八話 天才軍師は斯く語りき 稲葉山城狂詩曲 終編

 日の出と同時に、濃姫は宿屋に泊まっている事を一切考慮せずに、全員を叩き起こそうとする。

 頭上で叩き鳴らされようとする鍋を、夏美は寸前で止める。

「忍者に、そんな手段は通用しません」

 同室の月乃とバルバラも、シャキーンと起きる。

 月乃は、更紗が天井にも張り付いていない事を確認し、男部屋の襖を開ける。

 藤吉郎が「む〜ん」と、光秀が「ふ〜む」と布団から起き上がる真ん中で、半蔵が更紗を簀巻きにしていた。

「昨夜の分を、朝に回しただけじゃなイカ」

 更紗の言い訳を相手にせず、半蔵は嗅覚を拡げる。

「赤味噌?」

 出浦盛清が、全員分の朝食を配膳し始める。

「自分だけ、土産なしの相乗りなので」

 白飯・味噌汁(赤味噌・ネギ)・芋煮・大根の漬物・を一セットにした朝食の膳を、盛清は一人で準備していた。

 誰にも気付かれずに。

「手裏剣を投げてくれただけで、構わないよ」

 出浦盛清が、心外そうに半蔵を軽く睨む。

「背中を向けた落ち武者に一投しただけだ。釣り合わない」

 出浦盛清の価値観では、チンピラ武士の命は味噌汁より軽い。


 朝飯を食って身支度を整えるや、濃姫はとっとと稲葉山城へ向かう。

「予約した面談時刻は、未の刻(午後一時)ですよ」

「つまり、早く行けば自由時間がたっぷり余るっって事でしょ」

 光秀のクレームは、濃姫に機能しない。

 まだ午前七時にも達していないが、濃姫は一同を急かす。

「山の上にある二月の城をナメるなよ。霧が出る朝には、登城者が道に迷って遭難する事も…」

「今朝は、朝から快晴です」

 夏美のツッコミに、濃姫は馬上で駄々をこねる。

「いいぃんだよ、細かい事はっっ!! 早くお城に着きたいの! 着きたぁいのぉ!! 着ぅぅきぃぃたぁぁいぃぃのぉぉぉぉ!!!!」

 濃姫にとって、幼少の頃に育った実家である。

「父上が他人に作らせてから、そいつを追い出してまんまと押収した、良い城なのだ」

「濃姫様。その情報は、自慢には…」

 濃姫はツッコミ入れようとする夏美の横に馬を付け、左乳房に指鉄砲を連打する。

「父上の武勇伝にツッコミを入れるな、乳首ブルーめがっ! 非業の死を遂げた偉人の功績にまでツッコミ入れようとしやがって! そんな空気を読まない忍者だから、乳首ブルーって全国区で呼ばれるのだ! 次に父上にツッコミ入れたら、その乳首に鼻くそ付けてやるから覚悟しろ、ごらぁ!」

 夏美は、濃姫のハイテンションに怯んでツッコミを控える。

 稲葉山城への山道入り口の関所を濃姫の顔パスで抜け、一行はサクサク進む。

 標高三百メートルの山頂に建つ城へと続く山道なのに、城門へと近付く程に、濃姫は馬の速度上げる。

 護衛が遅れる訳にはいかないので、半蔵達も馬の速度を上げる。

 距離としてはそれ程でもないが、半蔵はこの旅路で一番緊張感を覚えた。

 何事もなく城門を潜ると、濃姫は大音声で叫ぶ。


「稲葉山城よ! 帰蝶は帰って来た!」



 八話 天才軍師は斯く語りき 稲葉山城狂詩曲 終編


 次の日。

 木下藤吉郎&濃姫with服部半蔵一家が、行きと同じ人数で小牧山城に戻って来たと聞かされたので、信長はてっきり失敗に終わったのだと思い込んだ。

(払いが一千貫で済むか)

