④田村信次パート「舞園、聞こえ……」

◇キャスト◆


田村たむら信次しんじ

清水しみず夏蓮かれん

篠原しのはら柚月ゆづき

中島なかじまえみ

舞園まいぞのあずさ

(貝塚かいづか)ゆい

―――――――――――――――――――

「三十八番!! 与野原よのはら若葉わかば

「はい!」

「よしッ!! これで出欠確認終了っと!」


 終始大きな声で呼び続けた二年二組三十八人の名前を、信次は間違えることなく通した。

 始めは生徒から小バカにするような視線を受けたが、終わってみれば驚きや歓心、隣同士で嬉しそうに喋るといった状態と至り、初ホームルームの教室内は快適だ。


「よーし!! 一人遅刻だが、みんな元気そうでなによりだッ!!」


 教卓前の席にいる夏蓮にも言われたように、教室内には一人――貝塚唯の姿のみ見当たらない。

 もちろん信次にとっては、一人いないだけでも心配の念に駆られることだが、今は目の前にいるクラス生徒たちを大切にと、無邪気な笑顔を見せ続けていた。


――ガラガラ……。


 ふと開けられた教室後方ドアから、一人の女子生徒が侵入してきた。長身長髪をゆらゆらと静かに戸を閉め、無言のまま空席に向かう。暖かな春日和にも関わらず黒タイツに染まり、中身に何も入っていなそうな軽いスクールバッグを席隣に落とすすぐに椅子へと腰を下ろし、うつ伏せになってしまった。

 彼女が一体誰なのか。

 もちろん生徒たちは知っている。夏蓮も、柚月も、咲も、そして梓だって。

 一方で新任の信次も、待ってましたと言わんばかりに頬を緩ませる。


「おう、貝塚!! おはよう!!」

「……」


 貝塚と呼ばれた女子は長髪と両腕で顔を隠し、ビクとも動かなかった。朝は苦手なのだろうか。


「おっはよう!! 貝塚唯!!」

「うっせぇなぁ……聞こえてるよ……」


 スタッカートを効かせて名を呼ぶと、苛立ちも含んだ初声が鳴らされた。顔を決して上げない態度も否めなかったが、信次は決して笑顔を失わず、教壇前の机に両手を置く。


「よーし!! これで全員揃ったね!! 今日の始業式、みんなしっかり受けるように!! はい!! では、ホームルーム終了!!」


――パチッ!!


 一本締めの如く手を叩き、始業式前のホームルームは簡単な説明をして終了を示す。

 本当に終わりでよいのかと、生徒たちの間にどよめきが立ち込めていたが、信次が生徒を信じるあまりの結果だった。

 信じるべき生徒たちには、長々とした説明は必要ない。むしろ自分より一年早くこの環境で生活している。今さら始業式の話など無くてもきっと平気だろうと、反って先輩として見ながら、教卓から窓際の事務机へと移動していく。


『ふぅ~。なんとか、みんなの名前は無事言えたな』


 すぐに騒がしくなった教室の一方で、着席した信次はホッと背もたれに寄りかかる。



『どうやら昨晩の徹夜が、やっと結果を出してくれたみたいだね……』



 就職が決まった後日、あらかじめ生徒名を覚えるため写真付名簿を持ち帰った信次。まだ学年も担当クラスも決まっていない頃だ。


 生徒の名前を呼べずして、何が先生だ。


 そんな個人的な意見を持つ信次は、全校生徒の名を覚えるべく、音読筆記暗唱を繰り返して過ごしてきた。

 おかげで昨日は徹夜するほど時間を費やして、遅刻する羽目となってしまった。が、苦労が実を結んでくれたと素直に喜んでいた。



――「せんせ~いッ!!」



 鳴り始めた女子の甲高い声に振り向く。


「お? 中島どうしたの?」


 先ほどの出席の際に元気な声で返事した、お転婆娘の咲が嬉しそうに歩み寄ってきた。短い髪の毛を揺らし、前髪を頭頂部にまとめ額を輝かせ、さらに光る笑顔を見せつける。


「先生スッゴ~~い!! もう、みんなの名前覚えてるんだね!!」

「え? いや~そんなスゴいことじゃないよ」

「いやスゴい!! スゴいよ!! ギネスいけるよ!!」


 咲の一方的な感心に苦笑いで返していたが、するとまた別の生徒二人が向かってくる。

 眼鏡を掛けた一人は肩にギリギリかかる髪をオシャレなヘアピンでまとめた、ほぼ同身長な咲の横へと近寄る。

 またもう一人は、二人に比べて背は低く、まだまだ幼さが残る短髪の少女。どこか緊張している様子も窺われた。

 彼女たちの足音に気づいた咲も、すぐに後ろを振り向く。


「ねぇそう思うよね! 柚月!! 夏蓮!!」


 呼ばれた二人は咲のそばにたどり着くと、まずは柚月が呆れたように頷く。


  「ほとんどの先生って、この日に読み間違えて覚えるもんだしね……てか、あんた先生だったのね」

「アハハ~、今朝は失礼致しました……」


 苦笑いで頭を下げた。彼女からナンパと勘違いされただけに。


「そうそう!!」 


 すると咲が信次と柚月の間を割って入る。


「アタシなんか特にそうだったの!! アタシは“エミ”なのに、よく“サキ”って間違えられてたもん!!」

あたしの話、聞いてなかったでしょ……?」


 柚月の言う通り、話を盛り返した咲は真剣なまま答えて継続する。


「夏蓮も、そう思うよね!?」

「わ、わたしも……すごいと、思います……」

「あれぇ? 夏蓮緊張してるの~?」


 咲に怪しいにやつきを受けた夏蓮には、今朝を考えるとやはり変質者として見られているのかもしれず、心持ちが重かった。出欠確認中に謝ってみたものの、やはり心から許してはいないようだが。


