⑤清水夏蓮×田村信次パート「そ、そうじゃなくて……」
◇キャスト◆
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―――――――――――――――――――
始業式開始間近。大勢の笹浦二高生が待つ体育館は、新クラスで関係を築こうとする者たちによって騒然としている。しかし、一人の少女は静かに俯きながら、色褪せた床に目を落としていた。
『言えなかった。顧問になってほしいって……』
二年二組の縦列中央部で座る夏蓮は静かに、自身の弱気な一面にため息を漏らしていた。
勇気を振り絞って、担任の信次にソフトボール部の創部を手伝ってもらおうと、早速校内の廊下で待ち構えた。が、大きな不安や緊張、そして心の準備ができず逃げてしまったのだ。
『何やってるんだろ?
せっかく掴んだチャンスを
『何がしたいんだろ?
自身の想いとは真逆の行動ばかりを繰り返してしまう、未来に恐れた内気な少女。
目の前で座る柚月の背も見ぬまま、一人静かに館内の傷ついた床を覗いていた。
「ふぅ~。何とか間に合った~!」
つい先程まで聞いていた信次の肉声が入り込む。息を荒げて登場した辺り、ずいぶんと急いで来た様子だ。
二組の生徒からは、ずいぶん遅かったね? と問われていたが、苦笑う信次は頭を掻きながら、
「いや~廊下で迷っちゃってさ~」
と、新しく訪れた校内環境もまだ理解できていない状態がわかる。
おっちょこちょい感満載の信次だが、一度深呼吸を見せてから夏蓮の傍まで寄ると、二年二組の生徒を人差し指で確認していた。
「……あれ?」
「ど、どうしたんですか?」
突然首を傾げた信次に、仰ぎ見る夏蓮はつい尋ねる。
「……貝塚の姿が見当たらないんだ。体調でも悪くしたのかな~?」
「ゆ、唯ちゃんのこと……?」
信次が悩ましそうに頷いてみせたが、彼より一年先に――よく考えれば中学も同じだから計四年――面識のある唯の学生生活に関してはよく知っている。
ただ、あまり答えたい気持ちになれなかった。
「清水は、貝塚のこと何か知ってるかい?」
「そ、それは……」
聞かれる事態は予想できていたが、思わず閉ざしてしまう。新任教諭の彼に、初日早々から困らせたくなかったからである。
――唯が問題児であるなど、まだ教えるには早すぎると。
「たぶん、貝塚さんは来ないわよ?」
「ゆ、柚月ちゃん!?」
傍で信次との会話を盗んでいた柚月が平然と、当たり前の真実だと言わんばかりに紡ぐ。
「じゃあ、貝塚は今どこに……?」
「まぁ、普段生徒が行けないところじゃない? 例えば、屋上とか」
二人の会話が淡々と進んでいくと、信次はすぐに眉を立て、唯を探しに行こうと体育館から姿を消す。せっかく間に合った始業式も、これでは欠席扱いになるだろう。
一方で二人のやり取りを眺めていた夏蓮は、信次を背が見えなくなるまで見送ったが、眉間の皺が詰まった表情は心配で満たされていた。
「あのさ、夏蓮……?」
「な、なに……?」
ふと呼ばれた夏蓮は前を向くと、すぐに柚月の丸まった背中と、美しい艶を放ちながら上品に束ねられた黒髪が映る。
「貝塚さんのこと、隠そうとしたでしょ……?」
「――っ! ……うん」
心を見透かされいたことで黙り、終いには柚月の背からも目を逸らしてしまう。
「だって、まだ早いと思ったから。それに、唯ちゃんだって、これからは登校してくれると思ったし……」
夏蓮とは小学生のときから同じ学校を歩んできた柚月。それは必然的に、彼女も唯を知る一人であることを意味する。
ならば自分の意思をわかってほしいと、夏蓮は弱々しくも願った。
しかし、柚月の肩がため息と共に沈む。
「――他人ばかり思いやるのは良いけどさ、それでアンタは周りに、しかも自分にも嘘つくの……?」
「ご、ゴメン……」
静かな言葉が痛いほど突き刺さり、ただ謝ることしかできなかった。相手を思いやることが、反って他人を傷つけてしまう行動となっていたと悟ったからだ。
