第9話
/捌
城が、崩れる。僕は走り出す。勇者としての脚力は、崩壊する速度よりも、遥かに速かった。
城が崩れるよりも速く、僕は中に飛び込んだ。辺りの壁一面に罅(ひび)が入り、天井も、床も崩落を現在進行形で進める。飛び込んだ所は、この城の中でも特に広い部屋である。簡単に言えば、応接間である。他の国からの来訪者を迎える部屋だ。
周りを見渡すと、そこは、血塗れだった。壁、床、天井、柱、全てが血で赤く染まっている。そしていつも国王が座っていた椅子にも。そして、その椅子の上には国王の首から上が置いてあった。
ぞっと、した。
だが、それどころじゃない。国王には悪いが、一人でも助ける事が必要だ。こうしている間にも、天井は崩れているのだ。もう既に所々天井は剥がれて、床に衝突している。
辺りを見渡してその目に映るのは……死体、死体、死体、死体、死体。
死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体。
人の死体も、魔族の死体もあった。
何故両方の死体があるのかを考える暇はなかった。
だが、誰が死んでいるのかを考える事はできた。
一人、一人、見つけるたびに、名前を心の中で反芻する。それをする度に悔しくなるけど、そうしなくてはいけない様に思えて、結局反芻し続ける。
このタルテトで、僕(カイネ)を育ててくれた、母のような存在だったメイド長、テイネ。
まだ新人で、おっちょこちょいなメイド、サキ。サキは僕の専属のメイドになるぞって何度も言っていた。けどメイド長からは、せめて皿を割らなくなってからだと言われていた。
他にも、国王に仕えたメイド、セタン。いつも丁寧な掃除をしてくれる、ヘン、ディア、トァリ、チテゥ、シェイ。
国王の護衛を任務とする、誇り高い近衛兵……同時に僕を鍛えてくれた、タナス。僕が小さかった頃、僕に剣の使い方を教えてくれた。
そのタナスの友人にして、近衛兵のランド、ギュリ、アバト、リンデ、エクト、デンティ、ヴァン、パヴィ、デンプ。
王妃であり、タルテトの中でも最も美しい女性と謳われる、トレン。
国王の愛娘であり、姫様三人のうちの二人、ステイリアと、ネージェ。ステイリアはとても元気で、活発だった。ネージェは恥ずかしがり屋だった。よく僕の部屋に来ていたな。……二人で手を繋いで、死んでいる。
悲しい、哀しい、かなしい。見知った顔が、虚ろな目でこちらを見ている。皆、凄く仲の良かった人達だ。時には悩みを打ち明けて、時には悩みを聞いてもらった人達でもある。王妃のトレンなんかは、僕の悩みを解決するのを沢山手助けしてもらった。真剣に話を聞き、適切なアドバイスをくれた。
そんな時、一人、たったの一人だけ、生者がいた。姫様のうちの一人、イーリア。物静かで、いつも本を読んでいて、けど誰よりも悩んでいた。その悩みをよく僕が聞いていた。
「イーリア!」
「あっ……」
見つけた瞬間、僕はすぐさま走り出していた。イーリアは他の二人、ステイリア、ネージェと手を繋いで泣いていた。
僕は急いでイーリアを抱き寄せるが、二人の手を離そうとしなかった。死後硬直して、開きにくい手からイーリアの手を引き抜き、急いで城から脱出する。そして、城の眼下に広がるタルテトの街に降り立った時、城は完全に姿を消した。
「……大丈夫か……イーリ」
ぱしん、と、頬を叩かれた。
「何で! 何で皆を置いてきたの! カイネなら……皆を救えたでしょう?! 何で……何で……なんで…………なの……」
最後の方は、嗚咽で聞き取れなかった。ただひたすら涙を流す。僕はゆっくりと、優しく、腕でイーリアを包み込む。イーリアは僕の胸に額を押し付け、嗚咽を漏らす。そして、何か言おうと顔を上げ……
「ぎぎききき?」
そこでイーリアは固まった。目が見開かれ、声にならない叫び声をあげる。
「イーリア? どうした……?」
僕の瞳から涙が溢れ、イーリアの頬に落ちる。そして、ゆっくりと顔を上げていくとそこには、イーリアの胸を貫く腕があった。その腕はゆっくりと引き抜かれ、てらてらと光る赤い液体が噴き出す。腕にも、夥しい量の液体が付いていた。
