③清水夏蓮パート「……すごい」

◇キャスト◆


清水しみず夏蓮かれん

篠原しのはら柚月ゆづき

中島なかじまえみ

舞園まいぞのあずさ

田村たむら信次しんじ

―――――――――――――――――――

 笹浦二高の昇降口を上がった夏蓮と柚月。

 身長に差がある二人の姿は姉妹にも窺われる中、先を歩く夏蓮が新たな教室――二年二組のスライド扉を開ける。

 いざ室内を覗けば、去年同じクラスだった生徒同士が会話していたが、ほとんどの見知らぬ生徒たちが着席し黙っている。


「ゆ、柚月ちゃん……二組で、いいんだよね?」

「さっき、昇降口でクラス表見たばかりでしょ? 間違いなく、あたしたちはここよ。それに……まぁ頼りないけど、咲だって言ってたんだから」


 背後の柚月から呆れたように返された、引っ込み思案で内気な少女。新クラスに馴染めるのかという不安も抱えて立ち止まっていると。



「――おっはよおぉぉ~~!! ゆ~づき~!! か~れん~!!」



 廊下を駆ける眩しいほどの女声に振り向くと、ショートヘアな前髪を頭頂部で束ね、ひたいを太陽の如く光らせたお転婆娘が目に映り込んだ。大きな声に最初は驚いたが、彼女のことを知る二人はすぐに頬を緩ます。


「噂をすれば、現れたわね」

「咲ちゃ~ん! おはよう!」


 喜ばしく迎えると、咲が急ブレーキを掛けて停止する。小学生当時から相変わらず慌ただしい様子だが、ニッと白い歯を見せながら到着。身長の近い柚月、逆に低い夏蓮の肩それぞれにてのひらを載せる。


「二人とも!! 新学期、よろしくね!!」

「もちろんだよ咲ちゃん! お互いにとって、良い一年にしようね!」

「もう、アンタは朝から騒がしいのよ。あんなスピードで廊下走ったら、危ないでしょうよ?」

「いや~面目めんぼくない! 朝練終わったら、すぐ柚月たちと会いたかったからさ~」

「し、始業式なのに、朝練あったの!?」

「モチのロン!! 今年はレギュラーになって、それにインターハイに春高も目指してガンバってるんだから!!」


 始業式当日にも練習をするとは、いくら何でもハードな女子バレーボール部だ。毎年準決勝まで駒を進めているだけのことはある。運動など苦手な夏蓮にとっては、笹二バレーボール部の活動が恐ろしくも思えた。