 セコい損得勘定をしていると、やや疲れている濃姫が顔を見せる。

「どうした?!」

 信長が、駆け寄って倒れそうな正室を抱き抱えて問い質す。

「難しい話を一遍に聞いてしまって、疲れた」

「なんだ、知恵熱か」

 信長が、小姓に濃姫をワンバウンドパスする。

 後続の藤吉郎が、半蔵より前に出て、信長に帰還の挨拶をと顔を上げる。

 ドヤ顔を隠していない。

 そこそこ長い主従関係なので、信長は藤吉郎が大成功したと気付く。

「いつ合流する?」

「段取りは、既に付けました」

 木下藤吉郎は、性急な主君に合わせて、ほいほい話を進める。

「八月に稲葉山城を斎藤龍興に返却しますので、好きにお攻め下さいとの事。竹中半兵衛は浅井家に身を寄せて、織田家との同盟をし易いよう、根回しを整えておくとの事」

「六角との戦いが条件か?」

「それと、浅井長政には正室がおりませぬので、婚姻の準備も進めよと」

「進める」

「あと、木下藤吉郎には、竹中半兵衛の主人に相応しい給料を与えてやれと」

「東美濃の城を一つ、くれてやるわ。禄高は、最低でも三百貫!」

「ありがとうございます!」

 言って直ぐ、信長は書状を書いて手渡す。

 まだ合併吸収していない土地を、勝手に譲渡&受領する主従だった。

 獲ったり盗られたりの戦国時代でも、かなり悪どい取引が平然と眼前で行われている。

 誰かがツッコミを入れる前に、半蔵が織田主従を弁護する。

「美濃は、既に前々国主が、全面委譲している物件だから」

「それ、引退した国主のだから、効力が…」

 要らん指摘をしようとする夏美の口に、更紗がシマパンを突っ込んで塞ぐ。

「半蔵様。何で近江の浅井まで巻き込むのかが分からないので、説明台詞をお願いします」

 月乃が目前の極悪主従から皆の関心を逸らそうと、解説を求める。

 半蔵は、月乃の意を汲んで解説を始める。

「織田が美濃を吸収合併したら、朝倉と隣国になって戦になる可能性がある。事前にその隣国の浅井家と同盟を結んでおけば、牽制になる。で、浅井家は六角家に苦しめられているから、織田が攻め滅ぼしてくれるなら喜んで同盟を結ぶと」

「浅井って、迂闊なのですか?」

 夏美の代わりに、バルバラが余計な質問をしてきた。

 半蔵は、織田と波風が立たないように言葉を選ぶ。

「浅井の立ち位置は、今の三河と似ている。周囲の老舗大名たちに喰われまいと必死だ。織田が同盟を申し込めば、成る確率は高い」

 奥方ーズが、『あー、家康様と同じで、ロクな選択肢がないんだ』と納得する。


 一方、極悪主従の家臣の方は、書状を貰ったままフリーズしている。

 書状には、木下藤吉郎秀吉と、名前が勝手に改造されていた。

「殿、殿、この名は…」

 藤吉郎は、マジで感涙する五秒前。今時でいうと、MK5。

 信長は、ドヤ顔で教える。

「幼名、日吉を発展させて、秀吉と名付ける。城と軍師を持つ武将に成るのだ。名も出世せい」

 秀吉は、四つん這いになって大泣きし始める。

 捏ち上げの幼名を憶えてくれていたばかりか、秀吉を既に一角の武将として扱っている。

 秀吉が泣き伏しているので、信長は半蔵に話を振る。

「金は、いつ迄に用意すればいい?」

「竹中半兵衛が秀吉に合流するまで。二、三年以内でお願いします」

「よし」

 話は、それで済んだ。

 信長は席を立ち、美濃攻めを秋から再開する準備を始める。


 濃姫は、半蔵たちと別れを惜しむ。

「すぐに発つのね」

 濃姫は、服部半蔵にはもう、武田信玄が死ぬまで休みが無い事を知っている。

「出浦が仕掛けて来ます。迎撃の準備が出来る場所まで、急ぎます」


 半蔵は濃姫に一礼し、秀吉の前に餞別を置いてから、姿を消す。


「さようなら、帰蝶様。旦那様より長生きして下さいね」

 月乃の含みの有る言い草に、濃姫は苦笑する。

「帰蝶は、ノブと一緒に戦さ場で死ぬよ」

「またまたぁ」

 濃姫は、死に方も寿命も出産経歴も、諸説定まらない。んが、生死に関わらず、信長と共に居たのは確実である。それを疑ったら、歴史娯楽小説は書けない。


 月乃が、消える。


「姉御。シマパンは、手揉みで優しく洗ってね」

「こんなか?」

 更紗の気の利かない別れの言葉に、濃姫はアイアンクローで応える。

「生き延びろよ、更紗」

「姉御もな」

 更紗は、濃姫のプロレス技から霞むように消えた。


「帰蝶様。キリスト教に入信したくなったら、是非このバルバラに、ご連絡下さい」

「いや、その気なら直接教会に行くよ」

「マージンを取らせて下さいよ! 大名の正室を入信させると、報奨金が…」

「もう行くぞ、駄教徒」

 夏美がバルバラの首根っこを掴んで、お暇する。

「死ぬのは禁止だ、ビッチども」 

 濃姫は、三日だけ同行した仲間の無事を一応祈ってから、奥に去る。

 

 皆が去ってから、秀吉は顔を上げて目の前の餞別を見てみる。

 瓢箪だ。

 振ると、中から将棋の『金』が出た。

「くっ、つまんねえ洒落を仕込みやがって…」

 猿面の武将は、半蔵のセンスに苦笑する。

 