その腕を伝って、目線をあげる。そこには、人が一人いた。いや、人ではない。人の様な白い肌の下には脈動する赤い血管。腕から突き出る謎の棘。肩からも、背中からも、その棘は突き出ている。まるで、人に魔物の見た目を組み合わせたかの様だ。魔物にも脈動する血管がある。
「だれ、だよ……お前……」
「だれ? おれ? おれば、エンヴェンス・ネーバ……っで、ざっぎ呼ばれた」
「エン……ヴェン……? ……お前、まさか龍脈に……」
「キキギギぎきギ」
エンヴェンス・ネーバは嗤った。そして、次の瞬間僕は蹴られて、宙を舞う。軽く蹴られたと思ったがその衝撃は想像以上に重く、百メートル程は吹き飛ばされた。イーリアを置いてきてしまった。そう分かって、地面を転がりながら体勢を整える。そして体勢が整うと同時にイーリアに向けて駆け出そうとした。が、出来なかった。
エンヴェンス・ネーバが、イーリアを片手で持ち上げ、そして、
……突如巨大化した逆の手で、イーリアの身体を握り潰した。
そして、残ったイーリアの頭を、ころころと地面に転がした。
潰された身体は、それが人であったとは到底思えないほどにぐちゃぐちゃだった。
「……うそだ……うそだ、うそだ」
目の前の光景が、僕の動きを阻害する。急に訳が分からなくなり、一体今何が起こっているのか分からなくなった。だが、イーリアが殺されたという事実だけは、確かに理解していた。
「ぎ、ぎきききぎぎ、ごべんな、ざぁぁい?」
エンヴェンス・ネーバはぺこりと頭を下げる。そして、顔を上げると同時に、イーリアの頭を下げこちらを転がしてきた。いつの間にか地面に着いた僕の膝に当たって、動きを止める。
また、先ほどの様に僕を虚ろな目で見上げてくる。
その頬に触れれば、まだ若干の体温がある。
怖くなって、悔しくなって、イライラして、全部爆発させようとした、が……魔線を練る過程でどうにも上手くいかない。
そして、無理矢理にでも魔線を練ろうとしたその時、また腹部に衝撃が走る。エンヴェンス・ネーバの蹴り。また、僕はなす術なく、吹き飛ばされる。だが今回はすぐさま体勢を立て直し、エンヴェンス・ネーバに向けて疾走する。その前に、全力で自分の頬を叩いて思考を中断させる。
……今は、エンヴェンス・ネーバを殺す事だけを考えよう。
「殺すッ」
漸く魔線を練ることが出来た。異常なまでの身体能力を引き出す。今まで、僕の動きを見ることが出来た奴なんて一人としていない。だから、全力を出した事もない。事実、全力の三分の一程度しか出さなくても、負ける事はなかった。
けど、今回は別だ。
塵一つ残さない。
ただ、全力で、殺し尽くす。細胞一つ残らせずに。
相棒を、引き抜く。鞘から解き放った瞬間から光が溢れる。それはまるで、僕の怒りに呼応している様だった。きっと、僕の気持ちを分かっているのだと思う。
勝てる。
負けるはずがない。
絶対に。
「エンヴェンス……ネーバァァァッ!」
「ぎき?」
魔線を、練る。練って、練って、練って、練りまくる。その度に倍になる光。それは正に太陽。世界を照らす太陽の如く、輝く。
無名剣の形状が変化し始める。
刀身がゆっくりと伸びる。更に、柄が握りやすい形状に変わる。
変化は刀だけではなかった。刀を掴む右腕に見た事もない鎧が装着される。それは肩まで包み込むと、そこで止まった。鎧からは刀と同じ様な光を発している。
「喰らえぇぇぇッ!」
そして、刀を構えーー右上から左下に流れる、袈裟斬りを放つ。
白刃一閃。
瞬間的に増幅した光が、斬撃となって走る。
地面を斬り裂き、周囲には暴風が吹き荒れる。
それは一秒とかからずエンヴェンス・ネーバに到達し、その身体を、その細胞を、全て塵すら残らず滅ぼし尽くーー
「ぎききき」
……あれ?
先程まで存在していた光の斬撃はいつの間にか光の礫となり、空中に霧散している。抉れた地面も、途中で終わっている。
そして、何故か僕の腹部に違和感を感じる。
視線を落とす。
腕がある。
それも、真っ赤な。
真っ赤?
「……えっ? なん……で」
視界が、黒く染まった。
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