また、なぜ信次へ正直に言えなかったのかも、何となくわかった瞬間である。理由は己の気弱な一面と共に、もう一つの心持ちがあることが否めない。
『――
館内アナウンスより、始業式開始の宣告が響き渡る。まだ入学していない一年生以外の生徒らが起立し、式開始の一礼が厳粛に行われる。ところが、夏蓮だけはワンテンポ遅れて頭を下げていた。
◇顧問になってくれませんかッ!?◆
「屋上……ここかな?」
校内の階段は、言うまでもなく静観に包まれていた。
クラス生徒の一人である唯を探してから早十分少々。柚月の言葉を信じ、あっちこっちの階段を上って屋上まで訪れたものの、未だに彼女の姿は見当たらない。
残る階段はあと二つと迫った。階段ダッシュばかりしているせいで、すでに両足には重力が普段の数倍を掛けられている。しかし、ここまで来たからには見つかるまで諦めないと、反って息を吹き返したかの如く、一段飛ばしで駆け上がっていく。
―――「ニャハハ……」
「ん……?」
かすかな笑い声と小さな話し声が耳に入った。どうも唯の声とはまた違ったようにも聞こえたが、誰かがこの階段先にいることは確かだ。
声を辿るようにして上り続けていくと、話し声は次第に鮮明になり、どうやら二人の女子のものだと予想が着いた。
「……この先か」
三階まで来た信次の前には、屋上へと続く階段を封鎖した多くの机が現れる。しかし、普段横並びされ二段重ねになっている壁は一部移動して開いており、誰かが入って上った形跡そのものだった。
疑念が確信に変化した信次は早速、開いた机の間を通り抜けて階段を上がる。内容までよく聞こえてくる中、すぐに求めていた姿を発見する。
「やっぱり貝塚だ!! 探し……あれ?」
「あ゛ん?」
「にゃあ?」
立ち止まった屋上扉前には、予想通り唯の恐い表情が目に映った。しかし不思議に思ったのは、おちゃらけた声を鳴らしたもう一人の女子が共に座っていたからである。
「お兄さん誰にゃあ?」
大きな瞳を開く女子は猫口のまま、ほぼ同じ背丈の唯とは真逆の
「君は、確か……」
もちろん二年二組に彼女のような茶髪生徒はいない。だが、徹夜までして記憶した、脳内全校生徒リストを広げた信次はすぐに
「あっ思い出した!! 九組の
「にゃあ!? なんできららの名前を知ってるにゃあ!?」
特別進学クラスに在籍しているきららが驚きを放ったことで、見事に言い当てた信次の記憶は正解。徹夜までした甲斐があった。
「昨日までに、全校生徒の顔と名前は覚えたからね!! まぁ、それで今朝は寝坊してしまったんだけど……。ボクの名前は田村信次!! 今後はよろしくね、植本さん!!」
茶髪な彼女と初めて会った信次は白い歯といっしょに笑顔を放つと、きららにも笑みが伝染し、どこか嬉しそうに瞳を輝かせる。
「もっちろんにゃあ!! 信次くん、よろしくにゃあ!!」
「きらら、行くぞ?」
「にゃあ?」
きららも挨拶をした刹那、唯は静かに立ち上がり彼女の手を引く。信次の横を無言で通り、階段を降りるようだ。
「よし!! 三人で体育館に行こ……」
「……誰が行くかよ? めんどくせぇ」
「ふぇ……?」
振り向かず言葉尻を被せた冷徹な言葉に、思わず目を点にしてしまった。これから体育館以外に、どこに向かうというのだろうか。
「……そんなこと言わないないで! 何事も、始まりが肝心なんだよ?」
「始めたくないんで、オレらは……」
男染みた一人称に気を揺さぶられ、威嚇するように振り返って尖った瞳が向けられる。
「どうせテメェも、誰かに言われたからオレらを探しに来たんだろ? この新人野郎」
「いや。ただ君のことが心配だったから、探してただけだよ?」
恐れ
「へっ、誰が信じるかよ? 嘘ばっかりの、大人の言うことなんて……」
長い黒髪から覗ける彼女の表情は妙に悲しげで、親友に違いないきららも心配気に見つめていた。
――パシッ!