 日没前に、服部隊は伊賀のセーフハウスの一つに入る。街道沿いで寺を擬態するセーフハウスでは、馬の世話も任せられるようにしてある。

 出迎えた伊賀者は、服部半蔵が戦時の顔をしているので気を引き締める。

 出浦盛清本人は信玄の所に真っしぐらで、あと二日は半蔵に近寄れもしないが、全国規模で張り巡らされた三ツ者のネットワークを通じて、手を出してくる可能性は高い。

「手を出してくるかなあ? 半蔵様を相手に、わざわざ」

 今夜の宿所を掃除し、床下天井を点検しながら、バルバラがボヤく。

「バルバラなら、そんなヤバい話は受けないけど」

「逆に、半蔵様を相手にして名を上げたい強者が、仕掛けてくる」

 床下の地雷の火薬を詰め直しながら、夏美は応える。

「そういう忍者は、極少数です。戦闘回数は、僅かで済みます」

 火遁の術に使う発炎筒を皆に配りながら、月乃は明るい情報を与える。

 更紗は、受け取りながら月乃に確認する。

「まさか、今夜も夜伽なし?」

「この状況でヤれる訳ないでしょ」

「ふっ、甘いぞ、月乃。一人が半蔵様と合体している間に、他の三人が戦えば済む」

 更紗は、無表情だがドヤ顔で言い返す。

「半蔵様が戦闘に参加しないと、全滅しちゃうでしょ」

「駅弁体勢で戦えるじゃなイカ。排卵も促進されて、倍率ドン!」

 死亡フラグを無視して排卵に燃える更紗に、月乃は往復ビンタ連打で気合いを入れる。

「子作りは、敵を迎撃してから! これ基本!」

 奥方ーズのテンパりを余所に、予備武装の手入れをする半蔵は、緊急事態の原因となった天才軍師との邂逅を苛々と思い出す。

「あいつ、世に出さない方が、いいかも」



 昨日。

 木下藤吉郎の軍師にどうですかというロクデモナイ話を、竹中半兵衛はスンナリと受け入れた挙句、今後三年間の織田家の軍事方針までノリノリで相談して交渉を終わらせた。

 話が早いにも、程がある。

 昨夜、濃姫が城下町に来た段階で、天才軍師はここまで未来を決めてしまっていた。

 日当たりの良い稲葉山城の庭で応じる竹中半兵衛は、先の先まで見通して一同を出迎えた。

 天才軍師の天才過ぎる才幹に感心していると、天才は予想外の災厄と化して半蔵を襲った。

「あなたが服部半蔵ですね? 武田に対抗して、独自の情報網を展開中とか。素晴らしい発想と行動力です」

 ただの護衛役なのに声をかけられた挙句、ベタ褒めされて半蔵は素直に照れた。

 天才軍師は、隅っこで出浦盛清が聴いている事を知っていながら、その話題に踏み込みんだ。

「私が織田に合力する気になったのも、服部半蔵殿の動きと無関係ではありません。あなたが三河で目論んでいる迎撃策は、正しい。武田は強大ですが、三河を一月以内に攻略するのは不可能です」

 この話の流れに、半蔵は危険を察知する。

 天才軍師は、爽やかな好青年スマイルで核爆発を引き起こした。

「武田信玄は三河戦線で過労死しますから、東の動きには余裕を持って対処出来ます。武田信玄を気にしなくていい以上、織田信長は、三好長慶以来の『京を支配する実力者』に為り得ます。まあ、直接お仕えするのは疲れますから、木下藤吉郎殿の軍師で丁度いいでしょう」

 切れる五秒前の出浦盛清が、爽やかな天才軍師の方に近付く。

 半蔵が牽制の為に向き合うと、出浦盛清は辛うじて激情を抑える。

「…話を、聞くだけだ。お屋形様の望みは、それだけだ。お屋形様は、人と話すのが、好きな人だから」

 半蔵は、敢えて出浦盛清に背中を向けて、竹中半兵衛に訴えかける。

「彼の主君を謀殺する話題を持ち出して嬲るのは、止めてくれ。この警告を無視するなら、俺は、あんたを、庇わない」

 藤吉郎は、『それ、仕事破棄じゃね?』と言いそうになったが、空気を読んだ。

 天才軍師も、空気を読む。

 出浦盛清に頭を下げると、詫びる。

「すまない。天下を取れる大名が出現する喜びに溺れて、武田の方に思慮を欠いた発言をした。ごめんなさい」

 詫びを入れてきた相手を殺すような、出浦盛清ではない。何より服部半蔵が、出浦盛清は襲わないと信用して、背中を見せている。

 出浦盛清は、この場で関係者一同を皆殺しにする大博打を、思い留まる。

 礼儀正しく砂利敷石の上に座ると、挨拶を始める。 

「武田信玄様にお仕えする、出浦盛清です」


 少年忍者に自己紹介されて、天才軍師は慰めるべきか正直にすべきか、迷う。

 竹中半兵衛の脳内では、武田は遠からず滅亡へと至る未来図しか浮かばない。

 現時点で強大でも、旧態然とした戦国大名は、信長という革命児に喰われる未来しか、視えない。


「武田は、金銭で稲葉山城を買う用意があります」

「お断りします」

 あまりにも平然と断るので、盛清は交渉の不成立を悟る。

 この天才には、武田が眼中に入っていない。

 先々が見通せるこの天才にとって、武田は今川と同様に、『もう気にしなくていい存在』なのだ。

(そん未来を信じてたまるか)

