勇者になんて、なりたくない。

ゆと

第1話 勇者になんて、なりたくない。

 勇者――。

 魔王を倒し、世界に平和をもたらした者に与えられる称号。

 強大な力に立ち向かうことが出来る、選ばれし戦士の証。

 富と名声、美女たちからの熱いまなざし……。

 そのすべてを手に入れることが出来る”勇者”に、誰もがなりたいと思った。 

 

 が、しかしだ。

 僕は今、心の底から思っている。

 ――勇者になんて、なりたくないと。

 

『グオォォォォッ!!』


 耳をつんざくような雄叫びに、僕は蛇に睨まれた蛙となった。

 視界を覆うのは上級モンスター、『ドラゴン』。

 全身を覆うみどりの鱗は僕の攻撃をものともせず、口から吐き出す炎を食らえばその身は一瞬で灰と化すであろう。

 つまるところは敵いっこない、のである。

 

『ギャアァァッ!』

「ひいぃぃぃぃ!!」

 

 ドラゴンが爪をふるう。

 僕の目前を掠めた右手はくうを裂き、地面へと突き刺さった。

 巻き起こる突風を受け、僕の小さな体は三回転。

 

(風圧だけでこの威力……。もし直撃なんかしたら……!?)

 

 死ぬ。

 間違いなく即死だ。

 尻餅をついたまま、僕は文字どおり顔面蒼白となった。

 恐怖――。その一点が感情を支配する。

 歯はガタガタと音を鳴らし、足は生まれたての小鹿の様に小刻みに揺れる。

 勇者っていうのは、こんな怖い思いをいつもしているのか!?

 よりによって、何で僕なんかに勇者の資格が……!?

 

 今日は勇者育成学校アカデミーの卒業試験だ。

 一定数のモンスターを狩り、その戦果をアカデミーへと報告する。

 もちろん高レベルのモンスター程評価は良く、それぞれ自分の強さに見合ったモンスターの出現するフィールドへと赴いていた。

 僕はアカデミーから近く一番レベルの低い場所で、ちまちまと低級モンスターを狩る。卒業さえできれば、こんな場所アカデミーからはおさらばできるのだ。

 勇者になる気など毛頭ないが、毎日毎日授業と称した実戦訓練や意味の分からない魔法の勉強などに、僕の精神は擦り切れそうになっていた。

 留年だけはしたくないと、できる限り危険のなさそうな場所で数をこなし、なんとか合格基準を満たしてみせる。

 その予定だった。

 なのに、なぜ?

 なんでドラゴンなんかと遭遇エンカウントしてるんだ!?

 

 色の無い双眼が、僕を貫く。

 口を大きく開き、鋭く伸びた牙がむき出しとなる。

 開かれた口内は熱を帯び、灼熱の炎を灯した。

 火炎の息ファイアブレス――。

 くらえば消し炭となるのは間違いない、ドラゴンの得意技。

 隆々となる業火を前に死を覚悟した僕は、壊れたおもちゃのように笑った。

 

 と、突然。

 さんっ、と鋭い風切音が耳に飛び込む。

 響くはドラゴンの断末魔。落ちるはその図太い首。

 不発に終わった砲台から鮮血をまき散らし、邪悪な竜の怪物は動きを止める。

 

「あの……大丈夫?」

 

 現れたのは、美しい少女だった。

 腰まで伸びた艶やかな銀髪。華奢ながら、出るところは出ている優美な肢体。

 そのフォルムを強調するようあてがわれた鈍色の胸当てプレート腕甲グリース足甲レガース

 血に染まる刀剣ファルシオンを一振るいし、髪色と同じ瞳で僕を見つめていた。

 銀色の戦乙女、『シルヴァリア』。

 そんな異名を持つ彼女、レーア・レスクルはアカデミーでは知らない人がいないほどの有名人だ。

 勇者の末裔である彼女はその美貌もさることながら、実力でも他の勇者候補生たちとは一線を画していた。

 それにしたって、まさかドラゴンすら倒してしまうなんて……。

 勇者の血筋というのは、ここまですごいのか……。

 

「怪我とかしてない?」

「ぜっ、全然大丈夫です!!」

 

 もげそうな程両手を左右に振る僕を見て、整いすぎた顔立ちに曇りが宿る。


「ごめんね。私が仕留めそこなっちゃったから、ドラゴンがこんなところまで……。本当に迷惑をかけた、このとおり」

 

 レーアさんはそう言って、深々と頭を下げた。

 この人、ただの卒業試験でドラゴン討伐に行ってたのか!?

