九話 広域諜報機関『半蔵門』

「よく生きていたな、お主」

 永禄七年(一五六四年)四月中旬。

 三河・岡崎城に帰ると、酒井忠次までも、同じ台詞を言った。

 半蔵自身が整えた情報網に乗り、上司にも同僚にも稲葉山城に端を発するイベントの情報が流れていた。

 米津常春は黄色い歓声を上げて囃し立て、内藤正成は長男の為にサインを強請り、大久保忠世は肩揉んでくれた。

 本多忠勝に至っては、同類を見付けたかのように、以前より馴れ馴れしくなった。

 しかし『よく生きているな』の台詞が入るのは一緒。


「奥方が四人とも無事とは、恐れ入った。事情を知った時は、お主しか生き残らないと見積もっておった。後添えの世話をしようかと考えていたぐらいだ」


 半蔵は、笑顔が引き攣る。

 地下の隠れ部屋で奥方ーズと時間を潰して過ごしている間、地下三階の壁が地底人の暮らす地下帝国と通じてしまって余計な大冒険をしたとか、稀金属を探しに地球に来訪した宇宙人と戦ったとか、迷子の金髪白人を保護して堺まで送り届けて宗教紛争に巻き込まれたりして三河への帰還が遅れたとは、言えない。


「根来衆が襲撃を諦めて、此方に恩を売る方向で動いてくれました。あれが無ければ、賞金狙いの輩と連戦になり、女房たちは全滅したでしょう」

「根来に大きな借りが出来たな」

「路頭に迷っていたら、絶対に助けます」

「…あいつらが、路頭に迷うような選択肢を選ぶとは思えんが」

 酒井忠次の知る限り、根来衆ほど勝ち馬選びに長けた連中は、他にいない。


 後に根来衆は、小牧長久手の戦いで羽柴秀吉に刃向かったのが災いし、本拠地を総攻撃されて徳川家に匿われている。以後は、伊賀組の同僚となる。


 最後に主君・松平家康に挨拶すると、賛美されるというか嫉妬された。

「ふ〜ん。武田信玄に『殺すのは勿体ない』なんて思わせるとは、凄いねえ相変わらず、俺よりぃ」

 家康は笑って戦国ジョークだよと言わんばかりに笑って見せるが、目が三十%笑っていない。

 半蔵の恐縮しきった顔が、家康に半蔵の胸中を慮らせる。

「この話は、ここまで。もう次の困難が迫っている」

 家康、家老たち、小姓たち、半蔵が、居住まいを正す。

「半蔵の作った諜報機関『半蔵門』に、早速働いてもらう。

 京を二十年近く支配していた三好長慶の容態が悪い。彼の死後、京の政治中枢がどう変化するか、慎重に推移を見守って欲しい」

 家康の目に、初めて会った頃の輝きが灯る。

「三好長慶没後の政情が落ち着き次第、朝廷から正式に『三河守』の叙任を受けたい」


 読者のみならず、当時三河に住む住人の九十九%が勘違いしている事柄なので此処に記すが、家康の家系は祖父の代から三河守を『自称』しているだけである。

 代々実効支配しているだけで、実は正式な国主ではない。

 実力主義の戦国時代なので誰もわざわざ突っ込まないが、これから武田や北条とガチで渡り合う家康にとって、家格が桁違いでは交渉がし辛いのだ。


「直に京まで往き来して、叙任の件を相談出来る人物と渡りを付ける。三河衆の中でも、半蔵にしか出来ない仕事だ」

 半蔵の頭には、茶屋四郎次郎や本多正信に相談するプランが浮かぶ。特に茶屋の父は、京がテリトリーである。

(親父さんには、武田と二股してもらおう)

