七話 帰蝶の帰郷と桔梗の紋 稲葉山城狂詩曲 中編

 昔々、美濃という国(みのもんたさんとは、関係ありません)に、濃姫という無理・無茶・無謀なお姫様がいました。

 美少女なのは勿論、武芸百般が半端でなく、「肉が食いたい」と言って出かけて猪を狩ってくるのは当たり前。夜這いに来た者を薙刀で討ち取ったり、敵方の間者を生け捕ったり、喧嘩を吹っ掛けられたら銃火器で容赦なく潰しにかかったりと、父親の血を三倍濃縮して受け継いでおりました。

「この子が男だったらなあ〜〜〜〜〜〜〜」

 父ちゃんは、娘の武勇を見る度に、喜び嘆きます。

 父ちゃんは斎藤道三という、あの手この手いやんな手で美濃の国主に出世した怪人です(みのもんたさんとは、関係ありません)。

 僧侶→油商人→武士へと転職した斎藤道三は、美濃の国主だった土岐一族の内紛に乗じて下克上を果たした危険人物として、敵味方から警戒されていました。

 国主になっても安定政権とは言えず、反対勢力や織田家への対策で多忙です。

 父ちゃんは、まずは外敵の織田を何とかしようと、渋々政略結婚の交渉に入りました。

 織田には、信長。

 美濃には、濃姫という駒が有りました。

 嫁に出すのが嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で堪らない父ちゃんは、十四歳の濃姫に拒否するかどうか選択させました。


「どうしても嫌だというのであれば、断ってもいいのだぞ? 相手は、大うつけで有名な悪ガキだし。いつでも寝首を掻いて帰ってきていいからな」

 稲葉山城の庭園で鯉の生き血を搾り取りながら、濃姫は父ちゃんの親心を迎撃しました。

「大丈夫、大丈夫。ノブとの相性は、いいぞ」

 父ちゃんの、山葵を摩り下ろす手が止まる。

「…何時、会った?」

「政略結婚が決まってから三日後に、夜這いに来て撤退に成功した奴。あれがノブ」

 父ちゃんの白髪が、この瞬間だけでも二十本は増えた。

「普通の夜這いなら首を刎ねて、お終いだけどさあ。月明かりに照らされた帰蝶の寝顔に見惚れて、流れるようにディープキスをして来たんだよねえ、ノブ。好みのハンサムだったし、そのままファイナルフュージョンを承認しちゃった」

 食膳を手伝って母ちゃん(道三の正室)が、気絶する。

 鯉料理の手を休めないまま、鯉の血に塗れた濃姫は事後報告で惚気ます。

「前戯が上手かったよ、ノブ。父上が鉄砲で邪魔さえしなければ、あのまま貫通式だったのに。雁首までは入った」

「帰蝶ぉぉぉぉーーーーーーー!!!!!!!!!???????」

 父ちゃんが、全身をシャアザクよりも赤くして怒号を発する。

「ごめん、父上。食事の前に、雁首だなんて」

 鯉を三枚におろしながら、濃姫は恥じらう。

「美濃の姫として、下ネタとか控えなくちゃね。初めから性技のハードルが低いと、後々夜のプレイで飽きちゃうし」

「遅いよ! もう遅いよ! 良かったね、相性よくて! うっわ、ぶっ殺してえ、あのクソガキ!」

「…え? 父上は、帰蝶の下ネタに怒っていたのではないの?」

「悋気が大爆発しているだけだから、帰蝶は気にしなくていい」

 ズレている娘と、甘過ぎる父ちゃんだった。いや、厳しくしてどうこうなるレベルではありませんが。

「続きは嫁ぎ先で普通に済ませるから、政略結婚の話は、このまま進めてね、父上」

 濃姫が念を押すと、父ちゃんは悪い事を考えている笑顔で頷きました。

「いいとも。婚儀が済んだら、その婿殿と一度会見してみたいな。話しておいてくれ。ノブに」

 気に入らなければ、ぶっ殺す気でいたと思います。


 本当に正式に会見した際、織田信長がレベルの高いカリスマ性と軍容の先進性を持っている事を確認した斎藤道三は、「我の子供達は全員、信長の軍門に下るだろう」とまで口にしました。

