第19話 指定

 翌朝、目が覚めるとベッドの脇にネネリが立っていた。


「おはようございます。ご主人様」


 そう言って深くお辞儀をする。


「ん……おはよ。……ずっとそこにいたの?」


「い、いえっ。今来たところです」


 彼女は顔を真っ赤にして俯く。


 朝からいいものを見てしまった。


「お食事になさいますか?」


「え?あぁ……そうだね。食べよう。だけど……」


 どうやって?と尋ねる間もなく、彼女はいそいそと食事の準備を始めた。


 程なくして、パンと温かいスープと野菜の朝食がテーブルに広がった。


「ご主人様。どうぞ」


 ネネリが食事を促す。


「有難う。でも、この食材や調理器具はどこから?」


「少し早く起きて、マミヤ様に教えて頂きました」


 なるほど。でもそれは、「少し」早く起きてできることなのか・・?


「マミヤ様にはご迷惑だったと思いますが……」


「大丈夫だよ。彼女はゴーストだから。後で俺からもお礼を言っておくよ」


 ゴーストたるマミヤに睡眠は必要無い。きちんとお礼をすれば問題無いだろう。


「じゃあ……食べようか。ネネリも一緒に食べよう。頂きます」


 染みついた習性で、つい合掌してしまう俺。


「いただき……ます?」


 不思議そうに顔を傾げるネネリ。


「あぁ、これは俺が生まれた場所の、食事をする前の習慣だよ」


「そうなのですか。では私も……頂きます」


 手を合わせた彼女は、そう言って少し恥ずかしそうにはにかんだ。それは、彼女が初めて見せた心からの笑顔だったのかもしれない。


 借金を背負い、会社の奴隷となった俺には果てしない社畜の道が待っている。だけど、ネネリがいれば……この笑顔があれば……なんでもできる。そんな気がした。



 その日から俺は精力的に仕事をこなした。朝早くに起き、朝食を済ますと、ネネリを連れて奴隷市場へ行く。お昼には魔王城(かいしゃ)に一度戻り、休憩を挟んでまた奴隷市場へ。そして日が暮れる頃に帰る、という日々だ。


 俺には一応ノルマが課されており、それは一カ月で六体、魔力九十以上の奴隷を見つけ、購入する事である。購入した奴隷は、2課の別チームで研修を受け、対勇者部へ送られる。


 魔力九十以上の奴隷……と言っても、コミュニケーションをとれない者や、制御が難しそうな者は選べない。勿論、予算も考慮しなければならない。


 そういった細かい条件はあるが、はっきり言うととても簡単な仕事であった。


 朝から晩まで、目を皿にして奴隷市場を回れば、五日でこなせてしまった。その事をラウネー課長へ報告に行くと、本気で驚いていた。どうやら、魔族達はかなり怠慢な仕事をしているようだ。


 もっとも、元世界でも勤勉で知られる元日本人の俺と比べるのは、些か可哀想かもしれない。


 ラウネー課長といえば、給料の前借りをした際に『週に一度ラウネー課長の部屋に行く』という条件があったため、その時の報告でクリアーしたと思っていたのだ。


 その事を課長に確認すると、彼女は机の上で手を組み薄笑いを浮かべながらこう言った。


「確かに私は『部屋に来い』と言った。だけど『何時』かは言わなかったはずだよ。私がその気になれば、朝一だろうと深夜だろうと呼べるだろう?」



 そう言ってふふっと笑うラウネー課長。利根○かよ。


 俺はもう一度、彼女の部屋に行く事になった。







 「もっと……もっと深く……んっ……あっ……」


 「ハァ……ハァ……これで……良いんですか?」


 深夜の一室で、男女の艶かしい声が響く。


 「あんっ!深っ……イイわ!もっと……もっと……」


 「こんなところまで……なんて人だ……」


 



 ラウネー課長はストレッチ魔だ。そう、これは座って前屈するラウネー課長を背後から俺が押す、というストレッチである。


 ……どうしてこんな事になったのか。


 昼間、ラウネー課長に深夜もう一度部屋に来る様に言われた俺は、言いつけ通り彼女の部屋を訪れた。


 許可を得て部屋に入ってみると、ピンクのネグリジェ姿の彼女が俺を迎えた。一瞬、呆気にとられてしまう俺。なにせ薄い布の様なネグリジェは、胸元が大きく開けており、その巨大な双丘の根元を隠す気が全く無いのだ。


