②田村信次パート「大丈夫。ボクは、ボクらしくで……」
◇キャスト◆
校長先生
教頭先生
―――――――――――――――――――
「――うわあぁぁ!! 遅刻だあぁぁっはぁ~~!!」
一人のスーツ姿の男性――
「どうして、目覚ましの電池切れちゃったんだよ~!! 昨晩取り換えたばっかじゃないかぁ~!!」
残念ながら電池が切れていた訳ではなく、単純にプラスマイナス極を反対に入れていたためだ。そのときなぜ秒針が止まっていることに気づかなかったのか、もはや迷宮入りである。
「初日からこんなことになるなんてぇ!! あんまりだぁ~~!!」
息を荒げて愚痴を溢しながら、ふと身につけていた腕時計を確認する。だが二本の指針らは午前七時半を迎えようとしており、職員会議開始時刻まで残り僅かだと無慈悲にも伝えていた。
「まずいまずい!! 今日から始業式なのに~!!」
新学期早々慌ただしい信次は、まるで少年の如く疾走していく。
始業式当日から寝坊というとんでもない事故に見舞われてしまったのだが、もちろん望んでやった訳ではない。だがその分ショックと焦りが計り知れず、心まで汗びっしょりだ。
「奇跡よッ!! 起きてくれえぇぇ~~~~!!」
既に登校してる高校生たちにも見られながら、春の暖かな陽と、揺れ落ちる桜の花びらに迎えられる。新たな就職先の高等学校へ懸命に。
茨城県立笹浦第二高等学校。
男女共学で入学偏差値は六十弱――県内では進学校としても認められている県立高校である。
始業式が始まる本日、生徒の皆は新クラスに向かい、クラスが友人と共に喜びんだり、またクラスが別れてしまい悲しんだりと、様々な顔立ちで新教室を訪れている。
「うお~~!! 間に合ったあぁぁ~!!」
職員専用下駄箱にたどり着いた信次は息を切らしながら、すぐに靴を履き替える。会議五分前でもあるため、安堵を漏らす間もなく廊下と階段を駆け上がる。
「おはよォォございます!!」
――「「「「……」」」」――
「おや……?」
威厳極まる職員室を開けると、厳正で静かな空間が拡がっていた。前方で数多くの先生が席に着き、奥の方には新任教諭と見られる者が四人ほど並んでいる。またその四人の手前には、苦笑いの校長先生と、瞳を尖らせた教頭先生の眼鏡コンビが立っていた。
『間に合ったはずなのに……嫌な予感しかしない』
室内大多数から冷たい視線すら浴びてしまい、もしやと腕時計を覗こうとしたときだった。
「田村先生だね、待っていたよ」
「こ、校長先生!?」
笑顔で答えてくれた校長先生の穏和な声からは、歓迎の意が込められていたが。
「……ボク、遅刻でしょうか?」
「一応セーフだけど、社会人は五分前行動が原則だよ」
「はッ!! 申し訳ありません!!」
――ガン!!
「いったぁ~~!!」
謝罪で勢いよく頭を下げたが、すぐそばにあった机に頭をぶつけてしまった。しかし、嫌悪的ムードだった周囲からは呆れた笑い声が響かされ、場の和みが生まれる。
「さあ、田村先生。今から新任教諭の自己紹介をしてもらうから、君も前に来なさいな」
「は、はい!!」
額を赤くした信次は笑顔で移動し、新任教諭列の隣に並ぶ。一先ず大事に至らなかったようだと安堵を漏らしたが、すぐそばの教頭先生から鋭い眼光が飛ばされる。
「全く……初日早々、世話の焼ける人ですね」
「アハハ~……すみません、随時反省しておきます」
「二度と! こんなことがないように」
離れていく教頭先生に言い残され、何度か頭を掻きながら下を向く。
こんなはずではなかった。目覚ましさえちゃんと鳴っていれば、開始開始時刻一時間前には来ていたのに。やはり昨晩、徹夜してしまったことが問題なのだろう。
『――やっぱり徹夜しても、ろくなことないよなぁ……』
そう思った信次は、今度は悩ましいため息を放ち、強張った肩を落とし反省していた。
「はい。では、新任教諭の自己紹介をしてもらいますので、よろしくお願いします」
校長先生がそう告げると、新任教諭たちがそれぞれの名前、出身校、担当教科、意気込みなど手短に発表していく。
全ての教員から注目を浴びながらの発表は、大人である彼らでも緊張するものだ。所々噛んでしまったり、頭の中が真っ白になって言葉が止まってしまったりと。
「はい、ありがとぉ。じゃあ最後は、田村先生だね。よろしくお願いします」
「はいッ!! かしこまりましたぁ!!」
いよいよバトンを渡された信次は敬礼し、室外まで聞こえるほどの返事を響かせた。新任の列から一歩踏み出し、改めて胸を張る。
「――自分は、
間もなく三十歳にしては若々しい童顔と声を持つ信次は、最後に勢いよく一礼する。今度は机に衝突せずに済み、満面の笑顔を上げることができた。
こうして新任教諭の紹介が終わると、それぞれ設けられた専用事務机へ移される。まだ緊張の面立ちを見せていたが、唯ー信次だけは嬉しそうに笑い、これから始まる職員会議に迷いなく集中し臨んだ。
校長先生からは本日行われる始業式と、各学級活動内容の説明で職員会議が終わると、いざ担当クラスへと向かう準備が始まる。
「さてと、ボクのクラスは二年二組かぁ。楽しみだなぁ!」
周りにも聞こえる独り言を漏らしながら、机上で生徒名簿と、クラス報告書が閉じられたファイルをトントンと叩いていた。
ずっと夢に見てた夢が、ついに叶うのだ。
今はこれ以上の幸せは他にない。
信次は下手な鼻歌を鳴らして立ち上がると、同時に起立した前の女性と目が合う。
