幕間 とある酒場
魔王城下町アデラート。西区に魔族領最大の市場を擁するその街には、世界中から魔族達が集まる。武器や防具、食糧、薬は言うに及ばず、魔石や魔道具といった希少アイテムや奴隷まで揃う市場は、多くの魔族でごった返し、祭りの様相を呈している。
しかしそれはこの街の昼の顔。日が沈み始めると、満足な買物が出来た魔族達は一斉に東へ移動する。そうして祭りの会場は歓楽街へ移るのだった。
夜の主役たる東区に、無数にある酒場の一つ、「くそったれ聖水」は今日も当然の様に満席である。常に騒々しい店内や、忙しなく動き回る店員、時折上がる歓声や怒声。その光景はいつもと何も変わらない様に見える。
しかし、今日は何かが違った。
伺うような、探るような……そんな疑心を抱えて騒いでいやがる。
席の一角を占めるオークの男は、そう感じていた。暫くして、黙って酒を飲んでいたオークの男に声がかかる。
「待たせたな、ドアノブ」
「トッテ、遅ぇんだよ。先に始めてるぜ」
そう言って、オークの男……ドアノブは酒瓶を掲げる。
「悪りぃ悪りぃ。換金が長引いてよ」
トッテと呼ばれたゴブリンはすまなそうに頭を掻いている。
「許さねぇよ。飲んでもらうぞ」
言葉とは裏腹に、ドアノブはニヤリと笑う。それを見て、トッテも口角を上げた。
今でこそ古くからの友人にすら見える彼等は、実は出会って一週間も経っていない。しかもその出会いは最悪だった。
依頼斡旋所『エスト』で、彼等は依頼を巡って諍いを起こした。その依頼はあるアイテムの入手であったが、そのアイテムがある場所に赴くには、些か準備が必要であった。
オークの男ドアノブは、その依頼に目をつけ、十日かけて準備を整えた。気は逸った。何故ならその準備さえ可能であれば、報酬は破格であったのだ。
そうして「遂に」とエストに来てみれば、見知らぬゴブリンが一足先にその依頼を掻っ攫っていたのである。其れがトッテだった。
ドアノブは無理を承知で依頼を譲るようお願いした。いや、『お願い』というには少々乱暴な物言いだったかもしれない。
何せ、準備の為に金を使ってしまっていたのだ。家にはお腹を空かせた子供と、勇者の様に怖い嫁が待っている。焦るのは仕方無かった。
一方、トッテにしても引く事は出来なかった。彼も準備に金を出していたし、何より、突然「よこせ」と言われて承服出来る訳がない。誇り高いゴブリンウォーリアーとしてのプライドが許さないのだ。
そうして二人は一触即発の空気の中一歩も譲らず、ついにお互いの得物に手がかかるか、と思われたその時、
「ちょっと失礼しまーす」
間の抜けた声がして、一人の男が割って入った。
その男は限りなく人族の少年に近く、体格なのか纏う雰囲気がそうさせるのか分からないが、いかにもひ弱そうに見えた。
男の思わぬ動きがヘッドバットとなり、ドアノブの顎に直撃した。あっさり沸点を超えたドアノブが掴みかかろうとした時、その男は躊躇なく土下座した。
ドアノブは二重の意味で驚いた。男の背中に「軍」を表すマークがあること。その男が、こうして土下座している事に。
軍と敵対して良い事は一つもない。また、妙な男の雰囲気に呑まれたのかもしれない。ドアノブはつい道を譲ってしまった。それも必要以上に卑屈な態度で。
そそくさと去っていく男の後ろ姿を見ていると、ドアノブは何故か毒気が抜けた様に怒りが収まっていた事に気付いた。
トッテも同じ気持ちだったのだろうか。その後、謝罪して事情を話し始めたドアノブに、彼は共同で依頼を受けることを提案した。
話してみると、意外に馬が合った。元々同じ依頼に目を付けていたのだ。思考が似ていたのかもしれない。その日から二人は行動を共にしている。
依頼を終えてからも、連日ここで酒を酌み交わしていた。
「何か今日は雰囲気が悪いな」
どぎつい度数の酒を片手に、ドアノブが話し掛ける。
「だろうよ」
トッテも酒を片手に応えるが、その表情は硬い。友人の微妙な変化を察知したドアノブが尋ねる。
「何かあったのか?」
「あぁ、実はな……」
トッテからもたらされた情報は、驚くべきものだった。
今日の夕刻、西区に程近い林の中に建つログハウスから、聖力を示す力の波が観測された。観測を受け急行した魔王軍『対勇者部1課』の面々が見たものは、斬り裂かれ血だるまになった同僚だった。更に部屋の中を調べたところ、魔族の遺体が三体発見された。
「おいおい!そのログハウスは見たことあるぞ!市場から目と鼻の先じゃねぇか!」
ドアノブの声が思わず大きくなる。
「驚くのはまだ早いぜ。軍が残された聖力の反応を調べたらしいんだが・・最低でもC以上らしい」
「Cだと!?」
「そんな馬鹿な!」
「嘘だろ!?」
ガタガタッと、驚愕の声をあげながら、あちこちで立ち上がる者が現れる。
今日の雰囲気が何時もと違ったのはこれが原因らしい。多くの者がこの情報を知っていたのだ。ドアノブの大きな声がきっかけで、皆、聞き耳を立てていた様だ。
C級以上、といのは初耳の様だが。
トッテは「やれやれ」と呆れ混じりに彼等に答える。
「さっきエストで、偶々ログハウスの近くにいた奴から聞いた。軍の奴らの会話が聞こえたそうだ」
「まじかよ……」
「怖えぇ!!」
「き、今日は帰ろうかな?」
酒場が騒然となるのも無理はない。C級は英雄の領域。そのクラスともなると、一人で魔族十体以上を相手取ることも可能。しかも、今回は『最低で』C級ということだ。
そんな化け物が身近にいては、酒を飲んでいる場合では無い。
「物騒な話だぜ。しかし、その殺されたヤツも運が無かったな」
周囲の喧騒をよそに、ドアノブは酒を呷る。
『軍』と聞いて、その脳裏にはある男の姿があった。
「あぁ、軍は好きでもないが流石に同情するよ。憎めない奴もいるしな」
トッテも同じ様だ。
彼等は思い返す。二人を結びつけた、腰の低い妙な男を。
「あぁ、変な奴だった。たしかに憎めないな。だけど次は……簡単には通さないぜ?」
ドアノブはニヤリ、と笑った。
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