第22話 あの人なら、こう言うよ。


 

 鳴り響く、大鐘楼の鐘の音。

 僕の拳を伝わり、確かに感じる魔力の波動。

 響く衝動は波となり、デス・オブ・バレーも室内に取り巻く触手も、すべてを一瞬で灰塵へと化した。 

 

「……はぁ、はぁっ」

 

 打ち付けた右腕を戻し、鐘室にこだまする音色に耳を傾ける。

 不思議だ。こんなにも大きな音で鳴っているのに、全然うるさくない。

 奇妙な心地よさ、そして安心感が浄化の鐘にはあった。

 聞こえているだろうか。届いているだろうか。

 みんなリーンベルを、思い出してくれただろうか……。

 

「そうだっ! ハルっ!?」


 僕は倒れているハルの元へと急いで駆け寄った。

 両手で体を起こし、容体を確かめる。

 デス・オブ・バレーはやっつけたけど、麻痺パラライズの症状はどこまで進行してしまったんだ!?

 まさかっ、もう手遅れなんじゃ……?

 最悪の結末を予想して、顔が青ざめていく。

 

「ハルっ! 返事をして!! やったよ、クエストは成功したよっ!?」

 

 瞳を閉じたままのハル。

 ガタガタと彼女の体を震わせても、反応は返ってこない。

 

「っそんな……!?」

 

 間に合わなかった、のか?

 か細いハルの体を握りしめ、僕の口から嗚咽が漏れた。

 自分を犠牲にして、彼女は僕を助けてくれたんだ。

 みんなの希望を繋いでくれたのはまぎれもなく彼女であり、デス・オブ・バレーをやっつけることができたのも全部ハルのおかげだ。

 せっかく浄化の鐘を鳴らしたのに、これじゃ喜ぶことなんてできないよ……。

 響く鐘の音が、だんだんと小さくなっていく。

 

「くっ、ごめん……。僕は、君を守ることができなかったっ!」

 

 瞳が潤む。

 この子の望みをかなえてあげたかった。

 まだ駆け出しの僕だけど、冒険に憧れるハルと一緒にたくさん旅をしたかった。

 二人で笑いあって、感動して、協力して。

 いつか僕の故郷も紹介してあげたかった。

 

「それなのに……何でっ!」

 

 ゆがむ視界に写る、鮮血に染まった純白のローブ。

 こんなに、ぼろぼろになってまで……。

 ハルの回復魔法を受け、ほぼ全快した僕の体。

 限りある魔力を他者のために使ったその姿は、話に聞いたハルのお母さんのことを思い出す。

 この子もまた英雄だ。

 刻印なんてなくても、立派な勇者だ。

 

「君は欠陥品なんかじゃないっ……。最高の、魔導士だっ!!」

「えへへっ、ありがとうございます!」

 

 ……は?

 僕は零れそうになった涙を、ごしごしと拭きやる。

 眼前には目をぱっちりと開け、てへっと笑うハル。

 瞬きを何度かし、……絶叫した。

 

「えぇぇぇぇぇっ!?」

「びっくりしました? 死んじゃったかと思いました?」

「何でぇ? てっきり手遅れだったのかと……!?」

「リオ君もさっき死んだふりしたから、お返しです」

 

 ぺろっと舌を出すハルのほっぺを、むにむに引っ張る。

 あったかい! 本物だ……!

 よかった、本当によかった。

 思わず泣き笑いのような表情を浮かべる僕に対し、彼女はいたずらに笑みを返した。

 

「お前らっ、大丈夫か!?」

 

 声を張り上げ現れたのはワッツさんだ。

 彼もまた全身傷だらけで、下での戦闘がどれほど激しかったのかを物語っている。

 

「ワッツさん! よかった、無事だったんですね!?」

「あぁ、俺がくたばるわけねえだろうが! それにしても、本当によくやってくれた。その感じだと、ここにもモンスターが潜んでいたんだな」

 