「く~!! かわいいなぁコノ~!!」

「や、止めてよ咲ちゃん!! 苦しいよ~!!」


 柚月に笑われる二人だったが、正直咲が助け船にも感じて笑うことができた。


「ハハハ!! 三人は仲がいいんだね~」

「まあね。あたしたちは、小学生からの付き合いだしね」


 柚月の言葉から考えると、どうやらこの三人は幼馴染みのようだ。


「同じ、小学校だったの?」

「確かにそうだったけど、あたしたちは同じスポーツクラブで、初めて知り合ったの」

「スポーツクラブ?」


 スポーツに疎いあまり首を傾げたが、生徒の抱く興味は是非知りたかった。知識はなくとも聞く耳ならあると、向こう見ずに問う。


「そうなのか~! 何を、やってたんだ?」

「そ、それは、ね……」

「ん……?」


 すると目を逸らされ、変に答えにくそうに見えた。あまりおおやけにしたくないのかと、不思議に感じつつ待っていると。



「ソフトボールだよ!!」



 高らかな大声に、信次はすぐに太陽のような額に目が向かう。種目を叫んだ者は柚月ではなく、現在進行形でなぜか夏蓮を羽交い締めしてる咲だった。

 少しの間、信次がぽかーんと口を開けていると、咲は眉を潜め苦しむ少女を横に飛ばしてしまう。


「え゛えぇぇ~~!! その反応は先生、ソフトボール知らないってこと!?」

「あ、いや! 別にそういう訳じゃないんだけど……」


 輝く額を目の前に置かれたあまり背を反ったが、咲はすぐにニッコリと輝きを増す。


「ソフトボールはもう、メッチャクチャおもしろいスポーツなんだよ!! ねえ二人とも!!」

「う、うん……」

「そ、そうね……」


 咲から解放されて安心してる夏蓮の後、どこか困った様子の柚月が賛成した。

 担任なんかには知ってほしくなかったのか。やはりまだ不審者だと思われているのかと、悩める理由が思い浮かばず瞬きを繰り返していたが、ソフトボールという言葉をあえて抜きながら、微笑みを抱いて感心を表す。


「そうなのか~!! じゃあ今三人は、同じ部に入ってるの?」


 こんなにも仲が良いということは、同じ目標を持ち、同じ志を抱いているからだろう。部活動は絆を深める場の一つなのだから。

 ならばきっと同じ部活動――恐らくソフトボール部――に所属しているに違いない。

 しかし、夏蓮と柚月は互いに雲がかったままの目を合わせ始め、一方で咲は勢いよく首を横に振る。


「み~んな違うよ」

「あれ!? そうなの!?」


 予想を大きく外し、立ち上がるほど驚きをあらわにした。せっかく同じソフトボールクラブをやっていたのに、何とも勿体ない。


「アタシはバレーボール部!! 中学からやってるんだけど、こっちもこっちで、チョー楽しいよ!!」

「ば、バレー、ボール部なの……?」

「モチのロン!!」


 確かに同じ球技だが、全く別物のスポーツである。流石の運動知識に疎い者でもわかり、妙な片言になってしまった。


「だってさ……」


 すると咲は初めて信次から目を逸らし、窓の外から照らす春の太陽を目に浮かばせる。



「――ソフトボール部のない……できないアタシたちはさ、これで良かったと思うから……」



「え……?」

 春風に舞った呟きに静かな疑問符を漏らす。ふと額を手のひらで拭う彼女が“これが”ではなく“これで”と告げたあたりは、まるで諦めにも受け取れる内容で、瞳を煌めかせる女子が儚くも見えたからだ。

 咲の心持ちが気になり詳しく聞こうとしたが、突然フフッと笑いだした柚月に止められてしまう。


「……そうよね。あたしも、美術部に入ったんだけどさ、結構楽しくやってるわ」

「わ、わたしは……何もやってないな~。だって、勉強でいっぱいいっぱいだし……」

「え~!? 夏蓮はアタシより頭いいじゃ~ん!」

「そ、それは……」

「咲に負けたら、それこそ世界の終わりよ」


 柚月の突っ込みが入り、三人が和やかに笑い始める。既に緊張している様子、悩みで陰鬱な感じも伝わらず、目の前に別世界が出現したように見とれていた。


 三人の趣味を聞くはずが、それぞれの現在を知った。大好きであろうソフトボール部に入っていないことは、どうやらこの学校また中学生になってから部が無かったからだろう。きっと中高とやりたかったはずなのに、教員として何ともやりきれない思いだ。