「田村先生、ですよね」
「は、はい!! 生まれも育ちも田村です!!」
突如柔らかな声をかけられた信次は驚き、目の前の女性に気をつけの姿勢をしていた。まだ話したことがない女性からは、教諭らしい風格を感じる一方で、艶のある長い黒髪を揺らしながら、若くきらびやかな笑顔を向けられた。
男として見とれてしまうほどの華やかさを感じていたが、信次の凝視する、薄いルージュで染まった唇が動き出す。
「わたしは
「あっ、如月先生! こ、こちらこそよろしくお願いします!! き、如月先生はその、ここで、何年働いていらっしゃるんですか?」
「わたしは今年で三年目です。難しい職業で、まだまだ新米同然ですよ」
「いやいや、ボクなんかと比べたら全然!! 足引っ張らないように努力しますので、末永くよろしくお願いします!!」
眩しいほど明るい声で伝えると、如月彩音と共に席を立って廊下に出ていった。
◇顧問になってくれませんかッ!?◆
「……」
「新学期、晴れて良かったですよね」
「は、はい!! そうでございます!! ……」
廊下を歩き始めた二人の会話は、とてもぎこちない。
もちろん結婚などしていない、終いには彼女を持った経験もない。隣に異性を置いて歩くなど非日常なことであり、終始胸の脈打ちが止まらずにいた。
学校が恋愛をする場所でないことは、いくら愚かな信次でもわかってるが、どうしても眉間の皺が取れず、への口まで止められない。
「……」
「……田村先生?」
不思議そうに声を鳴らした彩音。
しかし彼女を無視するかのように、信次は顔を強張らせたまま進んでいく。すでに緊張で気が確かでなく、何も耳に入ってこない心持ちだからだ。
黙ったまま隣にいたら、早くも嫌われてしまうだろう。だからといって、話題を作れるほどの余裕もない。
『……どうしよう?』
動揺を隠せず心で呟き、悲壮な表情で頭を抱え出す。
『やっぱ無理だぁ~……大人の女性と話すだなんて……』
決して彩音のことを嫌ってる訳ではない。むしろ仲良くしたい気持ちが強くある。
が、あまりにも場馴れしていない。生徒となら
「……ゴメンなさいッ!! ボクは話題もろくに作れない、つまらない男なんです! どうか御許しください!!」
苦悩の末、誠心誠意を込めて謝罪することにした。職員室でも見せなかった苦い顔を落としたが。
「……あ、あれ?」
隣にいたはずの彩音が見当たらず、目が点になって瞬きを繰り返してしまう。置いてかれたのかと思い進行方向先を眺めるが、やはり足音すら耳に入ってこない。おかしいと首を傾げようとすると。
「田村先生? どこに行かれるんですか?」
「ぅえ!?」
彩音の声が背後から聞こえた信次は、驚きながらも
「そっちは、三年生のクラスですよ? 二年生のクラスは、この階段を上った後です」
「……わぉ」
動揺のあまり、自身の担当クラスにすら向かっていなかったことに気づかされる。同時に情けなさまで覚えて。
『絶対バカだって思われてるんだろうな……トホホ』
二階から三階へと上った二人にも、やっと別れのときが訪れる。突き当たりとなった廊下には、
“←理系クラス兼特別進学クラス5~9組”
“文系クラス1~4組→”
と示された貼り紙が掲載され、生徒でもない信次にも大きく役立っていた。
「それでは田村先生。また職員室で」
「は、はい!! 如月先生道案内ありがとうございました!!」
左へ向かった彩音の小さな背に、得意の一礼を再び放った。初日早々感謝の念を受け止めながら、一呼吸入れて右に歩み出す。
『二年二組……楽しいクラスにしたいなぁ~』
笑顔が絶えない、毎日が幸せだと感じられるクラスにさせてあげたい。
前向きな思いを運ぶと、次第に文系クラスが隣並びに姿を現す。
『……あったあった! ここだ!』
はにかみながら見つめた先に二年二組のクラス表札が掲げられていた。廊下には人が見当たらず静寂な雰囲気が取り囲んでいることから、生徒たちもすでに教室にいるのだろう。
ついに二組の扉前にたどり着いた信次。中からはまだ話し声が聞こえてくるが、ふと大きな深呼吸を吐いて瞳を閉じる。
『大丈夫。きっと、大丈夫……』
微笑みを消さぬままそっと呟いた信次は、今日ここに来られたことに多大な嬉しさを抱いていたのだ。
十代の頃から願っていた夢が、ただ今叶おうとしている。何にも形容し難い、眩しい世界が扉の先に待っているのだと。
『大丈夫。ボクは、ボクらしくで……』
ここまでの夢の道は、決して安易なものではなかった。もちろん全ては、自身の悪い行いが影響しているため自業自得だ。人並み外れた厳しい道のりだったかもしれない。
しかし、それでも夢を叶えられた理由は周囲の厚き支えがあったからだ。
採用してくれた校長先生を始め、今は音信不通だが身体を張って応援してくれた親友と一人の生徒、そして育ててくれた今亡き里親たちにより、今日まで幸せに生きてこれた。
『――だったらボクは、絶対に生徒を幸せにさせてみせる。今度こそ、周りからも認めてもらえる、正しいやり方で!』
凛とした表情ながらも微笑みを残し、ついに手を伸ばしてスライド式ドアに触れる。神様も祝福してくているためか、直後に鳴ったチャイムと同時に開け、憧れの世界に一歩を踏み出した。
『さぁ! はじめよう!!』
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