 戦国時代の下克上に誰よりも詳しい父ちゃんは、信長が美濃に何をするのか、誰よりも理解していました。


 その後。

 斎藤道三は、国主を譲った嫡男・斎藤義龍に戦を仕掛けられちゃいました。

 道三が異母弟たちを後釜に据える気だというデマが、斎藤義龍をトチ狂わせた。歳をとった怪人に味方する美濃衆は少数で、道三と他の息子達は殺されました。


 父ちゃんが戦死を覚悟して信長に送った遺言書には、「美濃の全てを、信長に譲る」と書いてありました。

 信長は救助に向かったが、間に合いませんでした。

 信長が濃姫に土下座して詫びたのは、この件が最初で最後です。

「いいよ、ノブ。クソ兄貴の首は、自分で刎ね飛ばす」

 まだ今川義元にプレッシャーをかけられている頃である。負担をかけたくないので、濃姫は強がりだけで我慢しました。

 そのクソ兄貴も、三年後に急死してしまう。

 父と弟たちを殺したストレスや、酒量の激増が健康を損ねた原因とも云われています。

 仇が勝手に死んだと聞き、濃姫は泣きました。

「…まさか、自分が仇討ちも出来ない情けない女になるとは、思わなかった」

 濃姫が悔し涙を見せるのは、それが最初でした。



 七話 帰蝶の帰郷と桔梗の紋 稲葉山城狂詩曲 中編



 小牧山城から稲葉山城まで、五里半(約二十二キロ)。美濃の領地は木曽川を渡ってからなので、実質三里弱(約十一キロ)。

 半蔵一行プラス木下藤吉郎with濃姫は、木曽川の浅瀬を渡る時以外に馬の足を緩めずに、駆けていく。

 今は織田信長の正室である濃姫が、少数の供を連れて稲葉山城を目指しているのである。

 一気に駆け抜けるのが、一番安全なのだ。

 日没までには、稲葉山城に入るはずだった。

 濃姫の地元人気が、計画を頓挫させた。


 美濃の領地に入るや、濃姫は街道沿いの民衆から諸手を挙げて迎えられた。

 こんなに美人で濃い人格の美姫を忘れられる訳もなく、祭の神輿のように拝んでお供え物を差し入れる。

「携帯食を買う必要がなかった」

 藤吉郎が、オコボレで貰った握り飯(塩味)を食いながら、ボヤく。

 更紗が、桶ごと手渡された鯉を馬具にぶら下げて迷惑がる。

「誰か、鯉なんか捌けた?」

「ああ、帰蝶が捌ける。夜は刺身にしよう」

「姉御! 愛してる!」

「I know(だろうよ)」


 ロイヤルなスマイルを保ちつつ、濃姫の顔に苛立ちが貯まっていく。

 一般市民は濃姫に挨拶を返すが、武士は踵を返して逃げていく。濃姫の父・斎藤道三が討たれた時、美濃衆の九割は斎藤道三の敵に回ったのだ。

 濃姫に遭遇すれば何を為れるか、よく理解している。


「ったく。挨拶もロクに出来んのか、へたれ侍どもめ。この件が済んでも、まだ織田に靡かない美濃衆は、殺していいかな?」

「いいですねえ。美濃衆が減れば、その分、美濃の領地を多く貰えまっする! まっする!」

 濃姫の物騒な愚痴に、木下藤吉郎以外はコメントを控える。

 半蔵は、濃姫の反応を見て、作戦進行に修正を施す。

(濃姫の護衛というより、美濃を濃姫から守る羽目になりそうだ)

 やはり値切られたのは此方の方だと、半蔵は思ったりしちゃったりなんかして。


 落日の中に朱く沈む城下町を、濃姫は無言で進む。

 白日の下では賑やかに出迎えた民衆も、影に沈みつつある濃姫の顔に、鬼相を見付けて怖じる。

 時間よりも、濃姫の心情を慮り、半蔵が計画の変更を告げる。

「今夜は、城下町で宿を取ります」

 半蔵は告げると同時に、宿場のある通りへと進む。

 初めて来る城下町でも、おおよその地図は学習済み。

 これ、忍者の基本。

 濃姫が、進みながら初期案を繰り返す。

「帰蝶なら、夜間でも顔パスで稲葉山城に入れるぞ?」

「城下町で最新情報を集めてから、稲葉山城に乗り込みます。敵味方の精査をしてからでないと、城内での進退が危うい」

 濃姫は、食い下がる。

「今の稲葉山城を仕切っているのは、竹中半兵衛の舅・安藤守就(あんどう・もとなり)だろ。月乃の父親で、むっつり半蔵の舅。それだけで充分じゃないか。あいつを頼ろう」


 月乃が、渋い顔で濃姫に牽制の視線を入れる。


「ん? 仲悪いの? 疎遠? 風呂上がりに、ちょんまげされた?」

 濃姫に好きに喋らせておくと下品な方向に話が捻じ曲がるので、月乃は身の上話をキチンと伝える。

「まだ会った事もありません。父が伊賀の里に寄った時に、母が子種を搾り取っただけの関係なので」

 伊賀守・安藤守就の子種をゲットしたので、月乃の母は毎年一定の生活費を仕送りされている。

「ああ、母上は一発で当てたのね。偉い! 見習えよ、むっつり半蔵」

「帰蝶様も、当たっていませんよね?」

 半蔵への飛び火に、月乃が強めの視線をぶつける。

 濃姫には子が授からなかったらしく、早期離縁説や早期死亡説まで後世に出ている。

「…月乃のブーメラン、マジ痛いです…って、話がズレてるよ! この調子で明日の朝まで時間を潰す気か? 忍者、マジで汚いわ」

 鬼面の忍者は、濃姫のペースに惑わされずに、今回の核心に言及する。

「はい。俺の舅を、濃姫様に斬らせる訳には、参りませんので。どんな手を使っても、安藤守就の所は避けます」


 濃姫は、舌打ちして半蔵を睨み付ける。

 父と弟達の仇ランキング一位は他界したが、西美濃三人衆筆頭・安藤守就はランキングの五位以内に入れていい大物である。

 と、濃姫が脳内ランキングを作成しても、半蔵のクライアントは織田信長。安藤守就は、既に織田への吸収合併に前向きな返事を寄越している。

 嫁の私怨で取引相手を殺させる信長ではない。

 濃姫も旦那の商魂は理解しているので、暴れたくても暴れられない。

 理性では。

(濃姫のストレス解消旅行だな、こりゃあ)

 半蔵は、鬼面で笑い返す。


「濃姫様を竹中半兵衛には会わせても、舅殿には会わせないように段取りを付けるのが、今回の仕事の最も難しい所なのです」

「まあね。会ったら我慢しないかもよ」

 鬼面同士の睨み合いが始まり、木下藤吉郎はトークで場を和ませる間合いを測る。

「なら、竹中半兵衛を城外に呼びつけますか? 来ないようなら、猿めが単身で稲葉山城に行きます。濃姫様は墓参りに行って下さい」

「藤吉郎。手土産なしで墓参りに行く帰蝶では、ない」

 濃姫は、和むのを拒む。

 木下藤吉郎は、営業スマイル抜きの真顔で意見する。

「濃姫様の無事なお姿が、何よりの土産です」

「父上の気持ちではなく、帰蝶のプライドの問題である。同じ件で三度も止めようとするなよ、藤吉郎」

 この会話を打ち切ろうとする濃姫に、木下藤吉郎は知恵を高速で絞る。


「あ、この案で、いいか」


 後に竹中半兵衛・黒田官兵衛という一流軍師を交えて軍略を練れる程に戦略思考を鍛え上げる男は、既に濃姫や信長の想定を超え始めている。

 彼らは、入り用だからと、発掘してはいけない才能を掘り当ててしまった。


「竹中半兵衛には、城を斎藤龍興に返却させましょう。そうすれば、城には自然と濃姫様の仇だけが戻って来る。これなら、信長様が城攻めをする際に、思い切り皆殺しに出来る」


