第5話 弱者の王様。


 時を同じくして、アイナはリオを探し丘を目指していた。

 手には布の巻かれた棒状の物体を、しっかりと抱えている。

 リオに渡すため、家の貯蓄を投げ売り手に入れたアイナからの贈り物。リオがいつか旅に出るとき渡そうと、彼には内緒のサプライズだ。

 

 アイナは目を閉じて、夕方帰ってきたリオの顔を思い出す。

 その瞳は、幼い子供の様に輝いていた。夕飯のときも、ひっきりなしに村に来た冒険者の話をしていた。

 モンスターを怖がり、一歩も村から出ようとしなかったリオ。

 今彼の心は、憧憬に揺れている。あと一歩のところで彼は踏みとどまっている。アイナはそう考えたのだ。

 もし今日の記憶が薄れてしまえば、彼はまた家に閉じこもってしまうであろう。自分が背中を押してあげねばと。

 

「離れ離れになるのは、つらいけど……」

 

 零れた言葉を夜の闇が吸い込む。

 リオのいる場所の見当ははなんとなくついていた。彼は嫌なことがあったり考え事があると、決まってあの丘に行く。

 母の死に消沈していた自分を慰めてくれた、思い出の場所。

 丘を見据え、一本の大木を確認するとアイナは足を速めた。

 

「待っててね、リオ君!」

 

 彼女が異変に気付くのは、もう少し後のことである。

 


                       *



「てめぇら、ジェリーたちを切り払え! これ以上、でかくすんじゃねぇ!!」


 青髪の剣士ロイ・ロードの号令に、彼の仲間たちは我に返ったように攻撃を開始した。

 女戦士が戦斧を奮い、魔法使いは杖から火球を放つ。

 一撃のもとに葬られていく下級モンスタージェリーたち。

 しかし、時すでに遅し。全長5メートを越すまでに巨大化したモンスターは、ゲル状のその体を不気味なまでに蠢かせていた。

 

 『弱者の王ジェリーキング』。

 普段冒険者たちから鼻で笑われ、無様に虐げられる彼らジェリーたちからの下剋上。

 数十の個体が一同に会す、という特殊な条件下のみ発動するこの特性は彼らの力を大いに向上させる。

 弾力に富んだ体は刃も魔法も通さず、形状を自由に変化させ繰り出される攻撃は冒険者たちを悩ませる。

 通常めったに訪れないこの状況を、モンスターを呼び寄せるロイのスキル『集結の笛ギャザー・フルート』が作り出してしまっていた。

 

「ちっ、雑魚が群がりやがって! お前ら、援護しろ!!」


 ロイが動く。腰に携えた片手半剣バスタード・ソードを鞘から引き抜き、切っ先をキングに向け駆け出した。

 後ろには女戦士が続き、その後方から魔法使いが火球を打ち込む。

 着弾した部位から煙を上げるキングに、ロイの渾身の一刀が振り下ろされた。しかし。

 ぐにんっ――。

 ゴムでも切っているような感触に、ロイは双眸を見開く。

 (刃が……通らねぇ!?)

 剣はキングの体をわずかにへこませた程に留まり、それ以上の進行を拒絶していた。

 続けざまに放たれた女戦士の戦斧さえも、同じように飲み込まれる。

 その圧倒的防御力を目にし、固唾を呑んで見守っていたリオは戦慄に震えていた。

 

「くそがっ!!」

 

 攻撃を止め、距離を取る三人の冒険者。その表情は一様に苦渋に満ちている。

 斬撃を通さず、魔法すらも効いていない……。

 額に脂汗を浮かべる三人に、ついにキングが攻撃を開始した。

 

「――くるぞっ!!」


 ボコボコと泡を立て、形状を変化させるジェリーキング。

 巨大な円形の体に一本の腕を形成し、それを横払いに薙ぎ払う。

 

「がっ!?」

「ぐはっ!!」

 

 女戦士は防いだ戦斧ごと弾き飛ばされ、魔法使いは石壁へと叩きつけられた。

 意識の遠のく二人を見て、唯一攻撃を回避したロイは青ざめる。

 

「……一撃かよ」

 

 狩るものと、狩られるものの逆転。

 その現実を目の当たりにし、ロイの思考が一瞬遅れをとった。

 

 ぶんっと、風切音が響く。

 (――まずいっ!?)