 常人とはかけ離れた行動に、思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 

「それにしても、君も単独ソロなの?」

「へ? あぁ、まぁ……」

 

 今回の卒業試験は、通常の冒険を想定してのものだった。

 そして、冒険者というのは何人かでパーティーを組むのが基本となっている。

 集団行動は冒険での生存確率をはるかに上げ、自分たちより強大なモンスターの討伐を可能とする。

 なぜ僕がパーティーを組んでいないかというのは、別に僕が孤独を好む戦士だからではない。

 誰も仲間に入れてくれなかったからだ。

 アカデミーでも最底辺の成績である僕はみんなからけむたがれ、除け者とされた。

 そりゃそうだ。魔法も使えない、まともなモンスターと闘う力もない僕をパーティーに入れたい人なんているわけがない。

 結局、僕は自分一人でも危険なく太刀打ちできるこの場所で、モンスターを狩ることに決めたのだった。


「レーアさんはパーティーは組んでないんですか? レーアさんほどの人だったら、勧誘も多かったでしょうに」

「ドラゴンを倒したいって言ったら、誰も付いてきてくれなかったの」


 彼女は少しだけ不満そうに口を曲げた。

 「なぁ君、私と一緒にドラゴンを倒さないかい?」

 そんなこと言いながら他の勇者候補生たちを困らせるレーアさんの姿を想像して、僕は頬をひくつかせる。

 

「みんな臆病だよ。卒業したら、私たちはもっと凶悪な敵と戦わなきゃいけないのに……。その点、君はすごいね? ドラゴンを前にして、逃げ出したりしなかった」

 

 腰が抜けてただけ、なんですけどね……。

 レーアさんはそんな僕の思考を露ほども知らず、畏敬の念を向けてくる。

 眩しく輝く瞳を直視できず、思わず僕は顔をそむけてしまった。

 きっと、こんな人が本物の勇者になるんだ。

 強くて、綺麗で、勇敢な、レーアさんみたいな人が……。

 

「君も勇者を目指してるんでしょ?」

「いや……、僕は……」


 僕は違う。勇者になんてなりたくない、なれっこない。

 さっきのような怖い思いはもうごめんだし、卒業したら田舎に帰って畑仕事でもしよう。

 僕は戦いとかに向いてないんだ。臆病だし、体も小さいし、力もない。

 こんな僕になぜ”勇者の資格”が現れたのかがはなはなだ疑問でならないが、神様はきっと選ぶ人を間違えたのだろう。

 僕が返答に困っていると、レーアさんは屍と化したドラゴンへと歩み寄った。

 手にしている剣を一閃に振り下ろし、僕を襲ったあの右手からその長い爪を切り取る。

 

「はい、これ」


 差し出されたのは、彼女が手にするべき戦利品だ。

 象牙色の爪は小剣程の大きさがあり、武器としてよく加工されるというのがうなずけるほど鋭利に満ちていた。

 『竜の中爪なかつめ』。

 僕のようなひよっこが手にするのは難しい、とても貴重なものである。

 

「これを持って行けば、試験合格まちがいなしだよ」

「も、もらえませんよ!? ドラゴンを倒したのはレーアさんですし、僕は何もしてませんし!!」

 

 うろたえる僕を見て、レーアさんは「ふふっ」と微笑みを浮かべた。

 僕の手を持ち、竜の中爪をしっかりと握らせる。

 触れ合った肌の感触に、顔中が真っ赤になるのが自分でもわかった。

 

「迷惑かけたお詫びだから。それに、君がドラゴンの気を引いてくれなかったら私もあんなに簡単に倒すことは出来なかった。ありがとう」

 

 俯いたまま顔を上げることが出来ない。

 わかってはいたけど、この人めちゃくちゃ可愛い!!

 こんな人と話すことが出来るなんて、僕はなんて幸せ者なのだろう。

 破裂しそうな程、僕の心臓は強く脈打っていた。

 

「卒業しても、またどこかで会えるといいね? 未来の勇者君!」

「はいっ!!」

 

 可憐に咲く花のような笑顔につられ、僕は自然とそう答えてしまった。

 あぁ、僕の大馬鹿野郎……。

 僕は勇者になんかなりたくないんだっ!! 

 

   

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