/大きな後ろ姿にⅠ

いつも決まって俺は夢を見る。昔、むかし、まだ俺が小学生にもなるかならないかぐらいのガキだった頃の思い出。ゴツゴツとした大きな手が不器用に俺の頭を数回撫でては玄関を出ていく。その後、泣きながら夜ご飯を一人で食べているだけのどうしようもない夢。昔はどうしようもなく泣き虫で今の俺を知っている人間が幼少期の頃の俺を見たら驚き絶句してしまうかもしれない。

「っ・・・」

「どうしたの?」

ふと横へ視線を向けると眠たそうに眼を擦りながらこちらを見てくる嫁の姿が目に映る。いつも通り無愛想な表情のまま、

「起こしちゃったか?ごめん。喉が渇いたから起きただけだから寝てていいよ」

「・・・そう。じゃあ、おやすみなさい」

返答に安心したのか微笑みを浮かべ布団へと横になる。喉が渇いた。と、口にしてしまったからには別に喉も乾いていなかったのだけど、立ちあがり重い足取りで冷蔵庫へと向かう。海外旅行からの時差ぼけか時計を見てみるとまだ午後八時を回ったところ。部屋のカーテンは開けっぱなしだったため夜景が目に映る。相変わらず寝静まることのない街。目に映るだけの明かりの中に人の人生がどれぐらいつまっているのだろうか?なんて意味もない事を考えてしまうと頭が痛くなってしまう。寝起きのせいか幾分、無駄なことを考えてしまっている自分に面白かったのか苦笑を向ける。冷蔵庫を開けてみるがそこには喉を潤すものは入ってはいなかった。

「そうだった・・・」

旅行帰りだけれど飲み物ぐらいは入っているだろうと思う。しかし、普段から生活している家では無かった。彼らは今日新居に来たばかりで荷物も運んだだけで開封もしておらず、冷蔵庫もコンセントを入れただけであった事を思い出す。

「飲み物ぐらい買って入れておいた方が良いよな。明日の朝、アイツも困るだろうし・・・」

冷蔵庫を閉めリビングの机に置いてある財布を取り寝室に行こうともしたけれど、嫁をわざわざ買い物に行くために起こすのも可哀想だ。適当に置いてあったスリッパを履き玄関を出てエレベーターへ乗る。家の中では静寂に包まれていたが外に出ると車の走る音、風がビルに擦れる音などが聞こえてくる。時刻は二十時を過ぎたところ。多くの人々はまだまだこれから動き出す時間帯でもあるだろう。ものの数秒で目的地でもある一階へと到着する。金曜日の夜だからか人通りがいつもよりも多い気がする。時差ボケで未だはっきりとしない意識を数回頬を叩く。しばらく歩いていると小さな喫茶店が目に入る。隠れ家的な雰囲気が妙に気になってしまう。ただ、買い物に出てきている俺にとっては別に行きたくもなかったのだけど、どうしてかその喫茶店へと足を踏み入れていた。好奇心というものだろうか。

「いらっしゃいませ。お好きなお席へお座り下さい」

「・・・えっと」

長身ですらっと細く黒ぶち眼鏡をかけた男性が声をかけてくる。いかにも今時の男子と言う風貌だった。もう少し筋肉をつけて男らしくしては?なんて初対面の人に言える訳もなくただ、案内されるまま席へ着く。寝まきで来てしまったため場違いな服装に妙にそわそわとしてしまう。が、幸いなことに客は俺一人だったため視線を気にする必要はなく店の雰囲気も良かったせいかすぐに緊張は解けていく。しばらく店の雰囲気を感じていると頼んでもいない紅茶が目の前へと置かれる。先ほどの黒ぶち眼鏡をかけた男性が微笑みながら、

「あ、あの・・・」

「これはサービスです。もう少ししたら来ると思いますので少々お待ち下さい。では、失礼します」

「?」

彼は一体何を言いたかったのだろうか?すると入れ違いで一人の女の子が目の前へ座ってくる。お客だろうか?それにしてもどうしてこれだけ席が空いているのにもかかわらず俺の目の前へ座って来たのだろう。女の子と言って先ほどの彼とそう年齢は変わらない風貌であったがどこかあどけなさが残りぽわぽわと可愛らしい印象を受けていると、