 盛清は、諦めない。

「武田が美濃を得れば、京への近道が出来ます。三河で足止めを喰らわずに、中央へ進撃できます」

「ならば信玄公は、この稲葉山城を新しい本拠地に出来ますか?」

「…それは…城代を置けばいいだけでは?」

「織田信長は、美濃を取るために、小牧山城に本拠地を移しました。次は、この稲葉山城を本拠地にするでしょう。京に進出すれば、更に京に近い場所へと本拠地を移すでしょう」


 竹中半兵衛は、少年忍者に辛い現実を授業せねばならない。

 納得させないと、この少年は暴れまくって自滅する。


「織田と武田の違いは、この一点によく現れています。織田信長は、本気で天下統一を目指している。その為に必要な事は、必ず遅滞なく実行する。狂気ではありますが、金と経済力があれば実現可能だと、彼は理解している。

 対して信玄公は、躑躅ヶ崎館で快適に過ごせれば、満足してしまう方です。彼の半生に及ぶ膨張政策は、実の処、成功しようとしまいと何方でも構わない政策だった。甲斐が統一されて内紛が起きなければ、それでいい。それだけの政策です。だから、目先の領地争いに一喜一憂する『遊戯』に、家臣たちを集中させた。

 全国規模の情報網を敷いたお方にしては、あまりにも効率が悪い。彼は、本気で中央に乗り出すつもりなどありません。君たち家臣が、同じ夢を共有して仲良くしてくれれば、それでいいのです」


 顔面蒼白になる出浦盛清に回復する時間を与えるために、竹中半兵衛は服部半蔵に少し振る。


「松平家康殿は、初めからその方針を明言された。過不足ない、良い国主です。家臣たちを団結させる為に、無用の嘘を吐いて戦を繰り返す羽目になった信玄公を、反面教師にしているのでしょう」

「はい。無用の戦は、絶対に許さない方です」

 自分の主君を褒められて嬉しい反面、半蔵は盛清の反応が心配で心配で堪らない。

(俺が盛清の立場なら、この天才軍師を殺しているかも)

 半蔵の見立てよりも、盛清は我慢強かった。

「…お屋形様は、竹中殿が如何なる返答をするのか、楽しみにしております。竹中殿の語る言葉そのものが、某がお屋形様に持ち帰る土産です」

 押し殺した分、殺意が視線に乗って、天才軍師の全身を面で射抜く。

「そのままお伝えしますので、お屋形様の反応が楽しみデス」

 竹中半兵衛は、顔に汗を数滴流しながら、ニッコリと結ぶ。

「いいですとも。信玄公が笑って許してくれない場合は、服部半蔵に守ってもらいますから」

(何、都合の良い事を言ってんの、こいつ)

 鬼面になった半蔵にも睨まれているのに、天才軍師は爽やかスマイルを崩さずに、問題転嫁を果たす。

「私を殺したくなったら、まずは服部半蔵を倒すといい。私と半蔵殿は、舅を同じくする義理の兄弟。服部半蔵が、弟の危機を見逃すはずがない!」


 盛清は、本気にして半蔵を見据える。


「ま、そうなるな」

「いや、直接こいつを狙えばいいじゃなイカ。今。今!」

 半蔵の現実的でリーズナブルな主張にも拘わらず、盛清は半蔵だけを見据える。

「竹中半兵衛の口車に乗るのは癪だし、今直ぐ此奴の舌先を脊髄ごと引っこ抜いてやれたら痛快だろう。だが…我々は、どの道、戦う仲だ」


 庭に、不自然に霧が満ちる。

 霧に紛れて、出浦盛清は一瞬で姿を消す。

 不自然な霧が晴れた時、出浦盛清は城壁の上に居た。


「服部半蔵」


 出浦盛清は、手にした小柄から、誰かさんから剃った片眉を払う。

 竹中半兵衛は、指で左眉の消失を確認する。

(ラッキー! これだけで済んだ)

