第4話 油断は、大敵。

 

 太陽に変わり月が姿を現した、夜空の下。

 僕は村の外れにある小高い丘の上で、独りぼーっとしていた。

 村全体を一望することができるこの場所は、僕のお気に入りのスポットでもある。

 一本だけ生える大きな木の幹に背中を預け、僕は満天光る星空を見上げた。


「かっこよかったなぁ、ロイさんたち……」


 あの後、青髪の剣士一行は現れたモンスターたちを難なく壊滅させた。

 決して臆することなく、勇猛に、可憐に、鮮烈に。

 現れたモンスターの強さランクこそ高くなかったものの、一刀のもとに切り伏せるそのさまは、村人同様、草葉の陰から見守る僕を大いに奮い沸かせた。

 あれが本当の冒険者……、勇者となるべく神に選ばれしもの。


「僕も、あんな風になれるのかな?」


 呟いた言葉を、夜風がさらう。

 ロイさんは言っていた、いつか勇者の刻印ブレイブマークは僕を戦いへと誘うと。

 そのとき僕は、彼らみたいに果敢にモンスターと対峙できるのか?

 僕は自分でもわかるくらい、どうしようもなく臆病だ。

 ロイさんたちの戦闘を見て憧れはしても、自分で剣を取ろうとは思わない。

 勇者育成学校アカデミーでの実習のときだって、逃げ回ってばかりでろくにモンスターと戦っては来なかった。

 そのおかげで能力レベルは上がらないし、成績も最底辺だ。

 劣等感に悩まされる毎日。苦痛でしかない授業や、実戦訓練。

 そんな日々から逃げ出すために、留年だけはしたくないと卒業試験にのぞんだのだが。

 結局、卒業できたのだってレーアさんのおかげだしなあ……。

 そこまで考えて、僕は思考を止める。


 やっぱり僕は、勇者になんかなりたくない。

 昼間はアイナさんと畑仕事をして、夜はこうやって星空を眺める。それが一番性にあってるんだ。魔王討伐は、他の刻印持ちに任せよう!

 立ち上がり、大きく伸びをする。涼しい夜の空気が体を包み、気持ちがいい。

 すでに明かりの消えた村を見つめ、僕は歩みを始めた。

 明日はどんないいわけでアイナさんをかわそう? きっと拒み続ければ、彼女も僕が冒険者になることを諦めてくれるかもしれない。

 そんな淡い期待を抱いた、そのときだった。


「………………やがったな」


 声?

 丘を下る坂の下、聞こえてきた話し声に僕は足を止める。

 暗闇の中、細めた目が三つの人影を確認して、僕はなぜか回れ右をし木の幹へと姿を隠した。

 横顔をちらりとのぞかせ目に飛び込んできたのは――冒険者様!?

 姿を現したのは、ロイさんたち一行であった。手にはぱんぱんに詰まった金貨袋をたずさえている。

 何でこんなところに? そう考えるやいなや、彼らは昼間とは全く違う声色で会話を始めた。


「結構持ってやがったな! こんなくそ田舎にしちゃ、上出来なんじゃねえの!?」

「そう言うなよロイ? 都会じゃ冒険者なんか珍しくない。騙せるのはこんな辺境の村くらいだろう?」


 なだめているのは、仲間パーティーの女戦士だ。

 日中被っていた兜を外し、今は長い紫の髪が露わになっている。


「それにしても平和な村だ。辺りに現れるモンスターも数少ないし、どれもこれも低級ばかり」


 眼鏡の魔導士が呟く。

 このファースの村は、確かに平穏の地だった。魔王の住処から遠く離れていることもあってか、魔物の出現すらも珍しい。最近は魔王の動きが活発になっているせいかちらほら見かけるようにもなったが、それでも村人たちで協力すれば倒せてしまう程度のものしか現れない。僕がこの村から出たくない理由の一つでもあった。