 半蔵と妻たちの見る目が変わったので、藤吉郎は濃姫の後ろに隠れる。

「…初めて味わう視線だよ。何なの君たちのその態度!? 変な意見だった? 殺したくなった? 罵るだけで済ませてよ。二回だけなら、許す」

 本多正信なら、その視線が『畏怖』だと教えてあげられただろう。

「嬉しくなった。確かに木下藤吉郎は、高望みが許される武将だ」

 半蔵は『ほら、怖くないよ』アピールで藤吉郎の警戒を解こうとする。

 藤吉郎は、新鮮な評価に戸惑う。

 この猿面の青年が自己の才幹を正しく認識する出会いが、此処で起きる。


「おい、お前等。敵地の往来で、そういう発言をしたら、騒ぎになるだろ」

 宿の二階で話を聞いていた武士が、上からクレームを入れる。

「此方まで関わりがあると思われたら迷惑だ。離れなさい」

 宿の入口には、朝倉家の紋『三つ盛木瓜』を付けた旗と、桔梗の紋を付けた旗が二本並べてある。

(まさか、朝倉家も稲葉山城を買いに来たのか?)

 半蔵の想像は正しい。


 信長に敗北する戦国大名として後世にヤられ役として名を残す朝倉家だが、この時点では越前(現・福井県から岐阜県北西部)の老舗有力大名として周辺をブイブイ言わしている。

 朝倉幕府が誕生する可能性だって、5%程度は有り得た。


 もう一方の桔梗の紋は、服部隊の誰も土岐氏系統以上の特定出来なかったなかった。桔梗の紋は、鎌倉時代から多くの武家で使われているので、それ以上は特定し難い。

「光っちゃん?」

 濃姫が、知っていた。

「光っちゃん、再就職先、決まったの? 朝倉家? あそこは新規雇用が渋くない? 低賃金で奥さんに愛想尽かされたりとか、大丈夫?」

 クレーム侍は、ジト目で濃姫を見下ろした後で、引っ込む。

「向こうに行きなさい、つーか行けよ、歩く近所迷惑」

 キツい発言だけが、返される。

「従姉妹に向かって、去ねとはなんだ、ごらぁ!?」

「あー、うるせえ」

 クレーム侍は、引っ込んだまま出て来ない。

 たとえ親戚でも、濃姫を相手に相当に良い度胸をしている。

「今の男、どの位、信用出来ますか?」

 半蔵は、本人に聞こえるのも構わずに問う。

「父上が討たれた戦で、最後まで父上の側で戦った義理堅い男だ。母方の従兄弟でもある」

 さっきまで殺気立っていた濃姫の機嫌が直ったので、親しい親戚だとはよく分かる。

「明智光秀(あけち・みつひで)。父・斎藤道三の最後の弟子。父上が言うには、百人の部隊でも一万人の軍団でも、平気で率いる事が可能な武将だそうな。帰蝶が半蔵たちを信頼するように、信じてよい武将だ」

 身贔屓が大分入っているが、濃姫は明智光秀に太鼓判を押す。

(能力云々以前に、マムシとまで呼ばれた怪人の弟子だから就活で苦労しているのでは?)

 半蔵は、浮かんだ疑問を口にしない。

 余計な恨みを買う趣味はない。

 明智光秀が、再び二階から顔を出す。

「信じなくていいから、離れろよバカ姫!」

 三十代半ばの脂の乗り切った武将は、イケメンを台無しにする程に不機嫌に歪めてクレームを繰り返す。

「こっちは今、朝倉家の使い出来ているんだから、巻き込むな。離れろって言ってんだろ!」

 明智さんは、再就職先を失いたくなくて、必死。

 半蔵は、情報を確認する。

「この城下には、織田の関係者に狼藉を働く集団が出ると聞く。そろそろ定時巡回で通る頃かな?」

 光っちゃんは、二階から身を乗り出して半蔵の鬼面を凝視する。

「貴殿、分かっていて、そんな目立つ場所で駄弁っていたのか?」

「濃姫様に八つ当たりさせてあげないと。城の中で爆発しても困る」

 言いながら半蔵は、明智光秀が余計な荒事を嫌う性格だと当たりを付ける。

(厭戦家なら、此度は敵に回らないな)

 半蔵は明智光秀を、そういう人物として覚えておく。

 濃姫は、往来の左右を見回しながら、半蔵に抗議する。

「おいこら、半蔵。帰蝶を血に飢えたジェイソン君みたいに扱って、風評を吹かすものではないぞ?」

「もっと酷いでしょうに」

「言ってくれるなあ、鬼面マン!」

 濃姫が喚く間に、獲物たちが獲物の自覚なしに、近寄ってくる。


 『天誅』『織田死ね』のノボリを立てて歩き回る悪趣味な集団は、今の美濃に一つしかない。

 美濃を守るためと称して、怪しい者を根城に連れ込んでリンチするチンピラ武士集団『織田死ね団』

 通りかかっただけで、宿場の従業員たちが顔を顰める程度の連中ではあるが、藤吉郎は顔色を変える。

「やば」

 木下藤吉郎は、物陰(空桶の中)に器用に身を隠す。

 交渉さえ認めずに殺して済ませる過激な手合いが相手では、藤吉郎の才能を活かせない。

(話さえ聞いてくれたら、最低でも友達に成ってみせるのに)