「こんばんは」

「あ、はぁ・・・こんばんは」

ただ挨拶をしただけで彼女の第一印象とは違う印象を覚える。容姿は幼く見えたけれど、どこか内面的に大人びた雰囲気を感じる。女の子ではなく女性、そんな印象へと変わっていく。すると彼女は不思議な言葉を投げかけてきた。

「貴方にはここが喫茶店に見えるんですね?」

喫茶店を経営しているであろう女性から意味不明な発言を受けてっきりバカにされているのかと思い大人げなくムッとした表情をしてしまう。と、彼女も俺の表情に気がついたのかすぐに謝罪をしてくる。

「ごめんなさい。馬鹿にしてる訳じゃあなくて・・・」

「あ、いえ。おれ・・・私こそ大人げない表情をしてしまいすみません。海外旅行から帰って来たばかりでちょっと疲れていたのかもしれません」

すると彼女は安堵の表情で微笑みカップに口を付ける。つられ目の前に置かれた高級感漂うカップに口を付け飲んでみる。流石、日本の喫茶店。やはり海外とはレベルが違う。日本の喫茶店はどこもかしこも質が高い気がする。海外であっても高級な店に行けば当たり前に美味しい珈琲が出てくる。が、日本はどこもかしこも外れはほぼない。寧ろ、喫茶店だけに絞れば当たりが多い国とさえ思っていいだろう。何気なく外へ視線を向けてみると見覚えおある背広が目に映る。大人げない事に二度見をしてしまい、立ちあがってしまう。と、ガンと肘を机へ当ててしまい大きな音を立ててしまう。

「あ・・・し、失礼」

我に戻り、先ほどの事は気のせいだったと頭の中で整理しつつ席へ腰を落とす。先ほどの行動の意味が分かっていたのように彼女はおっとりとした表情で微笑んでいるだけであった。軽く見積もっても十歳は俺のほうが年上なのだろうけど大人びた雰囲気を持っており自分が幼く思えて仕方がなかった。妙に母親のような暖かい視線に胸の奥の方がポカポカとしてくる・・・久々の感覚だった。

「あの・・・今日は帰ります」

「そうですか。またのご来店お待ちしてますね」

代金はいらない。と、言われたが流石に大人の俺が子供にそんな事を言われて、そうですか。では、ごちそうさまでした。なんて言える訳もなく千円ほど机の上に置き店を後にする。ふと空を見てみるけれど周りの街明かりのせいで星は良く見えなかった。都会は機械を取った代わりに自然を奪ってしまっている。

「昔はもっと星が見れたんだけどな」

一人ごとを空に向かい吐き出す。とりあえずいい加減に買い物をして帰らないと嫁に心配させてしまう可能性があるため飲み物を買い家へと戻る。ガチャリと玄関を開け静かに入室する。寝室を見てみると幸せそうに寝息を立てている嫁がめに映りその幸せそうな表情を見ていると顔がほころんでしまう。冷蔵庫へ買ってきた飲み物等を入れ真っ暗なリビングにある椅子へ座り何も考えることなく夜景を見つつ喉を潤す。


「今日の夜は一緒に晩御飯を食べような!お前が好きな豚肉と手羽先買ってくるからな」

相変わらず似合わない笑顔を俺に向けごつごつとした大きな手で頭を撫でてくる。恥ずかしくて言えなかったけど、その大きくて暖かい手で頭を撫でられるのは嫌いじゃあなかった。けど、その時の俺は機嫌がわるく酷い事をその人に言った気がする。けれど、そのゴツイ手の大人は笑い玄関をいつものように元気よく


「行ってきます」


と、いつも通り口にすると元気よく家をあとにした。どうしてかその男の人の背中は大きくまた暖かさを感じれるものだった。急に俺は妙な胸騒ぎがしてきた。たまらず俺はその背中に向かって大きな声で叫んでみる。が、その男の人には声が届いていないようだった。どうしても、この場から出て行ってはいけない。その事を伝えたくて叫んだ。大きな、大きな声で。何度も、何度も。