 頭上から振り下ろさせる拳。

 回避に遅れたロイは、自身の剣でそれを受け止める。

 

「んぬぬぬぬぁぁぁっっ!!」

 

 歯を噛みしめ、重圧に耐える。震える両の腕に喝を入れ、何とか一撃を凌ごうとする。

 踏ん張りを効かせた足が、めりめりと大地を抉った。その瞬間。

 

「……まじかよ」

 

 ロイの瞳に映ったのは、形成されるもう一本の腕。

 轟音と共に繰り出されるは、がら空きとなった腹部めがけてのボディブロー。

 無慈悲な攻撃が直撃し、破裂音と共にロイの鎧を打ち抜いた。

 

「――かっ、は……」


 砕けた鎧の破片を散らし、宙を舞うロイの体。

 放り出された剣と共に地面へと着地した彼の意識は、そこで途絶えた。

 


                       *



「……ぜん、めつ……?」

 

 見るも無残な姿となった冒険者たちを前にし、愕然とするリオ。

 (刻印持ちのロイさんですら、まるで歯が立たない!?)

 呆然と立ち尽くす金髪の少年に、キングが標準を向けた。


「……うっ、あ」

 

 半透明の体を引きずり、ジェリー・キングが迫る。

 頭で鳴り響く警鐘、からからに乾く喉。

 脳裏をよぎるは、卒業試験でのドラゴンとの遭遇エンカウント

 あのときとは違う。助けなどここには来ない。

 そして、このモンスターには自分など全く相手にならないだろう。

 待っているのは死――死、あるのみだ。

 絶望に打ちひしがれるリオに対し、キングが拳を薙ぎ払った。

 

「っっっ!!!」

 

 すんでのところで躱すリオ。しかし、小さな体は風圧によって弾き飛ばされる。

 空振りに終わったキングの攻撃は大木へと命中し、太い幹をいともたやすく破壊した。

 体を起こし倒れる樹木を目認したリオは、顔面蒼白となる。

 ロイの鎧を砕き、大木すらもなぎ倒す破壊力。

 防具も付けていない自分が喰らえば、ミンチとなるのは確実だと。

 

 (――逃げろっ!!)

 選ぶ行動はただ一つ。逃走。

 己の足に全力を注ぎ、丘からの逃避を決断する。

 繰り出される攻撃を間一髪で避け、身を守ることにのみ専念する。

 (僕じゃこのモンスターには勝てない! 何とか逃げ切らないと!!)

 幾度目かの猛攻を凌いだ後、キングに一瞬の隙ができた。

 (今だっ!!)

 脱兎のごとく駆け出す。逃がしはしまいと、キングはずるずると追いかける。

 (やっぱり……足は遅い。これならなんとか……!!)

 巨大化故に失われた俊敏性に、リオは勝機を見出した。

 

 が、その足がぴたりと止まる。

 (――逃げるって……どこにだよ!?)

 丘の下にそびえるはファースの村。

 村には弱者の王ジェリーキングと戦えるようなものなどいない。

 このままリオが引き連れていってしまえば、惨劇は免れない。

 

「くそっ! くそぉぉぉぉっ!!」

 

 回れ右をし、丘を下るのを断念する。

 右、左と振り下ろされる拳。何とか避けるリオ、衝撃で割れる大地。

 ぐるぐると円を描くように丘上を駆け回る少年を、ついにキングの拳が捉える。

 

「ぐあぁぁぁっ!!」

 

 右側頭部を掠めた一撃。地面を無様に転がる少年の体。

 割れたこめかみからは真っ赤な血が流れ、脳漿がぐわんぐわん揺れる。

 奮える視界にじりじりと迫るキングを写し、途切れそうな意識を何とか繋ごうとする。

 その時。

 

「……リオ君?」 

 

 霞んだ焦点が、一点に集まる。

 いるはずの無い少女の姿を捉え、リオは愕然と声を漏らした。


「なんで……アイナさん……」

 

 呆然と立ち尽くすアイナに、キングの矛先が向けられた。

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