『インターハイ、か……』


 親友同士の明るく懐かしいやり取りが目の前で繰り広げられる中、普通だったら顔を上げて、自分よりも背の高い二人を見上げなければならない。

 しかし、夏蓮は逆に俯いた姿勢のまま、咲の言葉から胸中にわだかまりを持ち始めていたときだった。



――「おはよう、みんな……」



 今度は物静かな女声に振り向くと、四人目の女子高校生が目に映る。黒き長髪の垂らした彼女は冷静沈着で、細い目ながら穏やかな視線を放っていた。

 少し暗い様子だった夏蓮の表情は次第に晴れていき、再び映った親友の姿に頬を緩ます。


「おはよう、梓ちゃ……」

「……おっはよおぉぉ~~~~!! あ~ずさ~!!」


 言葉尻を被せた咲が一番乗りで梓に抱きついてしまう。


「え、咲はさっき体育館前で、ウチと挨拶したじゃん……」

「いいじゃん、いいじゃん! 減るもんじゃないんだからさ~!」

「うぅ……強、い……」


 苦笑した梓を気にしないお転婆娘がさらに強く抱き締めて苦しめるが、夏蓮と柚月もつられて笑っていた。


「あら、梓? 新学期早々、たいへんそうねぇ~フフ」

「ゆ、柚月……見てないで、助けてよ……てか笑ったでしょ?」


 咲の力強い抱き締めで窒息気味な梓だが、柚月は決して近寄らず、眩しいほどの笑顔で見守るだけだった。いや、見送るが相応しい。


「あ、梓ちゃん!?」


 一方で夏蓮は、青ざめつつある梓を心配し、咲の名を呼んで止めようと試みる。


「咲ちゃん、ストップ!! 梓ちゃんが死んじゃうよォ!!」

「ア~は梓のア~、ズ~も梓のズ~、サ~ラミはおいし~い!」

「なんで最後は食べ物!?」


 挙げ句の果てにはツッコミを入れてしまい、咲の暴走を止めることができず慌てふためいていた。

 四人のバラバラなやり取りは続き、教室を騒がしい物にしていることは間違いない。しかし、夏蓮は困惑を覚えながらも、少しばかり微笑んでいた。



『やっぱり、みんなといると楽しいなぁ』



 今のようにバタバタした日は、久しく無い気がした。一体いつぶりだろうと考えると、やはりあのときだったことに気づく。



『――六年前だよね。わたしたち四人が、まだソフトボールをやっていた日』



 六年前。

 それは、夏蓮たちが小学五年生だったときのこと。

 四人は市内にあったソフトボールクラブ――笹浦スターガールズの一員として所属していた。週末に行われる練習は厳しいものだったが、その分だけ思い出に重味を感じる。


 チームのキャッチャーとして、また関東代表として選ばれた選手でもある篠原柚月。

 ファーストから繰り出す大きな声で、誰よりもチームを盛り上げていた中島咲。

 そしてチームのエースピッチャーとして、幾度の勝負を投げ抜いてきた舞園梓。


 一方で夏蓮はというと、年下の子たちに負けてしまうほど能力が劣り、万年ベンチの控え選手として過ごしていた。チームの中で活躍する場など、三人と比べればとても数少ない。

 だが夏蓮にとって、それ以上に大切にしていたのは、“最高の絆で結ばれた仲間たち”の存在だった。

 大好きな仲間たちとの、大好きなソフトボールの練習、また昼休憩時のたわいもない会話まで、今日まで確かに覚えている。

 あの日に何があったかと聞かれれば、即答できるほど鮮明に残っており、確かな思い出として胸に閉まってある。



――もちろん、六年前の悲劇も……。



「……懐かしいなぁ~」

「夏蓮? どうしたの?」

「うわッ……」


 俯いていた夏蓮を気づかせたのは、先ほどまで梓を苦しめていた咲の声だった。距離にして十センチない対面で驚いてしまうが。


「ゴメン、なんでもないよ。ところで、梓ちゃんは?」

「梓はあっち! 席に戻ったよ!」


 すると咲が窓際の方を指差すと、梓が自席でびくともせずにうつ伏せになった姿が目に入る。


「そ、そっか……生きてる、よね」


 片頬を引きつってしまったが、すると背後にいた柚月から肩を叩かれ、横を通り過ぎていく。


「もうチャイム鳴るわよ~。面倒な担任かもしれないから、席に着きましょう」


 ふと教室の丸時計を覗けば、時刻は八時四十分を迎えるところだ。ホームルーム開始も同時刻なため、夏蓮は柚月、そして咲にも向けて頷く。


「そうだね。じゃあ、またあとで話そうね」

「ラジャー!!」


 咲の高らかな返事が響き、三人も自席に着こうと歩き出した。

 縦六列並んだ四十席近くの机。

 梓は窓際の前から二番目。また咲は窓際隣の列で、丁度真ん中の席。一方で柚月は中央に並んだ右席の一番後ろ。

 そして、出席番号が柚月の次である夏蓮は、教卓目の前の席となってしまった。


『授業中、居眠りしないよう気を付けよう……』


 まるで貧乏くじを引いてしまったかのように顔を強張らせ、小さなため息を漏らしてから座った。重たいスクールバッグから教科書とノートを取り出し、難しそうな印象を与える表紙を見ないように机に入れる。