 四郎次郎の話を聞く限り、そういう話を持ちかけると面白がるだろうと、半蔵は踏んでいる。


「そして半蔵の作った諜報組織『半蔵門』への予算増加の件だが…叙任の件でいくら経費がかかるか分からないので、保留という事で、頼む」

 苦笑して頼み込む家康に、半蔵は苦笑で返す。

「大丈夫です。しばらくは、護衛料金だけで、保たせます」

 保たせるどころか徳川幕府終焉まで、護衛は服部半蔵の作った組織の収入源となる。



 九話 広域諜報機関『半蔵門』



 挨拶と新ミッションの受領を済ませてから自宅に帰ると、人目に付かないように父が出迎えた。

 いつもは月乃が出迎えるので不審がると、父が台所に誘導する。

 奥方ーズが、黙々と梅干の壺を囲んで競い食いをしている。

 半蔵を見ても、手と口が止まらない。

 目礼で済ませる。

「全員なのか、当選者に負けじと意地を張っているだけなのか分からぬ。んが、おめでとう」

 父が、破顔一笑する。

 半蔵は、四人を見回して、優しく、尋ねる。

「全員?」

 全員、頷いた。


「半蔵様が極端なのがイケないのですよ。全部外すか全部当てるかなんて、極端です」

 月乃が、梅干の壺から離れてスダチの汁を飲みながら、半蔵を責める。

 半蔵は、月乃を優しく抱き締める。

「もっと責めていいぞ」

「…五年間は、一緒に行けません。半蔵様の方から、会いに来てください」

「うん。そうする」

 半蔵は、顔の筋肉が幸せで緩むに任せる。

 こういう時に鬼面に成れる程、タイトル通りの男ではない。


「更紗は、酸っぱい酒が飲みたい」

 月乃に負けじと可愛い系の主張をした更紗が、語るに落ちた。

 しかも、下半身が戦闘態勢。

「妊娠して、いないな?」

「…あっ」

 更紗、ダウト。


「無駄に梅干しを消費しやがって、異教徒め。後でキリスト教に改宗して、虚偽妊娠の罪を懺悔しなさい」

 簀巻きにされて片隅に転がされた更紗に、バルバラが十字架を向けて勧誘に励む。

「くっ、殺せ!」

「殺さないから、梅干しを補充しろ」

 バルバラは更紗の簀巻きを解くと、半蔵に主張する。

「という訳で、暫くはドンパチやチャンバラの世界とは縁を切って、のんびりと育児や宗教勧誘をしながら余生を過ごしますので、引退します」

「では、鉄砲を売ろう。内藤殿が、欲しがっていたから…」

 バルバラが、半蔵に土下座する。

「すみません、嘘吐きましたぁー。鉄砲は売らないで下さい! 引退しません。休暇が欲しかっただけです」

「だろうよ」


 簀巻きにされたバルバラの横に、更紗が高速で買って来た梅干の壺一ダースを並べる。

「さあ、バルバラの体の穴という穴に、梅干しを詰めてやろう。喘げ、似非信者」

「勿体ない事をするな!」

 夏美が更紗を再び簀巻きにして、バルバラの横に並べる。

 簀巻きにされ慣れてきたのか、二人とも簀巻きのまま器用に喧嘩を始める。

「啖え、伊賀流忍法・シマパン舞踏!」

 更紗の簀巻きの隙間から、シマパンの縞模様が面妖にハミ出て攻撃を開始する。

「悔い改めろ、異教徒! ジーザス・サンダー・簀巻きアタック!」

 バルバラは、腹筋と背筋を駆使して、体重差で更紗に対抗しようとする。

 簀巻き者同士の醜い戦いを放置し、夏美は半蔵の前に立つ。

 夏美は、身の証に胸元を出して半蔵に差し出す。

 半蔵が揉むと、乳首から母乳が滲む。

「私も、五年間、お伴出来ません」

「いいや。片方に乳母を任せられるから、交互に連れて行ける」

 月乃と夏美は喜ぶが、脇で見物していた父は、ほろ苦い顔で半蔵を手振りで呼ぶ。



 自室で二人きりになると、半蔵の父・初代服部半蔵保長(やすなが)は、二代目服部半蔵正成(まさなり)に確認する。

「この時期に、月乃を家から出せなくなるのは、キツいな。他の三人では、京での上流階級向けの情報収集で、上手く立ち回れない」

 月乃を扱き使う事を前提で語るので、半蔵は父が非情の発言をしつつあるのを察する。

「今すぐに堕ろせば、一緒に仕事に掛かれる。早い程、良い。これからの京は、忙しいぞ」

「月乃を傷付けさせは、しない」

「仕事に合わせて堕胎するのも、くノ一の原則だ。月乃は理解してくれよう」

「死んだ事にして引退した人が、口を挟むな。当主は、俺だ」

「復帰して取り上げようか? 今は京での諜報活動こそ、最優先事項だ」

「俺の最優先事項は、月乃だ」

「…殿に直接、頼まれたのであろう? 妊婦一人を理由に後回しにするのか?」

「………」

 半蔵の鬼面が、今までの生涯で最も鬼そのものになる。


 父と半蔵の間合いが、座したまま、双方一尺詰まる。


「仕事を最優先に出来んのか、ガキ?」

「孫を片方潰せとか抜かすな、クズ野郎」

 至近距離で、お互いが必殺の手刀を繰り出そうとシャドーゲームを始める。

 武器を取る手間は、お互い費やさない。

 素手でも人を瞬殺出来るように鍛えあげた者同士である。


 半蔵は、父と殺し合いとなれば、どう転ぶか予想できなかった。

 父は、半蔵との相討ちを覚悟する。


 座って対峙したまま、緊張が続く。

 家の中から、ネズミと猫が逃げ出す。

 家の上空を通りかかった烏や鷹が、危険を感じて急激に方向を変えて飛ぶ。


 洗濯物を置きに来た母が、親子喧嘩に気付いて間に入る。

「妊婦がいるから、家の中では喧嘩しないの」

 二人の頭を平手でペシペシ叩くと、洗濯物を渡す。

「あなた。前のシミが尋常ではありません。もう少しチンチンを振ってから、仕舞いなさい」

「…すみません」

 父が、戦闘体勢を解いてイジケル。

「半蔵。尻の拭き方が甘いからね。もっとちゃんと拭きなさい。汚いわよ」

「…はい」

 半蔵は、戦闘体勢を解いて半泣きになる。


 父と息子は、温順しく日常に戻る。



 今までの戦国時代が凪に思える程の戦乱が始まるのは、三ヶ月後。

 三好長慶が死去し、大怪人・松永弾正が京の支配者となってからである。



                        鬼面の忍者 第一部 完





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