 はっきり言って目のやり場に困る。ラウネー課長は「入れよ……」とか言いながら部屋の奥に促すが、何だかモジモジしていて気味が悪い。


 そうして始まったのが、このストレッチである。何故、深夜に二人でストレッチをする必要があるのかは全く分からないが、借金という鎖に縛られている以上、やるしかない。


 しかしなんだろう……このエロさは。


 彼女の背中から垣間見れる、二つの暴力が猛威を振るっているからだろうか?「それ」は背中を押す度に、激しい上下動で形を変え、俺の目を釘付けにする。


 それとも、彼女の首筋・・ボブカットした黒髪が汗に濡れ、しっとりとうなじに張り付いている様が煽情的なせいだろうか?


 いずれにせよ、これは牛人のラウネー課長にとっては神聖な、俺にとっては健全なストレッチである。断固、そうである。

 

 「うん……いいぞ」


 どうやらそのストレッチも終りの様だ。そうであればもう用は無い。一目散に帰ろうとしたその時、


 「待て」


 上司からストップがかかる。


 「な、なんでしょうか?まだ何か」


 「……寝ろ」


 「ネロ?そんな方が……どちらに?」


 「違う!そこのベッドに寝ろと言っているんだ!」


 「はぁ……はぁ!?」


 ご冗談を……という俺の言葉は、すんでのところで飲み込まれた。ラウネー課長の目は涙を湛えながらも血走っており、肩をわなわな震わせている。


 有無を言わさない彼女の迫力と、借金という負い目が俺をベッドへ追い込む。


 あぁ……これはヤられる。俺の貞操はここで散ってしまう。


 それだけでは無い。


 このセクシャル+パワーハラスメントは今後も続くだろう。そのままなし崩し的に、彼女の奴隷……性奴隷にされてしまうかもしれない。奴隷を買ってうはうは性活を楽しむつもりが、まさか奴隷になるのは俺だったなんて……。


 待て待て、流されるな。踏み止まれ。


 俺にはネネリという超絶可愛い悪魔がいる。別に彼女に操を立てる義理は無いかもしれないが、あの笑顔を見てしまうと今のこの状況に後ろ暗さを感じてしまう。


 そんな事を考えていると、ラウネー課長が近づいて来るのがわかる。俺は彼女に背を向けた状態で、既に横たわっている。


 課長がベッドに入り込み、ギシッという音が密室に響く。


 彼女は俺との距離を徐々に詰めて……手を俺の肩に置いた。その手をはとても温かく、少しだけ……彼女の汗で濡れていたかもしれない。


 しかし俺の神経は、己の背中に当たる柔らかな感触に集中せざるを得なかった。背中に当たるモノ……それが生み出す圧迫感は、最強の混乱魔法「|πO2(パイオーツー)」となって俺を襲う。


 俺は懸命に抗った。どれ程の時間かは分からないが、永遠とも思える時間を耐え忍んだ。


 しかし、最強魔法はそんな俺の理性を少しずつ侵食し、破壊しつつあった。


 もういいかな?パトラッシュ。


 俺が全てを諦め、吸血鬼から真の鬼に変わろうとしたその時、

 

「スゥ〜、クゥ〜」


 という可愛い寝息が聞こえてきた。


 こ、この女……この状況で寝やがった!なんて奴だ。


 戦慄しながらも、同時に安堵する。俺の貞操は守られたのだ。


 良かった良かった……あれ?でもこれ、状況は変わって無いんじゃ……。



 結局その日は一睡もできませんでした。


 翌朝、ラウネー課長は目を覚ますと、


 「良く眠れた〜」


 と艶やかな笑顔で伸びをすると、疲れ切った俺に向けて、


 「勿論、来週もだぞ?」


 と爆弾を落とすのであった。


 ボロ雑巾の様にクタクタになりながら部屋を出た俺に、そんな姿をジッと見る目があったなんて、気付く余裕は無かった。


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