「それにしてもよぅ? 傑作だよな!? ”俺たち”がよんだモンスターを”俺たち”が倒すなんて!」

「あたしたちは何も知らない村人に感謝され、お礼をいただく。全く、ぼろい商売だ」


 頭を鈍器で殴られたような、そんな感覚が体全体を突き抜ける。


「ロイの特殊技能スキル」、『集結の笛ギャザー・フルート』はモンスターを呼び寄せる」

「全く、最初はこんなスキル何に使うんだよって思ったけどな!? だが要は使いよう、神様もいいもん授けてくれたぜっ!」


 魔導士とロイさんは、お互いに下卑た笑いを浮かべた。

 僕の中の彼らに対する英雄像が、音を立てて崩れていく。


「あの金髪の子があんたと同じ刻印持ちって聞いたときは、正直ばれるんじゃないかとひやひやしたよ」

「はっはっ、確かになぁ!? だがお前らも見ただろ? あのガキ、戦う俺らの後ろで震えてただけじゃねーか? あれで刻印持ちだなんて笑わせるぜ!」


 ……紛れもない、僕のことだ。

 相手の本質も見抜けずに、憧れと勝手な幻想を抱いた、愚かで弱い僕のこと。


「しかし、お前があの少年に声をかけた時は思わず吹き出しそうになった。悪党が何を説教してるのかと……」

「ほんとだよ。あの子も目をキラキラ輝かせちゃって、可愛いったらありゃしない」

「口がうまいのも冒険者には必要なことだろぉ? おかげで村人からも一層敬愛の念を送られたじゃねえか?」


 僕はだしに使われたんだ。みんなを騙し、信頼を得るそのために。

 宿屋で撫でられた頭を、むちゃくちゃにかきむしる。


「まぁいいさ。明日にはこの村を出るよ。こんなへんぴなとこじゃ、謝礼をせしめるのも限界がありそうだし。いただくものはいただいたんだ。長居は無用さ」

「そうだな。また別の騙しやすそうな場所を探すとしよう」

「……いや、ちょっと待て。こんな村にはもったいねぇくらいの、べっぴんがいるんだ」


 僕の耳は、その言葉を聞き逃さなかった。

 脳裏に浮かんだのは、大切なアイナさんの姿。


「あの、畑仕事に精を出していた?」

「あんた……ありゃどう見ても生娘きむすめじゃないかい? あんなのがいいのかい?」

「ばぁか、ああいう娘と”お遊び”すんのが冒険者の醍醐味じゃねえか? それに、この勇者の刻印ブレイブマークを見せりゃあっちからけつ振ってくる。幸いなことに俺は”村を救った英雄”ってことになってるしなぁ?」


 そこまで聞いて、僕の体は自然と木の幹から飛び出していた。

 心の中には怒りや悲しみ、悔しさなどいろんな感情が渦を巻いている。

 驚きをでこちらを向く三つのまなざし。それに対し、僕は拳を震わせ眉を吊り上げた。


「……誰かと思えば昼間のガキじゃねえか? ちっ、めんどくせぇ。聞かれちまったか……」

「嘘だったんですか!? 全部、でまかせだったんですか!?」


 自分でも驚くほどの大声に、「何がだよ?」とロイさんは悪びれることもなく、そう返す。

 その表情に昼間のような精悍さは微塵もなく、ひどく醜く、薄汚く思えた。


「魔王を倒すって! 世界を平和にするって!!」

「はぁ? ムリムリ、そんなことしてたら命がいくつあっても足りやしねえ」

「刻印がうずくって、困ってる人たちを見過ごせないって!!」

「んなわけねえだろ? 俺が動くのは金の為だけ。無一文の人は助けませーん」


 胸が、焼けるように熱かった。

 気を緩めれば、涙が出てしまいそうだった。

 この人たちは、この男は、最低だ。

 こんな男にほんの少しでも憧憬を抱いてしまった自分を、今すぐに殴り飛ばしたい。

 そして、この悪党たちを前にして何もできない自分が、どうしようもなく悔しかった。


「お前さぁ、田舎もんだから知らねぇかもしれねえけどよ? 世の中の冒険者なんて俺らみたいなのばっかだぜ? 本気で勇者目指してるやつなんて少数だ。みんな魔王の強さに辟易としてる。そりゃあアカデミー出たての頃は俺だって夢みたさ。でもな、現実は甘くねんだよ」