 再会を喜び合うのもほどほどに、僕たちは魔王の配下であったデス・オブ・バレーの存在を彼に説明する。


「そんな野郎が親玉だったのか……。よく生きていたな、坊主」

「ワッツさんと、ハルのおかげです。二人の手助けがあったからこそ、僕もがんばることができたんですから」

「リオ君、また謙遜してますー」

 

 三人で笑いあう。

 これで、全部終わったんだ。

 僕の初めての冒険は、順風満帆とはいかなかったが何とか無事に目的を達成することができた。

 初めて感じる達成感は何だかくすぐったくて、それでも心を暖かく満たしてくれる。

 アイナさんに、レーアさんにも伝えよう。

 僕、頑張りましたよって……。

 

「みんなに早く知らせよう!? 泉にもきっと鐘の音は届いてる!」

「おうよ! 今日は宴だ! 盛大に盛り上がるぜ!!」

「はいっ!」

 

 駆け出すハルとワッツさんに続き、僕も後を追う。

 外に出ると穏やかな日差しが、僕たちを優しく包み込んでくれた。

 


                       *

 


 翌日。

 木の板を十字に組み上げた簡素なお墓の前で、静かに手を合わせるハルを僕は無言で見つめていた。

 あたり一帯からモンスターが消えたリーンベルでは、ワッツさんの指示のもと村人たちが住居の組み立てや修復を行っている。

 一夜明け、小鳥のさえずりすら聞こえるようになったこの村は、昨日までの禍々しさは一切消えのどかな空気が流れていた。

 

「よしっ、終わり!」

「もう、いいの……? 十年間、ずっとお母さんの供養をしたかったんでしょ?」

「いいんです。死んだ人間は、どんなに祈っても帰ってきませんから……。それに一番の供養は、この村を取り返すことでした。だからもう、大丈夫です」

 

 気丈に振舞っているのか笑顔を見せるハルに、僕は顔を曇らせてしまう。

 悲しくないはず、ないんだよな。

 その気持ちは僕だって知っているんだから……。

 

「そんな顔しないでください! 私たちは、前に進まないといけないんです。みんなだって、そう思ってるはずですよ?」

 

 解放されたリーンベルにやってきて、人々が一番最初にやったこと。

 それは、墓作りだった。

 モンスターの襲撃によって無残に殺された住民のため、日が落ちるまで彼らは黙々と作業を続けた。

 遺体などもう残ってるわけもない。どこで朽ち果てたのかもわからない。

 それでも彼らは愛する者の魂を供養するため、たくさんの墓標を作り上げた。

 ハルとワッツさんは、ハーナさんのため。

 ある人は恋人、またある人は家族のため。

 出来上がった墓を前にして、慟哭する人は誰もいなかった。

 ただ安らかに――そう静かに呟き、死者の安寧を願うのみであった。

 

「悲しむ時間は、十分すぎるほどありました。だからこれからは、希望を作っていくんです。そうすることが弔いになるんだって、みんな思ってるんですよ」

 

 僕は土木仕事に精を出す人々に目を向けた。

 ワッツさんに怒鳴られ小さくなっている人、それを見て笑っている人。

 近くで見守る女性や、老人。みんな目を輝かせている。

 きっとこの村はすぐに活気を取り戻す。

 そう思わせてくれるほど、彼らは気力に満ち溢れていた。

 

「そうだね……。よし、僕も何か手伝ってこようかな!」

「えー!? リオ君は大丈夫ですよ!? これは村の問題で……!?」

 

 腕まくりをして歩き出す僕の視界遠くに、ふと人影が飛び込んだ。

 人数は十人くらいか。

 村の入り口に立ち並び、ワッツさんたちをただ見つめている。

 僕は大工のごとく頭に鉢巻をするワッツさんに、声をかけた。

 

「おー坊主! お前も汗流していくか?」

「そのつもりだったんですけど……あれ」

 