 団員のほとんどは、織田の侵攻が原因で家族を亡くした経験のある者ばかり。織田関係者への下司な行為に、あまり抵抗がない。

 既に同業者が、二人殺されている。

「ガンバってね、半蔵。忍者の敵だよ」

 藤吉郎は、それだけ言って空桶に引っ込む。

 守る人数が減ったので、誰も突っ込まなかった。


 身形だけは整った武士二十人の団体が、服部隊を視認して目をパチクリさせている。カラフルで魅惑的な怪しい女忍者たちを見た反応としては、正しい。中には、勃起してしまった気の早い者もいる。

 ついで、濃姫を認めて仰け反る。

 日中の美濃衆と違い、逃げずに接近してくる。

 度胸が有るのではなく、二十人いるから大丈夫という、頭の悪い理由からだ。

 半蔵は、獲物が逃げないように、鬼面ではなく普通の平凡な顔で出迎える。今夜の安全を確保するには、獲物に逃げられると、困る。 


 間近で一団の顔を見て、半蔵はやや失望する。

 歯応えの有りそうな者は、全くいない。

(まあ、この手の弱い者イジメ集団に参加するような奴に、名のある武士はいないか)

 一団は、濃姫に対して口上を述べ始める。

「我々は、『織田死ね団』! 青き清浄なる美濃を守る為に、織田に与する者に、天誅をくわえ…」

「膝を付いて頭を垂れてから名乗れ、痴れ者。誰が帰蝶への直視を許した?」

 不機嫌に戻った濃姫のプレッシャーに、二十人はビビって片膝を着いて頭を下げる。

 それぞれ名前を名乗るが、濃姫の反応は冷淡だった。

「どうでもいい名前ばっかり。ハズレだ、半蔵。好きにしていいぞ」

 名乗らせておいて、雑魚扱い。

 父の仇ランキングに入らない美濃衆は、眼中にない。

 濃姫は、『織田死ね団』を見るのを止めて、宿の選定に入る。

「下々の宿に泊まるのは、初めて。チップは必要ないか?」

「清潔さで選びましょう。ノミ・シラミ・ダニは一切認めません」

 月乃が断固主張する。

「風呂の大きさですよ、姉御。二人で入れる広さの風呂があれば、機動性技が可能なのです」

 今晩は夜伽予定の更紗が、腰を振りながら大型風呂を推す。

「敵地だから、夜伽は延期よ」

 夜伽のローテーションを管理する月乃が、牽制する。

「敵地の方が排卵するって、婆ちゃんが言っていた」

 更紗は、平成仮面ライダーっぽい決めポーズで、月乃に抗う。

「今夜の更紗は、排卵ダーG7」

「戦況は刻一刻と悪化しているのよ」

 月乃と更紗がストロングスタイルの喧嘩を始める。

「やっぱり、民間の宿は止めて、伊賀守の屋敷に行きませんか? 待遇違うし、金を払う必要もないし」

 バルバラ音羽陽花が、目先の宿賃惜しさに、話を振り出しに戻そうとする。

「バルバラにもツッコミ入れたいが、今は『織田死ね団』の方に注意を向けるべきでは?」

 夏美の発言に、女傑五人が『織田死ね団』の方を再び見る。


 織田の忍びっぽい者と見れば、基地に引きずり込んで尋問・拷問・リンチ処刑に及ぶ彼らも、濃姫の前では大人しく控える。

 目線を少し上げて、女性忍者たちに好色そうな視線を送る者もいたが、濃姫に睨まれると自粛した。


濃姫「だから、どうでもいいって」

月乃「半蔵様一人で十分ですよ」

更紗「始まったら、適当に手裏剣投げとけばいい」

バルバラ「いや、明日は登城だから、武器弾薬の消耗は可能な限り避けよう」

夏美「明日が本番です。大事を取るか、肩慣らしとして処理してしまうかが、問題です」 

 夏美の発言に、女傑五人が『織田死ね団』の方を三度見る。


 『織田死ね団』は、とてつもなくナメラレている事に気付いたが、動けない。

 濃姫の一行の中で唯一の男の存在が、彼らの足を止めてしまう。

 半蔵は穏やかな顔で普通の男を演じているが、仕掛けようとする方では、隙を突こうとする度に死亡フラグが脳裏をよぎってしまうので、誰も攻撃できないでいる。

 リンチ目的で群れる低レベルな集団でも、戦場での経験で育んだ勘が告げる。

 その男に仕掛けたら、即死すると。


 相手が怯えて全く仕掛けて来ないので、半蔵は、ちょっと傷付く。

(あれ? 俺はもう、普通の人間と見做されないのか? 鬼面じゃないのに? 普通のフリが、無理? 強く成り過ぎた? 過ぎた? が〜ん)