 しかしバラバラな環境にいる中、ここまで強い絆を結ばれていることは、美しさが際立って見える。



『三人は、とても強いんだな~……』



「そっか。みんなそれぞれ違うことをやってるんだなぁ。それはそれで、ボクはとても良いことだと思うよ!」

 再び声を投げた信次に笑顔が戻り、幼馴染みの三人を笑いながら振り向かせた。

 大好きな部が存在しないことは、ときに生徒の学校生活を苦しめる、多くの者にはなかなか伝わらない重要教育問題だ。この御時世では、何よりも進学を求められてしまう学歴社会なだけに。

 また、ってほしい部活動がマイナーな種目、人気のない習い事ならば、尚更問題解決に至るのは難しい。部費を出さなくてはいけない学校側が、いくつも部を作ってはいられないからだ。

 それでも彼女たちが今こうして笑顔でいられるのは、間違いなく強いからだ。

 それは過去と違う楽しみを見つけた――からではない。

 きっと固い絆が誕生させた、互いを思いやる愛があるからだ。



『――部が無くても、大好きな友だちがそばにいる、か……。やっぱり、親友って良いもんだね』



 咲の前向きな明るさ、柚月の本音を放つ厳しさ、そして夏蓮の微笑む優しさが繰り広げられる、女子高校生たちのやり取り。

 安らかな表情を作りながら、静かにそっと見守ることにした。


――「ねぇ、みんな……?」 


 教室後方から落ち着いた女声が投じられ、夏蓮たちと合わせて振り向く。


「お、梓じゃん! どーしたの?」

「もうそろそろ式の時間だよ。早く体育館に行こ」


 気がつけば辺りの生徒もまばらで

、室内に取り残されていた。腕時計を眺めると、始業式開始時刻まで十分を切っている。


「うお。もうこんな時間か~!! 舞園、知らせてくれてありがと!!」

「……」


 生徒に時間厳守と言っておきながら、まさか自分が遅れそうになってるとは。驚き立った信次は感謝の意を表したが、梓は何も言わぬまま廊下に出て行ってしまい、声を聞き届けてくれたのかわからないまま姿を消してしまう。


「舞園、聞こえ……」

「……梓もアタシたちと同じ……友だちなんだ!!」


 信次の言葉尻を被せたのは咲だ。勢いが止まって間を入れると、再び額を拭う動作を示した。どこか苦笑いにも見えた表情だが、柚月と夏蓮も俯く姿勢で、彼女らの後頭部が向けられる。


「まぁ……あたしら四人は友だち。だから梓も含めてよろしくね、先生」

「う、うん。こちらこそ、よろしくね。じゃあ時間だから、すぐに体育館に行こう!!」


 柚月は咲と違って顔を見せてくれなかったが、三人は並んで歩き始め、揃って退出した。

 室内に一人だけとなった信次も、早速廊下に出て教室の施錠をする。無音の世界が拡がっていることから、他クラスの生徒たちも既に移動したようで、どうもビリは自分のようだ。

 決して時間にルーズではないが、信次は体育館を目指し廊下を駆け進んでいった。

 今は式のことだけを考えるべきだ――それは言うまでもなくわかっていた。


 が、どうも気掛かりなことが脳裏を横切り、どうも目線が下がる。



『あのときの中島、何か違うことを言おうとしてたと思うんだけどな……』


“「……梓もアタシたちと同じ……友だちなんだ!!」”



 困り顔といい、妙な間といい、彼女の様子はどこかぎこちなかった気がする。信次は咲の言動、そして変に気になった額を拭う動作を思い浮かべながら、静寂の階段を駆け降りて行った。


「あ、先生!!」

「ん? 清水?」


 階段を終えて一階の廊下にたどり着くと、先程まで話し込んでしまった夏蓮が映った。スカートの裾を握りながら全身を震わせており、どこか緊張している様子が見て取れる。


「どうしたの? 式遅れちゃ……」

「……先生は、その……」


 今度は夏蓮に言葉尻を被せられ、首を傾げて待つと。



「――部活の顧問って、何かやります、か?」



「へ……? いや、ボクはまだ、決まってないよ」

 意外な質問に拍子抜けすると、夏蓮は突然目を見開き、スカートから離した手を拳に変える。


「じ、じゃあ!! 是非、その……こ、も……」

「ん?」

「――ッ!!」


 意気込みが消えてしまい黙った少女に聞き出そうとしたが、その瞬間夏蓮は瞳に涙を浮かべてしまい、すぐに小さな背を向ける。


「な、なんでもないです~!! ごめんなさい!!」

「あれ!? 清水ー!!」


 信次の手を伸ばした呼び止めも束の間、夏蓮は颯爽とその場を離れ体育館に向かってしまった。絶対何かを伝えようとしていたが、内容は皆目見当が着かない。


「なんだったのか……え? うわあぁぁ~~!! あと三分!!」


 目に映った指針で絶望的な叫びを漏らし、今朝の慌ただしさを再現するかのように体育館へ向かった。早速抱くことになった疑念と共に。

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