――キーンコーンカーンコーン……。



 バッグをフックに掛けたと同時に、笹二のチャイムが鳴り響いた。ついに始まる新学期がどんなものかと考えようとしたが、すぐに教室の扉が開けられる。


――「おはよォ~~!!」


 すると扉からは、男性ながら高い声が放たれる。きっと担任の先生であることを察しつつ、夏蓮は視線を向けて顔を確認したが。


『あれ……?』


 目を疑ってしまう男の素顔に、何度も瞬きを繰り返す。見覚えのある童顔、そして聞いたばかりの男声。


『え……?』


 入り口にはスーツを着た一人の若々しい男が立ち現れ、優し気な風貌を保ったまま入室する。


『うそ……まさか……?』


 思いの呟きが止まらない中、担任と思われる男は教卓に手を置き、生徒たちに笑顔を向けて立ち止まる。うっかり心を開いてしまいそうな、柔らかい色男であるが。


『――ッ!! やっぱそうだよ! そうだよね、柚月ちゃん!』


 息を飲まされた夏蓮は突如後ろを振り向き、柚月の様子を窺うと。


『あ……アハハ、やっぱ、そうだよね……』


 予想通り、同じ犠牲者である彼女も愕然口を開けていた。何歳か老けた顔にすら見え、再び正面を向くことにした。新たに訪れてしまった男性教諭に、眉間の皺を寄せて。



『――柚月ちゃんといっしょに見た、今朝の不審者の人だァ~~!!』



 まさかあの遅刻且つナンパ犯が、実は新担任だったとは。



「はい、起立ッ!!」



 号令を掛け始めた男により、生徒たちが皆起立していくが、柚月と夏蓮は完全に遅れて立っていた。


「礼ッ!! おはよーございまーすッ!!」

――「「「「おはようございます!」」」」――

「はい、着席!」


 挨拶を終えて再び着席していく生徒たちだが、柚月の呆気に取られた様子と夏蓮の驚愕は、未だに収まりそうになかった。

 すると通称不審者の男は背を向け始め、チョークを握って黒板に文字を書いていく。力んでいたせいか、一本目をすぐに折ってしまうと、空かさず二本目を持って漢字を縦に記していった。


「……よしっと! これでいいだろう!」


 男はチョークを置いて再び素顔を現し、どうやら彼の名前らしい四文字の漢字を皆に見せる。

 夏蓮には、なかなか綺麗な字体ではあることが見てわかったが、一字一字があまりにも大きく書きすぎたのか、最後の一文字である“次”が潰れかかっていることが一番印象的だった。

 そして男は再び振り向くと、大きく息を吸って声を鳴らす。



「君たちの担任になった、田村信次ですッ!! みんなとは、仲良く元気良くやっていこうと思ってるので、どうかよろしくねッ!!」



『たむら、しんじ、先生……』

 夏蓮を始め、生徒たちからは茫然とした視線を向ける。が、元気が有り余った彼は早速出欠確認を取り始める。


「一番、浅野あさのしずく!!」

「は、はい……」


 信次は廊下側一番前の席の女子生徒と目を合わし、返事の後に笑顔を見せていた。


「じゃあ次! 二番、天笠あまがさ優子ゆうこ

「はい」


 出欠確認はどんどん進んでいき、生徒の返事をより遥かに大きい信次の声が鳴り続く。

 一見は何も変ではない、当たり前で普通の出欠確認ではある。しかし一番前の夏蓮は教卓上を見つめながら、信次の見えない努力に驚かされていた。



『すごい。生徒名簿も見てないのに、みんなのフルネームが言えてる……』



 信次との間にある教卓上には、黒く威厳ある生徒名簿が確かに見える。ただ閉じたまま置かれ、開いて再確認することもしなかった。


「はい!! じゃあ次は……」

「……すごい」

「ん? どうした清水?」

「え……?」


 無意識の独り言を反応されると、今朝に遭遇したときのように目を合わせる。微笑みを絶やさない、髭も生えていない、高校生程度の少年にも見えてしまう、童顔新任教諭の笑顔。


「い、いや! なんでも……」

「そういえば、今朝はゴメンね。急いでたもんで」

「あ……は、はい……別に……」


 清い眉をハの字に変えて謝罪されたが、頬の緩みは残ったままだった。


「さぁ! 気を取り直して、次は十番、貝塚かいづかゆい!! ……あれ?」


 再び生徒たちの名前を呼ぶ信次を、夏蓮は依然として眺めている。こんな教員に会ったのは、初めてかもしれない。大概の先生たちは決まって、初日は名簿を見ながらでも間違えて呼んでしまうのに。


「誰か、貝塚のこと知らないかな?」

「か、貝塚さんは!」


 ふと夏蓮は腰を浮かせ、信次と再び瞳を交わす。


「清水? 知ってるかい?」

「あ、その……いつも通り、遅刻だと思います……」

「そっか! 教えてくれて、ありがと!! じゃあ次は、十ー番、國枝くにえだ和也かずや!」


 満面の笑みを見せられた夏蓮は静かに腰を下ろし、再開した信次の出欠確認を見つめた。

 決して恋愛感情が芽生えた訳ではない。柚月にもちゃかされた登校時だが、その感情は今も心にはないし、これからも発生はしないだろう。



――だが夏蓮は、信次に対する敬意を抱き始めていた。



 クラス生徒の名前を全て覚えていたから、信次は今朝だって夏蓮の名前を知っている様子だったのだ。

 一番最初の出欠は、今朝の登校時だったと言っても過言ではない。



『――田村信次先生か……』



 小さな再会を果たした二人。

 そんな夏蓮は驚きから解放された心を微笑みで示し、自分の呼ばれる番を心待ちにしていた。

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