・・・

「ま、待ってよ!」

「ど、どうしたの!?」

「・・・え・・・?」

目を開けるとそこには驚いた表情をした嫁の姿が目に映る。辺りを見渡すと外は明るくなっており俺は夜景を見つつそのまま寝てしまっていたらしい。

「大丈夫?やっぱり旅行で疲れてるんじゃあないの?」

「・・・ん・・・あぁ・・・大丈夫だよ。ありがとう。今日から仕事だから頑張らないとな」

「・・・うん。無理だけはしないでね?」

「あぁ。大丈夫だよ」

頭の中をスッキリさせるため洗面台へと向かう。蛇口を押し水を両手に溜め一気に顔に数回ほどぶつける。程良く冷たい温度に徐々に夢に置いてきた意識が現実へと戻ってくる。

「あの・・・夢・・・なんだったんだ」

不思議と先ほど見ていた夢の事を考えてしまっていた。





空になったカップをお盆の上にのせながらジッと座っている花に話しかける。

「ちょっと怖い人でしたね・・・僕はちょっと苦手っぽいです・・・ははは」

晴樹の言葉を聞いた花はクスリと微笑み自分のカップをお盆へと置いてくる。左鐙花さぶみはな。先日、彼女のおかげ?で自殺をしようとしていた所を救われこうして入り浸ってしまっている。別に彼氏でもなければバイトでもない。ただの客である。客であるけれど、こうして何故かウエイターのように働かせられてしまってもいる。けれど、それでも彼女の側に少しでも居られるのならば別に良いのかな。なんて思ってもいる。

「そう?口調はきつめだったけど初めて会ってあんな事を言われれば大体の人は嫌な顔をすると思うよ?だから、仕方がない事だよ・・・うん。仕方がないことなんだよっ」

そう告げる花は静かにだけど満足そうに微笑を浮かべていた。彼女の言葉はもっともだ。始めて会った人に唐突に意味不明な言葉を向けられてしまったらきっと身構えてしまうと思う。なんとなく納得してしまった彼はお盆に乗ったカップをキッチンへと持って行き洗い物を始める。しばらくすると考え事が終わったのか彼女も手伝いに横へと立ってくる。が、丁度いいのか悪いのか洗いものはちょうど終わったところだった。

「あ、もう終わりました」

「考え事してて・・・ごめんね。ちょっとお茶でもしようか?」

「緑茶でいいです?」

「あ!洗い物をしてくれたんだからそれぐらいは私がやるよ!晴樹くんはテレビでも見て待ってて」

相変わらずぽわぽわした可愛らしい笑顔を向けてくる人だ。ついつい見蕩れてしまいそうになる自分に渇をいれテレビがある居間へと向かう。襖を開け昔ながらの円状のちゃぶ台が目に入ってくる。その上にはお菓子が箱詰めで置いてある。彼女はお菓子がとても好物でいつも常備してある。どれも年齢層が高い方々に好かれそうな渋いチョイスだったりもする。今日のお菓子は意外にも若年層にもウケそうなどら焼きが置いてあったので1つ頂くことにした。テレビはあまり見ないため、テレビをつけることなく静寂に包まれながらどら焼きを食べ待っていると襖が開く。

「相変わらず花さんって足音立てずに歩きますよね」

「ん?そうかな?私は意識した事がないけど?」

お盆には二つの湯呑と青色と深い茶色を混ぜた何とも表現しにくい急須が置かれていた。机の上に置き彼女も晴樹の横へ座ってくる。相変わらず距離感を考えずに座ってくる彼女にいつも緊張してしまう。

「ん?どうしたの?」

「あ、いえ」

「ん?」

このように彼女はドがつくぐらい鈍感なため彼の緊張なんて気が付いていないに決まっている。変に意識されてしまうと余計に緊張してしまうので今はこれでいいのかもしれない。湯気がゆらゆらとたっている湯のみを目の前へ置いてくる。少し苦味があるけれど、心地良い苦みが体の芯を温めてくれる。