 因縁を付けられたら速攻で皆殺しにするつもりでいた半蔵は、早々に方針を変える。



濃姫「やめよう。宿場の往来で、二十人分の中身をぶち撒ける行いは。可哀想だよ、二十人分の血と血反吐と臓物と糞尿を掃除する人が」

月乃「半蔵様なら、そんなに汚さずに殺せますよ」

更紗「数人残しておいて、掃除をさせればいい」

バルバラ「鉄砲じゃ半殺しに出来ないので、観戦する」

夏美「刀槍を使えばいいのでは?」

バルバラ「やだよ、今更近距離戦闘とか」

更紗「バルバラ。最近、腕が落ちただろ?」

バルバラ「そういう細かい事は、もう神様の手に委ねているから」

濃姫「神様って、そういう扱い方でいいの?」


 段々と話がズレてきた女性陣の会話の間、『織田死ね団』は死にたくないので礼儀正しく待った。

 待った。

 待つだけ無駄だった。

 女性陣の会話は、終わらない。


 可哀想な『織田死ね団』に対して、服部半蔵は丁寧に教えてあげる。

「良かったですな。濃姫様は、君たちを手討ちにする気はない。もう帰ってしまって構わないですよ」

 そういう事にしておこうよという半蔵の気遣いは、『織田死ね団』の僅かに残されたプライドに阻まれる。

「い、いや、我々はまず、濃姫様を美濃に引き止め…」

「する訳ないでしょ?! 信長と夫婦仲熱々だよ?」

 半蔵の情報に、『織田死ね団』が途方に暮れる。


「あと、皆さんが捕まえて拷問して殺している織田の忍者と見做されていた人々について。自分が調べただけでも、この半年で八人、無関係の者が冤罪で殺されています。君たちは、諜報活動には向いていません。無実の人間を殺し続けるだけだから、『織田死ね団』なんて効率の悪い活動は、止めなさい」


 細かくも決定的なダメ出しをされて、『織田死ね団』は半蔵からジリジリと下がりながら誰何する。


「拙者は、三河の松平家康様に仕える、服部半蔵です。今回は、濃姫様の護衛として参りました」


 その名に聞き及びの無い者は、居なかった。

 彼らは、自分たちが虎の口に頭を突っ込んでいる事態を悟り、身を竦ませる。

 もう遅いが。


「現在、伊賀忍者を基本にした情報網を全国規模で展開し始めています。『織田死ね団』の事を耳に挟み、機会があれば忠告しておこうと思っておりました」


 冤罪云々はハッタリだし、組織も準備段階だが、相手には見抜く術がない。

 服部半蔵のネームバリューが、美濃にまで響いているから効いてくるハッタリである。

 プロ中のプロからの忠告に、『織田死ね団』の心がぐらぐらぱきんと折れる。素人自警団が、ジェームズ・ボンドに諜報活動を添削されたようなものなのだ。

 折った上で、慰めにかかる。


「拙者も三河で皆さんと同じような苦労をしてきましたので、お気持ちはトテモ理解できます。国主が非力な時代に、隣国の有力大名に何をされるか、体験しております。あれは、辛いです。悲しいです。悔しいです」


 半蔵が誑しに入って注目を集めている隙に、藤吉郎は素早く物陰から出るや、明智光秀の泊まる宿屋へと、逃げ込む。


 勝てない叶わないと怯えた相手に慰められ、『織田死ね団』の面々は必要以上に絆されていく。

「我慢して従うのも、敵対するのも有りです。どの道を選ぼうと皆さんの自由ですが、徒党を組んで領内の人々を冤罪で殺すのは、いけません。

 もう、こういう活動は止めて、各自帰宅して身の振り方を考えるべきです」

 

 半蔵は、話を『織田死ね団』不要論に持ち込んで締める。

 彼らには、今夜は大いに悩んでもらって、濃姫一行を失念してもらう。

 今夜だけ忘れてくれれば、半蔵の勝ちである。

 とぼとぼと帰る『織田死ね団』へ、真心を込めているかのように礼をして見送ってから、半蔵は皆を明智光秀の選んだ宿屋に入れる。



 藤吉郎の入っていた空桶の隣の空桶の中から様子を見届けた出浦盛清は、服部半蔵にすら気付かれないまま、同じ宿屋に入る。

(…てっきり、連中を皆殺しにすると思ったのに)

 鬼の半蔵の異名は、既に武田にも届いている。

 武将としても忍者としても飛び抜けているのに加えて、武田に諜報戦での戦いを挑もうとする、尋常ではない男。

 だからこそ出浦盛清は、ハッタリだけで切り抜けた手際に感心する。

(殺した方が楽だったろうに、あんな連中)

 出浦盛清は、服部半蔵が相手に情けをかけたとは、考えていない。

(後で使い潰す気だな)

 同業者として、そう結論付ける。

 これが竹中半兵衛と並ぶ土産話になると踏み、出浦盛清は服部半蔵ウォッチを続ける。

 行き先は同じなので、仕事の上で全く支障にならない。



 宿の二階に上がると、藤吉郎が絞め落とされていた。

 木下藤吉郎の無差別級人誑しトークに対して、最も有効な対処法だった。

「警告で済ませるのは、おしまいだ」

 明智光秀は、火縄銃の発射準備を終えた状態で、半蔵たちを追い返そうとする。

「迷惑の種は、追い返しました。明智殿には、何の迷惑も被りません」

 光秀は、半蔵を静かに睨みつけてから、火縄銃の火を消す。

 光秀と半蔵の相対を中心に、全員が座り直す。

「用件は?」

「三河に来ませんか? 朝倉よりも、高給で雇います」

 光秀は、火縄銃よりも剣呑な言葉を、半蔵にぶつける。

「三河は、十年後には武田の領地に成っていますよ。滅びそうな家に、仕える気はない」


 半蔵が少しも怒らず、驚きもしなかったので、光秀は苦笑する。


「今の台詞に驚かないというのは、問題なのでは?」

「拙者の此れからの十年は、九割九分九厘負けると分かっている相手に、どう抗うかの戦いになります」

 半蔵は、三河では家康か酒井忠次にしか話せないような内容を、語る。


「国力を蓄えても、良い武将を揃えても、同盟者に助力を頼んで全てが都合良くいっても、まだ勝ち目がない。だが、負けても武田を三河で足止め出来れば、武田の勝ちではなくなる」

