第11話 交渉

ネネリと出会ってから6日目。明日が奴隷商と交わした期限だ。


勇者の卵……エッグを捕獲すれば賞金が手に入る。そのチャンスは目の前に居る。目の前で笑っている。


俺は動けない。今日も動けない。ただ子供と遊んで、帰ろうとしている。


今日も何もできず、帰宅の途につこうとした俺を、呼び止めたのはアルトだった。


「おにーちゃん、見せたいものがあるんだ。」


そういって俺の袖を掴む。その腕に引っ張られるがまま、俺は彼に付いて行った。


暫く歩き、街から少し離れた林を経由して、ログハウスが見えた。あそこに見せたいものがあるという。


アルトに連れられて歩きながら、俺は考える。


罠だ……確実に。


俺の不審な行動に気付いたアルトが誘い込んでいる。


あのログハウスで俺を殺そうとするに違いない。危険だ。


 危険だ……けど……それが何だというんだ?


 俺には『勇者封じの小瓶』という切り札がある。アルトが俺を殺そうとするなら望むところだ。


 その時初めて、俺は迷い無くこの『勇者封じの小瓶』を彼に向けることができる。


 魔族と人間の中間を彷徨う自分に、けりを付けることができる。


 そんな確信がある。


 俺は半ば、自棄とも言える思考に埋没しつつあった。


 アルトがログハウスのドアを開け、中に入って行く。続いて入った俺の頭は酔ったままだ。


 ログハウスの中には誰もいなかった。生活用具は見られるが、全体的に物が少なく、がらんとした印象を与える。


 アルトは机も何も無い空間でぽつんと立っている。此方に背を向け、表情は見えない。


「僕ね」


 向こうを向いたまま、アルトは語る。


「実は……勇者なんだ」


 あぁ……知っているよ。


 エッグなんだろう?


「おにーちゃんはきっと気付いていたんでしょう?黙っていてくれて、有難う」


 右手の指に力を込める。指先には『勇者封じの小瓶』の栓が摘まれている。


「でも、もういいんだ……。もう、ここに居る必要も無くなっちゃった」


 アルトが、振り返る。


 俺は右手の小瓶をアルトに向ける。


 しかし……栓が開くことは無かった。


「おねーちゃん、死んじゃった」


 アルトは泣いていた。


 アルトは泣きながら語る。


 アルトの姉は、魔族に攫われ、彼はそれを追って魔族領まで来た。過酷な旅を乗り越え、細い糸を手繰るような、乏しい情報だけでこの街に辿り着いた。姉がいたこの街に。


 アルトが毎日遊んでいた子供達の1人が、彼の姉を攫った魔族の子供だった。アルトはどうにかして、その子供から姉の情報を入手し、その親に接触する機会を探っていた。


 そして今日、喉から手が出る程欲した、姉の情報が手に入った。しかしそれは「姉は既に死んでいる」というものだった。


 もう、どうなってもいい。そんな思いで俺をここに誘った。


「おにーちゃんなら、捕まっても良いかなって。僕、賞金首なんでしょ?」


 アルト……いや、ロン・アンベルトはそう言って笑う。


「いや……もう良いんだ」


 俺の右手の指は、小瓶の栓を固く、押さえ付けていた。


「捕まえ……ないの?」


 ロンは不思議そうに尋ねる。


「あぁ、もう良いんだ。捕まえたりしないよ」


「そう……なんだ」


 ロンは気が抜けたのだろうか。うなだれている。


 俺は何故か可笑しかった。


 そうか……ここには自棄っぱちになった人間が2人いたんだな。


 結局、人間の心は捨てられないわけだ。でも、それも悪くない。今はそんな気分だ。


 金はどうするか……。気は進まないが、アレしかないか。まぁいいさ。


 俺はふと、右手に小瓶を握り締めたままな事に気付き、また可笑しくなる。


 結局、要らなかったな。これ。


 そう思いながらポケットに仕舞おうとした時、「ヒュン」という風を切るような音が聞こえた。


「ドンッ」と何かが床に落ちる。


 2秒かけて理解したそれは、俺の右手だった。


 え?


「ダメだよ、おにーちゃん」


 え?


「勇者を見つけたら、大きな声で言わないと」


 え?


「【勇者、みーつけた】って」



 ロン・アンベルトは醜く笑った。

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