②田村信次パート「ふぇ……?」

◇キャスト◆


田村たむら信次しんじ

如月きさらぎ彩音あやね

清水しみず夏蓮かれん

篠原しのはら柚月ゆづき

中島なかじまえみ

舞園まいぞのあずさ

校長先生

教頭先生

―――――――――――――――――――

 放課後の笹浦第二高等学校職員室。

 夕焼けが射し込む室内では職員らの表情は皆幸せそうに、ホッと穏やかである。


 始業式並びに新クラスをまとめた本日は、生徒だけでなく教員にとっても同じだ。不安ばかりが時間を長く感じさせ、いつも以上の疲労を覚えさせる。


 新しい生徒たちと仲良くできるのだろうか。クラス四十人近くの名前と個性を再び脳に書き込むことができるだろうかと。


 全てが無事に終わったことは、様々な問題ばかりに追われる教員にとっては何よりも至福に他ならない。インスタントコーヒーをれたり、自身が受け持つ部活動への指導へ向かったりと、教諭の立場から少しだけ席を外す時間が流れていた。


「よしっ! まずは成功!」


 そして一人、自席で一枚のプリントを眺めながらガッツポーズした信次は、誰よりも嬉しそうに頬を緩めた。嬉しさのあまり、片手で持つ一枚の端にしわが着くほどだ。



「どうしたのですか、田村先生?」 

「あ、如月先生!」

「良い出来事でもあったのですか?」


 ふと前席に座った彩音の微笑みを、満面の笑みで返した。良い出来事かどうかは別として、眩しい希望が訪れそうなことは確かだと感じている。


「実はうちの生徒が、部活動を新しく創りたいって言ってきたんですよ! それで早速、校長先生に伝えたら、この部活動申請書をもらえてですね。もうワクワクが止まらないんです!!」


 日没間近にも関わらず、太陽のように彩音を照らした。



 夏蓮から創部案を告げられた先程、約束通り校長室へと入室したのだ。威厳と歴史が織り交ざった室内にはもちろん優しげな校長先生と、相変わらず馴染めそうにない厳格な教頭先生の眼鏡コンビと出会でくわす。


「し、失礼致します!」

「おや、田村先生。今日はお疲れさまね」

「何事ですか? また何かやらかしたのですか?」


 隠しきれないほど膨らんだ緊張を秘め、校長先生の微笑みと教頭先生の鋭い目付きが向けられた。

 始業式当日から遅刻してしまっただけに、眼鏡を人差し指で支えた教頭先生の眼光の方がより鮮明に見えて仕方ない。


 だが、覚悟を持って来たからには恐れてはいけないと自身に言い聞かせ、真剣な瞳に戻し胸を張る。



「新しい部活動、女子ソフトボール部の申請を認めていただきたいため、ここに参った所存です!!」



「「……」」

 バッと身体を折って一礼した。しかし奇妙なことに、二人から声が返されず、気になってすぐにおもてを上げた。教頭先生には驚きが、そして微笑んでいた校長先生からも茫然とした様子が伝わる。


 創部の件は受け入れてもらえないのだろうか。 


 よくよく考えてみれば、新たな部活動を誕生させることは学校側の出費を増やすことに繋がる。


「どうかお願い致します!!」


 眉をハの字にしながらも諦めず返答を待ったが、意外にも沈黙を破ったのは教頭先生だった。



「――そ、ソフトボール。しかも、また女子……」



「ふぇ……?」

 なぜか教頭先生の焦る表情が窺えた。何かマズイことを口にしてしまったかのだろうか。


「あの、教頭せん……」

「……よし。じゃあまずは、これをあげるね」


 すると信次の疑問は校長先生に被され、結局聞けず仕舞いとなってしまう。


 なぜ教頭先生が、女子ソフトボール部の存在を危惧しているのか。


 もちろん首を傾げていたが、校長先生によって机の引き出し中から取り出された一枚のプリントを渡される。


「こ、これは……?」

「部活動申請書だよ。申請するためにはまず、最低でも生徒三人を集めなくてはいけないからね。あと、その部活を運営する顧問も忘れずにね」

「こ、校長……」


 校長先生の説明後にも、教頭先生の眉間の皺は取れていなかった。


 しかし部活動申請書を渡された信次はプリントだけを見つめ、望まれていない顔色などもはや視野に入っていなかった。発起人ほっきにんである夏蓮の役に立てたことがひたすらに嬉しく、まばゆい瞳で微笑む。