 片眉を気にするタマではなかった。

「お屋形様への礼儀と、俺への気遣いに免じて、お前が小牧山城に帰るまでは、一切手出しをしない。濃姫を届けて城外に出た途端、敵として最優先で処置する」

 宣戦布告をすると、出浦盛清は城外に跳躍する。

 半蔵が後を追って一飛びで城壁に上がると、簡易パラシュートで麓へと着地する出浦盛清が見えた。

「あー、やだ。霧隠れの相手なんかしたくない」

 半蔵が、珍しく心底から愚痴った。



 城内の庭では、奥方ーズが竹中半兵衛を囲んでボコボコにしていた。

「義理の姉夫婦に、強敵を充てがうとは何事ですか、この愚弟!」

 月乃が、天才軍師を蹴り続ける。

「詫びに、爽やかスマイルで更紗をお姉様と呼べ」

 更紗が、天才軍師の股間を踏み続ける。

「君の魂は汚れている。キリスト教に入信しなさい。今なら、よく切れる万能小太刀が二本オマケに付いてくる」

 バルバラが、イカガワシイ手段で布教活動を始める。

「天罰!」

 夏美が、拳骨を天才軍師の脳天に叩き込む。


 めり込んだ。


 竹中半兵衛は、マジで倒れる。

「このバカちんが! 天才の脳細胞を減らすな!」

 藤吉郎が、バディを組んだばかりの天才軍師を庇い、介抱する。

「しっかりしろ、半兵衛。ツッコミで死んだら洒落にならんぞ」

 意識を取り戻した竹中半兵衛は、目力をキリリとさせながら立ち上がり、不敵なオーラで奥方ーズを退かせる。

「大丈夫なのだ」

 語尾がイケない方向に変わっていた。

 頭をトントンと左右に振りながら、天才軍師は半蔵に近寄って、顔を至近距離に縮めて話し出す。

「半蔵の人。よく聞いて欲しいのだ」

 まだ語尾他、色々と治らない。

「出浦の人が暗殺を発注しても、半蔵の人が相手では、みんな二の足を踏むのだ。それでも挑んでくる第一波さえ凌げば、もう誰も易々とは襲って来ないのだ。つまり、山場は明日から数日なのだ」

 治らないけれど、半蔵の役には立とうとしている。

「危険な手段だが、これを凌げば、後は却って楽なのだ。めげずに頑張って欲しいのだ」

「お前の所為だろうが!」

 夏美が、再び拳骨ツッコミを入れようとするが、半蔵が乳を掴んで止める。

「忝い」

 これも天才の軍略の内と、半蔵は割り切る。

「ぐっ」

 乳を掴まれたままの夏美が、脱力して膝を着く。

「そんなに?!」

 濃姫が、胸を手で防御してドン引きする。

 半蔵は、仕事の話に戻してシリアス路線に帰ろうとする。

「用件は済んでしまいましたが、今日はこの城でお寛ぎ下さい。帰りは明日で構いません」

「いい誤魔化し方だ、むっつりブラック」

 濃姫は、今度こそ勝手気侭に帰郷を楽しむ。

 城の各所に顔を出し、馴染みの者達と再会を喜び合う。

 十年以上も異常な政変に揉まれてきた稲葉山城の従業員たちは、陽気な濃姫との再会に気が緩んで大抵泣いた。

「姫様あああああああ」

「みんな死んじゃったよおおおお」

「今度は誰に攻められますかああああ?」

 濃姫は、みんなを一々ハグして慰める。

「心配するな。ノブが攻めて来たら、ちゃんと逃げておけよ。あいつ、始めると容赦ないから」

「ノブが攻め落とした後は、この帰蝶が城の奥を取り仕切る。逆に良くなるぞ」

「ノブは父上が認めた男だ。安心して迎え入れろ」


 濃姫の愛情を見守りながら、半蔵は今晩の寝室を都合してもらう。

「五人が泊まれる部屋を、貸して欲しい」

「五人?」

 竹中半兵衛は、頭部をセルフ・マッサージで修復しながら、半蔵のリクエストを検討する。

「まとめて五人?」

「五人です」

「五人で一度に?」

「いえ、一人ずつですから。正確には、四連続」

「出来ますか?」

「一晩で四発です。可能です」

 半蔵達はその晩、一つの部屋で夜伽しまくった。

 念の為に最後かもしれない種付けをした女房達は、濃姫の元に留まる選択肢に見向きもしなかった。


「別れた方が、危険です」

 着床し易い姿勢で待機しながら、夏美がリスクを指摘する。

「重婚でも夫婦は夫婦。宗教上の理由で、死ぬまで一緒ですよ」

 バルバラが、歯磨きしながら小牧山城避難案を拒否する。

「残ったら、猿に視姦されるぞ」

 更紗が、シマパンで股間を拭き取ってから、半蔵の頭に乗せる。

「別れ話をする体力が有るのでしたら、もう一周してくださいまし」

 月乃が、恥じらう半蔵の上に乗る。


 昨晩は結局、三周した。

 五人が一度に同衾するのは、その晩が最初で最後だった。



 そして次の晩。

 つまり現在。

 誰も寝ていない。

 十六夜の月が、篝火を絶やさない寺の周囲を満遍なく照らす。

 夜襲に備えて周囲の雑木は疎らに仕向けた立地だが、服部半蔵に仕掛けようという手練れには、何のハンデにもならない。

 