「あんた確かリオとかいったね? なんで勇者の刻印ブレイブマークを持つ人間が一人じゃないか知ってるかい? みんな冒険で死ぬか、諦めちまうからだよ」

「君の様に我が身可愛さに剣を取らぬもの、俺たちみたいに悪事に手を染めるもの……。それじゃあいつまでたっても魔王は倒せない。だから神は常に新たに、勇者たる素質を持つものに刻印を授けるんだ」


 アカデミーで何度も聞かされた話だ。

 卒業後、冒険者となる生徒は九十八%、五年後冒険を続けているものは六%……。

 魔王を倒し勇者となるもの――〇、〇〇一%……。


「まぁ、あんま数増やされても困るけどなぁ! せっかくいただいた刻印の価値が薄れちまう。そうだ、リオ! お前も俺らの仲間になんねぇか?」


 口元を吊り上げ、ロイさんは醜悪に笑う。

 悪意に満ちた視線は一点に、僕の胸の刻印へと注がれていた。


「そいつはとっても”便利”なもんだ。世間じゃ他の冒険者たちより優遇され、民衆からは憧れと尊敬を向けられる。金も、女も使い方によっちゃ簡単に手に入る。せっかくの刻印だ、もっと有効活用しようぜぇリオ? パーティーに二人も刻印持ちが居りゃ、俺らも仕事がやりやすくなるしなぁ? もしかしたら、勇者にだってなれるかもしれないぜぇ?」


 その言葉は、欲望にまみれていた。

 この人たちは、僕を使って更なる悪事に手を染めようとしている。

 魔王を倒す為に与えられた力を使って、人々を陥れ、貪り、蹂躙しようとしてる。

 許せなかった。

 生まれて初めて感じるその感情に、僕の口が勝手に言葉を紡ぐ。


「…………ない」

「あん?」


「僕はあなたたちみたいな勇者には、なりたくないっ!!」


 ――カサッ。

 言い放つと同時に、後方で雑草が揺れる音がした。

 一様に音の出所を探し、目を凝らす。


 ――カサッ、カサ。ぴょんっ、と。

 草をかき分け出現したのは、軟体生物ジェリーだった。

 半透明の水色の体に、中心には赤く光るコア。名前の通りスライムの様にぶよぶよとした形状を持ち、地を飛び跳ね表裏の無い体をこちらに向けている。

 僕や、力の無い村人でも倒せてしまうような超下級のモンスター。


「まだ残党がいやがったのか……。ったく、刻印のスキルってのは相変わらず効果がでかいぜ」


 ――カサッ、カササ。

 相手を目認し、ロイさんの表情に余裕が浮かぶ。


「こんな雑魚倒したって、追加の報酬はもらえねえだろ? どうする? ほっとくかぁ??」

「そうね、ジェリーは臆病だし夜といえど人の多い村には寄り付かないでしょ」


 ――カサッ、カササササッ。

 ぼよん、と飛び跳ねる魔物に一瞥をくれ三人は立ち去ろうとした。

 だが、僕の耳は明らかな違和感を先ほどから感じ取っている。


 (……数が、多い?)


 べたっ、べたっと音を鳴らし、茂みから次々とジェリーが現れる。

 その数、五、いや十、いや三十!?

 次々と飛び出すモンスターの群れに、僕の顔色が、いやロイさんたちも一瞬で青ざめる。


 アカデミーで習った、冒険者にとって一番してはいけないこと。

 それは、”油断”だ。

 どんな格下のモンスターが相手でも、僕たちは驕ってはいけない。気のゆるみはすぐに死を招く。

 一流の冒険者は決して油断などせず、誰が相手であろうが全力をもって叩き潰す。

 それはモンスターにも、冒険者と同じように特殊な能力スキルを持つものがいるからでもある。

 この下級モンスタージェリーの討伐ランクはAから続く最低値のI。

 しかし、ある特殊な状況下によってそのランクはFまで跳ね上がる。


 集結したジェリーたちが次々に身を寄せ合う。

 ぐにゃぐにゃと体をうごめかせ、泥を固めるようにその体躯が一回り、二回りと大きくなっていく。

 『合体』。

 一定数以上の数が揃うことで発動する、ジェリーの特殊技能。

 見上げるほど大きくなった風貌を前に、僕は愕然とし、恐怖した。

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