 僕が指さす先を見て、ワッツさんは眉間にしわを寄せた。

 見る見るうちに表情が険しくなり、手にしていた金槌を放り投げ人影へと歩み始める。

 周りの村人も異変に気づき、ワッツさん同様仕事を止め彼に続いた。

 僕もそれに習い、後につく。

 

「……何しにきやがった?」

 

 年齢も性別もばらばらな人たちを前にし、ワッツさんは怒ったように口を開いた。

 

「ワッツ……。鐘が聞こえたんだ……、だから――」

「何しにきたと聞いているっ!?」 

 

 耳をふさぎたくなるような怒声。

 それを直で浴びせられた中年の男性は、怯えたように目をふせた。

 僕は状況が飲み込めず、おろおろとするばかり。

 他の村人もみんな厳しい顔をしているし、一体この人たちは……?

 

「村を捨てたお前たちが、今更どのつらさげてやってきたっ!?」

 

 村を捨てた?

 とういうことはこの人たちは……元リーンベルの住人!?

 モンスターに襲われてから今までの間、奪還をあきらめこの地を離れた人も多いと聞いた。

 昨日の僕が鳴らした鐘の音を聞いて、この人たちは戻ってきたんだ。

 

「お前が怒るのも、無理はない。俺たちは確かに一度リーンベルを捨てた人間だ。でも、片時もこの場所を忘れた日なんてありはしなかった……」

「ふん、どの口が!」

「本当だ! 殺されたみんなや、ハーナのことだって……ずっと忘れたことなんてなかったんだ!」

 

 男性の訴えに、ワッツさんは睨むように視線を返す。

 

「昨日浄化の鐘が聞こえたとき、夢なんじゃないかと思ったよ。そんなはずない、まだこの地に残ってるやつなんているはずがないって! でもいてもたってもいられなかった! 懐かしい鐘の音色が、耳から離れてくれなかったんだ!」


 瞳に涙を浮かべる男性の姿は、彼の主張がうそではないことを物語っていた。

 リーンベルは、最初から死んでなどいなかった。誰も忘れてなんていなかったんだ。

 この場所に生きた人の心には、ずっとリーンベルは残っている。

 

「だから頼む! 都合のいい話だとわかってる! お前らがどれほど苦労したのかも知っている! 俺たちにこの村の復興を協力させてくれ! ハーナに、死んだみんなに、恩返しをさせてくれっ!!」


 男性に続き頭を下げる集団に、村人たちは無言を返す。

 きっと決めあぐねているんだ。

 みんな本当は、彼らをもう恨んでなんかいないはずだ。

 でも、簡単に許すことはできないんだろう。

 辛い泉での生活。侵食に怯える毎日。

 それから逃げた彼らをもう一度仲間として迎えることを、なかなか認めることができずにいるんだろう。

 

「いいじゃない?」

 

 静寂を破ったのは、ハルだった。

 彼女は男性の前に立つと、優しく瞳を向ける。

 

「ハル……なのか? 大きく、なって……」

「おいハル! 勝手に決めるんじゃねえ! これは大人の問題だ!」

「もう、頭固いよワッツ!」


 ハルは胸に手を当て、何かを考えるように瞳を閉じる。

 そして両目を開き、男性に手を差し伸べ――こう言った。

 

「リーンベルに帰ってきてくれて、ありがとう。おかえりなさいっ!」 

 

 くるりとワッツさんに向き直り、にかっとほほ笑むハル。

 

「お母さんならこういうよね? それに人手は多いほうがいいでしょ?」

「ちっ、しょうがねえ……。お前ら、十年分しっかり働いてもらうからなっ!?」

 

 受け入れられたことを理解し、男性は膝をつき涙をこぼした。

 「ありがとう……」そうつぶやく彼の頭を撫でるハルが聖母のように見えて、僕は何だか畏敬の念を覚えてしてしまう。

 きっとハルのお母さんも素敵な人だったんだろうな。

 ほほ笑む少女の姿に、僕は今は亡き人の面影を見た気がしていた。

 

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