「来た」

 半蔵は、短槍を二本、抜き身にする。

「攻めは半蔵様に任せて、みんなは防御に徹する」

 月乃は、戦術を確認する。

「先手は忍犬の群れだよ。数えきれない」

 更紗が、夜目を集中させて先手の戦力を読み切る。

「散弾で散らします。バルバラの前には、出ないで」

 バルバラが、武器の中から猟銃二丁を選び、早業で散弾を詰める。

「撃ち漏らしは、引き受けた」

 夏美が、十字槍を得物に選んで構える。


 寺の人間は、常駐していた伊賀者に命じて既に避難させている。馬も一緒。事情は最寄りの情報網に流しているが、援軍として何が出来るかは、聞き手の裁量による。

(援軍は来ないつもりで戦う)

 服部半蔵は、腹を括る。

(自惚れるようだけど、服部半蔵と承知で襲撃してくるような相手だ。強いに決まっている。そんなのを相手にする為に、援軍に来るか? 来ないな。普通、来ない。来て欲しいけど、来ない。うん、来ない)

 それでも半蔵は、死ぬつもりがない。

(女房たちも、全員、助け…る)

 女房を四人とも助ける自信だけは、少し足りない。


 忍犬の群れは、正確には忍犬に率いられた野犬の集団だった。

 街道からは、大型の野犬たちを率いた甲冑装備の忍犬・馬翁(バオウ)。

 熊すら単独で倒す馬翁が甲冑を着込んだ時、それは敵陣を必ず突き破る先駆けとなる。

 馬翁があと一呼吸で飛びかかれる距離まで近付いた段階で、バルバラは二丁の鉄砲で広範囲に散弾を放つ。

 効果範囲の大型野犬たちは苦痛でのたうち回るが、馬翁だけは多少の苦痛は無視して吶喊する。

 馬翁の充血仕切った目は、バルバラの喉を噛み切る戦術に濁る。

 バルバラの前に出た夏美の十字槍で、馬翁は右足を深く切り裂かれる。

 それでも勢いを殺さずに、鉄砲使いを必ず仕留める役目を果たそうと、跳躍。

 喉元に迫る馬翁の顎門に、バルバラは首にかけた十字架を向ける。

 十字架に仕込まれた水鉄砲が、馬翁の顔と口腔に山葵汁を見舞う。

 堪らずのたうつ馬翁の腹に、十字槍が埋め込まれる。

 忍犬・馬翁、絶命。


 散弾銃の範囲から外れた大型野犬たちは、まだ三十頭以上。

 リーダーの戦死にもめげずに、半蔵たちに迫る。

 バルバラの弾込めが間に合わないので、半蔵が動く。

 迎撃ではなく、攻勢に出る。

 半蔵の放出する殺気に、群れの動きが竦み上がる。

 二振りの短槍が、大型野犬の群れに、獰猛に襲いかかる。

 短槍で頭や背骨を次々に砕かれ、強気に攻めてきた野犬たちも流石に悟った。

 殺されるか逃げるかの二択しかないと。

 悟った時には十頭を切っており、五頭が逃亡に成功した。


 寺の裏手から、影のようにとても密かに、忍犬・猪殺(イサツ)が接近する。

 名の通り、猪に忍び寄って屠る、高い技能を持つ忍犬である。

 飼い主が褒めたら調子に乗って猪を狩りまくり、地元周辺では三年間、猪を見かけなかった程である。

 並の人間より遙かに知能が高い猪殺は、気付かれていないと確信して、更紗の背後に忍びよる。

 だが、ここで猪殺の知能の高さが裏目に出る。


(…何で、この女、袴を脱いでいる? あの褌…どうしてシマ…)


 いつもなら足音も呼吸音も抑えて忍べる猪殺が、更紗のどうでもいいファッションセンスに疑問を感じてしまい、思わず首を傾げてしまう。

 その首を傾げる動作で発生した『首の骨が鳴る音』が、更紗の耳に入る。

 更紗は身を屈めて振り向き、猪殺の目前で大きく手を叩く。

 猫騙しである。

 忍犬に。

 不発。

 猪殺は、全く隙を作らなかった。

 猪殺は、何となく、この無表情な女にバカにされているような気がした。

(余計な事は考えずに、殺そう)

 猪殺は、雑念を払う。

 急所を敢えて狙わず、体重をかけてバランスを崩す事を狙う。

 更紗は押し倒され、猪殺がマウントポジションを取る。

 猪殺は毒を塗った右爪で、更紗の肌に傷を入れようとする。


 その時、更紗のシマパンが動いた。


 シマパンの青シマ部分が伸び、猪殺の右爪にグルグルと巻き付く。

 伊賀流忍法、シマパン捕縛の術である。

 振り解いて逃れる暇を与えず、月乃が手裏剣で猪殺に致命傷を与える。

 忍犬・猪殺、絶命。


 