嫌な空気を引き裂くように、二人の細い腕を掴む。
「にゃあ?」
「て、テメェ!! 何しやがんだよ!?」
二人が驚くことは無理もないとわかっていた。だからこそ、開き直った笑顔で受け付ける。
「まぁまぁ。二人とも元気そうでよかったよ。まだ式は途中だから、これから早速行ってみよ!」
あまり好ましくない強制的ではあるが、二人をそのまま体育館に連れていくことにした。
「ニャハハハハ~!! 信次くん、超ウケるにゃあ!!」
「テメェ……マジで覚えてろよ?」
楽しげなきららと、唯の
「よし着いた!! さぁ! 自分らのクラスのところに、行ってきなさいなぁ!!」
最後に二人の背中を優しく押し、そっと館内へ
「信次くん! またいっしょにお話しようにゃあ!!」
「チッ……」
唯からは舌打ちを鳴らされたが、それぞれのクラス列の最後尾に座る。無事参加に至れたようだが。
『貝塚、唯か……』
信次はすぐに安堵を忘れ、唯の背中ばかりを見つめてしまった。ただその理由は、式を受けようとしなかった彼女の悪態ではない。彼女の首元に、あるまじき“あるもの”が目に入ったからである。
『――あんなところに……どうして……?』
普通なら考えられない、首もとの“あるもの”。
なぜ首もとという大切な箇所に刻まれていたのかと、深々と考える。だが式を妨害したと捉えられてしまい、ついに演説中の校長先生を始め、教頭先生からも注意を受けてしまう。全校生徒の注目と、盛大な笑い声に浴びることとなった。
◇顧問になってくれませんかッ!?◆
式は無事に終わり、生徒たちはクラスへ戻った一方で、教員たちもこれから始まる学級活動へと教室に向かうところだ。
受け持ったクラスへと近づく中、信次は隣に彩音を置きながら進んでいたが、珍しく表情に雲がかかっていた。
「ん~なんでだろう? ボクは間違ってるのかな……?」
それは唯のことで悩んでいる訳ではなかった。先ほど訪れた、職員室で受けた注意である。
「まぁ田村先生。三神先生に言われたことは、あまり気にしないでくださいね」
数分前の職員室。
信次が座る席のもとに、一人の男性教諭が訪れたときだった。
「あっ、三神先生!! 始業式お疲れさまでした!!」
信次が空かさず挨拶した相手――三神龍介は厳格な顔つきなまま見下ろしてきた。
教諭として長年のキャリアがある彼は今年、二年九組という特別進学クラスを任された優秀者だ。去年の大学進路結果を窺った限り、新任の信次にとっては足元にも及ばない崇高な存在と言えよう。
「なんだか今回は、うちの生徒がお世話になったそうで……」
声に老いを混ぜる三神は落ち着いた表情で答えた。どうやら唯と共に屋上にいたきららの件だ。
「全然問題ありませんよ! 彼女は素直に向かってくれましたし、ホントは良い子なんだなぁって!」
「まぁそれは別としてですね……」
「ほい……?」
生徒を褒めようとした話を逸らされ、思わず
「――あのような行為は、やめてもらっていいですか?」
「……は、はい!? なぜですか!?」
驚いて立ち上がってしまった。まるで、彼女らを式に参加させようとした自分の行いを否定されたように聞こえたからである。
「女子生徒の手を引いて、セクハラとか言われても、無理ありませんよ?」
「い、いや! ボクはただ、彼女らを式に参加してもらうために」
「まぁ取り合えず、今後はあのようなことしないでくださいね?」
「は……はい……」
結局強制終了させられた想いは三神に伝わらず、後味の悪い終わり方を迎えたのだった。
「どうして先生が、生徒に正しい行動させることがダメと言われてしまうんですかね? ボクはよくわからないです……」
今では腹立たしくも思えるほどの、龍介の威厳ある顔。むしろヤケドするほどの冷たさを備えた、彼の表情。
ついに愚痴を溢した信次だが、隣で歩む彩音が頬を緩める。
「でもわたしは、そんな田村先生が立派だと思いますよ? 生徒のためって、なかなかできない御時世ですからね。ステキです」
「えっ……あ、ありがとうございます……」
彩音の言葉を真に受け、つい頬を赤くしてしまった。
彩音と別れて一人で廊下を進み、再び二年二組の表札が見えてくる。龍介に言われたことも気になるところだが、今はクラスのために切り替えようと深呼吸し、得意の笑顔でドアを開ける。