 光秀の聡明そうな眼光が、半蔵の鬼面を見据える。

「…信玄公が、実は病弱という噂に、賭けるおつもりか?」

 光秀の眼光に、凄絶な煌めきが灯る。

 己の才覚を生かせる仕事に飢えた男が、半蔵の話に餓狼のように喰らい付く。

「信玄公は、若い時から戦に出た数こそ多いが、刀を手にしたのは本陣まで攻め込まれた時のみ。その回数は、異常に少ない。恐らく、あの御大は戦をする際、本陣に戦闘をさせない事を大前提に戦略を練っている。戦国武将としては、慎重すぎる。本陣の戦力を必ず遊ばせておくのは、妙だ」

 こういう話に喜色満面になる光秀を、半蔵は同類と見做す。

「川中島の戦いで上杉謙信が本陣に突入して一騎討ちを仕掛けたのは、武田信玄個人の戦闘力が低い事を見抜いたからだ」

「…その説が確かなら…」

 明智光秀は、名酒でも味わうように、体をゆらゆらと揺らしながら、半蔵の説を検討する。

「遠征が長引けば、信玄の寿命を著しく削れる」

「三河で一ヶ月以上足留めすれば、健康に支障を来たし、武田の軍勢は帰還を余儀なくされる。そして二度と同じような遠征は出来なくなる。まあ、都合の良い見立てですが」

 光秀は立ち上がり、天を仰ぎながら哄笑を放つ。

「最強の戦国大名を、過労死!? 過労死させようだなんて!」


 階段の下で聞き耳を立てていた出浦盛清は、全てを硬直させて今耳にした情報を咀嚼する。

 そして、理解と共に、絶対に何のリアクションも取らないように、自分の体に一切の身動きを禁じた。

 少しでも体の自由を許せば、二階に上がって今の話をした者と聞いた者を、全てを殺そうとしてしまう。

 そんな挙に出れば、返り討ちは確実だ。

(落ち着け、俺。落ち着け。竹中半兵衛に会うのが主命だ。耳だけを使え)