 先発の馬翁と猪殺が戦果のないまま討ち取られたので、飼い主の獣忍・伍碁野巧写(ごごの・こうしゃ)は心が折れる。

 半蔵の居る寺から三町(約三百四十二メートル)離れた林に集った『服部半蔵を仕留めて、武田から賞金をもらい隊』の面々も、同様。

「パねえ。賞金二千貫(一億六千万円)は伊達じゃねえわ」

 やはり赤字かと、他の参戦者たちも士気が落ちる。

 でも、賞金二千貫。

 十連ガチャに換算すると、五万三千三百三十三回である。

 一生、回せる。

 鉄砲装備の忍者傭兵集団として名高い根来衆を十二名引き連れた根来大膳(ねごろ・たいぜん)が、伍碁野に共同戦線を持ちかける。

「あんたの主力なら、我々が半蔵に接近するまでの時間を稼げるだろ。出し惜しみしないで、攻めてくれないかな?」

 伍碁野は、大人数の根来衆に眉を顰める。

「君達を加えると、分け前が十分の一以下に減るんだけど?」

「どうせ半分は死ぬから、見舞金だけで済む」

 親分の薄情な台詞を聞いても、根来衆はニヒルに笑うだけ。

 強敵相手の戦死者数に自分が含まれる可能性に、今更文句を言う輩ではない。

 熊の毛皮鎧を着込んで皮算用する伍碁野は、決断する。

「…まあ、山分けでも大金か」

「あんた、俺基準より酷い事言った!」

 皮算用はともかく、トップクラスの猛獣使いと鉄砲忍者が結託した。



「第一波の壊滅で、慎重になったのか、諦めたのか?」

 バルバラが、弾込めしながら仲間に気休めを求める。

「もっとゴッつい力押しで接近してくるね。犠牲者上等。半数は死ぬ覚悟で」

 更紗が、シマパンを穿き直しながら、暗い予測をする。

「あ〜、それ当たりだわ」

 夏美が、忍ばずに押し寄せる獰猛な呼吸音と足音の群れに、血の気が引く。

 絶対に間近で聞きたくない獣の呼気が、月夜を満たす。

 二月だというのに、数えたくない数の熊が、群れて迫る。

 無理やり冬眠から起こされたので、機嫌が悪いのが夜目にも識れる。

 バルバラが二丁の鉄砲を続けて撃つが、命中箇所が肩と足なので、致命傷にはならずに余計怒らせた。


 熊たちは激怒した。

 必ずや、かのムカつく鉄砲撃ちを除かねばならぬと決意した。

 熊たちは、冬眠中であった。

 秋に食って寝て、春になってから起きるはずだった。

 けれども、獣忍のマインドコントロールには人一倍騙され易かった。

 今朝起こされた熊たちは、野を越え山を越え、必要もないのに標的を殺して食うように誘導された。

 ムカつくので、熊たちのテンションは更に上がった。


「半蔵様。敵に心当たりは?」

 月乃が、怖くて半蔵に身を寄せながら尋ねる。

「獣忍の伍碁野巧写だな。確か必殺技は、熊五十頭を一度に操る熊雪崩…」

 熊たちの中で一番足の速い熊が、半蔵の目前に来る。半蔵は、短槍を口から脳に突き入れて仕留める。

 半蔵が短槍で熊を仕留めたのは、その一頭だけ。

 間も無く寺が、押し寄せた熊の大軍で埋まる。


 半蔵の立て籠もる寺が熊雪崩に飲み込まれるのを見届けてから、根来衆十三人は駆け足で距離を詰める。

「人は撃っても、熊は撃つなよ。今は完全に支配下に置いているが、仲間を撃たれると怒る」

 伍碁野は、根来衆の後ろを適当に駆けながら、念を押す。

「これが終わったら、冬眠に戻してやる約束なんだ。沸点、低いぞ」

 根来大膳は、半蔵が可能な限り熊の数を減らしてくれるように願った。半蔵を討った後で、熊雪崩の矛先を向けられる可能性もある。

 戦況は、彼らの思惑よりも遥かに混沌とする。

 寺が、一気に爆発炎上した。 


 火遁の術の目的は、炎と煙に紛れて逃げる為の忍法である。

 上級者になると、敵の接近に合わせて被害を与える火遁が行われる。

 今夜、服部半蔵が行った火遁は、寺の建築部分だけでなく、周囲二十丈(約六十メートル)に埋設した地雷をも一気に爆発させる大規模な火遁である。

 襲撃側は、太陽が目前に発生したかのような錯覚に見舞われた。

 寺に雪崩れ込んだ熊の半数が一瞬で絶命し、残り半数も火達磨になって戦闘不能。

 歩ける熊は、三頭しかいなかった。

 恐怖と怒りと悲哀と火傷の苦痛でブチ切れた生存熊たちは、こんな戦場に連れて来た伍碁野へと標的を変える。

 大膳が横目で伍碁野を見ると、

「あいつら、八つ当たりに来るわ」

 と言って、真後ろに逃げた。

 雇い主に苦情をぶつけに来た熊たちとの間には、根来衆しか存在しない。

 キレた手負いの熊たちに敵味方の識別を望めないのは、獣の専門家ではない根来衆にも分かる。

