二球目◇望まれない創部◆

①清水夏蓮パート「笹浦二高女子ソフトボール部……」

◇キャスト◆


清水しみず夏蓮かれん

田村たむら信次しんじ

―――――――――――――――――――

「ソフトボール……ぼ、ボクが顧問!?」

「は、はい!! どうか、お願いします!!」


 驚きを隠せない信次に何度も頭を下げ、オレンジ廊下に伸びた夏蓮の影が揺れる。


 始業式早々、メチャクチャな提案をぶつけていることはもちろん理解していた。ただでさえ忙しいのが教職だとも知っている。そんな新任の彼に更なる業務を与えるなど、きっと心から困らせているに違いない。



『それでもわたしは、田村先生にお願いしたい……』



 ワガママをあまりあらわにしたことがない。しかし今日それができたのは、信次に対する信頼があるからだ。全員の名前と顔を覚えるという、生徒を大切にしようとする考えにも惹かれた。何よりも登校の際、


“「悩み事かい? 良かったら、教えてくれないかな?」”


 と、まだ一度も会ったことがない自分に悩み事を聞こうとした、彼の人間性を直に受けたことが大きい。


 断られるのがオチかもしれない。


 それでも迷わず、心の叫びを放ち続ける。




『――もう迷わない。わたしは、わたしの意見を貫きたい!』




「……どうか、お願いしますッ!!」

 勇気を持たずして過ごしてきた夏蓮が、初めて覚悟を放った放課後。外から響く部活動音のみが何とか沈黙を防ぐが、信次の表情が緩むことで、漂う緊張の霧をはらう。



「よしっ! わかった!!」

「え……?」



 片腰に手を添えながらあっさり引き受けた担任に、内気に小さく驚いたまま目を合わせる。大人のはずなのに少年のような無邪気が、より輝きと若さを感じさせる。



「まだ顧問になれるかはわからないけど、まずはソフトボール部の創設、ボクは協力するよ!!」



「……ほ、本当ですかァ~~!?」

 信次の汚れなき胸の張りに、嬉しさのあまり目を輝かせた。これは現実なのだろうかと、無意識に柔らかな頬をつねったくらいだ。


「もちろんさ。ボクは生徒のために、生きてるからね」

「先生……ありがとうございます!!」


 赤くなった頬を撫でながら、再び頭を下げて感謝を表した。心の中で渦巻いていた不安が、いつの間にか喜びで覆われるほど満たされる。


「そんな頭を下げないでよ。まだ決まった訳ではないんだからさ」

「いやいや、ホントにありがとうございます!」


 信次の困った照れくさい表情がコマ刻みで垣間見える。教諭の立場である彼には恥ずかしさもあるのかもしれないが、感謝の意思表示は止められず連呼する。


「今日はもう帰りなさい。明日また、元気に会おう」

「は、はい!! わかりました!!」


 右手を肩に置いた担任にまだ緊張を抱えながらも、嬉しさを出して叫んだ。静けさに包まれていた廊下に広がり始め、肌寒くなる春夜の訪れを遅らせる効果をもたらした気がする。




 ◇望まれない創部◆




「じゃあまた明日な。清水!」

「はい!! さよなら~!」


 昇降口までわざわざ出向いてくれた信次に、夏蓮は初めて見せた心底の笑顔で挨拶し、ゆっくりと校門へ向かっていく。時おり後ろを振り向けば、依然として手を振り続ける童顔男性の姿が見え、自然と頬を緩ます。



『ありがと、先生。これからホントに、よろしくね』



 新たな信頼を置きながら出ていった校門はいつにも増して身体が軽く感じたが、帰路を辿る足取りも今まで以上に緩やかという不思議な現象も生じていた。その理由も、学校など大して好んでいなかった自分が、今にも引き返しそうなくらいの場に感じていたからだろう。暖かく優しく包んでくれる、居心地の好い場に移ろいだ。



『良かった。勇気を出して……』



 狭い肩にスクールバッグを抱えギュッと握り、自身の行いに後悔など皆目見当たらなかった。


 生徒が担任に、悩みを告白する。


 とても簡単なことだと思われがちだが、実は勉強よりも難しい選択科目である。相手に打ち明ける覚悟を作り上げには、多大な勇気が必要だからだ。


 夏蓮が覚悟を抱くことができたのは、端から見れば取るに足りぬ、ちっぽけな勇気なのかもしれない。しかし内気で弱気な一面を考慮すれば、現在抱える膨らんだスクールバッグよりも大きい、胸に仕舞えないほどの想いだ。



『ホントに、良かった……』



 自分自身に嘘を着かなかった行動ができた。親友の柚月にも言われたことを思い出しながら、幼い胸を撫で下ろす。


『まず一歩は踏み出せたよ。けど……』



 しかし、ふと立ち止まって後ろを振り返り、夕陽に照らされた笹二校舎を視界に入れる。部活動に励む生徒たちの声がかすかに聞こえてくる中、すでに校門は見えないほど遠退いていた。


「先生、大丈夫なのかな……?」


 笑顔の信次を想い描きながら独り言を鳴らし、西陽の影を顔に表す。


 恐らくこの後、早速校長室に向かって女子ソフトボール部の創部を訴えることだろう。部活動申請書をもらうことだろうと、夏蓮はここまで詳しく知っている。


 しかし初日から遅刻するような、おっちょこちょい感否めない男だ。大人としての責任に欠ける一面もある。


 夏蓮はそんな担任兼協力者を心配していた――とはまた異なっていたのだ。信次本人に信頼を置く人間として、彼の行い自体を懸念している訳ではない。



「笹浦二高女子ソフトボール部……」



 まるで以前に存在していたかのように、長々しい名目が言い慣れていた。


 彼女は知っている。小学生当時、柚月や咲に梓らと共に所属した、元笹浦スターガールズの一員としてではない。笹浦第二高等学校の、二年生となった一生徒として……。


 今年から訪れた信次はきっとまだ知らないだろう。何せ起こったのは、去年の出来事なのだから。


 もう一つの悩ましい真実。



 それは、夏蓮たち四人がそれぞれ異なった道を歩んだことではなく、学校側にも問題があった、残酷な過去の他ならない。



『――笹二ソフト部の復活、周りの大人たちは許してくれるのかな……?』



 しばらく校舎を眺めていたが、夕陽がほぼ沈むと同時に再度帰路を歩み始める。校門から出てきたときの明るさはどこかに消え、夕闇に誘われながら一人下校を辿っていった。

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