣き叫び、すがりつき。何度呪文を唱えようと、ハルには救うことはできなかった。


 ――大切な人も救えないで、何が白魔導士だ。 何が回復魔法だっ!?

 

 母の亡骸を前に無力さを悟ったハルは、自分を欠陥品と呼んだ。

 こんな力はいらない。回復呪文なんて意味がない。

 自分自身に蓋をし、辛い過去から逃げるように目を背けたのだ。


 そして、現状は奇しくも同じ。

 鮮血にまみれ倒れるリオに、ハルはあの日の母の姿を重ねていた。

 

「……また、同じおもいをするの?」

 

 愛する者が力尽きるのを、自分はまた見ているだけなのかと。

 そうハルは自身に問いかける。

 大群を前に、ただ独り立ち向かうワッツ。自分たちのために奮走し、凶刃に打たれたリオ。

 自分にできることはないのかと、少女は己の杖を握りしめる。

 そして、その瞳が確かな決意に輝いた。

 

『ギャ? お嬢ちゃん、何してやがる?』

 

 ハルとリオの周りを、結界が覆う。

 少女の唱えた旋風障壁ウィンドシェルによって、矛先を向けていた触手は弾き飛ばされた。

 

『悪あがきしやがって……! そのバリアごと貫いてやるよ!!』

 

 激昂したデス・オブ・バレーは新たに触手を生やすと、二人へ向け猛攻を開始する。

 びしり、びしりと結界にひびが入っていく中、ハルは瞳を閉じて倒れるリオへと向き合った。

 祈りをささげるように、手を握る。

 集う魔力の奔流によって被っているフードが揺らめきはがれ、瞳と同じ色の頭髪があらわになる。

 

 蘇るように耳朶を揺らす、今際のきわの母の言葉。

 慟哭する自分に向けられたあの言葉を、ハルは思い返していた。

 

 ――嘆かないで、悔やまないでと。泣き叫ぶ娘へとかけられた慈愛の言葉。

 

『おいおい、無理してんじゃねえよ!? 魔法の同時使用は負荷がでけえんだろ? 何する気か知らねえが、おとなしく串刺しにでもなっちまえよ!』

 

 勢いの止まぬ攻撃に、結界呪文は大きく亀裂を走らせた。

 しかし、ハルは動じることもなく一心に精神を集中させる。

 思い浮かべるのは、尊敬し、敬愛する偉大な白魔導士ははおや


 ――いつかあなたでも、誰かを救えるようになる。


 彼女は言った。白魔導士は戦闘能力の乏しい職業だ。

 だがそれでも、他の職には決してできぬ力がある。

 自分たちは守られる弱い生き物だ。前線には立てぬ、非力な存在だ。

 でも、救うことができる。癒すことが、温もりを与えることが私たちにはできるのだと。

 挫けた心を、折れた希望を。

 それを繋ぐのが、白魔導士だと!

 

「魔を打ち払いし光の精霊よ……」


 ハルの唇が詠唱を紡ぐ。

 注ぐは、ありったけの魔力。リオの重傷を癒すにはかなりの魔力を必要とするであろう。

 そのために彼女は自身を守る水流の霧ウォーターミストを解除していた。

 リオ、ワッツに使用している対状態異常の呪文。それを維持できる時間でさえも、かなり縮めてしまうことになるかもしれない。

 しかし、それでもハルは望みをリオへと託すことを選んだ。

 もう欠陥品は嫌だから。皆の想いを繋ぐ架け橋に、自分もなりたいから。


「癒しを注ぐ礫となり彼の者の傷を治癒したまえ……」

『貴様!? その呪文は、まさかぁっ!?』

 

 ハルの呪文の意を介し、デス・オブ・バレーは目をあらんかぎりに見開く。

 触手を増やしそれを阻止しようと試みるが、もう遅い。最後の詠唱が解き放たれる。


祝福の雨ディアレイン!!」 


 いくつもの閃光が、リオへと降り注いだ。

 聖なる光は彼の傷口へと付着すると、それを塞ぎ治癒をする。

 少年の顔色が戻るのを確認すると、ハルは笑みをこぼしその場へと倒れこんだ。

 

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