 かなり最低なケツの拭かせ方である。


「熊を先に撃て」


 大膳は、優先順位を決めて部下に射撃を命じる。

 横一列に並んでいる十二名の銃口が、熊たちに向けられる。


「一から三、腹」


 番号で呼ばれた者が、各々熊の腹を撃ち抜く。

 銃弾を喰らって倒れたり動きが鈍った熊たちに、止めが行く。


「四から六、頭」


 狙い違わず、無駄玉を使わず、根来衆は最低限の銃弾で熊三頭を仕留める。

 次に大膳は、自分で伍碁野の背中に狙いを付ける。

 既に有効射程距離より遠くへと夜道を逃げていたが、大膳の銃弾は相手の左太腿を掠めて転倒させる。

 これにも止めを刺したいが、大膳は優先順位を間違えない。


「索敵開始。半蔵を探せ」


 十二人の根来衆が、アナログ時計のように円陣を組んで全方位を警戒する。

 大膳は、半蔵の次の動きを測る。


(この手の破壊的火遁の場合は、爆心地の地下に術者が隠れている場合が多い。だが、仕掛けを知る上級忍者が相手では、見抜かれて逃げ場を失う。建物の用意周到さからして、隠し出口がある可能性が高い。そこから抜け出て、背後を突くか?)


 銃火の円陣の中心で、根来大膳は自分の思考を真横から見る。


(ここまで考えた事は、相手も考える。何方を選んでも、対処可能。服部半蔵も、それは分かって迎撃している。女房たちと一緒に手詰まりになるような迎撃戦をするバカじゃない。隠した切り札は、何だ?)


 根来大膳は、結論に至る。

「よし。半蔵が切り札を見せる前に、退く」

 クライマックス前に、リセットボタンを押す選択をする。

 死亡フラグを回避する為なら、中ボスを辞める。

 それが根来大膳の生きる道。


 消し炭となった寺の地下三階で、半蔵達は一息吐く。

 地下の避難エリアへの入り口が見つかっても、地下一二階にはトラップが満載。

 半蔵には、上級忍者が相手でも五日は凌げる自信がある。

 月乃を膝の上に乗せて抱き枕にしながら、半蔵は全員が落ち着くまで、次の行動を待つ。

「さて。時間を潰すか」



 出浦盛清は、稲葉山城から躑躅ヶ崎館までの帰路を、往路と同じく三日で済ませる。

 七日前と同じく、出浦盛清は主人が六畳間の水洗トイレから出て来るまで待たされた。

「二回連続、用便で待たせてしまった。お主の中の武田信玄は、用便なる人物として残ってしまうのう」

「お気になさらず」

 出浦盛清は、話したく話したくて仕様がなかった報告を、する。

 ありのまま、見聞きした一部始終を伝える。

 報告の途中で二度、信玄は六畳間の水洗トイレに戻って唸った。

 報告を終えると、三度目の水洗トイレ駆け込みがあると思いきや、信玄はサッパリとした面持ちで出浦盛清に語る。


「水軍を作る」


 海の無い武田領で何を? と言いかけて、盛清は今川の領地を得れば容易いと気付く。

「陸路を通っていては、鬼面の忍者や天才軍師の目論見通りに過労死してしまうわ。水軍で速度を得よう」

 出浦盛清は涙ぐんで、自分の主君は桁違いだと感動する。


(やはりお屋形様は、天才軍師の力量でも推し量れる器では無い。十年後を見ておれ、むっつり半蔵。…いや、それまで生きていないか)


「お? 良い思い出し笑いだのう。美濃で佳い女と性交に成功したのか?」

 思わず笑ってしまった盛清に、信玄が尋ねる。

 隠す事も無いので、盛清は半蔵への『処置』を話す。

「三ツ者の連絡網を用い、服部半蔵の首に賞金をかけました。ああいう男は、敵に回ると分かった以上、早急に…」

 信玄が怒りを露わにして、盛清を睨み付けている。

 盛清には、睨まれる意味が分からない。

「出浦盛清」

 怒りよりも疲れを滲ませながら、信玄は若い人材に諭す。

「勿体ないから、殺すな。十年後、わしが三河を占領して松平家を従わせれば、服部半蔵の構築した情報網も、丸ごと手に入るではないか。わしの情報網が、一気に倍になるのだぞ? な? 勿体ないだろう?」

 言われて出浦盛清は、自分も信濃を信玄に占領されてから仕えるようになったクチだと気付く。

 仕える前は、自分だって信玄謀殺を考えていたものである。

「あ」

 言われてみると、早計である。

 過労死策に対抗する手段を信玄自身が編み出した以上、最優先で多額の賞金をかけて殺す必要もなくなった。

「な? 取り消しに行け。今すぐ!」

 自分のオモチャを飼い犬に咥えられた子供のように、信玄は盛清を急かした。

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