「御忙しい中、ありがとうございました!! 失礼します!!」



 夕日に照らされた希望の瞳と熱意溢れる笑顔で去った。校長先生から貰った申請書を強く握りしめ、現在の職員室に戻ってきたのだった。


「そうなんですか。それはそれは、初日から一大事でしたね」


 前席の彩音から困りながらも微笑を受けたが、童顔の信次は少年のようにはにかみ続けていた。


「大人は子のために。先生は、生徒のためにですから!」

「さすが田村先生。ちなみに、何部を創ろうとしてるんですか?」

「よくぞ聞いてくれました!!」


 彩音の穏やかな問い掛けを受け、席を立って自信を秘めた胸を張る。



「それは、女子ソフトボール部ですッ!!」

「――っ! ……」



 信次の声は職員室全域に広がり、残っていた教員らからも脚光を浴びた。しかしどこか驚いている様子が否めず、無音のざわつきを感じる。

 また彩音の動きすらも止まってしまい、口を開けて唖然あぜんとしているのがわかった。


「き、如月先生?」

「……え? あ、いや、そうですか。できるといいですね~アハハ~……」


 彩音の返事は確かに応援が込められていたが、妙に声はうわずり細い眉がハの字だった。


「……は、はい。絶対創ってみせますよ!!」


 しかし得意の輝かしい笑顔で応答し、再び部活動申請書を前向きに見つめ返す。



『――先生は生徒のために。ボクは、か弱い誰かの願いのために……必ず創ってみせる!』



 夕日は沈み、笹浦市にも四月の夜が訪れる。校庭に咲き乱れた桜も外灯に照らされ、夜桜という魅力的な情景を春風と共に彩っていた。

 ところが、美しさを際立たせる応援の風はあまり吹かず、時間が止まっているかのように揺れなかった。



 ◇望まれない創部◆



 次の日。

 今日から正式に授業が始まり、春の天気も開始を祝福しているようだった。


 朝のホームルーム開始まで間もなく、昨日以上にウキウキしながら二年二組の扉を開ける。



「グレートモーニンッ!!」



 チャイムが鳴る前に現れた元気な信次には、僅かな生徒が小さな声で返してくれた。大半の生徒たちは各々の友だちと話し、朝のホームルーム前の賑やかな空気が広がっている。

 どうやら今日も、みんな元気そうで何よりだと、信次は静かに観察しながら事務机に向かっているときだった。


「せ、先生。おはようございます」

「おお清水! おはよう!!」


 信次が教壇に昇ったと同時に、中央前席の夏蓮が緊張気味に座っていた。


「そうそう清水! 早速だけど、ビッグニュースがあるんだ!!」

「ビッグニュース……?」



 早速、出欠表に挟み込んだ部活動申請書を手渡した。きっと驚いてくれるだろうと、つい白い歯を剥き出しにしてしまう。


「フフフ~。それはね……」

「……申請書でしょ?」

「あれ、知ってるの?」


 ところが夏蓮からは平気に答えられてしまい、反って信次が小さくも驚いていた。最近の女子高校生は申請書ごときで喜ばないのかと、教諭にも関わらず取り乱してしまう。



――「なになに~!? 二人ともどうしたの!?」



「あ、咲ちゃん!」

 背後に首を曲げた夏蓮の先には、興味津々な笑顔で近づくえみまぶしい額が映る。

 また彼女の背後には、柚月が端正で麗しい黒髪を揺らしながら続き、そして長髪をポニーテールでまとめた梓まで自席から視線を放っていた。



「やぁ中島! 実はね、清水が新しい部活を創ろうと思ってるんだ」

「えぇ~!!  マジマジマジ~!?」


 広げる額だけでなく瞳まできらめかせると、たどり着いた柚月も感心の呟きを鳴らす。


「新しい部活動ね~。夏蓮にしては、珍しく思いきったわね」

「う、うん……」


 柚月から小さな両肩を掴まれた夏蓮は顔を赤くし、恥じらいと緊張に駆られていることが見て取れる。



「夏蓮、すごいね」

「あ、梓ちゃん……」



 ついには穏やかな梓も夏蓮の横に立ち、小学生から繋がりを持つ四人が信次の目の前に揃う。


「いいないいな~!! これで夏蓮も日本史の教科書に載る訳だ!」

「そんな訳ないでしょ? 創部で偉人になれるなら、教科書が梓の神経並みに分厚くなっちゃうでしょうが」

「それ、どういう意味? 図太いってこと……?」

「フフフ!」


 心からうらやましがる咲に柚月が注意し、いじられたことを見過ごさなかった梓が窺い、そして夏蓮が最後に笑う。

 息の合った四人のやり取り――言わばチームプレーを垣間見えた。



「ところで、夏蓮は何部をやるの……?」

「そうそうそう!! 新体操部!? 合気道部!? 茶道部!? 演劇部!? それともぉ~……新体操部!?」

「はい、ダブルプレ~」


 梓の問い掛けで始まり、明るい咲とあざとい柚月も空かさず紡いだ。が、尋ねられた夏蓮はなかなか声を出せず、もどかしさが伝わってくる。