「よーし!! じゃあ学級活動始めよう……あれ? 貝塚は?」
入室直後、辺りを見渡した信次には唯の姿が見当たらなかった。彼女には色々と聞きたいことがあっただけに、より心配の念に駆られてしまう。
本当は体調が悪かったのかなと、唯の机を眺めながら教壇に立った瞬間、目の前の夏蓮も急に立ち上がる。
「――唯ちゃんは! その……帰りました……」
「うぇえ!? 帰った!? な、なんで!?」
「ば……バックレってやつだと……」
「そ、そんなぁ!!」
恥ずかしさを表す夏蓮は俯いていたため、驚かされた信次は生徒それぞれの顔を見ながら疑問を投げてみる。
なぜ唯は、バックレてしまったのだろうかと。
無理矢理参加させた自分が悪いならすぐ謝ろうと思えたが、生徒たちは妙に沈黙する。
「……先生? 早く、学級活動始めましょ?」
すると後席の柚月が挙手し、室内の嫌な沈黙を破る。
「え、あ、ああ。そうだ、ね……」
話を逸らされた感覚であまり気がのらないまま、学級活動を始めることとなった。
クラスの学級委員を始め、様々な役割分担を決めたが、事務机から唯の席ばかりを見る信次には、誰がどの役割に決まったのかなど、全く頭に入っていなかった。
『――貝塚……だったらどうして君は、学校に来たんだ……?』
自宅に帰ったはずだ。まだ午前中でもあるのだから。しかし、その予想がより、唯の首もとから“あるもの”を見つけている信次を苦しめていた。
◇顧問になってくれませんかッ!?◆
「よーし!! みんな、今日はお疲れさま!! 明日からは通常授業が始まるから、しっかり受けるように!! では、サヨナラァ!!」
――「「「「サヨナラ~」」」」――
午後四時の放課後。
生徒たちは教室を出て、帰宅する者または部活動に励む者と別れ、それぞれ昇降口を出ていった。
「ヨシッと! 施錠完了!」
信次も教室を出て施錠し、職員室に向かおうと進み出す。
それにしても今日の一日だけで、様々な事態と遭遇した。教頭先生からは怒られ、龍介には嫌みを言われ、唯には早退されたと、教職とは難しいものだと改めて感じる。
「あっ、今日の貝塚の出欠はどうしたらいいんだろ? 早退って言っても、一番大切な式はちゃんと受けたから出席扱いにしてあげたいんだけどなぁ……」
主に彼女のことを気にしながら過ごした本日。慣れぬ評価にも頭を悩ませながら、橙色に染まる廊下を一人歩いていた。
―――「せ、先生!!」
「ん?」
突然鳴った震えた声に踵を返す。するとそこには予想通り、夏蓮が緊張で強張った様子で待っていた。
「どうしたの? まだ帰ってなかったのかい?」
教室に忘れ物でもしたのだろうかと、いつもの明るい笑顔で近づいていく。
「実は、その……先生にお願いが、あるんです……」
「あぁ。教室開けるくらいなら、御安い御用!」
「そうじゃなくて……」
「なんだい? ボクで良ければ、なんでも聞くよ?」
今朝の登校中から、悩みある様子を見抜いていた。もしかしたら、その悩みが今放たれるのかもしれない。
彼女が言いやすいように微笑み、膝を折って目線を合わせようとしたときだった。
「……せ、先生!
その刹那、夏蓮は信次の目を見ながら、決意を顕にした瞳と眉を放つ。
自身の弱気を、新たな一歩という名の勇気に換えて。
信次は首を傾げながら待っていると、ついに悩める少女の秘め声が明らかになる。
「――ソフトボール部を創りたいんですッ!! 顧問になってくれませんか!?」
夏蓮の精いっぱいの声は、人気のない夕焼け廊下全域に渡り響く。
一方で信次は予想もしていない突然の内容に驚きを隠せず、言葉まで失ってしまった。
初めて内なる悩みを真剣にぶつけた生徒と、初めて悩みを聞くことができた新任教諭。
二人の間に一時の沈黙が漂う。しかし、この一言が今後の学校生活――いや、笹浦第二高等学校並びに、この笹浦市にすら大きな影響を与えることになるなど、聞かされた信次も、そして放った夏蓮ですらも、思いもしていなかったのだ。
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