「花さんが入れてくれるお茶ってなんでこんなに美味しいんでしょうかね。僕が淹れるとここまで美味しいくはならないんですよね」

「ふふふ。そう言って貰えるとつくったかいがあるかな。ってただお湯を入れてるだけなんだけどね」

悪戯っぽく微笑む彼女の表情は相変わらず可愛く直接顔を見る事が出来なかった。

「・・・そうだ、今日のお客さんもなにか過去に後悔を持ってられたんですか?」

「うん。ここに来たって事はそうだろうね・・・うん」

少し声が小さくなり彼女は考え込むように数回頷く。

「そうですか・・・でも、ここに訪れれたってことはきっと何かしら解決できそうってことですよね。僕だってその一人ですし」

「・・・うん。力にはなるけど、でも過去を思い出にできるのは本人だけだから」

「・・・そうですね。僕たちはちょっと背中を押して過去と向き合えるように手伝うだけですもんね」

「そう言うこと」

ニコっと微笑み彼女もまたどら焼きをちぎり食べ始める。いちいち仕草が可愛らしくて見ているだけでほっこりとしてしまう。急にこちらを向いてきたため咄嗟に天井を見てしまう。明らかに失礼な行動をしてしまった。視線をゆっくりと戻すと未だジッとこちらを真面目な表情で見てきていた。鈍感な彼女も彼が見蕩れていたことに気がついてしまったのだろうか。年貢の納め時とはこの事かも知れない。正直に謝ろうとした瞬間、彼よりも彼女が早く口を開いてくる。

「晴樹君!ツンツンって鼻毛が出てるよ!二本!!」

「へ?は、鼻毛?」

「うん!鼻毛!ちょいって二本突き出てるよ!あはは」

子供のような表情で笑いながら人差し指、中指をぴんと立てこれでもかと見せつけてくる。大人っぽい雰囲気があると思えば、このように無邪気に笑うところもある。晴樹が惚れないわけが無かった。しかし、好意を持っている女性に鼻毛のツッコミを入れられるのはいささか恥ずかしくあり鼻を片手で覆い隠しながら、

「笑いすぎ!」

「ふふっ・・・ごめんね。意外過ぎて最初は見間違いかと思ったんだけどね。でも、よく見たらちょいって出てて!」

「お、教えてもらってよかったです!だからもう許して下さい!」

「あはは」

クスクスと笑いながらお茶を飲み始めたのでつられて彼もお茶を飲む。すると花が食べかけのどら焼きを口に運びながらこちらへと視線を向け直す。

「そう言えば晴樹くんは最近、大丈夫?」

「はい。あの一件以来ピンピンに元気です。ちょっとだけ霊感に強くなったぐらいで」

「元気はいい事だからね。そっか・・・ちゃんと君は過去と向き合えたんだね」

しばらく雑談をして気がつくと二十二時を過ぎていた。女性の一人暮らしの場所に遅くまで居座るのは無粋だと思い帰る準備をし外へ出る。と、わざわざ花も外まで見送りに来てくれる。

「わざわざ見送りしてもらってすみません」

「んーん。私がしたいだけだから気にしないで」

「・・・じゃ、じゃあ!・・・また明日」

「はい・・・また明日ね」

ニコリと微笑み手を振ってくる彼女に手を振り返し自分の家まで向かう。しばらく歩き振り向くと相変わらず彼女が立っていたため咄嗟に携帯電話を出し花へ電話をする。ポケットから携帯電話を取りだす仕草に少し顔がほころんでしまう。

「ん?どうしたの?忘れ物?」

「あ、いや。夜は危ないんで・・・その僕の見送りはちょっとだけでいいので・・・その・・・」

上手く出て来ない言葉に四苦八苦していると電話越しから笑い声が聞こえてくる。

「ふふっ・・・分かった。家に入るから。晴樹くんも気をつけて帰ってね」

「は、はい。お疲れ様でした」

「うん。お疲れ様。オヤスミ」

お互いに視界に入っている状態で電話をしている姿はどこか初々しく微笑ましいものであった。電話を切ると彼女は大きく手を振り家へと戻って行った事を確かめ歩き出す。少し名残惜しかった彼はもう一度振り向いてしまう。そこには当然誰も立っておらず晴樹の苦笑だけが宙を舞う。

「流石に僕の行動気持ちわるよね・・・気をつけなきゃ」

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