第31話 オークの受難

 オークの男……ドアノブは後悔していた。


 

 彼はふらりと入った『エスト』で、内容とは不釣合いに高額な報酬の『依頼』を見つけた。


 報酬の多寡たかを決めるのは一重ひとえに依頼人のさじ加減である。その為、まれに金銭感覚の薄い依頼人……どこぞの大金持ちであったり……がその様な依頼を出すことがあるということを彼は知っていた。


 『依頼』は早い者勝ち。ぐずぐずしていれば他の誰かに先を越されるかもしれない。彼は即断で依頼を受けた。


 そのこと自体は後悔してない。彼には背負うものがあるし、少々無思慮なところは生まれつきだ。同じ状況があれば、同じ決断をするだろうと思っている。


 では何を後悔したのか。


 『依頼』を履行りこうするにあたり、時間が無いからといって旅に同行させる為に雇ったメンバーの質を落としたことだろうか?


 そんな不安のある仲間の提案に乗って、予定に無い休憩をとったことだろうか?


 見晴らしが良いとは言えないこの場所で見張りを立てなかったことだろうか?


 突如現れた謎の集団に動揺して、完全に包囲される前に行動できなかったことだろうか?


 既に仲間を一人失ったことだろうか?


 それとも……早朝の出立であった為、家族との最後かもしれない会話ができなかったことだろうか?


 全てを後悔していた。しかしドアノブが最も悔いていたのは、彼の背後にいるゴブリン……トッテを旅に誘ってしまったことだった。


 ウマがあったのか短期間で親密になり、今では相棒……己の背中を任せる事ができる無二の存在となった彼を巻き込んでしまった。


 トッテは既に別の依頼を抱えていたが、人手が不足していると感じたドアノブの頼みで急遽きゅうきょ参加したのだった。


 「すまなかったな」


 気がつくとそんな謝罪を口に出してしまっていた。


 「馬鹿言うな。だが……帰ったらおごってもらおうか。」


 そう言って彼が笑ったであろうことを、ドアノブは背中越しに感じた。


 「ああ、約束しよう。」


 ドアノブは構えた槍を握り締めた。


 徐々に狭まる包囲を前に、彼等は覚悟を決めた。




 「止まれ!!」


 突然の介入がフードの集団を止めた。


 『軍』を名乗るその女の登場に、ドアノブは安堵あんどした。助かった、と。


 しかし間に合わせで選んだ仲間は、彼が思った以上に浅はかだった。


 槍を握った手から力が抜けたその時、仲間のサイ男が斧を振りかぶるのが見える。


 「馬鹿っ!よせ!!」


 図らずもその女と全く同じ言葉を叫ぶが、サイ男を止めることはできなかった。


 再び始まる戦闘。


 一旦弛緩しかんした気持ちを無理矢理引き締め、槍を構えた……が、結局その必要は無かったことになる。


  ドォン!


 爆発音と共に、女が跳ぶ。丘の上から三十メートル程の距離を一気に縮めた彼女は、地をえぐりながら両手両脚で着地すると、土煙の中から更に跳んだ。


 その跳躍はドアノブにはほとんど視認できない程のスピードであったが、かろうじて眼前の敵の脇腹に、彼女の強烈な蹴りが入ったことはわかった。


 蹴られた瞬間に彼の意識はとんでしまったが、隣に居合わせた不運な者を巻き込みながら水平に吹っ飛ぶ。女は一瞬にして敵二人を昏倒こんとうさせてしまった。


 なおも地をう程の低い姿勢に構え、倒れた者達には一瞥いちべつもくれない。


 しかしそれはフードの者達も同じであった。彼女が構える前に、投擲とうてきは終わっていた。「弓矢では太刀打ちできない」そう判断したフード達の放ったジャベリンが左右から同時に・・・・・・・女を襲う。


 「『つむじかぜ』」


 突然彼女の目の前で渦巻状の突風が巻き起こる。轟々ごうごうと彼女を守る障壁のような突風は、当たれば即死の勢いで放たれたジャベリンを軽々舞い上げた。


 「お返しします!」


 どこからか聞こえるダミ声と共に、旋風つむじかぜがぐにゃりと曲がりながら、収束していく。やがて極限まで収束した風は、『回転』となってジャベリンを弾丸に変える。標的は女を狙った二人の投擲者。


 上空から滑り落ちるように帰ってきたジャベリンを避けるべく、投擲者は身をひるがえすが、弾丸は標的を逃がさなかった。彼らを追って直前に起動を変えたジャベリンは、吸い込まれるように投擲者の肩を直撃した。


 悲鳴を上げ、うずくまる彼等から出血は無い。直撃したのは柄だったのだ。はたしてそれが偶然なのかはドアノブには分からなかった。


 四足で構える女……獣人だった……はジャベリンが風に舞うのを確認すると、再び地面を蹴って彼らの一人に肉薄する。彼女目掛けて突き出されたロングソードを更に前進することでかわし、その足元に潜り込む。


 その位置から垂直に昇った脚が、彼の顎を砕いた。ドサッと顎を砕かれた者が崩れ落ちるのと、ジャベリンが彼らの元に返ってきたのは同時だった。


 

 一瞬にして戦力の半数近くを欠いたフードの集団は、流石に状況の不利を悟った。


 「退け!」


 リーダーとおぼしき男が指示し、何かを指で弾いた。するとそこから濛々もうもうと黒煙がたちこめ、辺りを一瞬で闇に包む。これを機に逃走しようというのだ。


 「ドミニク!!」


 煙で姿の見えない獣人の女が叫ぶ。


 「『くれえむ』」


 理解できない言葉が聞こえた気がしたが、その後に起こった事に比べればなんということはない。


 体がピクリとも動かなかった。


 それだけでは無い。何か、『核』を締め上げるような圧迫感がある。


 強烈に自分を責め立てる何かがある。


 ――早くこの場から離れたい……家に帰りたい――


 ドアノブはそんな気持ちに支配された。




 辺りを覆った煙が次第に霧散していく。


 ゆっくり誰かが近づいてくるのがわかるが、逃げようにも体は動かない。


 やがて、闇を振り払うかのように現れたその少年は、ドアノブの見知った男だった。


 

 

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