 出浦盛清は、殺意すら抑えた。

 そんな盛清の様子を見て、宿屋の主人が神妙に忠告する。

「少年よ。階段の下から女性の上り下りを覗きたいという欲求は、分からなくもない。だが、恥ずべき事であるから、控えなさい。君の魂の為に」

 大真面目な顔の主人に、横で帳簿を付けている女将が混ぜ返す。

「一番パンチラが観易いのは、この助平亭主が座っている場所だよ」

「百文(約八千円)で替わってあげよう」

 女将が、算盤の角で主人の脳天に打撃ツッコミを入れる。

「いえ。自分の部屋で休みます。お休みなさい」

 盛清は、ハキハキと就寝の挨拶をして腰を浮かすと、今夜の階段下での活動を諦める。


 長く長く哄笑した後で、光秀は座って半蔵に笑いかける。

「貴殿、良い意味で、頭がイカれてるよ」

 潰れそうにない朝倉家を選んだ光秀は、九十九%滅亡する大名に仕えて奇策を出す半蔵を、そう評した。

「面白い。…三河には行かないが、半蔵殿の情報網には加えて欲しい」

「是非、お願いします」

 半蔵は、有能そうな男を味方に出来て、大いに喜ぶ。 

 この明智光秀が、数年後には織田家及び京都の政治中枢での最高の情報源に成ってくれるとは、本人も含めて想像すらしていない。

 この段階ではお互い、『面白そうな奴だから、相互フォロワーに成っておくか』くらいの打算しかない。


 濃姫が、立ち上がって締めに入る。

「よし、光っちゃんが、むっつり半蔵にコネを作れたお祝いを始めるか。鯉を刺身にしてくるから、他のビューティフル忍者たちは、酒と肴を運び込んで」

 月乃は肴を二品、更紗は酒の入った徳利を五本、バルバラは煮物を一品、夏美は熊肉の干物をサッと差し出す。

「速過ぎるわ! 待っててね〜」

 濃姫が、藤吉郎を踏み潰しながら下に降りる。

 落ちたふりを止めた藤吉郎が、半蔵と光秀の中間に座る。

 さり気なくセンターのポジション。

「明智殿。織田に来ませんか?」

 顔を半蔵の鬼面に似せながら、藤吉郎はスカウトを始める。

「給料は、この藤吉郎と同じぐらいで」

「何で半蔵より低い条件を持ち出すの?!」

「あ、バれてる」

「いいか?」

 光秀が、酒の肴に藤吉郎との会話を加える。

「俺が欲しいのは、安定です。朝倉家には、薄給でも、其れが有る」

「あ、薄給って認めているんだ」

 藤吉郎は、明るく笑いながらポロっと溢す。

「この藤吉郎の半分以下しか貰っていませんからな。そりゃあ薄給以外の何物でもありませんなあ」

 いつになく強気で交渉を始めるのは、濃姫が近距離にいる事も計算尽くだから。

 光秀は、怒って乗せられないようにテンションを調節しながら、反論する。

「竹中半兵衛との交渉が成功すれば、すぐに禄は何倍にも増える」

「上手くイカないでしょう。失敗する。だから、朝倉家はダメ元で、どうでもいい立ち位置の食客を寄越した」

 秀吉は、光秀の冷えた眼光を受け止める。

「明智殿が本気でも、肝心の朝倉家が意に介していない。そんな交渉は、初めから受け付けないでしょう」

「勝ち目がなくても、挑んでみたい交渉なんです」

「竹中半兵衛と、顔馴染みに成っておきたいだけでしょ? 本当は、明智殿自身も、交渉の成功なんて信じていない」

 明智光秀は、戦に臨む時の顔で、藤吉郎を睨む。

「で? それが何? 君に不都合でも生じるのかね?」

 藤吉郎は、ますます猿にそっくりな顔で、光秀と睨み合う。

「自分ではなく、明智殿に不都合が生じます。いいですか? 竹中半兵衛は、この木下藤吉郎の軍師になる天命を背負った男なのです」


 月乃が酒の酌をし損ない、半蔵の股間に注ぐ。

 更紗が酒を一気飲みし、バルバラが十字を切って怯え、夏美がハリセンで藤吉郎にツッコミを入れる。


 藤吉郎は、ドヤ顔で光秀に宣言する。

「竹中半兵衛の縁に縋るという事は、すなわち此の藤吉郎の部下に頼るという事。自然と、明智殿は藤吉郎の風下に立つ羽目になりますぞ」

 大笑いする猿面の青年から一歩下がり、光秀は半蔵に確認を取る。

「まさか…濃姫を、其の為に連れて来たのか?」

 この馬鹿話を頭から否定したりしない辺り、光秀の許容量は大きい。

 半蔵は、大いに頷く。

「織田信長のお墨付きの仕事です。木下藤吉郎は、竹中半兵衛を口説きに来ました」

 明智光秀(朝倉家契約社員)は、木下藤吉郎(織田家正社員課長クラス)を色々な方向から見直す。

 見直しても、好色そうな猿顔以外、何も分からない。

 藤吉郎は、ドヤ顔で観察させる。

 光秀は、頭を捻り、首を傾げ、彼への評価に悩む。

 会って四半刻では測りきれないので、半蔵に助言を求める。

「彼のスタンド能力は、何ですか?」

 動揺しているのか、濃姫のように現代語口調に変換されている。


「人誑し。話せば確実に友達に成れる才能は、貴重です。自分も信長様も、藤吉郎を武将として働かせれば面白い事になると、乗った」

 半蔵の推薦的褒め言葉に、藤吉郎のドヤ顔が嬉し泣きに歪む。


月乃「視線がエロいです」

更紗「視姦されただけで、中出しされた気分だよ」

バルバラ「神は偉大なので、常に藤吉郎の視姦から守ってくれます」

夏美「視姦には慣れているが、触ろうとするので難儀だ。殺したくはないのに。いや、殺していいか」

月乃「正当防衛よ。殺していいの」

更紗「釣りの餌に最適だよなあ、その無駄にデカい乳と尻」

バルバラ「やはりビッグセブンは格が違う。しーっしっしっしっ」

夏美「よし。次のお触りで殺す」


「この、感動している頃合いで言わんといてぇ〜」

 藤吉郎の嬉し泣きに、悔し泣きが混じる。


 光秀の方は、余分な情報には惑わされない。

「よし、分かった。朝倉家の用件は諦める。俺の面接順番を譲るから、調略の現場を見物させてくれ。君の才覚を直に見たい」

 藤吉郎は涙を瞬間的に乾かし、野放図な笑顔で光秀に酌をする。

「話の早い方は、大歓迎です」


 近所迷惑にならない範囲で賑やかに行われた酒宴を、出浦盛清は覚えている。

 この晩、この宿に居合わせた者たちの中で最も長生きする事になる少年忍者は、濃姫に誘われて二階の酒宴に加わった。

「どうせ寝られないよ、君。一緒に、おいで」

 願ってもない展開だった。

 濃姫は、能天気に武田忍軍のホープを二階に上げた。


 彼らが少年忍者に対して示した反応を、出浦盛清は覚えている。


 夏美は、懐中の忍者刀を抜きかけて、思い留まる。

 出浦盛清は、殺意を消しきれなかった未熟を恥じる。

 精一杯、年上のお姉さんの迫力に怯える少年を演じる。

「イジメちゃダメだよ」

 濃姫は、夏美に念を押す。

「はっ…」

 夏美は、ジト目で出浦盛清をジロジロ見る。

 何かを急かすように、ジロジロ見る。

「おーい、乳首ブルー。目線でイジメるとか、プロですね」

「いいえ〜。唇を奪う隙を窺っているだけですよ〜」

「嘘だ!!」

 隠しても無駄な気がして、出浦盛清は名乗る。

「武田家に仕える、出浦盛清と申します。お屋形様の命で、竹中半兵衛に会いに来ました」


 一同の動きが、二秒止まる。


 バルバラが火縄銃に弾込めを始めようとして、濃姫に尾骶骨を蹴り飛ばされる。

「帰蝶の招いた客よ」

 バルバラは、何事も無かったかのように、火縄銃を片付ける。

「あーいやー、熊か狼と見間違いまして。てへ」

 バルバラは、誠意のない『てへぺろ』を盛清に向ける。

 出浦盛清は、こいつらを殺すならこの女が先だと決めた。


 更紗は、袴を脱いでシマパン態勢でファイティングポーズを取る。

「下柘植更紗、刃牙VS猪狩の名場面を、一人で再現します!」

 更紗は、既に酔い狂っていた。

 出浦盛清は、シマパンを初めて見た衝撃を忘れない。


「三河の松平家康様に仕える、服部半蔵です」

 半蔵は、飲酒を中止して挨拶し、出浦盛清への対応に徹する。

 出浦盛清は、服部半蔵と直に向き合って込み上げてくる激情を抑えて、挨拶を返す。

「どうも。出浦盛清です」

 挨拶が終わると、半蔵は気不味そうに確認する。

「聞かれてしまいましたか?」

「聞いた」

 お屋形様を過労死させる計画を聞かされて湧いた殺意が、一気に胸中に膨れ上がる。

「すまない」

 半蔵は、目線を合わせたまま、口頭で詫びる。

「武田が滅びたら、旧武田の家臣は、三河で積極的に雇用するよ」

(この野郎〜〜〜〜!!!!!)