「……そ、その……実は……」


 目線も下げて言いづらそうだったため、代わりに信次が思いのままにフォローする。



「――ソフトボール部だよ!!」

「「「――ッ!! ……」」」



「せ、先生!?」

「ひぇ……?」

 勢いよく言い放った。しかし発言後には三人の動きが沈黙し、突如起立した夏蓮からも怒鳴られてしまう。


 何か悪いことを言ってしまったのか。


 もちろん悪気など毛頭ないが、ふと思い出した昨日の記憶が過る。



『あれ? この状況、校長室でも、職員室でもあった気がする……』



 うららかな春に敵さない、凍りついた空気が漂う四人の親友たち。

 驚いているというよりも、不安に満ちた表情が夏蓮から窺え、困り顔の柚月と咲は互いの視線を交わし、そして梓一人だけが下を向く。

 信次の顔にも次第に雲が広がり、いつも放つ太陽の陽が弱まっていく。すると、鈍感男には初めて思い付いたことがあった。



『――何か、あったのか? この学校の中で。この、四人の仲で……』



 今度こそ尋ねようと、冷えた空気を吸ったが。


「……まぁ、名前貸すぐらいならいいわよ。ねぇ咲?」

「モチのロンだよ夏蓮!! 入部はできないけど、アタシらも協力するよ!!」

「柚月ちゃん。それに咲ちゃんまで……」


 透かさず柚月と咲が反応した。

 対して申請書で口元を隠し恥じらう夏蓮だったが、それは嬉しさのあまり声が出なかったからだろう。


 美術部の柚月と、女子バレーボール部の咲が後押ししてくれると言ってくれたからだ。

 すでに他の部活動に励んでいるにも関わらず、親友のため、仲間のために協力してくれると。


 確かに二人がソフトボール部に入って、実際に練習や試合に参加することは難しいはずだ。運動部でない柚月にとっても、朝練まで懸命に汗を流す咲だって。


 それでも、創部に必要な著名をしてくれる。


 それは夏蓮にとって、女子ソフトボール部スタートを促す、小さくも大きな支えになる協力プレーだ。


「篠原、中島。ありがと!」

「なんで先生が言うのよ?」

「こんなのお安い御用だよ!」


 冷たい空気が無くなると雲も晴れ、信次は笑顔で柚月と咲に感謝を示した。第三者として見ても心暖まる、敬意に至る思い遣りに。


「な~か~じ~ま~、え~みっと!」

「……はい、書いたわよ。あとは自分で頑張りなさいね」

「二人とも、ホントにありがと!」


 早速申請書に名前を記入した二人に、夏蓮はそれぞれの手を握りしめ、今にも泣き出しそうな表情で頭を下げていた。

 この時点で、名前は目標の三人まで集まった。思いの外、早くも創部の権限を得た訳である。

 とは言えせっかくだからと、信次はまだ記入していない一人の女子に視線を飛ばすが。



「よかったら、舞園もどう……」

「……ウチは、結構です」



 信次は唯一梓に険しめに返され、ポニーテールを垂らした背まで向けられてしまう。

 再び嫌悪的なムードが訪れたと同時に、ふと視線を横から感じ取った信次は周囲を窺う。夏蓮からは嬉しさではなく辛さで泣き出しそうな顔、咲には笑顔も消え、終いには柚月から強く睨まれていた。


「みんな、どうし……」

「……先生?」


 聞こうとした信次の言葉尻を被せたのは、振り向かず呟いた梓だった。去り際に捨て台詞を置く。



「――ウチは、絶対にはいませんから……」



「え……?」

 梓は結局、一度も視線を向けないまま自分席に戻っていく。一方的に信次が見つめるだけで何も返されなかった。


「あのさ、先生?」

「ん? なに、中島?」


 ふと咲が光る額を手のひらで拭う。



「梓を誘うは、ちょっとやめてあげてね? ハハハ~……」

「え!? どうして!?」

「先生。いいから咲の言う通りにして」

「し、篠原まで……」



 咲の意見を尊重するように柚月も加わり、信次は納得できないままだが頷くことにした。



――キーンコーンカーンコーン♪



 校内のチャイムが鳴り響き、朝のホームルームの時間が訪れる。

 二組の生徒たちは素直に自席へ戻り、会話を止められた残念なため息、扉からは遅刻阻止のため走ってきたあわただしい様子が教室中を染める。

 柚月や咲もそれぞれの席に戻り、夏蓮が申請書を机にしまうと、信次も教壇に立って生徒たちを観察する。


「よしっ! ホームルーム始めるよ! 起立!」


 昨日のように、明るく元気なホームルームを始める。しかし、おはようございますと一礼したときの顔色は――もちろん誰にも見えなかったが――校内で初めて見せた陰鬱いんうつ色だった。

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