第2話 勇者よ、旅立ちの時ですぞ!

「起きなさーい! 勇者よ、旅立ちの時ですよ!!」

「……んん、もうちょっとだけ………」


 辺境の村ファースの農民であるアイナは、腰に手を当て大きなため息をついた。

 肩で切り揃えられた髪は少し赤みがかっており、澄んだ水色アクアマリンの瞳は意思の強さを感じさせる。

 端整な顔立ちはどこか親しみやすさも帯びており、彼女が村一番の評判娘であることもうなずけた。

 細い体をエプロンに包み、アイナはもう何度見たであろうこの光景に頭を悩ませる。


「もうっ! 勇者育成学校アカデミー卒業してから三カ月だよ!? 一体いつになったら旅に出るの!?」


 そう、三カ月。

 この少年、『リオ・リネイブ』が村に帰ってきてもうそれだけの月日がたったのだ。

 小さいころから弟の様に可愛がってきたリオがアカデミーから戻ってきたとき、アイナは諸手を上げて喜んだ。

 在籍中いつも送られてくる成績表は芳しくなかったし、いじめられたりしていないかなどと毎日不安に思ってた。

 でもこの子、リオは見事卒業して帰ってきた。しかも、竜の中爪なんて大層なものを土産に持って。

 きっとすごい冒険者になる、いや、本物の勇者になる!

 そう思っていたはず、だったのだが……。


「毎日、毎日寝てばっかり……胸の刻印が泣いてるよ?」


 パジャマ姿からはだけたリオの胸。ちょうど心臓にあたる部分に描かれた、獅子型の痣。

 勇者の素質があるものに現れる、勇者の刻印ブレイブマーク

 それは、神に選ばれし戦士の証だ。

 歴代魔王を倒した勇者たちもそのほとんどがこの刻印を持つもので、特殊な技能スキルや魔法を冒険者に与えると言われている。

 リオの通っていたアカデミーは勇者の刻印ブレイブマークを持つ者のみが入学の許された学校であり、将来勇者となるであろう若者たちを集めた養成機関であった。


「でも、アイナさん……これ本当に本物なんでしょうか? 僕は魔法も使えないし、技能スキルがあるわけでもないし」


 金色こんじきの頭髪を揺らしながら起き上ったリオは、暗い面もちで胸の痣を撫でた。

 自信なさげなその表情を見て、アイナは大きく息を吐くと共に自身の額に手を当てる。


「まーたそんなこと言って! いーい? 刻印が現れるのは百万人に一人! 君は選ばれし戦士なのよ!? 世の中には選ばれたくても選ばれなかった人たちがたくさんいるの! リオ君がそんなんじゃ、残りの九十九万人以上が可哀そうよ」

「僕は別に、選ばれたくなんて無かったです……」


 そう呟き、リオはまた布団をかぶった。

 いつだったであろう。リオに勇者の資格が現れたのは。

 アイナがまだ物心つく前に、この家に夫婦の冒険者が現れた。

 亡き父の友人を名乗るその二人は、母に一人の幼子おさなごを預けていったのだ。

 それがこの少年、リオ・リネイブ。

 リオとアイナは本当の兄弟の様に仲が良かった。

 いつも村の少年にいじめられて泣いているリオをアイナが守る。そんな光景が日常茶飯事だった。

 アイナが十二歳になったとき、母はモンスターに襲われあっさりと死んだ。

 慟哭するアイナをリオは優しく慰め、二人で強く生きていこうと誓い合った。

 それから何年か経った後、アイナはリオの胸に奇怪な痣があることに気付く。

 その痣は日に日にくっきりと浮かび上がり、今のような獅子型の紋章となった。

 そしてどこで噂を聞きつけたのか、アカデミーの人間が現れリオを勇者とするべく連れ去っていったのだ。

 嫌がる弟リオを涙ながらに見送ったのが、もう二年前……。

 リオの性格は、ちっとも変っていなかった。


「はぁ……本当に弱気なんだから……。村に来ている冒険者たちを見習ってほしいわ……」

「えっ!? 冒険者が来てるんですか!?」


 水を得た魚の様に、リオは跳ね起きる。

 アイナの言葉に飛びつくように、茶色ブラウンの両眼をきらきらと輝かせた。


「そうよ、しかも”刻印”持ち。こんな田舎に冒険者が来るなんてめったにないことだから、村中大騒ぎなんだから」

「僕と同じ、勇者の刻印ブレイブマークを持つ冒険者……。どんな人なんだろう? 屈強な戦士……、いや、レーアさんみたいな美少女剣士かも……」


 想像を膨らませるリオの姿を見て、アイナはくすりと笑う。


「今、村の宿屋にいるみたいだから会いに行ってみれば? 先輩冒険者の姿を見ればリオ君の気持ちも変わるかもしれないしね」


 こくこくと首を上下に振り、リオはすぐさま軽装へと着替える。

 先ほどとは打って変わったその態度に、アイナはまるで子供のようだと目元を緩めた。


「アイナさん、行ってきます!!」

「明日はちゃんと旅に出るのよー!」


 「はーいっ」と軽い返事を残し、リオは家を飛び出していった。

 遠くなっていく後ろ姿に手を振り終えると、アイナは宙を見つめる。


「全く、いつになったら渡せるのかな……?」


 さわやかな一迅の風が、アイナの髪をふわりと揺らした。

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