 出浦盛清は、無理に見えないように笑って見せる。

「逆になるでしょう。しかし不愉快な策ですな」

 出浦盛清は、笑い事にして苦笑する。

 何せマジで反応すると、『武田信玄が病弱』という説を肯定したと受け取られる。

 この半蔵の奇策が、武田がやられたら最も困るクソ戦略だと教えてやる筋合いは無いのである。

「松平が武田に降ればいいだけなのに。武士の意地は厄介ですな。一度は戦ってみないと、気が済まない」

 半蔵の方も、挑発には乗らない。

「武田が他国への侵攻を止めればいいだけですよ。そうすれば、戦は起きない。平和になりますよ、かなり広範囲で」

 悪いのは武田じゃないですかとばかりに、半蔵は持論を打つ。

「今の領地で充分では? 最強の称号も持っているし。わざわざ三河に攻め込んで、寿命を縮める必要はない」

「戦国武将が専守防衛を謳っても、説得力がない」

 出浦盛清が、半蔵の持論を相手にしない。

 明智光秀が、盛清の左から酒杯を渡しながら話に加わる。

「戦の口実は、どうとでもなる。領地が接していれば、戦の危険は常に在る。攻められるより攻める立場を一貫して生きる信玄公は、真の強者です。末長く長生きしますように」

 この酒宴の最年長者らしく、盛清の主人を褒めて煽てて場を和ませようとする。信玄過労死策に大喜びしたのを知っているので、最後の一言が余計な意味に取れるが。

 木下藤吉郎が、右から盛清の口にカステラを「あ〜〜ん」しようとする。

「信長様は、信玄公を大いに尊敬していますからね。戦なんてトンデモナイ! 武田が攻めてきたら、何でも♥あ♥げ♥ちゃ♥うぅ♥」

 藤吉郎の半端ないヨイショに、出浦盛清は笑って見せたが総毛立つ。

(どうして、この二人の『おべっか』に、脅威を覚えるのだ、俺は?)

 出浦盛清は、この二人よりは半蔵を信じておこうと判断する。

「明日、同行してよろしいでしょうか? お屋形様からは、竹中半兵衛を中心にした土産話を期待されているのです。半蔵殿に便乗した方が、早く済みます」

「いいですね。まとめて行った方が、時間の節約になる。相手も喜ぶでしょう」 

 半蔵は、明日の同行を快諾し、酒杯を再開しようとする。


 月乃が、半蔵の酒杯を持つ手を止める。

 表から、馬の近付く音が聞こえてくる。

 酒を飲んでいない月乃が、最初に気付いた。

 目を合わせただけで、半蔵と妻たちは行動に移る。

 半蔵が、二階の窓辺から表を覗く。

 上り藤の家紋を付けた老武士が、五人の武士と供に宿屋に馬を寄せる。

 老武士が、半蔵の覗き見を一瞥して返す。

「…舅殿です」

 半蔵は、安藤伊賀守の到来を濃姫に告げる。


 濃姫は、酒のせいで反応速度が一瞬遅れた。

 濃姫が武器を取るより早く、月乃が羽交い締めにして身動きを封じ、バルバラが武器を部屋の隅にまとめて取らせないようにする。

「おいこらおい、おいこら」

 更紗が濃姫の袴を外し、夏美が両足首を結ぶ。

 藤吉郎と光秀は、視界に濃姫の艶姿を入れないように背を向ける。この姿を目に焼き付けようものなら、濃姫か旦那さんにブっ殺される。

「姉御、すみまねえ!」

 酒で回らぬ呂律で、更紗が詫びる。

「わさびに、いや、おわびに、これをあげる」

 更紗は、未使用のシマパン(白と緑のストライプ)を、濃姫の頭に被せる。

「似合ってる。流石は、姉御」

「酔いが醒めたらどう詫びを入れるのか、今から楽しみだね〜」



 半蔵は、月乃だけを連れて表に出る。

 齢六十一の大ベテラン武将・安藤守就(あんどう・もとなり)は、月乃の姿を見て目を見張る。

 月乃を見ながらも、矍鑠たる安藤伊賀守は用件から伝える。

「『織田死ね団』は、壊滅させた。団員八十六名中、取り零しは三名。今晩は、わしの配下を不寝番に付ける。安心して宿泊されよ」


 話を盗み聞いた盛清は、半蔵の手回しの良さに舌を巻く。

(別口で、既に排除を依頼していたのか)

 今夜には壊滅させられる事を知った上で、わざわざ一部隊を待ち受けて弄んだ事になる。

(任務中に酒を飲める訳だ)

 感心しながらも、盛清は半蔵が敵側なので緊張し直す。

(いかん。弱みでも探らないと)


「忝ない、舅殿」

 半蔵は、普通の笑顔で礼を言ってから、月乃を舅の面前に押し出す。

 黙って固まったままなので、頬を指で突く。

「つ、月乃と申します。初めまして」

 家康の前でも信長の前でも怖じなかった月乃が、初めて会う父に緊張している。

 笑顔の安藤守就は、緊張する娘の頭を撫で撫でしてやる。

「大事に愛されている女にしか出せない色香が出ておる。良い縁を掴むのは、母親譲りのようだ」

「つ、月乃も、半蔵様を夜這いして、押し倒して縁を掴みましたっ!」 

「お前もかっ?!」

 父と娘の初対面は、共通の話題で和気藹々と進む。


 和む安藤守就を目掛けて、三人の落武者が抜刀して駆け寄ってくる。


 安藤守就の家来が反応するより早く、半蔵が奔る。

 宿場の往来を汚さぬよう、素手で対処する。

 半蔵の手刀が一閃、『織田死ね団』の残党一人目の喉を潰し、頚骨を粉砕する。

 二人目の斬撃を横に躱しながら水平に払った手刀が、脇腹に当たって肋骨を粉砕、肺まで大きく破壊する。

 三人目が、悲鳴を上げて遁走する。

 追おうとした半蔵を通り越し、手裏剣が三人目の後頭部に刺さる。

 手裏剣を投げた出浦盛清に、半蔵は一礼する。

「あっ」

 出浦盛清は、重大なミスに気付く。

(今の、服部半蔵を殺せる好機だった…)

「もう遅いよ」 

 半蔵は、鬼面で笑う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る